肉体の主。
即ちサバイバーと自分を名乗る男の意識が狂竜ウィルスに呑み込まれた瞬間、その変異し続ける肉体は今度こそ、完全に狂竜ウィルスを通して顕現するマガラの意思とでも呼ぶべき存在にその制御を奪われた。その瞬間から、完全に肉体の主導権は変化した。これまではずっと、驚異的、或いは異常とも表現できる精神力によって押さえつけられ、尚且つ補助があったために抑え込めていたマガラの意思が完全に肉体の支配を得る事に成功した。
そして、マガラの意思がその肉体を得た事で一番最初に実行したのは、とても簡単な事だった。
即ち、パーツを満たす。自分を龍殺しの龍を殺す為の兵器として完成させる為に必要な最後のパーツにしてピース、即ちエネルギーに頼らない絶対的殺害方法を取得する為の存在を喰らい、取り込む必要があった。
故に抱きしめたまま、圧殺する為に両腕に力を込めた。握り潰し、その肉を咀嚼する。そして取り込んだうえで壊毒の概念を自分の体の中に取り入れる。そうする事で最強の剣を手に入れる事が出来る。その為に生み出され、育ち、そして今、その目的を果たす事が完了する。
する筈―――だった。
マガラの意思が確認するその手の中には、肉を潰す感触がなかった。故に腕を開き、そこから最後のピースの姿が欠けているのを可視した。その姿は潰される寸前に下へと擦り抜け、そして入り口の方へと素早く横を抜けて回避していた。マガラの意思が届く範囲から逃れる様に。それをマガラの意思は理解出来なかった。相手は死を望んでいた筈だった。そしてその為にここで待っている筈だった。故にマガラの意思はそれに疑問を覚えた。
だがそれ以上に最後のピースが、
《眠り姫》ドゥレムディラが―――彼女が一番、困惑していた。
「……何故、回避した……?」
それを呟きながら、ドゥレムディラは呆けていた。おかしい、と。彼女自身、それが己の役割だと認めていた。《悪魔》メフィストフェレスを殺す為に生まれて来たのが彼女という存在だった。彼女の父がそう定義したのだ。つまりそれが彼女の生きる理由であり、原初のインプットだった。故に彼女はそれだけを目的に今まで、生きて来た。それだけが彼女の生存、存在理由だった。その重要性を彼女は理解していた。そして同時に、その意味も理解していた。
だから死ぬべきだった。食われ、壊毒を継承させる。そうする事で究極の龍殺しが生まれてくるだろう。サバイバーの剣術を継承し、体操作能力を最大限にまで適応、最適化した龍。その上で再生機能を破壊する毒を入手する。エネルギーによらない戦闘手段を主体とした、絶対的な近接能力と殺傷能力の組み合わせ。完全な龍殺しの龍だった。
龍の生命力で遠距離や属性を乗り越え、接近で確実に殺す。龍にとっての新たな悪夢の誕生になるだろう―――それが見えているのに、
「私は……何故……?」
それに困惑する様に、己の両手をドゥレムディラは見た。彼女の中に、死に対する恐怖はなかった。何時でも死ねる。その為に生きて来た。その為に生み出されたのだから、当然ながらそこに一切の恐怖は存在しなかった。だが咄嗟に、彼女が感じたものは死にたくはない、という想いだった。それは不思議な感覚だった。彼女には言い知れない感覚が胸の中に広がっていた。死への恐怖はない。
なのに死にたくはない、という気持ちが胸にあった。
その矛盾に、どうしようもないエラーを起こしていた。
だがその中で、答えの一端を掴む事に成功する。ドゥレムディラが思い出すのは抱きしめられた時に感じた、温かさだった。それは彼女の記憶の中、遠い昔の記憶にあるものと合致する。まだまだ彼女が製造されたばかりの頃、完成を計算のみで把握していたころの事だった。
