もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
どれだけの間叫び、その間どうなっていたのか。闇雲に走り回った気がするし、辺りを転がり回った気がする。
意識が戻ってきた時、オレは腐葉土にまみれ、森の中に倒れていた。辺りの木々は根本から蹴り倒され、周りの地面には吐瀉物が転々と付着している。
体が燃えるように熱い。血潮が痛みそのものになって、ぎゅるぎゅると全身を巡る。ぎゅるぎゅる。その循環に、脳が軋む。
「ハァッ、ハァ……っづう、づぁぁぁぁぁぁ!」
叫ばずにはいられなかった。この苦痛からどうにかして抜け出したい。
オレは訳も分からず、近くにあった木に、自分の額を叩きつけた。
視界に火花が散る。重い音が内側に響く。脳がぐらりと揺れる。それでもオレは首を振り続ける。堅い木の幹の皮が剥げ、血が付着するほどに。
抜け出したい。どうすればこの苦痛から抜け出せる?
夢なら早く醒めてくれ。頭を割れば目が覚める? 脳をかき混ぜれば目が覚める? ならば幾らでも割ってやる。
だから早く。早く醒めろ。醒めてくれ。
……もう、嫌なんだ。
十数度目の頭突きで、オレの体の方が音を上げた。足がもつれ、土の上に倒れ伏す。視界がぼやけ、意識が朦朧とする。それでも、ぎゅるぎゅると巡る痛みは止まない。
「痛え、痛えよ、ちくしょう……」
オレは立てなかった。立とうと思えなかった。心がもう挫けてしまった。
「何っ、で……何でオレが、こんな目に合わなきゃいけねえんだ」
泥にまみれた自分があまりに情けなくて、このまま消えてしまいたい。何もできず、痛みだけがオレを責め立てる。
騎士の誇りも、オレという存在も、全てに泥を塗りたくられる。
世界から見捨てられた感覚。独りぼっち、あらゆるものから蔑まれる侮辱。
情けなくて、悔しくて、痛くて、痛くて。
ぶち殺してやりたい。何もかんも葬り去りたい。それができないなら……いっそ何でもいい。この責め苦から解放してくれ。
「ひっく……ぐす、う……」
すすり泣きだけが森の中に木霊する。
何もかも投げ出したい。そう思えば、いよいよオレの体は意識から外れ、痛みを享受するだけの肉塊に変わった。意識が遠くなり、これが絶望だと知る。
このまま森の中で土と苔にまみれれば、そのまま溶けてなくなってしまうだろう。オレがここにいた痕跡はなくなり、歴史からも、オレを知るものは誰もいなくなる。
最早それでいいと思えた。早く楽になりたい。こんなクソッタレな世界、とっとと終わらせたい。
終われ。終われ。このまま何も起こるな。ただそれだけを願って、俺は孤独に静まりかえる。
全てを擲った俺の願いは、けれども唐突に遮られた。
「――モードレッド!」
霞がかった意識に、聞き慣れた声が割り込んだ。地面の味が遠くなり、俺は仰向けに転がされる。
「酷い傷だな……でも良かった、命に別状はなかったみたいだね」
声に応じるように、オレは億劫に目を開ける。
重い瞼を持ち上げれば、ノロマなマスターの気の抜けた顔が目の前にあった。
「マスター……」
一度全てを放棄したせいなのか、オレの口は固められたように動かなかった。数日ぶりに声を発したように、声がかすれる。
「なんで、ここが?」
「僕は君のマスターだよ? 慌ててとって返してきたんだ。正確な場所までは分からなかったけど……車を走らせていても分かるくらいに激しく暴れてたからね。一目瞭然だったよ」
マスターは目線を逸らし、皮の剥げ血の滲んだ木の幹を見た。表情を曇らせ、オレに向き直る。
その憐れみの目が。優しさに満ちた目が耐えられず、俺は力のない腕で顔を覆った。
「自分で傷つけたのか……かわいそうに」
「うるせえ……」
「見せてみろ。血は出てるかい? 跡が残るといけないから、早く帰って――」
「うるせえ!」
衝動のままに、顔を覆っていた腕を力一杯振るった。マスターの頬に手のひらの骨が当たり、腕が砕け散ったような衝撃がオレを襲う。
マスターはよろめいてオレを落とした。
「っがぁぁぁぁ! アァ! クソォ! クソがぁ!」
泣きたくてしょうがなかった感情が、怒号になって吐き出される。自分でも訳がわかないままに、何もかもに激高した。
柔らかな土の上に落ちたオレは、痛みに声すら出せず、芋虫のように体を捩らせ、何かから隠れるように身をちぢこませる。
「消えろよ」
「モードレッド」
「失せろ! どこへでも行っちまえ! もう放っておけよ!」
頭がかぁっと熱くなり、沸騰したように意識がぐらつく。うずくまったまま声を吐き出し、土の苦い味が口中に飛び込んでくる。
