トリガーを引いた。
かつてない程に、それが重く感じた。
狭い洞窟の中で熱風が渦巻く。リオレウスが翼を動かす度に炎が押し出され、風が追いやられ、空間が炎によってかき乱されて行く。その中をクロスボウボルトが一直線に飛翔し、リオレウスがそれを空中で回避した。流石に、当たってくれる程優しくはないか、と息の下で安堵の声を漏らした。
あぁ、それでも殺さなきゃいけない。
涙を堪えて絶叫を吐き出し、クロスボウに次弾を装填しながら走り出す。リオレウスは空中、目算10メートルほどの高さでホバリングする様に飛翔し、常に此方を付かず離れずという距離を維持しつつ。確実に射程外に自分の存在を置き、維持していた。近寄るつもりは欠片もなさそうだった。呆れるほどに、有効で殺意の高い戦術だ。人間には出来ず竜には可能な戦術。
つまりずっと届かない距離から攻撃し続ける事だった。
クソゲーここに極まる。泣いている余裕とかない。普通に脳の領域を全て殺す事に回さないと何もできずに死亡する案件だった。
「ガチにも程があるぞこいつ!」
返答の様に返ってくる咆哮が巣の壁に反響しながら襲い掛かってくるのを風圧諸共、片手で刀を抜いてぶった切って無効化する。脳をそうやって完全に戦闘する方向へと向けてしまえば、少しは悲壮感が頭の中から消え去る。この苦しみは後で受け入れる。だが今は、先に全力で生を掴む。じゃなければ簡単に死ぬのが見えた。
故にまずはリオレウスを地面に落とす必要がある。閃光玉を一つだけ、持ち込んである。リオレウスへと向かって走りながら納刀し、閃光玉を出そうとすれば、リオレウスが片目だけを此方へと向ける様に翼を広げ、横に旋回する様に飛翔する。
その姿は片眼を閃光から守る様な動きでもあった。
「対策済み、と」
閃光玉は使うだけ無駄だな、と悟りつつ勝負は刀とクロスボウ、この二つだけでどうにかせねばならない事を悟る。
クソゲー宣言、再び。これがゲームだったらデバッグ必須である。パッチ必須である。
「だけどこれは現実なんだよなぁ……」
連射出来ないボウガンの性質故に、リオレウスの動きを先読みし、その動きに合わせて偏差射撃を行う。だが空中戦、そして飛行している竜とのドッグファイトに慣れているのが原因か、あっさりと加速と急停止を繰り返す事で此方の射撃を回避して行く。そうやって回避する度に口から大玉の炎をブレスとして吐き出し、放ってくる。両手を使って装填している瞬間を狙ってくるのが地味ないやらしさだった。
「ならやる事は一つだけか―――」
至近距離からぶち込む。それしかない。まずは接近する事の足掛かりを作らなければ、どうにもならない。故にクロスボウを装填した状態で刀を一本抜き、双方を手に握ったままの状態で一気にリオレウスの巨体へと向かって行く。壁際を旋回する様に飛翔するリオレウスはそれを目撃しながらも、警戒する様に距離を開ける様に飛翔する。徹底して此方のレンジに入り込まない姿は臆病ともとれるが―――逆に、此方からすれば唯一の殺害手段を封じられていると解る為、一番取られたくない戦術を取っているというのが解る。
賢い。長く生きているだけあって、確実に殺す手段に長けている。時間をかければそれだけ、酸欠で苦しくなってくる。リオレウスは極論、この状態で逃げ回るだけで勝てるだろう。
それを本人のプライドが許すかどうかは別として。
―――生き残れるか、対処できるか、試されているのだろう。
瞬間、リオレウスの飛翔先へと向かって偏差射撃を行いつつ、閃光玉を放った。刀を手放す様にオープンになった手で一気に連続で放ったそれは正面、リオレウスの片目の視界を奪いつつ、回避する為の動きを緊急で作らせた。それに合わせ、リオレウスの姿が完全に、ロックされた。
素早く、ポーチからボルトを引き抜きつつ、それを装填してリオレウスへと放った。空中で直感的に回避を行ったリオレウスが打ち込む数発を回避するが、
