「数年前にヒュッテンブレナー中尉が、自分を励ますために開かれたパーティーで、一悶着を起こされたという話を聞いたもので」
(うわぁ)と、私は心の中でうめいた。あの時の騒動が、あっという間に社交界に知れ渡っていたとは。
だがあのパーティーの参加者の顔ぶれを見る限り、こうなるのは目に見えていた。親衛隊と知り合いの人間も大勢いた。だから参加者の間で、今日起きたことは黙っていようという暗黙の了解がなされていたとしても、いつまでも隠し通せるはずがない。
「その話、隊長はどなたからうかがいましたか?」
「そのパーティーに参加した人間の中に、近衛隊の知り合いがいたもので」
どうりで、隊長が知っていたはずだ。
「それでは、隊長はその騒動の一部始終は知っておられると」
「はい、その折には殿下やご友人達に迷惑をかけたそうですね」
「彼女も、いろいろ悩みを抱えていたのでしょう」
隊長はしばらく黙っていた。
彼女と同じ立場になっていたら、私もあのような態度をとっていたのかも知れない。
重苦しい沈黙が、応接室を支配した。
私は紅茶を一口すすると、隊長に尋ねた。
「隊長は、ヒュッテンブレナー中尉がフェンシング界から引退した理由について、何か知っていますか?」
いいえ、と隊長は首を横に振った。
「私はなにも知りません」
「隊長は先ほど今回の人事について、近衛隊内部にも異論を唱える隊員がいるとおっしゃっていましたね。で、このことについて探る動きはないのですか?」
「ですから先ほども言ったとおり、下手に動いて自分の将来を棒に振りたくないと思っている隊員が多数派ですから」
「でしたら、この質問は『近衛隊長』としてではなく、一個人として尋ねます。隊長はキャサリンがフェンシング界から去った理由について、なにか掴んでいるのではないですか?」
しかし、隊長はその質問にも首を横に振った。
「そういう下世話なことには興味がないもので」
隊長の発言をを聞いた私は、一瞬思考が停止した。
近衛隊には毎年100人近い新人が配属されるが、宮内省や治安担当職を志望者する者と同様に、入隊希望者に対しては「身体検査」という名の、国防省幹部及び人事局による徹底的な身辺調査が行われる。
その目的は犯罪者、カルト宗教関係者、マフィア等反社会団体関係者(極右・極左政党関係者も含まれる)が親戚・縁戚(原則四親等以内)にいる志望者の排除にある。これらの職種を志望する者は、面接試験実施前までに、当局によりその身辺を徹底的に調査される。もちろん身体検査で引っかかった志望者は、その時点で失格となる。
だからキャサリンがあの時騒動を起こし、その会場に近衛隊関係者に近い人間がいた時点で、近衛隊を始め国防軍、治安当局にはその詳細が伝えられているはずだ。もちろん彼女のフェンシング界での行動、並びに彼女が起こした(あるいは、巻き込まれた)事件についても、かなり詳しい調査が行われているはずだ。
なので、先ほどの近衛隊隊長の発言には、私は不信感を募らせた。キャサリンの身辺調査については、誰にどのレベルまで調査しているのかの情報は、彼も共有しているはずだ。
現にその騒動では、私のところには公安調査庁の役人がやってきて、事の次第を洗いざらい話すように言われた。治安当局の事情聴取は、よほどの事情がない限り皇族といえども、拒否することはできないのが原則だ。逆にこれを拒もうものなら、当局はありとあらゆる手段を使って、ジワリジワリと対象者を追い詰めていく。
皇族や貴族なら、当局にあの手この手で圧力をかけられるだろうって?甘い甘い。
私たちの生きている時代には、我々みたいな階層の人間が、そういう手段をとろうものなら、司法、税務、メディア当局、そして市民達によって糾弾され、嘲笑の的になる。それを避けるために、上流階級や貴族・皇族の子女は独自にネットワークを構築する。もちろん自分たちの地位を守るためには、芸能界における「枕営業」のように、当局関係者と懇ろになったり男女の関係を持つのは、我々の間では半ば常識となっている。この時代の子女の異性関係がメチャクチャ乱脈なのはその影響だ…・というのは、もちろん冗談である。
実際は当局も、皇族・貴族に忖度して形だけの処分や事情聴取をするだけだ。
実際、 「事情聴取」のために私の部屋にやってきた公安調査庁の人間も、私の顔を見るなり
「殿下、本当にすいません。でもとりあえずはこちらも仕事なので、申し訳ありませんがご協力ください。形だけなので」
と話し、私は絶句した。そして彼らは本当に形だけの「事情聴取」をした後
「殿下、お忙しいところ本当にすいませんでした。それでは失礼します」
と深々とお辞儀をして、私の部屋を辞去していった。