星が綺麗だと思った。
夜空を見上げている。
背にはウリ坊が。左隣にはホルクが。膝の上には子レウスが。そして右隣にはアルマがいる。ここは花畑だった。かつて、龍と人が一緒に居た時代、それを最後まで貫こうとして、それに失敗した人たちの墓標がどこかに存在する場所。ここの主のフォロクルルはそれを忘れてしまっている。記憶を継承する中で、大事な部分が抜け落ちてしまったからだ。だからここを守るという事を忘れてしまっている。
だけど彼らは完全に忘れた訳ではない。何故か、この花畑を心地よく感じるのだ。何故か、ここは良い場所だと思えてしまうのだ。何故か、ここは穏やかであるべき場所だとフォロクルルは思う。記憶はない。意味は知らない。だがその本能は覚えているのだ。
遠い昔の安らぎを。
だからフォロクルルは《墓守》である。フォロクルルは穏やかで、臆病な竜である。戦闘を挑まなければ襲い掛かってくるような事はしない。花畑を乱すような事をしなければフォロクルルは静かに眠り、花の蜜を吸い、この場所を維持する為だけに生き続ける。次の世代へ交代しながら。ここは聖域だったのだ、あのメフィストフェレスでさえ触れない。そして古龍達が寄りつこうとしない。
ここは聖域であり、墓場であり、触れざる場所だった。古代の理想に殉じた人たちが永劫、安らかに眠り続ける為の場所だった。だからこそ、メフィストフェレスでさえここに触れる事はなかったのだ。
まるで、ここだけ楽園から切り離されている様だった。
或いはここが楽園の死角だったのかもしれない。そんな楽園の死角の中、三匹と二人で身を寄せ合うように、春の夜風を浴びながら空を見上げていた。静かに、風や小鳥、昆虫たちの声を聴き、それで夜の時間を過ごしていた。今、この両手と背中に居る全てが、自分のこの世界における家族だった。
安いかもしれないが、幸福だった。一緒に居られるという事そのものが幸福だった。一緒の時間を過ごして、そして空を見上げ、それを共有する。それだけでも十分に幸福だった。
「安くなったもんだ……」
「ん? どうしたんだ?」
アルマが、ナナ・テスカトリに着せられた白と青のゴスロリ姿で、身を預けながら此方の呟きに反応した。だからいやな、と言葉を呟いた。
「昔……つっても俺が自分の世界に居た頃の話よ。幸福ってのはもうちょい高いもんだったんだよ」
「高い?」
「あぁ……金がかかるんだよ、幸福ってのは」
それが現代日本での常識だった。何をするにしても金がかかる。まず最初に学校を出て、勉強して、教養をつけて、社会に対して低姿勢になって、それで雇われて、就職して、ストレスを受ける社会の中で生活しながら金銭を稼いで……そしてそれを消費する事で幸せを得る事が出来る。それが消費する事がベースとなった社会での幸福の得方だった。
根本的に生活に金銭が必要となってくる。それは当たり前の話でもあるが、それに数多くの義務などが存在し、ストレートに幸せになれる訳じゃない。誰か幸せを分け合える相手を迎えるだけでも色々と大変だ。何せ家庭、収入、趣味、人種、言語、その壁を乗り越えていく必要があるのだから。
一般的な幸福のイメージは家族があって、一緒に生活する事だろう。だけどそこには常に資産という基準が入る。
つまり日本での価値観では金のない奴は幸せになる権利はないって形になる。その上で金を使わない、足りないとか騒いでいるので世も末だった。一人の幸福よりも社会の動きを重視した結果、なのかもしれないが、
そこには個人の色は存在せず、個人の歯車しか存在しなかった。
まぁ、それでも普通に暮らしていればそこそこ満足感のある世界だった。ソシャゲで課金して、レアなキャラを当てればそれで他人に自慢できるし、俺は0.1%の壁を乗り越えたぜ、と優越感に浸る事だってできるのだ。そりゃあソシャゲに没頭するのも当然だ。現代社会において他人の上を、マウントを取る方法は少ないのだ、だけどその中で簡単に相手の上を取る事が出来る、それを数字として証明する事の出来るソーシャルゲームという形は実に簡単に満足感をユーザーに与える手段でもある。
相手より優れている。
相手よりも強い。
相手よりも自分の方が凄い。
その認識はシンプルではあるが、満足感を与えてくれる。例えばレースで自分が圧勝する、或いは接戦で勝利する。それだけでも多大な満足感を感じる事が出来る、何故なら対戦相手もそれなりにリソースを消費して入れ込んでいるのだから、それに対して自分は勝利したのだという感覚があるのだ。
だが、それは満足である。