「もういいだろ! 終わったんだろ? オレはもうおしまいなんだろ!? じゃあさっさと終わらせろよ! 構うなよ捨てちまえよ!」
自分が何を考えているのか分からない。ただ悲しくて、虚しくて、自分が情けなくてしょうがなくて。
自分の置かれた状況が許せず、目を逸らすことは許されず……解決するにはもう、諦めるしかないのだ。
「剣も握れず! 戦う相手もいなくて! 何もなくて、何もできなくて! 何だよこれ! なんなんだよ! どうすりゃいいんだよ! オレは何なんだよ! オレは、オレはぁぁ!」
絶え間なく叫ぶことで、喉がビリビリと震える。それでも叫ばずにはいられなかった。ひとたび叫ぶことを止めてしまえば、どうしようもない現実に押しつぶされてしまうから。
マスターが近づいてきていることには気づいていた。慎重に、けれど迷いのない足取りで、オレとの距離を詰めてくる。
全てが嫌だった。全部全部、壊れてなくなれと思った。
声をかけたら喉を潰そうと思った。
手をかければ根本からもぎ取ってやろうと思った。
そして殺そうとするならば……何もしないでいようと思った。
けれど、そのいずれでも無かったから、オレは何も抵抗できなかった。
マスターは、わざわざ回り込んで、うずくまったオレの正面に立った。土の付着した靴が視界に入り、オレは反射的に顔を上げる。
その顎を、マスターの手がすくい上げた。マスターの顔が視界に飛び込んでくる。
息がかかるほどの距離。その予想外の近さに驚いている内に、マスターは勝手にオレの口を塞いでいた。
「んむっ……!?」
息が止まり、入れ替わりに温かい空気が口中に入り込んでくる。体がすくみ上がり、硬直する。
いやに長いキスだった。互いの呼吸も、唇を動かす水音も無かった。意識を黒々と覆っていた靄が吸い取られた気がした。
息苦しくなるほどの間を置いて、ようやくマスターの顔が離れていく。
「落ち着いた?」
「な、あ……ば、バカ、お前――ひゃっ!?」
驚きとか怒りを表現する間もなく、マスターはオレの背中と太股に腕を差し込むと、軽々と持ち上げた。オレを見つめる顔が一気に近くなる。
「っ――」
「うん? 顔が赤いね。照れてる?」
「う、うるっせえ! ド変態のクソマスター!」
「はいはい、元気な証拠元気な証拠」
「子供扱いすんな! この――あ、う……」
距離が近い。唇の感触はまだ生々しく残っていて、顔を見るとそれを思い出してしまう。喉まで出かかった反論が急速にしぼんで、かすれ声になって消えてしまう。
結局、オレはそっぽを向いて、マスターの顔を視界から外した。ガキみたいだと自分でも分かっている。それでも、顔をまともに見てられない。
「英霊で、凄い力を持っていても、モードレッドは手負いの可愛い女の子なんだから。無茶したら傷に響くよ」
「……叛逆の騎士に無茶するなとか、バカじゃねえの?」
「その格好で言っても説得力ないなぁ。知ってる? この体制、お姫様だっこって言うんだよ」
「知ってるよそんぐらい! だから恥ずかしいんだろうが! 降ろせバカ、バカマスター! あと女の子っつーな、殺すぞ!」
足をバタつかせてみるも、マスターの涼しい顔は動じない。本当にコイツのガキになったみたいで、胸がムカムカする。
それに……ムカムカとは別に、胸の方になにか、熱いのがこみ上げてくる。
背中と太股に感じる腕は、温かかった。しばらくはお互い、一言も発さないまま。マスターがザクザクとめくれ上がった地面を踏む音が響く。
対向から足音が近づいてくる。四つ足の蹄の音。オレが支配し、走り回った馬が、こちらに近寄って、ブルリと鼻を鳴らした。
「……テンションが高いと思っていたけれど、なるほど馬に乗っていたのか。それなら頷ける。こんなになっていても待っているなんて、いい子だね」
マスターが側まで寄っても、馬は動じなかった。さんざん暴れ回ったオレに対しても、特に何も思ってないらしい。懐がデカいのか間抜けなのか……そう思っていると、オレの体がひょいと持ち上げられた。
「よっと」
かけ声一つ、オレは再び馬の上に乗せられた。
「マスター?」
「いい馬だ。このまま捨てるのは勿体ないだろう?」
「そりゃそうかもしれねえけど。オレ、こんな手だし……」
「僕がやるから大丈夫だよ。君は乗っていればいい」
マスターがオレの後ろに乗り、オレの脇を通して手を伸ばし、馬の首に巻かれたままだった蔦を握る。後ろから抱きつかれるような体制に、むずがゆさが募る。
「もたれ掛かってもいいよ。君が安心するなら」
「ハッ、モヤシ男に乗りこなせんのかよ?」
「僕は別に叛逆に興味ないからね。後は、君の騎乗スキルを少しだけ借りて――っと」
マスターが腹をひと蹴り、オレと同じように、馬は森を駆けだした。