それと同じ温かみを、彼女は彼女の父から受けた。
父―――つまりは、彼女を生み出した人だ。彼が向けた視線、声、そして言葉。それを思い出し、そして大地に生きる生物たちの営みを思い出した。彼女が封じられていた数千年の間、そこで生まれ育った生物たちの暮らしを見て、彼女が感じた事を思い出し、そして少し前まで肌で感じたものを理解した。
「そうか―――これが愛なのか」
その概念をドゥレムディラは初めて、その生の中で実感した。愛という概念は、彼女には遠すぎた。それを一番最初に注いだ親達の頃は、まだまだ意識が薄弱で、彼女が何かを理解するには若すぎた。その後の生活はひたすら封じられた状態で覗き見るだけであり、誰かに何かを教わるという事もなかった。彼女は正真正銘の箱入り龍娘だった。歳だけを重ねて、中身はまるで成長していなかった。ただ役割と、成すべき事。それだけが先行入力されてずっと、残されているだけだった。それだけが彼女の知っている価値観だったのだ。
だがそこに異物が混入した。
たった一度の抱擁だった。彼女には知識があった。知恵があった。だが経験はまるで、何もなかった。知っているようで何も知らない、白痴の娘だった。だがそれが今、本当の意味で世界に触れた。彼女は今まで、誰に触れる事も出来ない孤高の華だった。だがそれがついに穢された。僅かながらの勇気と、愛の色によってその花弁が僅かに、僅かにだが彩られた。
だがそれは、白紙のキャンバス。
そのフレームの外側へと絵を広げる行いだった。
「そうか、これが愛だったんだな―――私は愛されていたのだな」
その概念を咀嚼する様に漸く、ドゥレムディラは理解した。数千年を超えて漸く、愛されていた。その言葉の意味と概念を理解した。それは僅かな抱擁、その愛という行動をその身で実感するからこそ、漸く自覚に至る事だった。毒と絶氷の龍、ドゥレムディラ。どんな生物も彼女に触れる事は出来ない。愛を伝える事は出来ない。
その身が破滅でもしない限りは。だがそれが成立してしまった。そしてドゥレムディラはそれを理解した。彼女は愛されていた。愛され、そして望まれて生まれたのだ。その上で滅ぶ事を苦しみながら願われた。その言葉と想いは、彼女の中で繋がった。
数千年を超えた心の雪解けだった。
そしてその一切合切を無視し、蹂躙する様にマガラの意思の剣が振り抜かれた。
変異に変異を重ねた肉体は既に10メートルを超え、今もなお巨大化し続ける異形の龍の姿へと変貌していた。両腕は人間よりも太く、そしてその両腕には
故に骨刀で殺す様に薙ぎ払った。鋭く、最短の速度で最適化された
それをドゥレムディラが蹴りながら跳躍し、相殺する様に受け流した。
「
また同時に、
「私はあの男だからこそ全てを認めていたのだな」
それはある意味、愛の告白だった。まだ、目覚めたばかり。まだ、その心は少女のそれと言ってもいい。彼女自身がその愛に自覚しているかどうかは―――別の話だった。だがドゥレムディラは自身が不機嫌である事に気付いた。ここ数年間、自分が常に視線で追い続けていたお気に入りの存在が、こんな醜い怪物ごときになってしまった事が、酷く気に入らなかった。
再び取り戻し、今度はもうちょっと長く抱きしめて欲しいと、思った。
完全に歯車が狂った。
一つの勇気、そして愛が生んだボタンの掛け違いだった。だがそれは一人の少女とも呼べる龍を白痴の世界から救いだした。
それが、決定的に流れを変えた。
「成程……