幸福ではない。金を使って美味しい物を食べでもしなければ幸せを感じられない。だが人の中にはそれが幸せだと感じない人もいる。そういうのは別の所で趣味や金銭の消費によって幸せを覚える。
結局のところ、どこであっても金という問題が常に付きまとう。
だけど自分はどうだ? 無一文で、社会的立場も存在せず、職業もなく、そして未来でさえ不透明だ。だけどこんなにも可愛らしく、そして頼りになる家族に囲まれている。ここまで来るのはかなり苦労したし、そして大変だった。誰もが出来る事ではなかったというのは良く理解している。だからこそ俺じゃなければ到達出来なかった結末だと思いたい。
だからこうやって、何もしない、一緒の時間を過ごすだけで、
「幸せを感じられるんだ」
不思議なものだった。日本にいる間は大変で、勉強をして、ゲームを遊んでも幸せか? と言われたらうーん、と首を傾げるしかなかった。少なくとも美味しい物を食べればその間は幸せでも、それは長続きする事も、毎回できる事でもなかった。だからこれだけ、一緒に集まって、身を寄せ合って、そして星を眺めているだけで幸せになれるというのは、
とても不思議で、そして素敵な事の様に思えた。金も、社会の居場所も、地位も必要ない。高度に発達した国家も余分だった。
こうやって、身を寄せ合うのに必要なのは出会いだけだった。ないない尽くしで物騒な場所だった。ここには現代社会に必要な物がまるで何も揃ってはいない。なのに、ここで感じられる幸福はあの世界には無いような物の様に感じられた。それがとても不思議で、しかし特別である様に感じられたのだ。
「当然だ。お前が頑張って得た幸福なのだ。他の誰かが真似出来る様な事でもない。お前がそれを幸福に思うのは当然の事だ、グラド」
そう言ってアルマは密着する様に体を寄せる。その体温を感じる。冷たさの中に、生命の暖かさを感じられる不思議な体温をしていた。肌に触れれば冷たく感じられるのに、その奥には熱が広がっている様に感じるのだ。だがそれが自分には心地よかった。魅入られたのか、それとも普通に惚れたのか。そのどちらかは解らないが……どちらにしろ、彼女には惚れてしまった。愛してしまった。この時間が幸福であると感じられる様になってしまった。
あぁ……自分は、変わってしまったんだなぁ、と思ってしまう。
もうあの頃の、勉強を頑張って、先行きも見えない社会に向かって、少しでも良い職業を取って漠然とした《見えない幸福》を追いかける生活には戻れない、と思う。自分の居場所をここに見つけてしまったから、もうここから離れる事が出来ない。
「ほんと魔性の女だよ、お前は」
「だったら嬉しいな。お前の様な雄を惹きつけられたのは、私の一生の誇りだ」
「褒めるとつけ上がるからやめて」
そう言って肩を寄せ合い、笑い声を零す。膝の上に座る子レウスの頭を撫でて、全員が種族が違う、というちょっとした混沌とした家族だった。ただ、まぁ、こんな形の家族も悪くはないと思っている。それでも少し気になるのは、
地球の、自分を生んだ両親の事だった。果たして、あの人たちは突然消えた息子の事をどう考えているのだろうか? 結果はどうあれ、生んで、そして学費を出してくれた親を裏切るような形で自分は今、この大地に居るのだ。頑張ってお金を稼ぐ、そして平和に生きるという事の意味、その価値を今は良く理解している。
だから申し訳なさがある。頑張って育ててくれたのに、しかし恩を仇で返す様な事をしている。もはや顔も声も思い出せないのも事実だ、だけど老後の心配をしてくれる息子がいなくなって可哀想だなぁ、と、申し訳ないとも。
だけどもう、あの世界、国には戻らないと決めたのだ。向こうで築き上げた全てを捨てて此方で生きる事を決めた。もう、アルマを捨てるという事は俺には出来なかった。最期の瞬間までこの子と一緒の人生を歩みたい、と本気で思ってしまった。だからここを離れる事はないだろう。
地球に戻る事は絶対にないだろう。
あの世界に対する執着はもはや、存在しない。だからあの世界に戻れるようなことはない。あの世界に対する此方の想いとも呼べる縁が完全に途切れるからだ。心の底からさようならを。そう思えば道が途切れる程、帰還は簡単になくなる。
「なぁ、アルマ」
「なんだ、グラド」
「これが終わったらお前は何をしたいんだ」
「私か? そうだな……」
アルマは少し考えるような仕草を作る。そうだな、と言葉を置きながら、うん、と呟いた。
「私は世界を見たいな」
「世界をか?」
アルマが肩の上に頭を乗せながらぁ、と呟く。
