―――これは、試練だ。
この苦しみも。
こうやって知る事も。
全てが、試練だ。肉体の苦しみだけじゃない。心の苦しみも、全て背負う。それが試練。俺が生き延びなければいけない道。経験しなくてはならない事。知らなくてはならない苦しみ。日本という安寧の中で育った俺が知らなかった事。経験しなかった事。その全てを経験させられていた。友との殉教なんて、経験する日が来るなんて思いもしなかった。思いもしなくていい筈だった。それを自分は経験していた。苦しい。悲しいも虚しいも通り越した。こうなってしまった運命を呪う怒りも通り越した。それで残されたのは自分がこうしなくてはならない苦しみ。
苦しい。心が苦しい。その気持ちだけだった。だけど幸い、それは苦しみだった。苦しいだけならどうにでもなる。それは五年間の生活で学んだことだった。心の奥に苦しみの全てを沈めて、眼を閉ざす。それを見えないようにすればいい。そうすればやがて、苦しみを全て忘れる。苦しみを感じなくなってくる。そうすれば苦しく―――なくなるだろう。
だけどそれを選べなかった。
自分に刻む様に、忘れないように……苦しむ事を選んだ。
その理由も意思も意味も、言葉にするだけで女々しい。
だから苦しみを選んだ。
草原で、最初に相対するのは《白疾風》のナルガクルガ。その前に立った時、居合を放てるように構えながらも、心を無にしない。苦しみを受け入れる。殺意で傷口を埋める。だけどそれが更に自分がこれからする事を伝えてくるようで―――苦しい。ただただ、苦しい。だから何時でも戦えるように、ゴーグルとマスクを装着して顔を隠した。フードを被って顔を隠した。ローブの下に姿を隠し、何時でも斬撃を放てるようにした。
「じゃあ……やろうか」
「ぎゅる」
短い言葉の返信が来た。それが恐らく、お互いに交わす最後の言葉となる。そしてそうなった。直後、ナルガクルガの姿が白い残光を残して消え去った。明らかに視認できない速度。自分が知覚する事も、動いてから反応する事は出来ない速度。つまりありえない話だが、その攻撃の瞬間を攻撃が間に合うタイミングで読み切って、そして動くよりも早く、その前の行動に自分の攻撃を割り込まなければ、絶対に勝てないという相手だった。
そしてそれだけの速度が出るという事は、それだけの物理的衝撃も発生するという事だった。新幹線に鉄パイプをぶつければどうなるか? 当然、鉄パイプが吹っ飛ぶ。速度の乗った重量と言うのは、鋭さ以前にそれ自体が一つの兵器だ。衝突せずに、斬撃を与えるというだけでもかなりの高等技能だ。そしてそれをナルガクルガは行える、一切の減速を行わずに。
それはある意味、俺よりも技量を持っているという事だ。超高速移動でバランスを崩さず、爪を傷つけないように切り裂く。技術的にはかなり難易度が高いだろう。少なくともロケットエンジンを搭載した人間がティッシュ箱から一枚だけティッシュを抜くような芸当だ。
曲芸の領域に近い。それに完全なカウンターを決めて一撃で仕留めなきゃならない自分も、曲芸師と表現したほうが良いのかもしれない。だけど回数を開ければ開ける程、コンディションは下がって行く。その場合はコンディションを維持する為に狂竜ウィルスを活性化させて、マガラ化を促進させるしかない。それは、まだ出来ない。早すぎる。本命の為にも、まだ取っておく必要がある。
だからここでは、
―――自力のみで斬る。
斬るしかない。斬り殺すしか―――ない。
「……」
白い残光はもはや影すら残さなくなる。四方八方へと気配すらも完全に消し去って消えて、接近するというタイミングを完全に消し去った。そして此方が完全に準備を整えるのを待っている様な―――そんな、気がした。だから呼吸を浅く吐き、神経を過敏化させ、そして思い出す。
自分の剣技の奥義は全て、斬る事にある。
特別な事はしていない。
百回、千回、万回、億回。そこまで……振るってはいないかもしれない。だけど数えるのが馬鹿らしいほどに繰り返し、素振りをしてきた。それ以外にやれることが解らなかった。無限に繰り返してきた練習、その基礎を固めるだけの時間。そこで掴んだ、自分の振るうタイミング、感覚、そして形。それを自分という肉体に完全に最適化させて、振るう。一閃。一閃だけでいい。
アオアシラを殺した、最後の瞬間を思い出せ。
あの至高の斬撃を―――繰り出す。
超直観的に、踏み込んだ、鞘から射出する様に親指で鍔を弾きながら刀を滑らかに引きずり出した。滑る様に前に出る刃は一切の乱れもブレもなく、肉体に芸術的とも言える程の滑らかさでついて来た。
