「殿下、お話があります」
9月上旬のある日、近衛隊隊長が私の屋敷を訪れた。その表情はどこか硬い。
宮廷及び官公庁の人事異動は、よほどのことがない限り毎年4月と10月に実施される。その告示は、異動実施の三週間前に発表されるのが慣例だ。
隊長の額には、うっすらと汗が浮いていた。ここは欧州とはいえ、地球温暖化の影響で、9月上旬はまだ気温が高く、日差しもきつい。
「どのようなご用件でしょうか? 」
「殿下付きの武官が決まりましたので、その件でお知らせに参りました」
「暑いなかご苦労様です。立ち話ではなんですから、お屋敷の中へどうぞ」
それではお邪魔しますといって、隊長は屋敷の執事の案内で応接室に入った。私は隊長に椅子に座るよう促すと、彼は軽く会釈し、用意された椅子に座った。
「お飲み物はいかがいたしますか? 」
「紅茶でお願いします」表情を変えずに、隊長が答える。
「ブランドは? 」
「殿下と同じものでかまいません」
「アイスティーでかまいませんか? 」
「いえ、自分は冷たいものはあまり好きではありませんので、ホットでお願いします。レモンを浮かべてくれるとありがたいのですが」
「それじゃ私は、アイスレモンティーでお願い。ブレンドはいつもので」といい、紅茶に合う菓子を持ってくるよう女中頭に命じた。女中頭は恭しく頭を下げ、応接室から出て行く。
「新しい私付きの武官は誰になったのでしょうか? 」と私は尋ねる。
「はい殿下。今度の殿下付きの武官は、キャサリン・シルヴィーヌ・ディートリント・フォン・ヘッセン=ヒュッテンブレナー中尉です」
「キャサリンが、ですか? 」私は目を丸くして返事をした。
「はい、そうです」隊長は即答した。
「そういえば殿下は、ヒュッテンブレナー中尉とは旧知の仲だそうですね? 」
「はい。幼稚園から総合アカデミー本校高等部まで一緒でしたから、彼女のことはよく存じ上げています」
私もおっとりとした口調で、隊長に返事をした。
「殿下は、中尉が高等士官学校に進学した経緯はご存じですか? 」
「高等士官学校からフェンシングでの、スポーツ推薦の話が来たからと申してましたわ。もっとも本人は、当初から高等士官学校に進学するつもりだったようです」
「では、中尉がフェンシングをやめた経緯については、ご存じないのですか?」隊長が問いかける。
「なにがおっしゃりたいのでしょう? 」私は眉間にしわを作りながら、これに応じる。
「あの…それについては、いろいろと揣摩憶測が流れておりまして……」
「ヒュッテンブレナー中尉が、高等士官学校のフェンシングをやめたことですか?それとも、彼女の男性関係におけることについてですか?」
ええ、それは……そのう……とごまかしながら、隊長はハンカチで汗を拭う。
「はっきりおっしゃっていただけませんか? こうやって曖昧にされるのは、私は嫌いです」
私が詰め寄るような口調で隊長に話すと、覚悟を決めたような表情で、隊長は口を開く。
「中尉の異性関係に関することです」
「そのことを私に聞かれても困ります」
「彼女のただれた異性関係については、殿下も知っているのではないのですか? 」
「確かに彼女は私の友人ですが、彼女がどんな人間と付き合っているのかは知りません」
「中尉が複数の男性と、寝室と思しき部屋に向かっている姿を見たという報告は、私も幾度となく耳にしているのですよ」
「それではお伺いしますが、隊長ご自身は、彼女がそうした光景を目撃したことがあるのですか? 」
「いいえ、私自身はありません。しかし私の部下達が、そのような光景を何度も見たと、私に報告にあげています」
なんなの、このやりとり。
さっきから聞いていれば、どうやらこの隊長は私を「ふしだらな女性近衛隊員をおつきの武官にしたバカな皇女」という印象を、周囲に与えたいようだ。
私自身は、他人からなにをどう言われようとも別に構わない。だが私の友人が、誹謗中傷に晒されるのは絶対に許さない。
私は改めて、視線を近衛隊長に向けた。
「隊長は、ヒュッテンブレナー中尉を『ふしだらなオンナ』と思われているようですね。その根拠はなんですか?」
「そりゃ、これだけの人が噂していますからね」
「根拠は噂だけですか?なにか他に決定的な場面を見たのではないのですか? 」
「ですから部下達が、中尉が複数の男性と一緒に別室に向かうのを目撃したという報告を上層部に……」
「複数の男性と別室に向かうのを目撃されただけで、女性は『ふしだらなオンナ』と認定されるのですか?もし彼女が男性だったら『なかなかのやり手』と褒めそやされるでしょうね。それに……」
隊長は押し黙っている。
「百歩譲って、彼女が複数の男性と一緒に、別室に入ったとしましょうか。でも、それだけでいかがわしい関係を取り沙汰されるのはいかがなものだと思いませんか?」