「きれいだよ」
にっこり微笑んで、アントンが言った。
アタシ的には、ここは普通に「きれいだよ」ではなく、何かに例えて欲しいな。
具体的にはお花とか。
普通に「きれいだ」と言っても、心を動かさない女性だっているんだよ。
しかも彼はそれだけ言うと、あっという間にアタシをベッドに押し倒し、アタシの上にのしかかった。
ずしりと重い感触をもつ彼の身体からは、何とも下品な臭いがした。たぶん、彼がこの日のために選んだ「勝負コロン」なのだろう。
だが、つけている本人が「いい匂い」だと思っていても、それが相手に受け入れられるとは限らない。
彼のつけているコロンは、この上なくどぎつく、安っぽいもので、アタシを不愉快にさせた。貴婦人と快楽の世界を共にしようと考える男性だったら、もっと穏やかな匂いの香水をつけるだろう。だから彼の匂いがアタシの鼻腔に入り込んだ時点で、アタシの彼に対する気持ちは萎えてしまった。
だがもうここまで来たら、後戻りなんてできない。
相手が果てて満足するまで、彼に身を委ねるしかない。
異性を自室に招き入れた以上、第三者からは「一線を越える意思あり」とみられるのだ。
アタシのカラダにのしかかったアントンは、私の髪に優しく触り、額と唇に軽くキスをする。
ゴツゴツした掌で、アタシの豊満な果実を揉みしだきながら、彼は舌を深い谷間に移動させる。
アタシも彼の機嫌を損ねたくない一心で、彼の愛撫に合わせて、背中を指で優しく触ってあげる。
「アッ アッアッアッ」
彼に合わせて、アタシはいかにも「カンジているのよ、キモチいいのよ」といいたげに、淫らな声を上げる。寸分の狂いなく間隔を開けて、声の調子も大きさもできるだけ揃えて。
もちろん感じているわけでも、気持ちがいいわけでもない。あくまでも社交辞令的に、声を出しているだけだ。
そして彼がアタシの表情を確認しに来たら、あたかも「あなたって、上手ねぇ」といいたげに、頭を左右に振り、目を瞑り、歯を食いしばる。
本当はこの程度の男に対しては、愛撫されてもよがり声を出さず、歯も食いしばらず、頭を左右に振ることもしたくない。
だから彼に押し倒されてベッドに横になった時、いっその事マグロになってやろうかと、本気で思った。
だが今晩の相手は、社交界の評判が悪かろうが、経営者としての手腕に疑問符が投げかけられようが、腐っても我が国の食糧流通事業を一手に握る大企業の、将来の最高経営者である。
アタシの軽薄な行動と言動と判断は、下手をすれば帝室と国家の存亡に関わるだけではなく、我が身の破滅にもつながりかねない。
あふれ出る感情に身を任せてもいいのは、好きな人との情事の時で十分だ。
彼に抱かれるのも、皇太孫としての仕事の一つなのだ……そう判断したアタシは、彼の愛撫に喘ぎ声を出し、頭を振り、身をくねらすことで、いかにも気持ちがいい、感じているアピールをし続けた。
もちろん、今やっている行為は演技だ。小さい頃から演技とダンスを習っていたアタシだが、これらの技量がこんな形で役にたつなんてと、愕然とした気持ちになる。
アタシや悔しさと情けなさで、不覚にもベッドの上で涙を流しそうになった。だがいまそんなことをしたら、このオトコのことだ。妙な勘違いをして、見当違いのことを言ってくるに違いない。
しっかりしろよ、神聖プレアガーツ=ユーベル連邦帝国皇太孫マルガレータ・ハンナ・オクタヴィア・フォン・ゾンネンアウフガング=ユーベル。
今のアタシは「帝国皇太孫」という名の「国家公認の売春婦」だ。
なにが悲しゅうて、パーティーで2~3回しか出会ったことがない人間と、「お見合い」という名の「男女の関係」を強要されるのか?
「カンジチャウ」という表情をヤツに見せながら、アタシはまったく別のことを考えていた。
パーティーで時たま、自分より下の階級─といっても、アタシの場合はだいたいが専門職が多いんだけどさ─の人間の口から、決まって言われる言葉がある。
「名門貴族のご令嬢ははいいですなあ。結婚相手を選び放題で、しかもお相手候補と言われる男性は、決まってお金持ちばかり。もし生まれ変われるのでしたら、自分もそうなりたいですなあ」
アタシは相手に
「いえいえ、実際はそんなことありませんよ」
と、にっこり笑って反論する。
だって実際、私たちの階級になると、結婚相手は自分の意思では決められない。
「恋愛結婚」という概念が通じるのは、どう贔屓目に見ても上位中流階級まで。私たち皇族・貴族階級ともなれば、自分の意思はほぼ通らないと思って間違いない……特に女性は。
実際周囲を見渡しても、階層の壁が原因で、泣く泣く別れたというカップがなんと多いことか。