一カ月もすれば治療の甲斐もあって体が癒えてくる。一週間前までは体が痒くて痒くてしょうがない状態だったが、ここまで来るとそれも引っ込んで、漸く体が落ち着いて来た、というのを実感できる。少なくとも普通の人間の体ではこうもいかない。今回ばかりはこの超神秘的な、七割竜化している自分の肉体に感謝するしかなかった。だからと言って狂竜ウィルスの事を許すつもりは欠片もなかった。お前は全部終わったら完璧に治療して根絶してやる。
そう思いながら漸くドクターから鍛錬再開の許可を貰ったので、イビルジョーに挑むにあたり、急いでコンディションと感覚を肉体に近づける為に素振りをし始める必要があった。
剣術なんて此方の世界に来てから始めたが、これが中々奥が深い。
拠点前の空間、素振りする為の上半身を裸にした状態で、刀を抜いて、ゆっくりと体を動かす様に素振りをするのだが、この時、素早く振らずに体の筋肉、その感覚の一つ一つを意識して行き、筋肉がどの筋肉と連動し、それが体にどうやって繋がっているのか、それを掴む様にゆっくりと体を動かすのだ。その上で切先を、刀そのものをブレさせずに振るうのだ。
斬り、突き、払い。この三動作だけを何回も、何十回も、何百回も。ゆっくりと、確認する様にだ。
「ふぅ―――」
ランニングや腕立て伏せ、スクワットなどの軽い運動以外の剣術の鍛錬は、ほとんどがこれだけだった。後は実戦想定して普通に斬る、払う、突くを実戦で繰り出す速度で放つだけだった。それだけが自分に出来る鍛錬だった。何せ、
「うーむ、相変わらず見事ですね」
と、椅子に座っているハルドメルグが此方に茶々を出す事もなく、動きを見て評価する。言葉を聞きつつも、動きは一切停止させない。弱っている時程、ゆっくりと肉体の感覚を馴染ませる為にやるのがいいのだ。その後で無機質に反復練習。これが鍛錬の全てだ。強くなる事に王道はあっても近道は存在しない、というのはこの五年間の異世界生活で存分に学んだことだった。
そしてズルは大抵、身を亡ぼすのだ。それも良く解ってる。
「基礎に基礎を重ねて最適化された剣術―――色が全く存在しない。ただ斬る、技巧のみで両断する。それだけに特化した剣術。人間を想定したのではなく、竜を相手に想定しているゆえに、細かいフェイント等の剣術本来の技をオミットしている」
ハルドメルグが、何度目かになる此方の技巧、動き、その技術を検分し、評価する。
「全神経を物質の強度関係なく綺麗に斬る事だけを考えた技術は、竜を殺す事しか考えていない、竜殺術としか評価しようのない剣ですね」
「こうしないと殺せないからな」
ハルドメルグの見立ては正しい。そしてそのものだ。フェイントとか、剣と剣をぶつけた時の対処とか、そんな考えも概念も自分の動きには存在しない。あるのは斬って殺す、斬って殺す。それだけだ。人間を想定した動きなんて一つもないし、最初から最後まで、自分よりも大きな生物を斬り殺す事しか考えていない剣術だ。いや、剣術ですらないだろう。やってることは基本的な動きだけなのだから。
竜を殺すなら最後まで刃を振り抜かないといけない。それが絶対のルールだ。そしてその一撃で最後まで絶対に切断する。これが最低限のラインだ。だから絶対に相手を切り裂く事が出来る技量と、最後まで振り抜く技巧。この二つが重要なのだ。後は分厚い肉に刃を沈めた時、そのまま肉を
「私が別の剣術を教えるよりも、徹底して体と感覚の合わせ方を学ぶのが一番でしょう。そこ、体内が僅かに揺れてます」
「難しい事を言うなぁ」
体内、内臓、血液、流れ、それを含めた揺れ、というものがある。それも完全にコントロールする。体の揺れは踏み込むときや、体を大きく動かす時に方向に対して慣性を作る為に使う。なので地味に刃の初速にも影響して来るので、気を使う。ボディコントロールを学ぶ上では、体の中の揺れや流れは、大事な一因だ。素振りしつつ、意識を向けるのも忘れない。
「斬る。それ以外の全てをオミットしなきゃ勝てる地平線には立てない」
「もし、明確に師と呼べる存在がいるとすれば、それはこの楽園だった箱庭、そのものと呼べるでしょうね」
まぁ、確かにそうだろう。必要な事を必要とされる環境で磨いた結果、生み出された竜を殺す為の技術なのだ、この場所に育てられたと言ってもいい。少しずつ、少しずつ強くなっている実感があるのは悪くはないのだ。
悪くはないのだが―――。
刀を握っている手を下ろし、息を吐く。
「必殺技とか欲しかった……」
