執務室内にある「禁煙しませう」の張り紙を指さしながら長門は言った。
「なあ提督、そろそろ禁煙しないか」
長門から何度言われたか分からない禁煙のススメを聞き流しながら、俺は今日ようやく6本目をすぅーっと吸い込んでいた。
「むっ……聞いているのか? せめて駆逐艦がいるところではやめてくれ」
「ふぅーっ……もう鎮守府内で吸えるのは執務室しかないのだが……」
女の園と化した鎮守府では愛煙家に厳しい。
食堂や休憩室はもちろん鎮守府内にある寝室も「火災の危険があるから」と禁煙、タバコ厳禁。
それでもなんとか執務室での喫煙は死守したのだが……
しかしこいつら旧軍のモクモクと煙を吐く軍艦のくせにタバコ嫌いだとは困ったものだ。
「これでも1日半箱まで減らしたんだぞ、オイ」
「ダメだ、提督の健康を考えると完全にやめるのが望ましいんだ」
「それは俺の精神的健康が損なわれるのでやめてくれ」
この問答も何度目だろうかと思いながら煙を吐き出す。
ああ、一本一本大事に吸わないと、次の補給に間に合うようにちびちび吸わないと、ニコチンが切れたら地獄だ。
「ああそういえば、前に禁煙した時は口寂しくてしょうがなくてなあ……」
「なんだ、禁煙パイポでも用意してやろうか?」
「パイポよりも長門の乳首吸わせてくれ」
ニヤニヤと笑いながら下品な冗談を飛ばすと長門はムッとした顔になり、
「バカモノ」
と、ゲンコツを落としてきた。
「いてて……今のは反逆罪だぞ長門」
「セクハラ・パワハラは厳禁だろう? 提督」
「……あーあ、乳首吸わせてくれたら禁煙出来たのになー、残念だなー」
「なんだ、もう一発欲しいのか?」
長門が拳を振り上げるのを見て、スミマセン許して下さいとばかりに頭を伏せて両手を擦り合わせた。
俺のそんな様子を見下ろしながら、長門はフンと鼻を鳴らして両腕を組み、さらに文句を言う。
「大体だな、私が秘書艦をやってると同室の陸奥や駆逐艦達に”お姉ちゃんタバコくさ~い”と言われるんだぞ」
「ちょっと気にしすぎじゃないか? 陸奥や駆逐艦達の冗談じゃないのか?」
「それは違う、吸ってない方は気になるものなのだ!」
「う~ん……どれどれ、そんなに臭うか?」
俺はスンスンと鼻を鳴らしながら長門の匂いを嗅ぐ。
短いスカート周りや長い髪の毛を嗅いでみたが香しい乙女の匂いしかしない。
「バ、バカモノッ! ど、どこの匂いを嗅いでいるのだっ! こ、こらぁっ!」
「うーん、長門の良い匂いしか感じないが……」
「そういうのはもっと時と場所を考えてだな……! あ、いやなんでもない……」
長門は赤くなって黙ってしまった。
いつもそうなら可愛いものなのにと思いながら、ごく自然に7本目のタバコを口に咥える。
さて、100円ライターはどこだったかな……と手を伸ばしてみればさっと長門が横から攫っていった。
「ふふふ、火をつけられなければタバコは吸えまい」
「あ、こら、返せっ!」
「ダメだ、せめてその書類の山を終わらせてからにしろ。それが今日中の分なんだからな」
先程の仕返しとばかりに、長門は舌を出しながらライターを胸の間のポケットに入れてしまう。
あの胸の谷間に手を入れたらそれこそセクハラ扱いで手首を堂々とへし折ってくるだろう。
「ぐぬぬ……」
俺はうなり声をあげて、ニコチン供給無しで仕事を続けるしかなかった。
最初のうちは直前まで吸っていた分で動けていた俺だったが、段々とニコチンが切れていくのを感じる。
「ヤ、ヤニが切れた…た、頼む…い、一本だけでも……」
「ダメだ、まだ少し残ってるぞ、ほらほら頑張れ頑張れ」
長門は応援しているつもりなのだろうか、前屈みになって胸の谷間にあるライターを見せつけてくる。
指先を服にひっかけて伸ばしていると……おお、これは別の所も見えてしまうのではないか?見えるのではないか?と期待で鼻の下を伸ばしながら見ていると、長門はようやくその視線の意味に気がついたのかばっと胸を庇って後ずさった。
「い、今のは、ち、違うんだ……そ、そうだ! コーヒーでも飲もうか、目が覚めるしな! で、では給湯室に行ってくる!」
早口でまくしたてると、長門はドアも閉めずに部屋を飛び出していく。
やれやれとため息をつきながらドアをちゃんと閉めると、ポケットから海軍ジッポを取り出してタバコに火を付けた。
「やれやれ、このジッポくれたのお前なのになあ長門……」
去年のクリスマスプレゼントに貰った長門が金箔で描かれている海軍ジッポ。
そういえば、禁煙禁煙と五月蠅くなったのは半年前にケッコンカッコカリしてからのような気がする。
ああ……気持ちは本当に分かるんだがなぁ……
「こればっかりはやめられんよ……」
長門が戻ってくるまで、言い訳を考えながらゆっくりと薫らせた。
(了)