もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
マスターは、足りない物を買い出しに行くとかで、朝食を食べ終えると、早々に車に乗って町まで行ってしまった。
同行を提案したのだが、やんわりと断られた。「ゆっくりくつろいでて」なんて言ってたが、アイツはオレがサーヴァントだということを本気で忘れているんじゃないだろうか。
オレに気を使っての言葉なのは確かだった。霊体になると、傷の痛みだけが顕在化する。触れる肉体があった方が、幾らか気が楽だ。それにあぜ道を走る車は激しく揺れて溜まったもんじゃない。
だから、オレは反論せずに見送ることにした。
いけ好かないのは事実だ。戦いなんて無縁の土地とは言え、さすがに無警戒が過ぎる。
「仮にも魔術師ともあろうものが、どんだけ腑抜けてんだ……人のこと言えねえけどよ」
ソファに腰を下ろすと、皮が張って僅かに鳴いた。そんな何気ない音が残響を起こすほど、ここには音がない。木の葉が風にそよぐ音、ささやかな鳥の声。それだけだ。
腕に力を入れず、痛みを気にすると、他の動きも少なくなる。
動かない人形として、この空間に陳列されている気分になった。
「……暇だなー」
口にすると、余計に自分の腹の内が意識させられる。
一秒が何倍にも希釈されているような気がする。一方で、気がつかない内に年老い、枯れ朽ちてしまう予感も覚える。
このままじゃダメだ。そう、漠然と逸る。
何かしたくてしょうがない。ここにいると、静寂に飲み込まれ、自分が矮小な存在になってしまう。
マスターに気を利かせて、あるいは気を紛らわせようとして、部屋の掃除でもするかとソファを立ち上がる。
手にかけるようにして雑巾を流しに放り込み、肘を使って水を出す。
水をよく吸った布を絞る……ことはできないので、そのまま足の指の間で挟み「せいッ」バク転。
鮮やかな円を室内に描き、膂力に遠心力を上乗せし、懇親の力で床に「どおりゃ!」びたーん!
窓の外で、鳥が数羽逃げ去る気配がした。流れるような一連の行程を経て、目の前にあるのはくたびれた雑巾と、行き場を失って床を蹂躙する大量の水。
しばらく雑巾を踏み潰し、ぐりぐりと動かしてみるも、木材への冒涜の範囲が広まっただけだ……うん、ダメだなこりゃ。
「やっぱ、ガラにも無いことをするもんじゃねえな!」
そう一笑して、今の一件を無かったことにする。掃除一つもまともにできない、という解釈は意地でもしてやらない。
やはり、体を動かすに限る。何もないところとはいえ、始めて来た場所だ。歩いていれば、何かしら面白いものに出会えるだろう。
「ここ、空けちまうけど……ま、いいよな。マスターとオレしかいねえんだし……ん」
何だか、むずむずっときたような。マスターの前じゃ控えた方がいい気がするな、この言葉。
一歩外に出ると、空気の存在感が増した。濃密な森の気配に、広大さを内包した触感。
流れる穏やかな空気だけを見れば、なるほど確かにいい場所だ。
「……人間にとっちゃ、な」
最後の唾棄は、やはり忘れられない。
魔力はさして感じられず、当たり前だが戦いの気配も微塵もない。
ただ、無味無臭で退屈で、退屈な退屈な場所だ。
「つまんねーな、ホント」
この土地も、ここで暮らしたいとほざくマスターも。
……ホイホイついてきて、ここにいるオレも。
ダメだ、一人でいると悪い思考が止まらない。何か気を紛らわすものを探して、オレは足を動かす。
取りあえず、家の隣にある湖に足を運んでみる。鏡のような水面に、対岸の景色が映り込んでいる。泥のせいか底は判別しないが、水は透き通り、心地よい土の香りがする。
泳いだらさぞかし気持ちがいいだろう。腕さえ動けば、だが。
そう考えると、同意するようなタイミングで傷が疼きやがる。
腕の痛みはいつだって無遠慮だ。手首から先に意識はなく、肘から重りをぶら下げたまま歩いている感覚だ。移動にあわせてブラブラと揺れて、そのまどろっこしさが、オレから余裕を削る。
湖のひんやりとした空気に当てられてか、ついオレの口が言葉を紡ぐ。
「はぁ、マスターからもうちょい魔力を貰っとくんだった……って、そういうんじゃねーし!」
挙動不審な怒号が割り込む。また鳥が羽ばたいて逃げていった。
無言を決め込んでいた森のオブジェクト共が、急にこっちを見ている気がしてきた。無性に恥ずかしくて、動かせる二の腕で口元を覆う。火傷するほどに顔が熱い。
「あ~~もう、今のナシだ、ナシ。ちっげえよ、そういうんじゃなくて……鎮痛剤って意味で。したいとかじゃねえんだ、マジで」
一体何に言い訳しているのか。自分で言っておいて、何でこうも墓穴を掘ってしまうのか。
ここに来てから、調子が狂うことばかりだ。分からないことばかりだ。
マスターは何でああものらりくらりとしていられる。何でオレはこんな何もないところにいる。何で、あんな一瞬の、ただの口が触れただけの出来事が、脳裏に染み付いて離れない。
あの時以来、調子がおかしい。傷を負い、絶望のどん底を味わったあの時。
マスターに好きだと言われてから、胸の中にヘンなのが巣くっている。
かつて生きた時には感じることのなかった物に、ヤキモキさせられる。
自分が分からなくなる。心も、体も、自分じゃなくなって。
今ここにいるオレは、一体何者なんだ?