「あぁ、狩人たちが使っている鬼刃斬りとかの事ですね」
「きゅぅー! きゅ!」
素振りを止めた所に子レウスがパタパタとホルクに見守られながら翼で飛ぼうとするが、失敗し、地面を飛び跳ねる様に近づいてくるので、膝を折れば頭の上に着地する。そのまま立ち上がれば、頭の上で四肢をだらり、と広げた状態で子レウスがぐったりとする。この子、なぜかは解らないがこのポジションが気に入っているらしく、定期的に頭の上に乗ってくるのだ。
まぁ、この状態でもう素振りとかは出来ない。今はこれで切り上げようと決めつつ、ハルドメルグの言った《鬼刃斬り》を思い出す。
アレはハンターが放つ、太刀を使った奥義の様なものだ。威力が高く、そして容赦なく飛竜をぶった切って行く姿は、ゲーム時代で言えば必須の技だ。これを使わない太刀使いは確実にボタンが壊れていると断言できるレベルで。
「アレ、かっこいいよな」
「気持ちは解ります」
片手をぶんぶん持ち上げて振り回せば、それを真似して子レウスが前足をぶんぶん振り回してくる。
「まぁ、ですがアレ、貴方の剣には邪魔になりますね。その特化した純粋さを損ないますよ」
「うん……」
知ってた。というか自覚している。どうも、ファンタジー由来のマジカルパワーとは相性が悪いらしい。体がこうなって半歩マジカルワールドに足を突っ込んでいるのだが、それでもまだ、そういう不思議な力に頼る気は全くなかった。今も昔も、ずっと剣を振って、それで斬り殺す事ばかりを考えている。というかそれ以外に出来そうな事がまるでなかった。きっと、最後まで俺がああいう超パワーに手を出す事はないんだろうなぁ、とは思っている。
穿龍棍とか滅茶苦茶興味あったのだが、まぁ、無理だろう。根本的に適性と言えるものがないのだろう。結局のところ、近寄って斬る、それしかコマンドが自分には備わっていないのだ。ボウガンも、結局は接近する為の道具としか使えない。悲しい話、これ以上何か、特別になる様な事はないだろうと思う。
それが才能容量、或いは才能上限と言えるものだ。
「でもまぁ」
やってみたいよなぁ、必殺技の一つぐらい。
指鉄砲を作りつつ、そんな事を呟く。
「なんか、こうばぁん! と―――」
ばぁん、と言葉を放った瞬間、空が黒く染まって龍属性の大爆発が遠方で発生した。大気を揺るがすほどの衝撃は空気を振動させ、離れた場所なのにぴりぴりと肌を焼く感触をここまで届けさせていた。その感触に、指鉄砲を放った格好のまま、動きを停止させ、自分の指を見て、もう一度、ばぁん、とやってみる。
再び爆発が発生した。一度目よりも更に激しく、そして苛烈なものが。動きを止め、そのまま厨二っぽいポーズをとる。
「我が内なる闇より禁じられた力が溢れ出たか……!」
「馬鹿な事を言ってないで偵察の準備したほうがいいんじゃないですか?」
「せやね」
ハルドメルグの言う通りだった。遊んでいる場合じゃないので、ハルドメルグに子レウスを押し付けて、装備を取りに行こうとしたらラズロが装備を手に、此方に投げ渡して来た。それを受け取って上半身のインナー、刀、ゴーグル、マスク、グローブと装備を装着して素早く準備を整えた。方角的には……高地の方だ。つまりは黒麒麟が抑え込んでいる筈の方面だ。
もしかしてついに消し飛んだのだろうか? だが黒麒麟は古龍カテゴリーの中でも相当な上位に入る存在だ。本当に消し飛んだのだろうか? それに今の感じ、濃密な龍属性だった。俺の様な一般的感性の持ち主でも解るほどに。黒麒麟の使用する属性は氷だ。そして元の属性は雷、龍属性を使用する古龍ではない。
となると、必然的にそれ以外の属性を使える存在になってくる。
「ホルク!」
口笛を吹き、ホルクを呼び出す。空にホルクの鳴き声が響き、ここ数年で大きく育ったその姿を確認した。昔は滑空して運ぶのが限度だったが、度重なる竜素材と龍素材の獲得、そしてそれを捕食した事によって、ホルクは今では自分を遥かに超えるサイズにまで成長している。
つまり、此方を持ち上げて運ぶだけのパワーが今は存在している、という事だ。
「きぃー!」
頭上で旋回しつつ此方の動きを待つホルクを見て、装備の最終チェックを行いつつ、逃亡用の閃光玉をラズロから何個か投げ渡された。
「気を付けるニャ相棒、出来る事なら俺が偵察に行きたい所だけど、今の環境だと足を引っ張るからニャ……武運を祈るニャ」
「おう、任せろ。逃げるだけならそこまで難しくはないさ」
