「ふみゃ……っ♡」
「ん、んん……っ?」
甘えるような声とほんのりと香るコーヒーの匂いを感知して、私はぼんやりと意識を目覚めさせた。
「あぁ、そうか……」
ベッドに横たわったまま徐に瞼を開いていくと、視界の端に見慣れない桃色を捉えて、私は昨夜の記憶を反芻するように独り言ちる。そういえば、あの後はナナオにせがまれて同衾したのだったなと思い返しながら。
「一緒にいた時は……よくこうしてくっついて寝てたな……」
頭だけを隣で眠るナナオへと向けて、私は遠い昔の記憶を探るようにそう口にした。言葉にすることで、あの時──二人で旅をしていた思い出が脳裏と網膜で重なる。
尤も、あの時の彼女は毛並みの綺麗な黒猫で、今はどういうわけか女の子の姿をしているのであるが。
「んにゃぁぁ……♡」
郷愁に駆られるわけではないが、懐かしい気持ちに惹かれてナナオを抱き寄せて一撫ですると、彼女は気持ちよさそうに寝言を零す。見た目は大人の女性であるが、久しぶりの再会に昔はよく見た子猫らしさを感じさせるようだ。
ナナオも寝ていることであるし、彼女を撫でながら少し昔話をすることにしよう。
あれは今から百年だったか二百年だったか、ともかくヒトが生を終えるには十分すぎるほどの時間を遡った頃のこと。私は旅の道中で一匹の子猫を拾った。
はぐれたのか死別したのかは分からなかったが近くに親はおらず、初めは自然界の成り行きに任せて特に干渉するつもりはなかったのだが、出会ったその場で異様に懐かれてしまったのでついつい飼うことにしたのだ。長い一人旅で寂しいという感情があったことは否定出来ない。
そして、私はその黒猫に「ナナオ」という名を与えた。少し鳴くのが下手で、「な、なぁお♡」と鳴きながら甘えてくるのが可愛かったからだと思う。今考えると少し安直すぎたような気がしなくもない。
それから、私とナナオは色んな場所を旅することとなる。怪異があると聞けばそこへ赴き、数えきれないものを一緒にいた十年という短い時の間で共有してきた。
水を嫌がる性格じゃなかったので、魔法で作ったお風呂に一緒に入ったり、寝る時は一緒にくっついて同じ布団で寝たり、離れていない時を思い出す方が難しいほどには常に傍にいた気がする。あ、流石に用を足すのに着いてくるのは止めさせたが。
そんな風に、新婚カップルも斯くやという勢いで共に時間を過ごした私たちであったが、その別れは突然訪れることとなる。と言っても、ある朝目覚めたらナナオの姿が近くに無く、彼女の音も聞こえなくなったというだけの話であるが。
猫は死に際を人に見せないと聞いたことがあったので、そういうものかと一人で納得した後、私は少しだけ涙を流した。そこで私たちの思い出は終わりだ。終わりのはずだった。
「ん、ぅ……っ」
「おはよ、ナナオ」
「ん……おはよう……天羽……♡」
回想しながら撫で続けているとナナオが起きてしまったようで、私の腕の中で身動ぎしながらぼんやりと目を覚ます。そして、私の存在に気が付くと心底安心した声色で私に甘えてきた。それに応えるように私も彼女の頭を撫で回す。
「ナナオ、昨日も言ったけど今の私の名前は天都だよ」
「天都……♡ れろ……っ♡」
私の神名を呼ぶナナオに訂正を促しながら、なおも撫で続けていると、彼女はそれを受け入れた後に私の顔を舐め始めた。猫時代の彼女が寝起き一番にいつもしてきたことだなと思いつつ、私はそれを黙って受け入れる。
美しい女性の姿でそれをされると、流石に心臓の動きが早まるのはどうしようもないが。
「これで綺麗に……ごめん、今はヒトだったね……」
肩に手を置きながら豊満な身体を押し付けて行われる毛繕い──顔に毛は眉以外生えてないが──を終えて、ナナオが満足そうな表情で離れた直後、彼女は自分の失態に気がついてシュンと気落ちする。そう、ヒトの舌は猫のようにざらざらしていないので、ただただ舐めて唾液で顔中べとべとにされただけなのだ。
長らく離れていたが、再会したことで子猫帰りしているのかもしれない。……いや、子猫だと寧ろ舐められる側になるのか?
