創造戦士ガンプラダイバーズ Side:JOKER 作:JNEXEL
「私の願いを、具現化する機体...確かに信じたくなったわ」
ラプラスはデスサイズヘルコープスに隠された力を実感しつつあった。まだほんの触りに過ぎなかったものの、十分過ぎるくらいこの機体を理解できた。
「怜...あなたがあんな所にいては、幸せにはなれない。でも安心して、私が迎えに行くから...」
まるで恋する乙女のような顔で、モニターを眺める。現実だけでなく、ダイバーズでも彼女に会える。この時をずっと待っていたと言わんばかりに心が踊る。その感覚を手放すまいと噛みしめる。
「あ...デューク。この機体の慣らしは終わりました。次は実戦に入れてください」
デスサイズヘルコープスが着地した先には、鋼鉄のような色をしたMSが立っていた。西洋の騎士を彷彿とさせるようなその姿。モニターには「トールギス アイゼンリッター」と表示された。
「乗ったばかりだと言うのに混乱もなく規定コースを通り抜けるとは、恐れ入る。だがいきなり戦いの中心に放り出せんな」
「ですが、一刻も早くJOKERを始末するなら、私も使える戦力として...!」
「そうやってすぐに焦るのは貴様の悪い癖だと言っている」
デュークの指摘に、ラプラスは黙り込んだ。確かに焦り過ぎているのかもしれない、と考えを改め暫くの間は彼の下で、力をつけていくのが仕事だと自分に言い聞かせた。
レイはルミナクェーサーを人気の少ない場所に移動させ、変形シークェンスを始動した。ブルームーンとの合流か、このあと数戦してからログアウトするか考えていたが、突然何らかの信号を機体が受信したので応答した。
「誰...か...助け....くださ.....」
ノイズが激しく、断片的に聞き取れる部分から何とか脳内で補完していくしかなかった。その結果、この信号を送ったダイバーは仲間とはぐれてしまったのだと気づいた。レイは迷わず信号の送ってきた方向へルミナクェーサーを飛ばした。
(迷子ってどういう事...?)
何度かのエリア遷移を経て、ルミナクェーサーが到達したのは山奥の村のような、牧歌的な風景だった。急いで区画を検索してみても一切ヒットしなかった。現在の区画表記は数字が文字化けしていて読むことがままならない。
「え...何、ここ?」
見渡す限りの草原とその先に聳え立つ山々。真っ先に思い浮かぶのはアルプス山脈か。レイは景色に見惚れそうになり、頭をブンブンと横に振った。
「誰かに出る方法が無いか聞かないとまずいかもね...」
集落から離れた所にルミナクェーサーを着陸させ、コクピットから降りた。優しく吹き抜ける風が、レイの肌を撫でる。こんなことがあるはずが無いと分かっていても、心の何処かで安心していた。一先ず情報収集をせねばと集落の中に足を踏み入れた。トラクターと、台車を引く馬が目の前を通り過ぎた。MSも作業用として扱われているらしく、グレイズが大量の干し草を牧場の中に投げ込んでいるのが見えた。まるで∀ガンダムの世界観に迷い込んだような気分だった。
「どうしたんだい、そんな所にいて」
作業をしていたグレイズから声が聞こえ、レイはビクッと震えた。
「ここ、どこか分かる?何か間違って来たみたいでさ...出る方法とか教えて欲しいんだけど」
レイも負けじと声を張る。すると、グレイズのコクピットから作業着姿の男が出てき、ワイヤーを伝って降りてきた。見た感じは中年だが、それなりに体格は良かった。彼もまたガンプラダイバーであった。
「迷子ってことかい?んー、ここを出るには時間が決まっているからね、すぐには出られないよ」
「時間が決まっているってどういう事?私こんな所で立ち往生なんて出来ないんだけど」
意味不明な事を言われ、レイは若干苛立った。
「仕方ないんだ、ここ隔絶されてしまってるから」
「隔絶って何?ここは一体何なわけ?」
レイは男に更に詰め寄る。その折に、覚えのある気配がした。男はちょうどよかった、と安堵したがレイは震えが止まらなかった。何しろその気配の正体は彼女が最も恐れているものと瓜二つだったからだ。
「何か騒がしいと思ったら...あら、あなたもしかして、迷い込んで来たの?」
レイに問いかける女性。彼女の姿形が、レイの母親である美智留そのものだった。レイは唇を震わせ、目の焦点も合わなくなった。まさかダイバーズにまでやってくるとは想像もしていなかった事だ。地獄を忘れるためにダイバーズにやって来たのに、逃げ切る事が許されないというのだろうか。レイの目に涙が滲む。しかし、彼女はキョトンとした顔でレイを見て、少し心配そうに声をかけた。
「泣きそうになってる...どうしかしたの?話なら聞くよ?」
ポケットからハンカチを出し、レイの目元を拭った。レイの視界には彼女の名前が表示されなかった。このような事も本来なら起こらないものである。レイはますます混乱し、とうとう気を失った。
それから数時間後。レイはベッドに寝かされていた。恐る恐る顔を横に向けると、先程の女性が本を持ったままうたた寝していた。
(やっぱりそっくりだ...早くどこかへ行かなきゃ...)
