気づいた時には既に目で追っていたような気がします。
良い意味で私の日々が賑やかになり始めたあの日と同じ日に、あの時と比べて幾らか不健康な顔つきで誰もいない図書室に佇みながら、私はそんなことを考えます。
保科君を初めとしたオカルト研究部の皆さんの協力を経て、私は年の終わりの頃に大魔法を発動させることが出来て、それから一人で時空を遡ってきました。長年代償に苦しめられながらようやく願いを叶えたわけですが、それと同時に、代償とは異なる呪いに私はかかることになります。
「両親が離婚しない」という時空に渡ったのですが、それは魔法の力によって歪に関係維持されている状態でした。離婚はしていないけれど、ただそれだけ。両親の冷たく、干渉し合うことなく続いていく虚しい関係を見せつけられて、私はそれに耐え切ることができずに自ら願いを捨てるように両親へ離婚を勧めました。
それからは前の時と同じ様に私はお父さんに着いていくことになります。違った点を挙げるならば、今回は自分から継母に歩み寄って以前とは違う関係を構築したことと、魔女になることがないので七緒と出会わなかったことでしょうか。
そして、そこから私にとって辛い日々が始まっていきます。
私は気づいてしまいました。細かな差異はあれど、大筋は前の時と同じ様に今の世界が流れていくということに。
それはつまり、私が前と同じ風に過ごさねばならないことを意味しています。何故ならば、私が心の欠片を集めるために人の悩みを解決していて、それによって少なからず幸福になった人の存在を知っているから。
オカ研で人と関わる喜びを知った私にとって、また人と距離を置いて接しなければならないという選択は、戻ってきてから一番の苦痛を伴う行為でした。でも、そうしないと幸せになれない人がいる以上、私はそれを無視することは出来ませんでした。
そして、そんな日々を送ってきた私は、前回以上に虚しい気持ちを抱えたまま再び姫松学院に入学して、そこで運命との出会いを果たします。
初めに僅かながらクラスの編成が入れ替わっていることに気がついて、その差異がどの程度かを見極めるために教室をぼんやりと見渡していると、そこには白が存在していました。それは前の時には見たことがなかった人。
流石に同級生全員の名前を覚えてはいませんでしたが、それでも顔を見れば同級生かそうでないかぐらいは分かります。その記憶と比較して、やはり私と同じ様に白銀の髪を携えた彼は、この時空に来て初めて現れた存在であると理解しました。
それはつまり、私が接しても運命の変わらない人。人との触れ合いに飢えていた私は彼──空閑天都君をそういう存在であると判断して、気がついた時には帰る準備を始めていた空閑君に話しかけていました。それが私たちの始まり。
「空閑君は音楽が好きな人で……」
空閑君のことを思い出しながら、私は目の前にある本棚に並べられた本の背表紙を指でなぞりました。
私が人と距離を置かざるを得ない状況の中、空閑君とだけは友人関係と呼べる間柄を築けていたと思います。私が唯一未来が変わることを恐れずに触れ合えて、何故か隣の席になることが多い空閑君と毎日のように会話を交わす日々を送っていくうちに、私は空閑君に対して様々な感情を抱く様になりました。
世界が以前とズレ始めているのか、年を重ねる度に前とは同じ様に上手くいかないことが増えてきた頃、不安で眠れなくなってきていた時に、空閑君が私の容態に気が付いて心の底から心配してくれたことは今でも鮮明に思い出せます。空閑君は頼ってくる人に手を差し伸べる優しさと、時には人が成長できるように敢えて突き放す厳しさから、子を慈しむ親の様な雰囲気を漂わせる人です。
そんな普段の態度から、空閑君は学院の皆さんから「お母さん」なんて呼ばれたりもしていますが、彼はそんな茶化す様な呼び名も笑って、とても嬉しそうに受け入れていました。その笑顔が私の心臓をドキドキさせて、時々キュッと締め付けられる様に苦しくなってしまいます。この不思議な感覚は前の時には感じたことのなかったものでした。
「それにしても、どうして保科君は心の穴が塞がっていたのでしょうか……」
私の声が静寂に溶けていく中、私は一度空閑君から思考を離れさせて、恐らく今回で一番変わっていた事象について、改めて確認する様に独り言ちながら思いを馳せます。
魔女としての感知能力が欠片集めの中で成長していったことで、出会った頃にはぼんやりとしか分からなかった人の心の状態について、私は幾らか分析できるようになりました。そうして分かったことは、元々空いていなかったのか、それとも空いていたものが塞がったのかはともかくとして、保科君の心の穴が存在しない極めて健全な状態であったことです。