今回は空を飛べるホルクを使って移動する予定でもあるし、難しくはない。そう言いながら降りて来るホルクへと向かって足を掴む為に腕を伸ばす。片手でぶら下がりつつホルクに運ばれる予定だった。ゆっくりと降りて来るホルクを見上げていると、
「異邦人」
ミラバルカン・アバターの声がした。ホルクから視線を横へと向ければ、腕を組んで此方へと視線を向ける赤衣の姿が見える。珍しく、その視線は真面目な物だった。
「どうしたクソトカゲ」
「心の準備はしておけ」
「ん……?」
「それだけだ」
クソトカゲらしくない言葉だった。煽る様な事を言うも、警告するような、覚悟を求める様な言葉を真面目に向けてくるのは、割と初めての事だった。しかもそれを言うだけ言って、そのまま、適当な椅子に座るとリュートを取り出して目を閉じ、演奏を始めてしまった。
……嫌な予感がする。
先ほどまで続いていたのほほんとした、平和な空間が崩れる感じがした。胸に苦しみを覚えながら、降りて来たホルクの足を掴み―――一気に、体が浮かび上がった。
飛翔する様に浮かび上がったホルクの体に引きずられる様に、体は拠点を出て一気に空へと舞い上がる。少し前までは空そのものが危険だったが、もはや空を自由に支配するような種は存在せず、大半が絶滅してしまっている。環境の王者が決まってしまった為に、空で襲い掛かってくる存在が居なくなってしまった。故に、今となって漸く、ホルクで飛ぶのが安全になった。
故にホルクに引き上げられて浮かび上がった空の視界で、ゴーグルの内側から広げられる光景を見た。
高地の様子は、異常とも表現できた。
まずいたるところに氷柱が存在していた。障害物の様に大量の氷柱が存在し、そしてうっすらと凍り付く様に大地が覆われている。その中に粉砕された地形が存在し、それが数か月に及ぶ黒麒麟と、そしてここに存在していた複数の生物、絶種へと至ろうとした、そして至ってしまった生物との闘争の証である事を証明していた。氷柱という障害物で環境を封じ込められる分、まだ黒麒麟は有利だったのだが、それでも隔離する事は最終的に、生物を環境適応と強制進化を促す様に、生物の凶悪化を促進させてしまっていた。
その結果が凍り付いた高地と、その氷を粉砕する惨状だった。
だが、最も異常だと表現できるのは高地中央、テーブルの様に広がった平たい台地だった。そこは大量の氷柱が地面から突き出した、黒麒麟の戦場だったが、今、
―――嫌な、予感がする。
「ホルク、近づいたら下ろしてくれ」
「きぃ?」
「……俺を呼んでる」
なんとなくだが、そんな気がした。高地に存在した、猛烈な悪意がそこにはもはや、感じられなかった。となると絶種が潜伏しているか、或いは死亡……したのか? 黒麒麟が殺したのだろうか? 殺せたのだろうか……?
どちらにしろ、
呼ばれている。
行かなくてはならない。
そう判断し、動く事にした。徐々に薄まって行く黒い龍属性の嵐の端、そこまで来たところでホルクから身を軽く投げる様に高地に着地し、体を立たせる。軽くホルクに手を振り、先に戻る様に指示を出しながら、ローブのフードを被り、ゴーグルとマスクをしっかりと装着しているのを確認してから―――嵐の中に踏み込んだ。
膨大すぎる龍属性がそのまま環境に吹き荒れて、それが全方位から襲い掛かってくる。それが僅かに肌を刺激するような感じを覚えつつ、体を前へと押し込んで行く。とはいえ、一時的な物らしく、踏み込んで行けば徐々に嵐が収まって行くのを感じる。
そして嵐が引いて行けば、その中心部に立っていた存在が、シルエットが見えて来る。
まず最初に見えたのは、頭部を失い、そしてそのまま胸元まで抉れ、心臓のあるべき場所まで千切られたような姿をしている存在だった。二足歩行で立つ姿は明らかに即死しており、その片腕を失っている。だが残された片腕は指を持った人に近い形をしており、その一つ一つが爪の様な鋭さをしておりながら、
そしてその身に凝縮された、殺す事に特化した機能美は、生存とは関係ない所で虐殺と殺戮を行う為の機構だった。つまり殺す為に進化した種―――絶種の様に、自分は思えた。だがそれは死亡していた。四騎目のブラキディオス、それはリオレウスの死と共に生み出された存在……の筈だった。
だがそれは死亡していた。どうしようもなく。この龍属性の嵐の中で。
そしてその向こう側に、もう一つ姿を見た。