レイが起き上がると、タイミングを同じくして女性も目を覚ました。
「あれ....私寝ちゃったかしら?あ、もう大丈夫そうね...よかった」
レイが意識を取り戻した事に、彼女は心から安堵したように息をついた。レイは母親と同じ顔からこんな表情をされたのは初めてだった。何も言わず、ただじっと見つめるレイに女性は微笑みかけた。レイはどきっとして一度視線を布団に移し、ゆっくりと戻した。これ程までに本当に優しい顔をしている事が信じられない。
「そんなに怯えなくてもいいのに...ほら、大丈夫よ?何も怖くないよ」
女性はレイを優しく抱きしめ、髪を撫でた。
(違う人のはずなのに、お母さんにしか見えないし...何でこんなに優しいの...?絶対何かあるはず...だけど、だけど...!)
今のこの状態こそ怜が欲しがったものだった。純粋な愛情。怜がそれを知らないまま育ったが故に渇望していた物。ここまで胸が温かくなって、心を許せるようになるものなのかとレイは泣きそうになる。
「私、ミチルって言うんだけど...あなたの名前、教えて?」
名前まで同じだった。レイはおずおずと口を開いた。
「レイ...だよ」
「レイちゃん、ね。それじゃあ旅立つ日までよろしくね、レイちゃん」
ミチルがにっこりと柔和な笑みを投げかける。レイも恥ずかしそうに頑張って笑みを作った。グレイズのダイバーの話によると、次にエリア繊維が可能になるのは一週間後のようだ。それまでは改めてダイブしてもここにしか来れなくなるとも聞いた。ブルームーンやJOKERの件で多少の心配があるものの、長く求めていた安らぎを前に今だけは、と頭の片隅に置くのみにとどめた。
「レイちゃんはゆっくりしてていいのよ?まだ目が覚めたばかりなんだし」
レイがミチルの作業を手伝おうとしたが、引き止められた。
「でも、世話になるんだから何かしないと気が済まないって言うか...手伝わせて」
「そこまで言うなら、お願いしようかな」
ミチルはレイを伴って家を出ると、MSで家畜を移動させている光景に出くわした。食事をしようものなら、料理を呼び出して口にすれば済む話なのだが、この一帯に住む人たちは敢えて現実の山村に寄った、半自給自足を好んでいるらしい。レイは両手の指を組み、祈るようにしてルミナクェーサーを転移させた。光の点と線が集まり、機体を形成した。
「アルケインかー、めちゃくちゃキレイだなやー」
「あの娘の機体じゃろ?よく似合ってるじゃないか。なぁ?婆さん?」
「まるで女神像みたい...」
ルミナクェーサーの美しさに驚いた人々が口々に感想を漏らす。レイは少し離れた所からその様子を見ていたが、感想まで聞こえたせいで恥ずかしくなった。ミチルもルミナクェーサーを好きになったらしく、ウィンドウを表示させてスクリーンショットに収めていた。もちろん、不意に振り向いたレイも撮られていた。
「これ、あなたが作ったんだね?素敵な機体ねっ」
「そ、そうかな...何ていうか、こうやって褒められたりしたの初めてだから、よく分からない...取り敢えず、何すればいい?何でもするよ」
「あの辺にいる牛を牛舎まで運んで欲しいんだけど、出来そう?」
「うん、任せて」
それからちょうど一週間が経とうとした。グレイズのダイバーの話通り、他のエリアへの遷移が可能になっていた。そろそろ別れの時だとレイは内心寂しさを感じていた。誰も彼もが優しくしてくれて、たくさん褒めてもらえた。レイにとっては今までに無いことであり、人生で最も幸せな時間だと思えた。朝方摘んできた花で花束を作りミチルにプレゼントしたが、自分がそのような気持ちにもなれるのだとレイは嬉しさを噛み締めていた。日が沈み、夜を迎える頃。