そして、そのまま振り抜いた。肉を割る感触。体に浴びる暖かい血液の感触。どさり、と背後で倒れる音がした。声がした。
振り返りたい。見たい。治療したい。今すぐにでも駆け寄りたい。なんでそんなに優しくしてくれたんだ畜生。
言葉を押し殺しながら前へと踏み出した。聞こえない。悼むような労う様な背中を押すような声は聞こえない―――聞こえない。
ゴーグルに少し触れて、踏み出した。ディノバルドが前に居た。
「殺ろう」
その言葉にディノバルドが大きく後ろへと飛び退き、咆哮で空間を震わせた。それに合わせて抜いた刀で音と風を叩き切り、一気にディノバルドへと向けて飛び込んだ。だが咆哮したままのディノバルドがサマーソルトを放つように大地を抉りながら剣の様なその尻尾を振るい、大地を割って此方へ殴りかかってくる。
まだだ、これじゃない。
息の下でそう吐き出し、受けずに横に転がる様に回避しながら斬撃を回避し、サマーソルトから着地したディノバルドへと中央が割られたので回り込む様に接近する。牽制する様にそれに合わせ、ディノバルドが大地を尻尾で薙ぎ払い、炎と織り交ぜた土砂の壁を作って叩きつけて来る。純粋な炎だけではなく質量を兼ね備えた動きは、
明確に、此方の刀のリーチを理解し、それを使わせない為の動きだった。
入り込ませたら勝機を生む、というのを理解している動きだった。
また同時に、その場合どうやって勝つつもりなのか、と言うのを引き出すような問いかけでもあった。
必要だった―――どうしようもなく、アオアシラとの戦いも、ナルガクルガとの戦いも、このディノバルドとの戦いも、次に行うジンオウガとの戦いも。その次にあるリオレウスも、イビルジョーも……全部、俺に必要な試練だった。クソトカゲの言葉は腹立たしく、そして狂いそうになる。だけど、こうやって戦えば自分の中で、動きと経験と戦術が組み合わさって凄まじい勢いで完成されて行くのが見えて行く。
殺したくもないのに、殺して糧にしようとすれば、それだけで何故必要なのが本能的に理解してしまう。
歯が折れそうな程に食いしばりながら土砂の壁を
その様子をどこか嬉しそうに、そして楽しそうにディノバルドは受け入れていた。何故笑うのだろうか。何故、そんなにも楽しそうに向き合えるのだろうか? それが解らなかった。解りたくもなかった。だがディノバルドは楽しそうだった。戦えることが、そしてこういう形で語り合える事が、凄く、楽しそうだった。
「―――」
刀を逆の肩の上へと持ち上げる様に振り上げながら熱を切り払い、そのまま踏み込んで後ろへと体を滑らせるように下がったディノバルドを追う。その距離が徐々に、狭まって行く。口から吐き出す炎を横に転がって回避しつつ、起き上がる直前で体を前に飛ばして加速し、
そしてその顔面に尻尾が横薙ぎに振るわれ、迫ってくる。何時の間にか赤熱化していた尻尾は触れれば体を焦がし、そして脆くなった肉体をそのまま一撃でミンチに吹っ飛ばすだろう。
だからこそのチャンスだ。
この横薙ぎが一番斬り払いやすい。アオアシラ戦で身に着けたのは極限状態での体操作の技術と、奥義への一歩目。ナルガクルガ戦で覚えたのは力に頼らない、技量のみで完全に一撃を合わせる繊細さ。そしてこのディノバルドを超えるのに必要なのは、質量に関係なく斬り抜くだけの技量。
正面、迫る尻尾、もはやそれは壁とも表現できる。それを正面から心眼を乗せて、強度、材質関係なく正面から斬り抜いた。考えてみれば簡単な話だった。既にパーツは揃っていたのだ。斬る、払う、体操作、感覚、経験、それらすべてを統合しながら効率的に運用すれば、それが相手の攻撃であれ、そのまま回避する事無く斬り返して破壊する事だって出来る。
それに気づかされ、避ける事を止めて尻尾を斬り飛ばした。ディノバルドの赤熱化した尻尾が切り離され、その衝撃でその巨体のバランスが乱れる。
その隙を逃がす程、甘くはなかった。
乱れた瞬間に飛び込みながら足を切り払い、体が倒れて来る所、首に致命傷を叩き込む様に剣を切り払った。刀には歪みが一つもなく、鮮やかな血の色を浴びて陽光に輝く。殺したという感覚が手の中に届き、斬り抜いた背後で、巨体が倒れる音がした。
振り向かない。
聞こえない。
振り向いてはダメだ。まだ、それを直視する勇気が出ない。
畜生。
