ただし、治安関係担当省庁や宮内省及び近衛隊の人事担当者が実施する「身体検査」は徹底的に行われる。ちょっとでも氏素性や経歴に怪しいところがある人間は、最終試験である口頭試問前の段階で「不合格」になる。もちろん、皇族・貴族子弟だからと言って甘やかされる、ということはありえない(これは本当だ)。
だから、近衛隊長がキャサリンがフェンシング界を去った理由について「下世話」云々というのは、まずありえない。彼女の近衛隊入隊志望がわかった時点で、フェンシング界における彼女のこれまでの発言や行動を、詳細に調査したはずである。これは上層部にいわれなくても、隊長自身の判断で部下に命令を下し・調査活動の指揮を執ったはずだ。
だから私は、その返答はあまりにも不誠実だと抗議した。考えてみれば隊長はこの部屋で話したことは、キャサリンがの身体調査は、男性関係以外はしてないと言うことだ。調査対象当事者の異性関係以外のことは調べていませんなんて、馬鹿も休み休み言えといいたい。だってさ、これって何らかの政治的謀略が絡んでいると言うことだよね?だから、だから私は隊長に、身辺調査の件について執拗に問い質した。しかし隊長は、私の意義にも知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通したあげく、腕時計をチラリと見て
「殿下すいません。私はもう時間なので、帰らせていただきます」
と言い残して、挨拶もそこそこに部屋から出て行った。
隊長が帰る姿を見た私は、がっくりと坐っている椅子の背もたれにもたれかかって、しばらくの間呆然としていた。そして突然気分が悪くなり…そのままテーブルに突っ伏した。
「…マリナ、おいマリナったら…お願いだから返事してよ?」
う、うーんと私は唸り声を上げながら、ゆっくりとまぶたをあげた。気がつくと、私は自室のベッドに横たわっていた。そしてベッドの傍らには、私のてのひらを掴みながらベッドの隣にある椅子に座り、不安げな表情を浮かべていたオルガがいた。
私に対し、いつもみたいに居丈高な口調ではでなく哀願調で話しかけ、ベッドで不安な表情を浮かべている彼女の表情を見て、私は近衛隊長が去ってからまもなくして、自分の体調が深刻な状態に陥ったことを悟った。
「オルガ……あれ……私は先ほどまで応接室にいたはずなのに…」
「お前、覚えていないのか?応接室のテーブルに突っ伏していたんだぞ」
そういえば、今日は午前中からなんだか熱があったような気がする……。
「私が屋敷に帰ってきた時、女官や侍従が屋敷内をバタバタと走り回っていてさ。だから
『いったいなにがあったんだ』って尋ねたら、彼女達は顔面蒼白で『エルヴィラ殿下が倒れられました。オルガ様も手伝ってください』って泣きつかれてさ。侍従達もやってきて、お前をベッドに寝かしたんだぞ。わからなかったのか?」
「ごめん……みんな、本当にごめん……迷惑ばかりかけてばかりで……」
私は力なく呟いた。
「ひょっとして、ルイーゼもいるのかな…」
「ええそうよ、お姉様」
よく見ると、ルイーゼの瞳は心なしか赤い。
「いつ戻った?」か細い声で、私は妹に尋ねる。
「オルガよりも少し後よ」
「あなたの足を引っ張ってばかりね、私は。ダメな姉上でごめんね」
厳しい局面に立たされ決断を迫られた時、ストレスが限界を超えた時、そして疲れがたまった時、決まって私は持病の喘息か発熱が原因で体調を崩す。喘息は薬を飲めば症状が治まるが、発熱時は厄介だ。私の平熱は36度前後だが、発熱に伴う体調悪化時は体温が39度を超え、それが2~3日続くことが多い。食欲はあるが、その間は考え事も含めてなにをする気になれないのだ。
「この際だからさ、一度検査入院したらどうだ?徹底的に検査・治療しておかないと。来月から、今まで以上に忙しくなるんだよ、私たち。特に公式行事に出席するたびに倒れては、お前の名前に傷がつくし、侍従達の責任問題に発展するぞ」
オルガが、厳しい表情で私に詰め寄る。
「検査なら、何度もしたじゃん」私も言い返す。
実際、検査のたびに診断書には「原因不明」の文字が記載されて返ってきた。
「困るよねぇ…20歳過ぎて、自分の健康管理も満足にできないんだから」
嘆息するオルガを横目に見ながら、私の体質は、幼少時の生活が原因だと気がついた。
私はその頃の生活ぶりを、宮中や友だちに話したことがない。もちろん、この二人にも。
あの時代に私が体験したことは、今となっては思い出したくも話したくもない過去だ。
人には、それぞれ他人には触れられたくない過去を持っている。オルガやルイーゼにだって、肉親や親友にも触れられたくない過去の一つや二つあるだろう。だからキャサリンが、フェンシングをやめた理由を、他人に話したくない気持がわかるのだ。