「もう旅立つのね、レイちゃんは」
「うん...私、まだやること沢山あるから。それが一段落したら、またミチルさんに会いに行く」
レイとミチルは二人で月を眺めながらティータイムを楽しんでいた。レイの笑顔に少し自然さが出てくるようにもなったのか、ミチルも嬉しそうにしている。だが近づいてくる別れの刻に、彼女もまた寂しさを感じていた。
「ねぇ、ミチルさん。その、少しだけいいかな...」
「ええ。おいで、レイちゃん」
レイがおずおずと近寄ると、ミチルは彼女をぎゅっと抱きしめた。レイは最後の最後に、この温もりを感じたかったのだ。例え仮初の物であったとしても、求めていた事に変わりはないのだから。
「ミチル!レイ!逃げるんだよ!!」
老人が切迫した表情で叫ぶ。二人はぎょっとして何事かと庭から様子を覗いた。どういう訳か村の中心部が炎に包まれていた。家も軒並み壊されており、農場は原型を留めぬほどだ。そして赤い光が空から落ちてくるのが見えると、村は一気にパニック状態に陥った。レイはミチルに逃げるように言うと、ルミナクェーサーを転移させ、ワイヤーを使ってコクピットに乗り込んだ。
「一体何?こんな時に...!」
ルミナクェーサーが村の中心部に辿り着く直前、謎の赤い光が地面に着弾、大爆発を起こした。強烈な爆風が村のすべてを覆い尽くし、焼き払った。幸いにもルミナクェーサーはシールドで防いでいたので無事だったが、村の有様にレイは言葉を失った。
「そんな...そんな...!?よくも...やったなぁああッ!!」
失意と怒りの叫びとともに、フリーズバスターを放つ。しかし、その絶対零度の光は弾かれ虚空へと消えた。そして、赤い光が収束しこの厄災の現況が姿を表した。赤と黒のMS。その名はJOKER。
「JOKER...!?」
「...こんな下らないもの用意しやがって...おかげで余計な仕事が増えただろうが」
JOKERは腰から銃を引き抜き、ルミナクェーサーへ発砲した。ルミナクェーサーもシールドで弾を防ぎ、JOKERの足元へフリーズバスターを撃ち込んだ。しかし、JOKERは軽やかなフットワークで氷結弾を躱しつつルミナクェーサーの眼前に迫った。ルミナクェーサーが両肩のユニットを前面に向けた瞬間、JOKERが持っていた銃が剣に変形した。
「何度同じ事をやる気だ?」
「それはアンタも同じ事でしょ...消えろ!」
ルミナクェーサーが放射状にレーザーを発射した。その僅か一秒未満ほど手前、JOKERは突きの一撃でルミナクェーサーの左側のレーザーユニットを肩ごと粉砕した。レイは反射的にトリガーを引き、右側のユニットからレーザーを放射させたが、全てJOKERを避けるように散り村にさらなる被害を加えてしまった。
「しまったッ...そんな!?」
「所詮その程度だろうな。お前の目には何が見えている?自分の見たいものだけ見えていればいい...そんな奴に生きられても困るんだよ」
JOKERが剣を銃に再度変形し、至近距離でルミナクェーサーの頭と胴体に放って蹴り飛ばした。続けてまた剣に変形させると、空中に切っ先を突き出した。刀身が何かに刺さったかのように途中から消え、瞬く間に空間全体をヒビが走った。ガラスが割れるような崩壊が起きると、ルミナクェーサーとJOKERは宇宙空間に佇んだ状態となった。
「...ったく、仮初の物にどこまで依存すりゃ気が済むんだ、コイツは...そんな事よりアイツを始末しなくちゃあな」