それは恐らく初めて、ドゥレムディラが明確に自分自身の感情を言葉にした瞬間だった。その言葉と共に体は人の輪郭を失い、四足のドス骨格と呼ばれる龍の姿を取り、とある世界にて《天廊の番人》と呼ばれ、そして恐怖される絶対蹂躙の覇者の姿を取り戻す。戦う為、殺戮を行う為、蹂躙を行う為の姿。
それは戦意を示す姿だった。それを見て、マガラの意思は更に困惑する。何故、ドゥレムディラは抗うのだろうか。彼女は元々死ぬつもりではなかったのか、と。そんな疑問がその口から、異音の鳴き声として漏れ出す。
「―――?」
「あぁ、元は死んでやるつもりだった。それが父の願いであり、私の存在理由だからだ。だがそれは貴様の為ではない。あのクソトカゲと呼ばれる龍の為でもない。私が覚えもしていないこの楽園の為でもない―――誰でもない、あの男が生きる事を諦めなかったからだ。その姿を見て、あの男になら殺されても満足できると思った」
なのにこれはなんだ、とドゥレムディラは龍の姿となり、龍言語で語る。
「貴様の様な汚物にくれてやる命等ない。あの男を返せ」
「―――?」
その言葉をドゥレムディラは納得しながら吐き出し、マガラの意思は首を傾げた。根本的にそれが一切理解出来なかった―――そしてその必要もない、と理解した。なぜならその意思は龍根絶の意思であり、どうせ目の前の龍も、遠くにいる龍も、その全てを殺し尽くすのが目的なのだから、深く考える必要はない。
全部、殺し尽くせばいい。
シンプルな思考だった。
「汚物め。彼を吐き出せ」
「―――」
互いに会話にすらならない言葉を吐き出して―――激突が次の瞬間始まる。一瞬で黒睡蓮の花畑を覆う絶氷の氷と壊毒に対して、体から引き抜いた骨を飛び上がりながら投擲し、ドゥレムディラへと向かってマガラがそれを投げ飛ばした。迷わずぶつかる事をせず、回避し、大地に突き刺さった骨の上に着地したマガラを狙って、壊毒のメテオが頭上から落ちる様に叩きつけられる。
それを翼があった場所から新たな腕を二本生やし、それと共に骨刀を引き抜いて頭上の攻撃を斬り払って完全に受け流した。その技術は間違いなく完全にサバイバーから吸収継承したものだった。続いて発生する氷結現象をシバリングと合わせ、斬咆哮を織り交ぜる事で散らし、足場を確保しながら一瞬でドゥレムディラを殺す為に踏み込んで美しい斬閃を描く。
それがどうしても、ドゥレムディラの逆鱗に触れる。
咆哮と共に絶氷が刃となって足元に出現し、壁と剣の役割を同時に果たしながら、空間そのものを氷結、凍結させるように一瞬で冷凍圧縮する。それを飛び越える様に四本腕のマガラが回避しながら、斬撃を重ねてくるのを大きくアクションを取る事でドゥレムディラが回避する。
天上から彼女の怒りを具現する様に壊毒のメテオが雨の様に降り注ぎ始める。
花畑の周囲を氷が壁の様に、ドームを形成し始め、逃げ場を潰す。そのまま、一気に空間内の温度を絶対零度の領域にまで落として行く。空は黒と紫色に染まり、氷の結晶が空間を舞うように満たす。
それは絶対に逃がさない為の結界だった。同時に初めてドゥレムディラが見せる執着という概念でもあった。知ってしまった以上は、もう二度と白痴だった頃には戻れなかった。ドゥレムディラは人間の手によって、男の手によって知恵の果実を与えられてしまった。それ故に、彼女は己の道を定めた。
「吐き出せ。奴を」
それが今―――彼女の世界の中心に現れたものだったからだ。
故にドゥレムディラは絶対に逃がさず、氷漬けにして、完全に呑まれた本来の主を取り戻す為に殺意と機能の全てを解放する。それに対応する様に、食い殺す為だけに新たなマガラが骨刀を握りながら動きを作り出す。