それは、異常に弱々しく、やせ細っていた。同じように二足で立ちながらも、それだけで限界に近いのか、太い尻尾を地面に押し付ける様に体を支えている。力を使い果たしたように、色素を体から失い、その体色は大分、消えそうな程に薄くなっていた。噛み千切られたように小さな前足を失い、殴り飛ばされたように頭の一部が抉れて焦げていた。顔面がほぼ、半分失われている。
それでも生きていた。
その
「―――」
言葉を失った。圧倒的悪意と絶望の化身とも呼べる存在を前に、イビルジョーは勝利したのだ。その命を引き換えに。徐々に晴れて行く嵐の中、蒼穹がその背後に見え始める。その中で、疲れ、ぼろぼろになり、そして生命力をほんの小指のひとかけら残しただけの状態で、これから死ぬ事が確定した状態ではあったが―――イビルジョーは、誇り高い勝利を収めたのだ。
ぼろぼろで、死ぬ直前であっても、イビルジョーは此方に残された唯一の瞳を向けて、笑ったような、そんな気がした。
その姿に、言葉もなかった。
「―――」
このまま、後数分待てば、イビルジョーは死ぬだろう、治療できる範囲を完全に超えていた。その中に溜め込まれていた力の全てが燃え尽きる様に消え去っているからだ。なんとなくだが、その理由は察した。
自爆テロだ。
何年間、イビルジョーが喰い続けて溜め込んだエネルギー、食欲を制御して、矜持で溜め込んだそれを―――全部、爆弾の様に吐き出したのだ。
その結果がこれだった。何年間も溜め込んだそれを一気に吐き出して、地形諸共、逃げられない距離から自分の身を削りながら吐き出して吹っ飛ばして殺したのだ、悪夢の様な存在を。
完全な、摂理への叛逆だった。勝てない相手への勝利だった。その結果がこれだった。イビルジョーの姿だった。
ミラバルカンの、覚悟をしておけ、という言葉の意味が理解できた。
「……お前が、それをする必要はあったのか……?」
「……」
その言葉にイビルジョーは答えない。食欲を役目と矜持、その二つだけで抑え込んでいた竜はその言葉に答えない。
思えば、
このイビルジョーは何時だって先回りする形で竜を殺して来た。
初めて目撃した時はランポスだった。適当にランポスを間引いている姿を見るのが初めてだった。その後でもこれが食えるぞ、と教える様にダイミョウザザミを目の前で狩って喰う姿を目撃したし、何時も何時も、先回りする様にゲリョス、辿異フルフル等と始末していた。
そして今回も、先に戦う前に倒してくれた。
本当に、本当に頼りになる奴だった。ずっと、助けられてきた。たぶん、一番俺が知らない所で脅威の排除に尽力していた奴だった。
「だけど……」
いきなりの事に、少し、脳味噌が追いつかない。ほんのちょっと前まで、平和だったのに。
「だけど……お前が……ここまでする必要は、あったのか……?」
イビルジョーの視線が此方に向けられている。言葉から逃げるつもりはなく、今にも息絶えそうなのに、その瞳から意思の強さは消え去らない。その役割を、最期の役割を果たすその瞬間までは条理を超えてでも生き続けるという意思が見れた。それを知ってしまえば、もはや、送る言葉も見つからない。
だから静かに刀を抜いた。
生命力僅かなイビルジョーへとその切先を向けた。そしてそれから、ゆっくりと構えた。
時に、状況は自分を待ってくれない、というのはこれで痛い程良く解った。そしてそれに遅れた場合の結末というのも、吐き気がするほどに解った。もっと早く、リハビリなんてことを考えずに動き出していればこんなことにならなかったのかもしれない。だけどそれはIFの話だ。
現実はIFではない。
故に覆る事もない。
古龍ではない為、蘇る事もない。だからその矜持に殉じる事しか、出来ない。だから刀を抜いた。平穏の中に身を置いて、遅れてしまった自分が唯一出来る事だった。
泣いて、叫んで、苦しんで―――リオレウスで、全てを吐き出しきった。もう、吐き出す言葉も苦しみもない。ただ、全部受け入れて前へと進むだけだ。姿を見た瞬間、もう、覚悟は出来ていた。
ここまで来て、躊躇をする事はない。
故に終わらせる為に、力のないイビルジョーへと向けて、刀を振るった。
「さようなら―――おやすみなさい」
お疲れ様、おやすみなさい。
という訳で守護竜の絶滅は完了。環境もそろそろ、古龍を残して残りは絶種という環境になりそうな所で。色んな殺し方、友情を見せて来たけど果たしてそれに意味はあるのかなぁ、とか思いつつ、見えて来た終わりに向かって走れ走れ。
敵はもう見えている分しかいないぞ。
次回、冬。霊峰への準備。