……畜生。それでも、前に進むと決めたのだ。あの子に会わなくてはならないのだ。そう決めたのだ。だからここで止まる訳にはいかなかった。やりたい事を見つけたのだ。だからそのエゴイズムの為にも、その責任に対して貫くためにも、折れてはいけない。申し訳ないと思ってはならない。その死を冒涜してはならない。
だから最後の一頭、ジンオウガへと視線を向けた。
「ぐるぅ」
「……」
寂しそうな瞳を、ジンオウガは浮かべていた。だけどそれと一緒に、労わる様な視線を此方へと向けていた。止めてくれ、そういうものを向けられる様な男じゃないんだ、俺は。だけどその言葉を口に出さない。ただ殺意だけで全てに答える。それを見てジンオウガが後ろへと少しだけ下がり、
「ぐるぅぅぅ……」
小さく、鳴いた。その言葉の意味は……言語が、違っていても解る。だけどそれを聞こえないふりをした。その優しさが痛い。痛すぎた。これならまだアオアシラ師匠の方が楽だった。いや、なら、きっと、これを含めての試練なのかもしれない。この苦行も、きっと、意味があるのだろう。そうやって経験しなきゃ最終的に勝てないのだろう。
そう思わなきゃ狂いそうだった。だけど狂えない。それは逃げだからだ。
現実から逃げちゃいけない。どんな、クソみたいな現状であれ、それがファンタジーみたいな状況であれ、それは現実なのだ。それから逃げちゃいけない。一つ一つを、絶対に自分の糧として、100%自分の中に取り込む為、
ゴーグルの下で涙を流している事を頭の中から完全に忘却して構える。同じようにジンオウガが金色の体毛に雷を纏う。その姿を見て、迷う事無く避ける様に飛び退き、刀を納刀しながらジンオウガの素早い動きを、常に一歩先の動きを先読みする事で回避する事に成功する。そうやってジンオウガの動きを観察しつつ、思考する。
ジンオウガ、この個体の凄い所はその雷だ。常に雷を纏って戦う事が出来る。つまり、常にバリアを張っている様な状態だ。ゲームであれば武器を通して感電する事なんてないので、範囲外から武器を振り下ろせば問題はない。だが現実として、金属系の武器を使えばそのまま、感電して動きを封じられ、そのまま一撃で殺されるだろう。だから常に一歩先、そのリーチの範囲外を先読みで完全に把握しながら、体に纏われる雷電と、その巨体から放たれる爪撃と突進を回避する。
幸い、身体能力はマガラ化によって大きく上昇している―――小さい範囲を回避し続けるだけなら、可能な程度の身体能力になっている。
だから冷静に、最大の敵、天敵とも呼べる触れられない敵を前に、観察をする。どうすれば殺せるか。一撃で殺す隙間を考える。いや、見出す。経験と技術からどうすれば殺せるのか、生物としての弱点を探す。
疲弊する前に、殺す手段を合理的に導きだす。スタミナが高く、巨体で、そして相手を寄せ付けない雷を身に纏っている生物。ハンター達のこういう生物に対する、距離を取って弓やボウガンで蜂の巣にする、という手段と発想は間違っていない。実際、それが一番効率的なのだろう。
だけどそんな戦術、ここでは取れない。
ここに居るのは俺一人だけ。
前に立ってくれる味方はいない。
だから剣を握るしかない。最終的にはそれでしか倒せない。頼れない。だったら唯一使える一つに全てを捧げて昇華させるしかない。どうすればいい? 攻撃を避けながら、体を転がし、回避し、そしてジンオウガの体に流れる雷を見て理解する。
そして理解すれば早い。
正面から飛び込んで来たジンオウガに合わせて、刀を抜いて切り払った。ジンオウガの体から鮮血が浅く溢れ出し、ローブを濡らしながらジンオウガの警戒心を高めさせ、背後で着地させる。痺れていない自分の両手と体を確認し、刀を抜いたまま、ジンオウガを見る。
「体全体を常に雷が覆っている訳じゃねぇ。的確に通ってない部分を見極めて、そこだけを状況に関係なく確実に斬り抜く……だけ、か」
殺せる。瞬間的にそれを察した。そしてそれをジンオウガも察した。体に溢れる雷を更に引き上げながら死を悟りつつ、
ジンオウガが飛び込んできた。その姿を見て、歯を食いしばりながら刀を構え直した。
「―――馬鹿野郎……!」
日が、暮れて行く。
夕日が石碑を同じ色に染め上げて行く。気持ちのいい風がこの岬には吹いていた。その端に腰を下ろし、両足を崖から下ろした状態で、その向こう側へ―――海へと視線を向けていた。その向こう側にあるであろう世界へと、その先にどんな景色があるのだろうか、それを夢想しながら眺めていた。
