もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
「っ――」
気がつくと、見慣れない天井が眼前にあった。明るい貴重の古ぼけた木目。
ここはどこだ? ぼんやりとした意識で木目を見つめていると、オレの視界がぼやけている事に気づいた。
涙で滲んでいる。目を拭おうと何気なく両腕を掲げると、錐を突き立てられたような痛みが手首を貫いた。
「いっ――てぇ」
身悶えるような痛みに、体がぎゅっと緊張する。それで眠気は完全に吹き飛び、自分がここにいる理由が脳に飛び込んでくる。
視線を下ろすと、両手首に浮いた大きな傷。そう。オレは戦えなくなり、逃げ出したのだ。マスターの甘言に誘われるまま、剣を捨てて。
「……クソッタレ」
ぼすりと毛布に顔を埋め、未だ浮いていた涙を強引に拭う。顔をぐりぐりと押しつければ、頭の中の嫌なモノが滲んで出て行ってくれると期待して。
もちろん、そんな事はなかった。悪夢はヘドロのように、オレの魂にこびり付いている。
アレは、本物の痛みだった。人生を塗り替えられるほどの屈辱だった。
夢でありながら、実際に現実なのだろう。剣を握れなくなったモードレッドが辿る、無為で無様な人生。
神代のそれに匹敵する呪いは、オレの存在そのものを傷つけ、ああやってオレを蹂躙する。
現界している間は、まだ悪夢を見る程度かもしれない。だが死んでしまえば、オレの存在は呪いに負け、あっという間に上書きされる。
悪夢通りの結末か、それ以上に何もない無様な一生か。
当然、英霊の座はオレを蹴飛ばし、二度目の生などは望めないだろう。
「……ちくしょう」
毛布に埋めたまま放った言葉は、予想以上に反響し、オレの心を揺らした。
傷を付けたサーヴァントを許す気はない。できることなら、地の果てまで追い詰めてでも殺してやりたい。
まやかしの現実だって、受け入れてたまるものか。オレはアーサー王に徒なす叛逆の騎士だ。その誇りを、生きた証を、誰にも汚させはしない。
そう思う。疑いようもなくそう思うのに。
「ちくしょう……!」
同時に、怖くてしょうがなかった。
あの悪夢は最悪だった。騎士としての誇りはなく、人としての尊厳すらなく、オレは只の浮浪者だった。
死ねば、それがオレになる。オレはやがて、あの悪夢に人生を上書きされる。
それがどうしようもなく怖い。だから、死ぬのが怖い。戦うための存在にも関わらず、だ。
鳩尾あたりがずしりと重い。心に穴が空くとこんな感覚になるらしい。底なし沼にはまったように、オレの心が深く沈み込みそうになる。
「っ――ええい、まどろっこしい!」
オレは気合で腕を振り上げ、自分の頬を殴りつけた。ぽこりと軽い感触が頬に伝わり、脳を引き裂かれるような激痛が手首に走った。
もんどり打ちたくなるような痛みを、気合いで耐える。かなり強引だが、いつもの調子を取り戻す事ができた。
「~~~~~~~っ! ……たく、こんな痛みの中、オレもよく寝れたもんだな」
オレから安心や安息という言葉を奪い去った傷を睨み、呆れ、そしてふと気づく。
そういえば、昨日の夜は、あまり痛みを気にしなかった。そう思えば今朝も、なんだか少しだけ、腕が軽い気がする。
しばらく考え、すぐにその理由に思い至った。
その瞬間、かぁっと顔が火照る。
「……んだよ、ちゃんと効くのかよ」
奴の顔が浮かぶ。
胸が詰まるような感覚がした。けれども今度はもっと軽く、ふわふわと浮き足立つような、初めて感じるものだ。
妙に心地よく、だからこそ気持ち悪い。
そのもやもやから逃げ出すように、オレは毛布を蹴飛ばし、寝室を後にする。
肘を使ってノブを開けると、うまそうな匂いが鼻をくすぐった。目覚めた腹の虫が、無遠慮に自己主張を始める。
穏やかな空気の中、マスターがキッチンに立っていた。
トマトの酸味のある香り。煮立てているようだからスープだろう。
マスターはこちらに気がつくと、にこりと微笑んだ。どうにも慣れない。穏やかなあの顔も、ここの空気も。
「おはよう、モードレッド。そろそろ起こそうかと思っていたんだ」
言いながら、マスターは鍋をぐるりとかき混ぜ、火を止める。
「昨夜の反省で、今日はスープにしてみたよ。まずは簡単なスプーンから、徐々に使えるようにしてみよう。リハビリという活動に効果があるのか、正直疑問だけど」
拍子抜けするくらい、いつも通りの間抜けなマスターだった。こちらが険悪な顔をするのも馬鹿らしくなるくらいに。
オレは壁にもたれ掛かり、マスターを睨みつけた。些細な機微も見逃さないように。
「……マスター、見たか?」
「何をだい?」
「……ならいい」
質問はそれで十分。オレは不必要な警戒を解いた。
無意識下で思考を共有するのは、霊基が繋がっているマスターとサーヴァントとの間でよくある現象だ。ひとまず、今夜の悪夢を見られなくてよかった。あんな無様な姿を見られたら、どう接していいか分からなくなる。
「傷の具合はどう? ご飯は食べられるかな」
「腹は減った。傷は相変わらずの最悪だ。お陰様でクソッタレな寝起きだったぜ」
「……そうか」
マスターは困ったような声を上げ、キッチンに向き直った。
オレはソファの背もたれに腰をかけ、マスターの背中を眺める。
敵意もなければ、警戒もしていない。子供がいてもおかしくない男性の、無防備で暢気な後ろ姿。
(……あ、また)
胸がきゅうっと絞まる。言いようのない感覚がオレの腹に蟠り、心に隙間ができる。
まだ二日目だが、この穏やかな空気が苦手だった。うまく説明できないが、自分がここにいてはいけないような気がする。
集団の中、オレ以外が全員男とか、そういう感じのもどかしさだ。いや、オレも息子だけどな?
