「ぼ、僕がいったいなにを言ったというのです? 僕はただ、エミリア殿下のことを『クレア殿下』と呼んだだけです。それのどこが悪いというのです? 」
「アタシの前で、エミリアのことを『クレア』と呼ぶな! 」
アタシはそう叫ぶと、ヤツの胸を小突いた。
アタシが不意打ちを喰らわすとは思っていなかったのだろう。アントンはよろけると、そのままベッドに仰向けに倒れた。
「殿下、僕になにか恨みがあるのですか? たまたまベッドがあったからよかったものの、そうでなければ僕は床に頭を打ちつけて、下手をすれば死ぬところだったのですよ」
血相を変えて、アントンが叫ぶ。
「アンタが死んでも、こちらはちっとも困らない。理由を聞かれたら『アントンに強姦されかかったから、アタシが抵抗してもみ合いになり、アタシがアンタを小突いたら、たまたまアンタが床に頭を打ちつけて死にましたわ』とでもいったら、万事解決するから」
しれっとした口調で、一気に私が話しかけると、ヤツの顔色はさっと変わった。眉間にはしわが寄っているので、かなり怒っているのがわかる。
「き、君という人間は……」
頭に血が上っているのか、言葉がうまく出てこないようだ。まあ、何かあれば「強姦されかったことにして、アンタを始末するから」と面と向かって言われて、冷静でいられる男性はまずいないだろう。かりにいたとしたら、そいつは相当いかれたヤツだ。
「アンタが憤るのは勝手だけど、従業員を生活できるかどうかの給料でこき使い、それが当然だという会社の関係者に、そんなこといわれたくないなあ」
「なぜ君の前で、エミリア殿下を『クレア殿下』と読んではいけないのか、僕には理解不能だ」
そういうヤツの顔色は、怒りがおさまらないのか赤いままだ。
「アンタは、社交界における『暗黙の了解』を知らないようね」
アタシはそう言うと、シャンパンを口に含める。
「皇族・貴族の令嬢に対し、ミドルネームで愛称を呼ぶということは、それなりに深い関係になっているということを意味してるんだよ。それ、わかってる? 」
「べつにいいじゃないか、そんなもの」
憤慨したような口調でいうアントンの発言を聞いたアタシは、がっくりと頭を下げた。
ここまで無礼な男を、アタシは見たことがない。
「アンタ、これまで参加したパーティーで、こんな調子で女性を口説いていたんじゃないでしょうね? 」
今度は、アタシが憤りを相手にぶつける番だった。この手の男は、自分の都合の悪いところをツッコまれると、言い訳の代わりに沈黙を持ってやり過ごすのだろうなと思っていたら案の定だった。ヤツは、視線をアタシからそらせたまま黙っている。
「実は、アンタとエミリアは、アタシのいないところで深い関係になっていました、という悪い冗談をここで言うつもりじゃないでしょうね」
「それこそ悪い冗談だ。僕とエミリア殿下は男女の仲どころか、一度たりとも口をきいたことなんかない。だいたい、あんなに口の悪くてあばずれな皇女を口説こうとするヤツの気が知れない」
「本人と一度も会話したことがないのに、妹が『口が悪くてあばずれ』だと、どうやって判断できるのよ」
「事実だから、あれだけメディアで書かれているんだ」
「普通だったらさ、当人に「メディアではこんなこと言われているけど、本当はどうなのさ? 』と尋ねないの? 」
「やだね、そんな面倒くさいこと」ヤツは首を左右に振りながらいった。
「なにが面倒くさいの? アンタ、いちおう大学を出ているんでしょ? 授業で教授から指名されて回答したら、『その根拠は何かね? 」って聞かれなかったの? 」
「いいや、僕は大学では、ゼミをとっていなかったからね」
「それでよく大学を卒業できたわね」
「母校は、ゼミは必修じゃなかったからね。それに、興味をそそる分野のゼミもなかったし」
「『オンナ心をつかめる方法』を研究している教授だったら、喜んでゼミ生になったんじゃないの? 」
アタシがそうツッコむと、ヤツはハハハと苦笑しながら
「いやいや、それはない」
と返答した。だがその表情は
「そういう分野を研究している教授のゼミだったら、喜んで参加するさ」
と思っている様子が窺えた。
だが、私の心にはちょっと引っかかることがあった。
「ひとつ、尋ねたいことがあるんだけど」
「はい殿下、なんなりと」
「あなたはさっき『母校は、ゼミは必修じゃなかった』っていったわね」
「それがなにか? 」
「学部はどこ? 」
「経済学部経済学科ですが」
「キャンパスの場所は?」
すると、ヤツは苦々しい表情を浮かべた。
「聞いてどうするのです? 」
「答えられない理由があるの? まさか、『大卒』だなんてウソでしょ? 」