翼、足、胴体、そこに一発ずつ打ち込む事に成功した。そしてそれがリオレウスに当たるのと同時に、そこから耐熱性のワイヤーが下へと向かってだらりと伸びた。工房長猫の仕込みの結果だろう。どこに収納していたのかは解らないが、かなりの長さを誇り、リオレウスが飛んでいるのに軽く地面を引きずっているのが見える。
「とはいえ、ノーダメージのままだ」
数秒の出来事から即座に空中から落下する事もなくリオレウスは回復し、空中で一回転してから翼を広げ、咆哮を放ってくる。挑発するような声だった。こんなもんじゃないだろう、という風にも聞こえた。
故に応える。刀を噛んで掴みながら、クロスボウにボルトを装填して行く。それを素早く射撃しながら今までよりも遥かに早く、体力を削り取る様な速度で一気にリオレウスへと向かって加速する。その速度に反応し、リオレウスが炎を放ってくる。
「しゃらくせぇ」
それを素早く刀へと片手を持ち換えた斬撃で切り払い、払い切れなかった部分をそのまま体で受けながら前進した。少なくとも肉体的には竜にだいぶ近くなっている。炎も、ある程度切り払った状態であれば、直撃ではない限りは無事だ。故にダメージ覚悟で炎を切り払い、その動きに一切足を止める事もなく、一気にリオレウスへと接近する。その姿がブレスを吐いた硬直から立ち直った瞬間に飛び上がり、回避に入るも、
それよりも早く、スライドする様にワイヤーの一つを掴んだ。
直後、体が持ち上がった。
「ぐっ―――」
勢いよく持ち上げられた体はそのまま、リオレウスの高速軌道に引きずられる様に背後へと流れて揺れ、羽ばたく翼から舞う炎が後ろへと流れて来るため、それを全身で浴びる様に熱波を感じる。火の粉がガンガンとゴーグルとマスクで隠れていない顔面に衝突し、焼いて行く。それに構う事もなく、掴んだワイヤーを握り、手放した刀の代わりにボウガンのストックを口で噛みついて持ち、両手でワイヤーを手繰って体を引っ張り上げて行く。
それを妨害する様にリオレウスが一気に加速する。
超風圧と呼べるような風圧を発生させる事で、振り落とそうとして来るため、必死に堪えながらワイヤーにしがみついていれば、体をいきなり壁に叩きつけられた。
ドリフトする様に、一気に壁まで接近した所を急停止させられた、体が投げ出され、壁に叩きつけられ、
しかし、リオレウスの姿が直ぐ近くに見える。
「しっ―――!」
リオレウスが壁から離れるよりも早く、壁を足場に二本目の刀で居合を放ち、飛翔するリオレウスの翼、その付け根の部分に斬撃を叩き込んだ。舞い上がる翼からの炎がそのまま、手首と首筋を焦がす様に焼いてくるのに痛みを感じるも、それを無視して着地、転がればリオレウスが落ちて来る。すぐさま追撃を放とうとするが、リオレウスは翼を大地に叩きつけ、それで炎の爆発を生み出した。
流石にこれは死ぬ……!
本能的な死の感覚に迷う事無く接近を諦めて飛び退きながら刀を鞘に戻し、最速の一撃を放つ準備をしながら爆風に巻き込まれて吹っ飛んだクロスボウの行方を確認する。そしてそのまま、大地の上に立った、辿異リオレウスの姿を見た。
起き上がったリオレウスはその瞳で此方を見ていた。その眼には萎える事のない戦意と覇気で満ちていた。今にも輝きそうな程の命で溢れていた。命の輝き。その尊さ、その重み。
それがリオレウスとの戦いを通して、伝わってくる。
同時に、それを奪わなくてはならない無情さも。
「馬鹿だよ……お前ら、全員馬鹿だ……」
言葉にリオレウスは答えない。上手く動かない翼を確かめる様に軽く動かし、そして炎が燃え上がった。傷口を焼いて、無理やり繋げたような感じに満足したのか、咆哮を轟かせた。それに合わせ一気に燃え上がる炎が、天井まで届かんと伸びた。一瞬で視界の全てが炎の中に消え、その中にリオレウスが姿を隠した。翼をかなり深く傷つけた。動かせても、少なくとも飛行不可能な状態には追い込んだ。
それを自覚し、炎の中に突入する様に飛び込んだ。直後、背後へと飛び込んだリオレウスの姿が見えた。
跳べないから、滑空ジャンプで飛び込んできたらしい。
思い切りが良い……!
