「抗うつもりはないってことね?」私はいった。
「実を言うと、この結婚話は僕も乗り気ではないのですよ。もちろん、弟も同意見です。だが、親の意向には抗えない」
「抗いなさいよ。いい年こいた男が、いつまでも親の言いなりでどうするの?」
ちょっと威嚇的に過ぎたか?と思いつつも、私は彼に詰め寄った。
「それができれば、苦労なんかしませんよ。それに……」
「……なに?」
その問いかけに、アントンはしばらく黙り込んだ。
再び重苦しい雰囲気が、部屋の中を支配する。
「ねえ、なにかあったんでしょ?」
それでも、アントンは目を伏せたまま黙っている。
「言いなさいよ。黙っているのは卑怯よ」
アタシがさらに挑発すると、彼は険しい表情をアタシに向けた。
バーン! と一発テーブルを叩きつけると
「さっきからおとなしくしてれば、偉そうになんだ! その高飛車な口の利き方は!」
我慢の限界だったのだろう。ヤツは声を荒らげた。
その時、部屋の外に控えている女官の一人が、アタシの部屋の扉を立て続けにノックした。部屋の中から大きな音がしたので、アタシの身に何が起きたのかと思ったのだろう。
「皇太孫殿下、先ほど大きな音がしましたが、殿下のお部屋で、いったいなにが起こったのでしょうか?」
彼女は扉を静かに開けながら、アタシに尋ねる。今の状況を見られるのは、アタシの立場からすると非常にまずい。
「ううん、何でもない。気にしないで」扉を押し戻しながら、アタシは即答した。
「本当に何も問題がないのですか? まさか、お客人に暴力を振るわれたのでは……」
彼女は、なおも食い下がろうとする。
「大丈夫っていっているでしょ! お願いだから、これ以上私の手を煩わせないで!」
「かしこまりました、殿下。皇太孫殿下がそうおっしゃるのでしたら、私めはこれで失礼いたします」
彼女はそう言うと、静かに扉を閉めた。
扉が閉まったのを確認した後、アタシは改めて胸元をみる。纏っていたバスタオルが外れかかっていたのに気がついた。
手早くそれを纏い直して椅子に座り、改めてアントンに視線を向けた。
「さて、打ち合わせの続きをいたしましょうか、お客様」
ヤツは口を、への字に曲げたままの状態で、アタシを睨みつける。
「あれだけの騒ぎを起こしておいて、社交辞令でもいいから屋敷の主人に『申し訳ありませんでした』の一言も言えないんだ、アンタは?」
あたしがそう言うと、ヤツは「しまった!」という表情を見せる。
フン、今頃気づいても遅いのよ、バーカ! と、アタシは心の中で独りごちる。
さっき女官がアタシの部屋に近づいた時、自分も一緒にやってきて
「お騒がせいたしまして、申し訳ありません。夜分遅くに、しかも訪問先でとんだ粗相をいたしました。皇太孫殿下に不愉快な思いをさせたのは私です」
とかなんとか言って、ごまかすことくらいできたはずだ。
だがヤツはアタシが女官とやり合っている間、ただ呆然と坐って、あたしの後ろ姿を呆然とみていただけだった。
明らかに自分が悪いのに、ヤツは主人に恥をかかせるつもりなのか。
この世界では言葉一つ、振る舞い一つが自分の評判のみならず、下手をすれば自分の命をおとす結果につながりかねないのだ。
晩餐会でのマナー。
ベッドでの振る舞い。
そして、先ほどの騒動での態度。
そして、この部屋におけるアタシとのやりとりも加わったことで、アタシのヤツに対する評価は挽回不可能なレベルまで落ちた。
だが面と向かって、あからさまにダメ出しを出したらコイツのことだ。一族郎党を使って、アタシを地獄の底までたたき落とそうとするに違いない。
そう判断したアタシは、まだ希望はあるといわんばかりと、ヤツに思わせることにした。
「まあさっきのことは、アタシにも悪いところがあると思うし、突然女官がやってきたから、どうしたらいいのかわからなかったのよね? 違う?」
アタシの問いかけに、ヤツは「ウ……」といったきり沈黙した。
「その様子から察するに、アナタはこれまでも出先でこのようなことをしてきたみたいね」
図星だったのだろう。ヤツの顔は、みるみる赤くなった。
「それで、なにかトラブルがあったらアナタは逃げ回り、事後処理は全て親に任せっきりだったんでしょ?」
「そ、そ、そんなことはない!」気色ばんだ表情で、アントンが返答する。
「僕だって、もうすぐ30だぞ! 自分のしでかした後始末くらいは、自分でやれるさ!」
「へえ、じゃあこれまで自分がしでかした不始末は、どう処理してきたのか、アタシに説明してもらいましょうか?」
アタシはそう言いながら、椅子に座り直してヤツを睨みつけた。
向こうも、負けずに睨み返してくる。