湖を覗き込むと、オレの顔が見下ろしてくる。眉間に皺を寄せ、やたら突っかかる、不機嫌なガキの顔。じっと見ていると、木の葉がひらりと落ちてきて、波紋でボヤケさせた。
「……アホらしい」
顔を上げる。きっと、さっき見た顔より更に険悪な表情にして。
みみっちい。自分でも分かっている。だけど、剣もなくなり、心も弛緩し、己の中に自分らしいところを探せない。情けない話、今朝の夢も、まだ引きずっているだろう。
証明したいのだ。オレはまだオレであると。何か一つでも、実感できる証拠が欲しい。
「そんな事、考える時点でどうかしてるけどな……あ?」
ふと、気配を感じた。近くに生き物がいる。殺気もなく、こちらを気にしてもいないが、この静かな空気の中では激しくさえある存在の主張。
視線を動かし……見つけた。対岸に、茶色い毛並の馬がいる。
水を飲みに来たのだろう。森の中からトコトコと歩いてくると、首を下ろし、湖に口を浸している。
「へえ……面白えじゃん」
これを逃す手はない。オレは気配を殺し、足早に対岸へと移動する。途中に木に絡み付いていた蔦を拝借し、腕に巻き付ける。
五メートルくらいまで接近すると、馬も首を上げ、こちらに目を向けた。ブルルと鼻を鳴らしたが、逃げ出す様子はない。
「なんだ、人懐っこい奴だな。それともオレの騎乗スキルの賜物か? へへっ」
試しに手をかざすと、首をもたげ、顔をすり寄せてきた。押しつけられて傷が痛んだが、それよりも好奇心が優先される。横に回って腹に手を添えると、長い尾がぱたぱたと揺れた。
「お前、結構ガタイいいな。群からはぐれたか? それともどっかから逃げ出してきたか?」
俺の質問にも、馬はぶるりと鼻を鳴らすばかり。何にせよ、手綱も付けずにこんな所にいるのは、この馬が誰にも所有されていない事を示している。
打ってつけだ。なんせオレは、こと略奪と蹂躙に関しては覚えがある。
「よーしよし、いいか? そのまま、じっとしてろ……よッ!」
勢い一声。腕に巻き付けていた蔦を撓ませ、馬の首に巻き付けた。驚いて暴れるよりも早く横っ腹に回り込むと、勢いづけて跨がる。
最後に巻き付けた蔦の先端をもう片方の手に巻き付ければ、馬の体は俺の占有物となった。
馬が興奮し、前足を高く持ち上げる。邪魔者を引きずり下ろす為の行為も、オレが手綱を握れば王の威光を示すアピールに変わる。
サーヴァントとしての騎乗スキルも手伝い、ものの数秒で馬はオレへの服従を示した。
「っく……よ、し」
手に巻き付けた蔦が傷を圧迫する。ひび割れそうな衝撃に顔が歪むが、それよりも興奮が頬を吊り上げる。忘れていた高揚感に、胸が躍った。
ポスポスと銅を数度蹴ると、まるでオレの気質を反映するように、馬が勇んで体を揺らす。
オレの本質に、灯がともる。
「――行けっ!」
一声、強く銅を蹴る。
馬は甲高く嘶き、疾走を始めた。
ぐんという揚力。世界の全てを速度が支配する。
木々が視界の端を流れていく。蹄が大地を踏み潰し、衝撃が鼓膜を揺らす。湖の脇を抜け、丘を駆け、大地を奔走する。
「ははっ。ははははっ!」
これだ、これだ! こういうのだよ!
記憶がフラッシュバックする。かつてブリテンの大地を駆け抜けたあの頃が、今のオレと重なる。
こうして、オレは生きたんだ。
馬を駆り、大地を越えて、数多の軍勢を下してきた。騎士として、並び立つもののいない円卓の一員として。
この感覚が、オレに思い出させてくれる。オレがオレであることを教えてくれる!
「ははは! いいぞ、そのままどこまでも行っちまえ――づぅ!?」
突然のガゴッという重い音。手首が衝撃に軋む。
石か何かを踏みつけ、衝撃に馬が驚いた。上下の感覚もなしに、矢鱈目鱈に暴れ周る。
「くっ――落ち着けよ! この――づぁ!」
馬を諫めようと手綱を握るも、途端に痛みが神経を刻んだ。
取り直そうとするも、馬はより一層暴れ、オレを振り落とそうとする。首が激しくもがき、巻き付けていた蔦が引っ張られてオレの手首を強烈に締め付けた。
「ぎゃ、あ――!?」
余りの苦痛に、一瞬だけ意識が飛ぶ。
次に目を開けたとき、オレは宙を待っていた。
重力を失い、腹の内が持ち上がる。ぐらり――視界と一緒に、意識も止まる。
夢の中の、王の嘲笑が脳裏をよぎる。
全てから見放されたような喪失感。
すぐ後に来たのは、背中の衝撃。
木の一つに背中からぶち当たり、体がぐにゃんと縦に曲がった。めぎっという音に、呼吸が止まる。
「ごっふ……ぉ」
肺の中の空気を全て絞り出されて、オレは木から引き剥がされ、地面に落下する。
受け身なんて取る余裕は無かった。落下した先には張り出した木の根があり……。
オレの手首は、その上に落ちた。
「があああああああああああああああっ!!」
ぐしゃりと肉がつぶれる音。それ以上は何も聞こえず、オレの意識は叫びに塗り潰された。
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
むき出しの神経にヤスリがけされるような苦痛。溶けた鉄を血管に流し込まれたような苦悶。死んだ方がまだマシと思える地獄。
オレは容易く我を失い、痛みに囚われた体が暴走した。
視界が真っ赤に染まる。意識の糸が張りつめ、
ぷつんと切れた。
―――――――。