「この世界は私が想像するよりも遥かに広いとナナが言っていた。私が知っている世界はこの狭い箱庭の楽園だけだ。だけどこの外の世界はこの何百倍も広く、そして歩き尽くす事が出来ないほどに広いと言われている……私はその果てがみたい」
「世界の果て、か」
一瞬、世界の果てで凍り付く龍の存在を思い出す。そう言えばアレも氷系だったなぁ、と。しかしそうか……アルマが世界をみたいというのなら、それに付き合って世界を歩き回るのも確かに、楽しいのかもしれない。個人的にはどこかに落ち着いて生活するのが理想なのだが、彼女がそれを求めるのであれば……此方に否はない。彼女に付き合い、この世界を回ってみるのもきっと、楽しいだろうと思う。
「あぁ、世界を回ってみて、そしてその果てを知りたいが―――」
だけど、それよりも、とアルマは言う。
「お前と一緒の時間を過ごせるのなら、別に、どこでもいい。結局の所私にとっての世界はお前のいる場所だ」
「……」
「世界のどこであろうと、お前と一緒に居られる場所だったら私はどこでもいい。だから別に、世界を回る必要なんてない。腰を落ち着けたいというのならそのまま、街でも森の中でも、そこで暮らそう。私は、お前との日常が欲しいんだ」
だから、とアルマは言葉を呟きながら、此方の腰に手を回した。彼女も、ずっと温もりを求めていたのだろう。それが良く解る。
俺もたった数年だけ、人から隔離された環境だった。
それでも誰かと触れ合う事がここまで心落ち着くとは思いもしなかった。それを数百倍以上の単位でアルマは過ごしていたのだ―――考えられない程、寂しかっただろう。
ただ、それを憐れむのは良くないと思う。
俺は彼女が好き。彼女は俺が好き。故に我ら、種族は違っても対等である。だから傷をなめ合うのではなく、支え合いたいと思う。これから、お互い、一緒に生きて行くパートナーとして、支え合って生きて行くのだ。だから同情したり、憐れむのではない。
これからの人生を、今までの寂しさを埋める様に幸福で満たそうと考えるのだ。
それがグラジオラス流の幸福論だった。過去の為に幸せになるのではなく、これからを更に楽しく生きるために、前よりももっと良い未来を、幸福な未来を目指すのだ。だから、まぁ、
結構、というかかなり嬉しい。
うん、素直に顔を見るのがちょっと難しい程度には嬉しい。だからウリ坊を枕代わりに頭の後ろに預け、夜空を見上げながら小さく息を吐く。
宙の理が解明されていない。
夜空の向こう側に広がっているのは、幻想と神秘による信仰の宙だ。
そこが真空であるとか、太陽系とか、そういう概念は存在しない世界なのだ。そこに果ての無いロマンと、謎と、そして古龍達による幻想が眠っている。だけどなんと言うべきか―――そう、究極的には同じなのだ、この宙と故郷の空は。違う様で、しかし結局のところ同じ空を抱いている。世界が変わっただけなのだ。
世界という枠組みの中で、生きているという事実に変わりはない。
「俺さ」
「あぁ」
「食べる、って幸せだと思うんだよ」
「そうなのか?」
「うん」
思い出すのはここでの生活がまだ、苦しかった時の話だ。あの頃はほとんど何でも食べる状態だった。毒以外であれば、なんでもいい。そう言う勢いで片っ端から食えるものを探しては食っていた。それが生きる為に必要であると言えばそれは当然、そうだった。食事は生きる上で必要なものだ。食事をしなければ栄養が足りず、餓死するだろう。それを簡単に乗り越えられる程人間という生き物は凄くはないのだから。
だけど、食べるだけじゃ生きて行けないのだ。
それを理解したのは、初めて肉を焼いて食べた時だった。
「不味かったよ。血抜きちゃんと出来てないし。味付けもないし。こんなもの食えるかよって思ったよ。だけど今まで食ってたもんよりも遥かに文化的、文明的で、そして美味しかったんだよ。焼いて食う、それだけでも泣きそうな程味がしたんだよ」
それから、生活水準は少しずつ、上昇した。そしてアイルー達がやってくることで生活は劇的に改善された。それまでの狩猟民族の様な生活はそれで、終わったのだ。そして明確に施設と呼べるような物の建築が始まり、ちゃんとしたキッチンが生み出された。そしてそれでアイルー達が保存されている食料を使って料理をしてくれた。
雑だった。
こう、焼いて味付けして完成! って感じの雑さだ。進んだ技術研究によって美味しく調理する方法が丁寧に、何百年と続いて来た地球の食文化と比べる方がおかしいのかもしれないが、料理する姿はそれで料理できちゃうの!? と驚くぐらいに雑だった。
「だけどね、凄く美味しかったんだ」