無駄と分かっているからしないが、本当は今すぐにでもクラレントを握りしめ、吼えながら戦場を駆け回りたい。今まではずっと、そうやって自分の心を解き放っていたから。
今はそれもできない。胸にわだかまる気持ちを整理する術も持たず、オレはマスターに目を向ける。
温かそう。そんな感想が浮かぶのは、スープの湯気のせいだろうか。華奢な背中を見ていると、色んな事を全て許してくれそうな気がする。
そんな事を思っていると、体がつい動いていた。衝動のままにマスターに歩み寄り、背中に額をぽすんと押しつけた。
マスターの体が少し跳ねた。そりゃ驚くだろう。オレ自身も意味がよく分かっていないのだから。
「モードレッド?」
「デコがかゆいんだよ。いいから黙って前向いてろ」
「そう……あんまり乱暴にしないでくれよ? 危ないから」
マスターはそれ以上は何も言わなかった。オレはぐりぐりと額を背中に押しつける。
マスターを感じた。日溜まりのような優しい温かさ。
このような皮膚接触でも、ほんの少しの魔力供給はできるようだ。でも、通常の魔力とは少し違う気がする。
何というか、そう。いつもより、少し甘くてふわふわする。もちろん、魔力に味なんてないけれど、そう表現する他にない。
腕の痛みが少しだけ和らいだ。今も死にたくなる程に痛いが、それでも頑張ろうと思えるくらいには余裕ができた。
心がふっと軽くなり、つい開放的になる。この際だ、言ってしまえ。
「マスター。オレ、昨日は眠れた」
ほんの一瞬、ぴたりとマスターの動きが止まった。デコはまだ背中に当たっていて、顔を見ることはできない。けれど、どういう意味か、という点には、きっと思い当たっている。
僅かに言葉を選ぶ間を置いて、マスターははにかんだ。
「それはよかった。じゃあ、これからもする?」
「っしょ、しょうがねえからな。不本意だけど、続けてやるよ。ほんと、すっげえ嫌だけどな!」
口と頭がうまく統一できない。温もりを分けてもらっているのが急に恥ずかしくなって、押しつけていた額を外し、マスターから距離を取った。
マスターは一層笑みを深くしてオレを見ている。こういう時のマスターはあまり好きじゃない。何でもお見通しって感じで見やがるから。
「っ……効果はあったから、礼だけ言っとく。あと、忘れんなよ! 絶対にこの傷を直して、もう一度戦場に出るんだからな!」
「分かってるよ、モードレッド。努力するさ」
「……気の抜けた返事だな。ホントに分かってるのか」
「まあまあ、スープを食べてから考えようよ。できることを少しずつ増やしていこう。何事も日進月歩だよ」
こっちは真剣に話しているというのに、マスターはのらりくらりとオレの詰問をかわす。
「ああ、それともこう言った方がいいかな……いずれクラレントを握る崇高な英霊モードレッドが、まさかスプーンも持てない幼児なわけはないよね?」
「っほぉ? ほぉ~~~? じょぉーーとぉだよ! 舐めやがって、後でケツ蹴り飛ばしてやるからな!」
乗りやすいオレもオレだ。結局何の進展もないまま、その日の朝は過ぎていく。
マスターの事は嫌いじゃない。真面目で実力もあって、いい奴だ。
だけど、最近のマスターは苦手だ。
傷を負ったオレにも優しくて、聖杯戦争の時よりものほほんとしていて。こんな気質のオレすらも、のんびりと包み込んで。
こんな生活も悪くないかなとか、冗談にも思わされてしまうから。
結局、スプーンは持てなかった。癪だから二回ぐらい蹴っといた。
非エロの分は明日で終わりの予定です。