オーロラと、紫と黒く濁った太陽の光が差し込む黒睡蓮の花畑の中で、
自然に生み出されなかった龍の激突が始まる。
『おーい、おっきろー』
「ヴぉあ!? おぁ……? あー……?」
目が覚めた。装着したボイスチャット用のヘッドセットから友人の声が聞こえる。涎が垂れていた口の端を拭いながら、滅茶苦茶な文字が入力されている自分のPCのスクリーンを見て、キーボードを見た。あ、ちょっと涎が垂れてる。シャツで拭けばいいか、とシャツの端で軽くキーボードを拭きつつ、ヘッドセットのマイクを近づけた。
「ごめんごめん、寝落ちしてた」
『やけに静かだと思ったわ……』
「すまんすまん」
幸い、狩猟中じゃなかった。スクリーンを見ればマイハウスで資料でも漁ってたのか、モンスター図鑑の頁が開きっぱなしの状態になっていた。それを閉じながらコントローラを握って、アバターをマイハウス内で軽く走り回らせる。意味もなくその場くるくる回転させて、遊んでみる。
何故か妙に懐かしく感じた。なんでだろう。
「ふぁーあ……」
『眠そうだな……もう今夜は落ちるかぁ?』
「そうする。結構面白い夢見れたし、その続きを見る為に眠るのも悪くなさそうだ」
眠気に気付いてしまえば、欠伸が口の中から漏れる。あー、駄目だ、このまま遊んでいても凡ミスしそうだ。これで三乙しようものならブラックリスト入りだ。迷惑をかける前にゲームを終了させてしまおう。ログアウトプロセスを起動させつつ、ボイスチャットを続ける。
『へぇ、どんな夢だったんだよ?』
「いや、良くあるトリップ系の夢だよ。モンハン世界へ。そこで未開拓地に放り込まれてさぁ、サバイバルしつつ強くなるって話よ―――この俺がな!」
『ご都合主義乙。一般地球人だったら一週間も経たずに死ぬに決まってんだろ』
「でーすーよねー」
俺もそれは思った。必死だったとしてもちょっと、都合の良すぎる夢だった。まぁ、夢はどうせ、夢だ。少し都合の良い方が気持ちよく見れるもんじゃないか、とは思わなくもない。まぁ、夢だから深く考えても意味がないのだが。それはそれとして、
「小説サイトで漁り過ぎたかなぁ……」
『まぁ、暇つぶしに丁度いいしな。ランキングをスコップしようとして爆死するまでがワンセットで』
「もう俺にアレをスコップする気力はねぇよ。まとめサイトから発掘するの安定」
スコッパ―とか言う生物は本当に度し難い。そう思いつつ再び、欠伸が口から漏れ出す。結構眠気が回ってきているのを自覚し、再度欠伸を漏らしてから、
「じゃあ寝るわ。お休み」
『あぁ―――おやすみ―――ゆっくりと眠れよ……ゆっくりとな……』
「明日も休日だしなぁ。そんじゃな」
ボイスチャットを切ってPCの電源を落とす。欠伸を漏らしながら歯を磨いたっけ? 遊ぶ前に磨いていた筈だよなぁ、と自分のパンツ一枚の姿を見て思い出し、シャットダウンが終わってから背筋を伸ばす。椅子から立ち上がり、そしてそのまま近くのベッドにダイブして、転がる。
ふぅ、と息を吐き出しながら枕に頭を乗せて、地球製寝具特有の柔らかさと気持ち良さに包まれる。地球製ってなんだよ。火星製でもあるのか。
何言ってんだろ。
ゲームの遊び過ぎか。明日は体でも動かす事にしよう。そう思いながらベッドの上、誰にでもなく、小さく、おやすみなさい、と呟き、
目を閉じた。
今夜は、気持ちよく眠れそうだ。
残して行くのは勝手だ、だが残された者はどう思う。
という訳で変異極物理型マガラに成長。眠り姫は漸く色々と自覚する。さぁ、盛り上がってまいりました。一体どこまでがクソトカゲのシナリオのままなのか。
次回、深淵にて。