ぶっちゃけると泣きながら食べてしまった。ちょっと恥ずかしい……というかかなり恥ずかしいからその事実はアイルー達に黙ってて貰っている。お菓子の地球式食文化で殴る事で黙らせたのだ。
だけど、その自分では出せなかった食材の味、それをちゃんとした下処理と工夫で美味しくするようにしたアイルー達の手際と料理を見て、自分は思ったのだ。
「これが一番の幸せの魔法なんだろうなぁ、って」
「幸せの魔法、か」
「うん。どんな破壊力のある魔法よりもよっぽど価値のあるもんに見えたよ、俺には」
体を強くし、剣から衝撃波を放ち、隕石を呼ぶ魔法が使えるとするだろう。それで敵を殺し、少し時間をかけて、遠回しに笑みを作る事は出来るだろう。だけど美味しい料理を作って、それを与える事は即座に誰かの心を幸福で満たす事が出来る。
それはどんな凄い攻撃等よりも、ずっと素敵な物だと思えるのだ。
だからこそ、
「一緒に飯屋をどっかで開きたいな、って思ってたんだよ」
だから、美味しい料理は幸福の証だと思っている。誰かに美味しい物を食べさせることは《幸せのおすそ分け》だと思っている。それが特別な意味を持っている訳でも、美味しい料理を作って何かをしたい、という訳でもないのだ。
ただ単純に、ここでの生活を通して、美味しい物を作って食べれる人生は幸せだろうな、というイメージがあるのだ。
だからそんな景色の中に、
「君と二人で居られたらとても幸せだろうな、って思っただけなんだ。そう大した話でもないんだけどな」
苦笑しながら星空を見上げる。澄み渡る夜空に浮かぶ星々は、灯の類を持ち込まなくても十分すぎる程の輝きで地上を照らしていた。美しい空だと思う。この夜空を、星空をまた、こうやって家族と一緒に眺めたいと思う。これだけの事で十分、幸せを感じられる安い男なのだから。
そこに特別な事はない。特別な事をしている訳ではない。家族で身を寄せ合い、そして一緒に星空を眺めているだけなのだから、誰にだってこれぐらいは出来る。だけど、それでもこれを特別だと思えるのは―――俺が、どうしようもなくこの時間に幸福を感じているからだと思うのだ。
「いや、私はそれは凄く素敵な考えだと思う。うん、だとしたら妻として私も支えなくてはな。この場合は……料理を覚えなくてはならないか」
「そこは、まぁ、俺が教えるよ。謳い文句はここでしか食べられない異世界文化! ……って感じでね。ただ開店と同時にマシュマロ龍が居座りそうなんだよなぁ……」
「確かにそれが容易に想像できるな……逆に店内で演奏できる舞台でも用意すればどうだ? おだてれば演奏ぐらいしてくれそうだが」
おだてた程度で演奏するアイツを嘆けばいいのか、それともおだてなければ絶対に働きもせずに居座ろうとするアイツを嘆けばいいのか、自分には解らなかった。
ただ、きっとこの先の未来は今まで以上に愉しく、忙しく、そして幸せだろうなぁ、というのは良く解っていた。未来の話を口にし、考え、相談するだけでも楽しかったのだ。きっと未来はもっと素晴らしいものになるに違いないと、希望を持たせる為には十分だった。
だから話し合い、小さく笑い、小さな家族の頭を撫でて、身を寄せ合う。
少しずつ口数は減って行き、眠気に身を任せて体を預け合いながら目を閉じ眠る。
決戦の朝は近い。過去の清算が近づく。もはや楽園の終わりは見えている。そして積み上げられてきた因縁を終わらせる時が来る。だけどそれが戦う理由ではない。憎しみとか、復讐とか、義務とか、義理ではない。
もっと先の未来の、そこにある幸せのために戦う。それは自分からやってくることはない。自分でつかみ取らなければ存在しないものだ。
だから戦うのだ―――その後の、穏やかで幸せな未来の為に。
―――そして、決戦の朝が来る。
一緒に並んで朝食を作る、そこに幸せの形があった。
幸福と満足感は混同しやすく、満足しているから幸福であると間違いやすいもの。だけど一時的な満足感でそれを満たす事も可能である。そう考えると幸せはなんだ? と考えてしまう。だけどそれを突き詰めた結果、特別でもなんでもなく、日常的な生活に混じっている何でもない事である……というのが独自の解釈。
それがグラドにとっては美味しい物を食べる、それで笑みを作る事だった。食べるものに不自由したからこその結論だった。だから好きな人と美味しい物を食べたい、作りたい。
それはグラドにとっての幸せのおすそ分けだった。グラジオラス流の幸福論だった。そこには強さも、特別な力も、凄い使命も、地位も権力も何も必要がない。言ってしまえば店である必要もない。ただそこにある当たり前こそが一番の幸いである、という話だった。
次回、決戦、朝、最後の絶種。