風圧を切り裂こうとして、それを止めて風圧に押し出されるまま後ろへと下がれば、踏み込むはずだった空間をリオレウスの尻尾が薙ぎ払い、その動きで空間を爆発が薙ぎ払っていた。通常の辿異種にすらない、オリジナルの爆炎戦術とでも呼ぶべき動きをこのリオレウスは行っている。今の飛び込みプレスは
四肢が吹っ飛ぶ。そして古龍の様な蘇生、再生力はない。そのまま死ぬ。
故に攻撃の気配を先読みし、あえて風圧に流されて後ろへと下がった。50メートル程暴風によって吹き飛ばされながら、刀を盾にする様に構えて両足で着地する。そのままマスクの下で息を吐く。ゴーグルが無ければ両目を焼かれているし、マスクが無ければ肺を焼かれている。
ちゃんと、装備を整えなきゃ戦う以前の問題、そういうレベルの相手だ。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ―――!」
興奮する。戦闘という行為が、どうしようもなく体を高揚させる。なんていうロクデナシだ。死にたいほどに苦しんでいるのに、それでもこの状況を楽しんでいた。自分が強くなれる瞬間を、そして全力で戦ってくれているリオレウスが、認めてくれているという事を楽しんでいた。
悲しい程に歪んでしまった、己の業だった。
息苦しいのは心の問題だけではなく―――段々、酸素が少なくなって来て、酸欠しそうになっているのだろう。呼吸を切り替え、浅く、長い呼吸へと切り替えた。そのまま両目を開き、正面、此方へとゆっくりと向き直りながら全身を炎で覆う炎帝の姿を見た。その目に敵意はなかった。だが殺意と覇気で満ちている。本気で殺すつもりだ。そして次にその気配からして、大技を繰り出してくるだろう。
考えられるのは恐らく……辿異リオレウス、最強の奥義、火炎竜巻だろう。吸引力を持った火炎の竜巻で吸い込みながら体外を焼き、同時に呑み込んだ相手が呼吸を求めれば体内に侵入し、体内からも焼き尽くす奥義だ。物理法則が死んでいる事で有名なグラビモスの熱線ビームよりも、吸い込んで呑み込む辺り、此方の方が遥かに恐ろしい。
それを放とうとする気配が見える。周りに散らばる炎も、それがリオレウスの方へと向かって揺らめくのが見える。不思議な引力でリオレウスへと向かって、炎と力が吸い寄せられているのを感じる。
来る、大技が。
避けられない大技が来る。このままぶつかればマガラの耐久力でも無理だろう。既に体中、服の下でやけどだらけになっていて不快感を感じるからだ。となると受ける事は出来ない。だが回避は可能か?
刀を横に持ち上げる様に、目元で構える。刃に映る、ゴーグル姿の自分の姿を見た。
―――なんて、醜い。
心の醜さがそのまま反映されたような気持ち悪さだ。黒い肌、それが焼けて剥がれてきて、その下の変色した肉が露出し始めている。気持ち悪い。完全に人ではない。それでもまだ生きようとする醜さが本当に、気持ち悪い。
このまま、死ねたらどれだけ楽なのだろうか。
だが死ねない。まだ死ねない。死んではならない。そんな逃げを選ぶことは出来ない。有ってはならないのだ、そんな逃避は。託されたものがある。認められたものがある。教えられたことがある。
―――やりたい事がある。
その為には、生き延びなきゃいけない。死にたくない、それは最も普遍的で溢れかえったエゴイズムだった。だがそれが体を突き動かす。意思を体に与える。死ねない。まだ、まだまだ、死ねない。
だから―――殺す。
刀を引き、抜身のまま、左半身を前に、右半身を軽く引く様に、切先を前にして構える。居合の構えではない。もはやこの領域、最速で抜刀した所でたかが知れている。だから必要なのは100%の技巧だ。自分の肉体、指先、そして武器、それを完全に自分の意思で支配下に置く事だ。それを成し遂げた上で、自分の心を制御する。
現実から目を反らさない。
苦しみを受け入れる。
その上で生きる事を選ぶ。この瞬間に、全神経を全身に回し、自分の経験、技術の全てを一瞬で高めて、引き出す。才能、という言葉は負け犬の言い訳だ。結果を出せなかったから作った言葉だ。だから
何時も通り、ただ、斬るのみ。
「俺は―――」
言葉を口にした途端、リオレウスが一気に炎を溜め込む、それを勢いよく吐き出した。正面、中間地点に炎が着弾し、それが暴風と混ぜ合わさる。そこにリオレウスが飛び込んで行く。風と炎の結界。並みの生物であれば近づく事すら出来ない最強の鎧。何も考えずに近づけば、一瞬で体を内外から完全に破壊する悪魔の様な奥義。
それを前に、踏み込んだ。
吸引力に引っ張られるままに前へ、しかし体が持ち上がらないように姿勢は低く、吸引力と反発する暴風で体が引き裂かれないように風を切って一閃、暴風を切り裂いて火炎竜巻に接敵する。その中のリオレウスが咆哮を上げ、接近に対して更に炎の勢いを強めた。