それに、彼が私と関わる以前から私と同じ様に生徒からの悩み事を聞いていたようで、今では「困ったことがあれば男子は保科柊史へ、女子は綾地寧々へ」という暗黙の了解が学院内でできるほどに、彼は自主的に人と関わっているようでした。以前とは違う活き活きとした保科君は、以前の世界に引き摺られて今のポジションに収まっている私と比べると眩しすぎて、少しだけ自分のことが惨めに思えてしまいます。
「すぅぅ……はぁぁ……っ!?」
湧き上がってきた憂鬱な気分を吹き飛ばす様に大きく深呼吸をすると、本棚と目と鼻の先の位置にいたからというのもあって、私の鼻腔を少し古ぼけた紙の匂いが擽りました。それは思い出に耽りに来ていたからというのもあって、前の時に図書室に訪れていたこと──つまり、発情して机の角でオナニーしていたことを思い出してしまいます。それによって、代償ほどの規模ではありませんが、条件反射的に私の身体が意思に反して熱くなっていくのを知覚しました。
「人は……いませんよね……?」
前回と同じ轍を踏まない様に、私はきょろきょろと周りを見渡してから本棚を離れて、目的の少し角が丸みを帯びた机へと向かっていきます。今回は保科君の心の穴が空いていない以上、彼自身にオカ研へ入る理由がありませんし、前回同様に私のオナニーを見られてしまったとしてもただの見られ損です。私がとても死にたくなるだけなので、本当に誰も得るものがありません。
「ん……では、久しぶりに……」
そして、目視と聴覚で人の不在を確かめてから、私はゆっくりとスカートを捲り上げて机の角に自身の秘裂を擦り付け始めました。その瞬間、懐かしい感覚が下半身を起点に全身に駆け巡っていきます。
「んぅ……っ♡ やっ、ぱり……これが一番、はぁ、気持ちいいかも、しれませんっ……♡」
郷愁に駆られながら行う何とも不思議な自慰行為ですが、自慰行為自体は日々のストレスから文字通り自分を慰めるために続けてきているので、代償の無い今回の世界でもそれは癖になっていました。そう考えると、やっぱり私は元々えっちな女の子だったのかもしれません。
「はぁ、はぁぁ……んっ……♡ 空閑、君……っ♡」
そんな風に、快楽に身を任せて腰を動かしていると、彼との接触が多い学院内だったからかは分かりませんでしたが、私は無意識の内に今の私の心の大半を埋めている人の名前を口にします。それが自分の耳に入って脳で処理された瞬間、私は自分が感じている快感が何倍にも膨れ上がるのを感じました。
「あっ、あぁぁぁっ……♡♡ なん、で……っ♡」
突然の出来事に一瞬身体を硬直させましたが、私は困惑を覚えながらも再び身体を動かし始めます。それは先程のものよりも数段勢いが増していて、代償を抱えていた時と比べても遜色がないほどでした。
「空閑君っ、空閑君空閑君……っ♡♡」
時が進むほどに腰の動きは速くなっていって、口から唾液と共に零れていく彼の名前が、私の気持ちを強制的に昂らせていきます。気付いた頃にはもう、溢れ出した愛液が机だけでなく床をも濡らしていて、その様相がオナニーの激しさを物語っていました。
「空閑君っ♡ 空閑君、欲しいっ♡♡ 好き、好き好きっ♡ 大好き────っ!!?」
普段のオナニーでは何も考えていなかったのに、空閑君のことを考え始めたら彼への思いの丈が溢れ出してきて、動きも情動も止まらなくなってきた頃、私は抑圧していた私の心の奥深くにあった感情が爆発しました。それは自分自身が抱えていた謎の感情の正体で、二回目の学院生活で私の心の支えになってくれていた人への特大の愛。
それが分かった瞬間、感情の爆発に釣られる様にして絶頂の兆しが身体を覆い尽くしていきましたが、その時、私は何か物音がしたことに気が付いて、反射的に動きを止めてしまいました。
「え……あ、嘘……また、見られ……?」
身体が苦しいくらい熱いのに、背中には冷たい汗が伝っていって、快楽で掻き乱された思考で必死に考えるのは、大量の何故という文字列です。前回とは違ってちゃんと気を配っていたのに、配っていたつもりだったのに、またこの日に限って図書室に人が居たということでしょう。
一先ず、解放されなかったことでその身の中で暴れ狂う快楽の波に耐えながら、五秒と経たずに身嗜みを整え終えて、私は意を決して物音がした方に歩いていきます。もしかしたら、本が倒れただけという可能性もありますから。
そして、幾つかの本棚の列を越えた後に私が目撃したのは────
この時空は共通√を経て寧々ちゃんが二周目に突入した時空です。なので、細かいところで寧々ちゃんの抱えている心情が異なっています。