「ふふっ、見た目はクールなお姉さんなのにそそっかしいね、ナナオは」
「ん、みゃ……っ♡」
テンションが落ちていくナナオとは対象的に、特に気にしていない私は顔を拭いながら子をあやすようにナナオの頭を撫でると、彼女は気持ち良さそうに目を細めながらその感触を楽しむ。顔を綺麗にしてくれた後に梳くように頭を撫でてやるのも私たちの毎朝のお約束だったなぁと、愛らしい表情を見せるナナオを見て思い出すのであった。
「さて、一先ず起きようか」
「待って……っ」
撫で続けること一分強。学校もあることだし昨日浴びてないシャワーを浴びて帰宅して準備を済ませようとベッドを出ようとしたところ、ナナオが私の腕を引いてそれを阻止してくる。その際に露わになるのはワイシャツと下着姿だけのナナオが不安そうな顔をこちらに向ける光景だ。
「今日一日だけは……その、一緒にいて……」
次に紡がれる言葉を待つことで流れる沈黙を、ナナオの消え入りそうな声が破る。その声にはまた離れ離れになるのではないかという不安の色が混じっていた。
「そう、だね。じゃあ今日はナナオが今まで何してたか、教えてもらおうかな」
キュッと私の衣服の胸のあたりを握るナナオの手に手を重ねて、私は安心させる音色を声に乗せてそう口にする。上目遣いで送られる視線には安堵の色が芽生え始めていた。
「天都……♡ 天都ぉ……っ♡」
「よしよし」
やがて、感情を爆発させたナナオは私に頬擦りしながら甘えてくる。ヒトの姿をしていてもナナオはナナオだなと思いながら私は彼女を抱きしめて、再び柔らかなベッドへと身を沈めるのであった。
「それで、結局何でナナオはヒトの姿を?」
「……てっきり既に分かっていると思っていたが」
それから、ごろごろと怠惰に時間を過ごした後、臨時休業の看板を掲げたお店の中で私はそう切り出す。私の言葉を受けてまさか理解が及んでいないとは思っていなかったのか、ナナオはジト目でこちらを見てきた。いやぁ、面目ない。
「ご、ごほん……天都は
「
悪性の化生ではないから専門外だけどね、と付け加えながら私は顔を赤くして咳払いをするナナオの問いに答え、彼女はそんな私を見て満足気に一つ頷いてみせる。今その話をするということはもしや?
「もう察しは付いていると思うが、私はその
その予想を裏付ける様にナナオはそう口にした。つまり、ナナオはあの時に死んだのではなく生まれ変わっていたということらしい。
だが、そういうことなら何故ナナオは私の前から姿を消してしまったのだろうか。
「でも、生きてたなら何で何処かに行っちゃったんだい?」
「あ、う……それは……」
分からないなら聞いてしまえと率直にナナオへと疑問を投げかけると、その問いにナナオは非常に歯切れ悪そうに言葉を零す。
「その……自分が別のナニかに変わってしまう感覚が怖くて……何より、それを天羽に知られるのが怖くなって……気が付いたら、知らない場所まで走って逃げてしまってた……」
やがて、数秒の間を置いてから、ナナオはぽつりぽつりと事情を話し始めた。その時のことを思い返しながら話しているせいか瞳には不安が滲み、昔の名で私を呼んでいる。
「ごめんね、ナナオ」
「天羽……っ」
ぎゅっと縋るように手を伸ばしてくるナナオを抱きしめて、私は謝罪の言葉を口にした。私の魔力で覚醒したということは、そういう不安を抱かせたのも私のせいだから。
抱擁から伝わる温もりを噛みしめる様に、ナナオは強く私を抱き返す。
「優しい魔女に出会えて、自分のやりたいことも見つけて、叶えて、辛くは無かったけど……ずっと、ずっと寂しかった……」
堰を切って涙混じりの言葉を綴り続けるナナオを私は二度と離さない意思を込めて抱き返しながら、子をあやす様に優しく頭を撫で続けた。鼻を啜りながら声をしゃくり上げている姿はせっかくのクールビューティも形無しだ。
「ぐすっ、やっと
「ナナオ……」
「ずっと、一緒にいて……っ」
より一層強く縋りつきながら、ナナオは感極まった声でそう紡ぐ。小さくて可愛らしい猫だと思っていたナナオの姿はもうそこには無かった。
「ずっと、一緒にいようね、
「天羽……っ」
「ふふ、今は天都だってば」
「うん……うん……っ」
だからこそ、生まれ変わった七緒の想いに私は応えることにした。自身の存在そのものを歪められても私のことを想い続けてくれていた彼女に報いるために。
怪異と怪異の
傍でじゃんじゃか魔法使ってたので