炎に飲まれる刹那の境界の中、刀を握り締め、風を斬り、音を斬る感覚を全身で思い出して感じ取る。肌に感じる熱を感じ、それが肉体を焦がして行く感覚を感じ取る。そして思い出す。
かつて、剣豪と呼ばれた連中は、《空》さえも斬れたという事を。
「―――」
少しだけ、紫がかった視界の中で、炎の中に踏み込みながら刀を振るった。見えたのは炎の流れだった。空気と炎の暴圧、その中に存在する流れを見つけた。流れ、その動きそのものを作る部分。
一切、手を緩める事無くそれを刀で断った。
流れが止まった。それで攻撃そのものが死んだわけではない。発生源であるリオレウスが残っている。だがこの一刀が流れを完全に絶ったのは事実であり、
その瞬間、凪ぐ様に、空間が静寂に満たされた。炎も、暴風も、咆哮も完全に消え去った瞬間だった。その反動で、リオレウスの動きも完全に停止していた。致命的、大技によって生み出された潰されたための隙だった。咆哮を上げる様に翼を広げ、天を仰ぐように見上げて放っていた筈の咆哮も、風も、炎も、消え去った。
数瞬後にはそれが蘇る。途切れた所で再びリオレウスに炎と風の気配が漂う。少しだけ待てば、再び暴風と炎で火炎竜巻を生み出すだろう。内側に踏み込んでいる為、この距離でそれをぶつけられれば、一瞬で痛みを感じる事もなく死ねるだろう。
だけどその時間は、
命を繋ぐ為には―――余りにも、長すぎた。
「さようなら……空の王、炎帝のリオレウス。貴方は、俺が比べ物にならない程……偉大だった」
コンマ以下の秒で斬撃を放った。致命傷になる様に首に、そして心臓に。斬撃を放ちながらもう片手で同時に心臓を貫き、確実に死を確定させる。首の皮一枚で首を繋げたままにするのは、慈悲のつもりだった。いや、俺が首を完全に断つという事に、堪えきれないだけだった。だけど殺すという事に手を抜く事はしなかった。
完全に気道を断って炎も声も放てない様にし、心臓を潰して翼を動かす為の力を奪った。
また一つ、殺したくなかった命を奪った。
「―――」
それでいい、そんな視線がリオレウスから向けられ、ゆっくりと、安心した様な表情を浮かべてその巨体が倒れて来た。すぐ横に落ちて来たリオレウスの頭、刀を落とし、その頭をゆっくりと、抱いた。
「お前ら馬鹿だよ……なんでここまでしなきゃいけないんだ……こんなことする必要なんてないだろ……馬鹿だよ、お前ら……本当に……」
また、殺してしまった。その度に淀みの様な物が心の中に溜まって行くのが解る。これが一体何を意味しているのか……それを、少しだけ、察している。これはある意味、必要な事なのだ。
それでもどうしても言いたくなる。
「ほんと……馬鹿だよ、死んだら何も出来ねぇじゃねぇか……」
ゴーグルの下で涙を隠しながら、もう二度と動かないリオレウスの亡骸を抱いて、涙を流す。ずっと、泣かないように我慢してきた。だけどこれは流石に、卑怯だった。
だけどリオレウスはもう、動かない。その死は覆らない。簡単に奇跡は起こらないからこそ、奇跡だからだ。命は不可逆。だからこそ、生きている事に意味はある。
体中が痛いのに、それよりも心の方が痛い。ほんと、ふざけている。これが必要だから、という事でそれを認められる程、大人にはなれなかった。だけど、それでも……リオレウスが認めたのだ。
だったら、文句なんて言えない。命を捧げてまでやろうとして、それで満足して逝ったのだ。だったら俺が文句なんて言える筈がない。
「……あぁ、本当にふざけてる」
それでも、止まれない。楽園崩壊の音はもう、鳴り響いている。誰もがこの楽園の終わりを予感している。残された守護竜もあのイビルジョー、一体だけになってしまった。もはや、一体だけでこの楽園を維持する事は不可能だろう。これから、この箱庭が更に荒れるであろう事が、目に見えていた。
果たして、リオレウスを失ったリオレイア母子はどうするのだろうか? ここに残るのか? それとも海を越えて逃げるのだろうか? ただ、もう二度と会う事はないだろうと思う。少なくとも、リオレウスを殺した俺に会いに来るとは思えなかった。
だから、光が差し込む天井の穴から外の世界を見上げ、疲れた声を零した。
「……まだ……終われ……ない……」
それでも、心は折れない。或いは、折れた心はもう折れない。
散々殺しておいて一つの命で苦しむとか都合良くない?
とか辛辣な事を言いつつも、まぁ、命の価値と重みを明確に自覚してしまったらそりゃ辛いよな、って話。基本的に辛い部分を直視しつつも逃げないお話となっているのです。
という訳で次回、秋季最終インターバル。
残された守護竜は一体のみ。