フォトフレームを作る様に両手で形作りながら、夕日色に染まる世界をその手に収めて眺めた。美しい。間違いなく美しい光景だった。だけどそれがこの心に響くような事は、一つもなかった。酷い、本当に酷い話だ。ずっと、心が痛い。殺した感触が手の中から消えない。何故、こんな経験しなくちゃいけないのだろう。その答えがずっと出てこないのだ。
完全に黒く染まった自分の手を見て、息を吐いた。
「また無駄な事に力を使ったな」
背後、聞き覚えのある声がした。振り返る事もなく、その言葉に応える。
「無駄じゃないさ。あの三匹はここが好きだったんだ……だったらせめて、魂はここで安らげるようにするべきだろう」
草原の三竜―――その死骸をここ、岬の花畑にまで運んできた。一人で。筋力が全く足りなかったので、狂竜ウィルスを活性させて、筋力を一時的に増大させてからちょっと引きずる様に連れてきてしまったのは、我慢して欲しい。クッソ重かったが、マガラの筋力に大分近づいて来た事で引っ張るぐらいなら出来た。かなり疲れたけど。
両手も、皮膚も完全に黒くなってきたけど。
それでも、やるだけの意味はあったと思う。
「少なくとも俺はこれで納得できる」
死者は言葉を残さない。だからこそ、墓等の行いは納得するための儀式だ。この後、三竜は素材として活用する為に拠点に持ち帰ることになるだろう。だけどその為に浸食までして花畑に連れて帰った事を、自分は一生後悔しないだろう。
彼らの魂に安らぐ場所があるとすれば、それはここ以外にありえない。だからどうか、ここで、古代から続くものと一緒に安らかに眠っていて欲しい。奪った命、受け継がれた記録、そして殺して手に入れた糧、その全てを自分は忘れない。
だけど、何かあるとすれば、
「もっと早く……遊んであげれば、良かったな」
ただ、それだけに尽きた。あれだけ人懐っこかったのだから、たぶん遊ぼうとすればずっと絡んでくれただろうなぁ、と言うのは解る。だからもっと早く会って、遊んであげれば良かった。それだけ本当に思った。そこだけは少し……後悔しているのかもしれない。
走り回って遊んで、疲れたら岬の花畑で夕日が落ちるのを一緒に眺めるのだ。
そんな事も、あったのかもしれない。だがそれももうない。命は失われた。永遠に失われた。殺した命はもう、帰ってこない。帰って来ちゃいけないのだ。
蘇生なんて不可能だし、そんな事もあり得ない。願っちゃいけない。それは死んだ命への冒涜だ。だから出来るのはせめて、安らかに眠り続ける事を祈るだけ。そしてその命を背負い続ける事。
そして奪った事の責任に向き合い続ける事。
「酔狂な人間だ。そこまで奪った命に対して真面目なのも珍しい」
「俺は真面目な人間で通ってるんだよ」
「だからこそ苦しむか」
自分でも解ってる。そんな義務、存在しないのだ。ここまで真面目に背負い込む必要はない。もっと気楽に構えれば自分の心だって守れるかもしれない。だけど―――それが、嫌なのだ。逃げるようで、不真面目なようで。
なんか……忘れたり、眼を反らしたら生きる意味を奪った様で、嫌なんだ。
だから苦しい道を選ぶ。忘れない。痛みを忘れない。自分で受け持つ。苦しい事は苦しいのだと、我慢せずに感じる。そしてそれよりももっと苦しい痛みを味合わせた事を忘れない。
そして、また立ち上がるのだ。
「まだ、殺さなきゃいけない奴がいる」
夕日の中、暮れて行く太陽の姿を眺めながら、まだ残された二頭の姿を思い出す。家族を持つリオレウスと、孤高の中、誰よりも働きまわるイビルジョーの姿。あの二頭を殺さなくてはならない。震え、そして爪が伸びて黒く染まる手を見て、拳を作る。髪の毛も真っ直ぐ長く伸び始めたのは代謝が促進されたから、なのだろう。
もう、人よりも竜の部分が多い。それでもまだ、足を止める事は出来なかった。ここまでの行いを無にするのなら、死んだほうがマシだった。だから止まれない。最後まで、貫き通すまでは止まれない。
「なぁ、クソトカゲ」
「どうした、異邦人」
「現実って、優しくないな」
「都合の良い現実なんてものはないのさ。それが欲しければ、穴倉の中から出なければいい。だがお前は出る事を選んだ。辛く苦しい現実と戦う事を選んだ。故に―――」
「止まれはしない、か」
解っている。
そんな事、解っている。
夜に染まり始める空を見て言葉もなく、殺した命に祈りを捧げた。
皆好きでしょう? 怪物を殺して強くなるの。その死骸から装備を作るの。
という訳でおやすみ、良い夢が見れると良いね。きっと素敵な来世があると信じつつ、次の相手へと向けて準備準備。悲しいけどこれ、生存競争なのよね(生まれたてほやほやの三騎目から目を反らしつつ