ジョーカーは呆れたように吐き捨てると、ルミナクェーサーの遥か遠くにいる敵に向かって機体を加速させた。背中の大剣を一振り引き抜くと、袈裟斬りを仕掛けた。何もなかった空間が歪み、刃から火花が散る。隠れるのを諦めたのか、敵は次第にその姿を見せた。ブリッツガンダムをベースにしており、六角形状のバックパックから有線接続されたユニットが順次帰還していく様子から、これらを使って亜空間を形成する能力があるとジョーカーは分析した。
「何でこの結界を見破れた...!?」
「そんなもん簡単だろ。コイツに都合の良すぎる世界なんて無いんだからな。幻影使いのサッチャー・ミッチェルさんよ」
ジョーカーは嘲るように笑いながら親指でルミナクェーサーを差した。正面の敵の解析が終わると、JOKERのモニターに機体名が表示された。"ブリッツガンダム ファントムグリーツ"。バックパックに搭載されているユニットを使い結界を張ることで内部に虚数空間と呼ばれる亜空間生成、閉じ込めた相手に対し一種の幻覚効果を与えると言う。故にガンプラダイバー、サッチャー・ミッチェルは幻影使いと言う二つ名を持っている。そしてジョーカーが戦いを仕掛けたということは、彼もまたν-Typeである可能性が高い。
「何て薄情な結論を...まぁいいさ、君も俺の幻覚に殺されるんだからね」
「やって見ろよ...無理だとは思うがな」
JOKERが右手に持っていた可変型武器"ブレイヴエッジ"を銃に変形させると、銃口の周辺にホログラムコピーを展開、マシンガンの如く次々と連射した。ファントムグリーツは、ビルドストライクのチョバムシールドを改造した"ミラーシールド"で光の矢を全て跳ね返した。その名の通り、チョバムシールドのパーツ構成をそのままに切り取ったG-セルフのリフレクターパックに差替えた物で、ビーム系の射撃武装ならば反射できる代物だ。
「お前の事は割と聞いていたんだ...その手も使うってこともな」
サッチャーはニヤリと唇を歪ませた。一方のジョーカーはほう、と感心するような素振りを見せる。
「下調べは上々らしい。アイツらとは大違いだな、まぁそれくらいしてもらわないと嬲り殺しで終わるんだ。そいつは後味が悪いし助かるぜ」
「後味が何だろうが潰される前に潰すだけさね!」
突如、JOKERが光の檻の中に閉じ込められた。しかし、ジョーカーは不敵な笑みを絶やさなかった。光の線の間に膜が張られ、遂に虚数空間の中に閉じ込めることに成功した。ミッチェルは歓喜の声を上げ、ガッツポーズをした。
「あっははははー!この中に突っ込まれてしまえば、誰でも抜け出したいと思わなくなる!妄想に描いた世界の中で、底なし沼にはまれ!そして消え去った時には絶望に浸るのさ!!はははははは!!!」
JOKERに放置されたままとなったルミナクェーサーのレイは、光の正十二面体に閉じ込められたJOKERを見て目を丸くした。あれだけの力を持っているはずのJOKERが押されているなど俄に信じがたかったが、これで勝てるなら倒してくれたダイバーを知る必要がある。
「奴が押されている...?どうやって...!?」
ミッチェルはルミナクェーサーが動き出すのを一目見、誰の機体か見抜いた。
「あまりに有名な奴か...史上最短でAランク到達、おまけに美人だとね...レイとか言ったか、間違いない...俺の物にしてやりゃ、へへへ...楽しくなりそうじゃないの?」
何かを思いついたのか、ミッチェルは舌舐めずりをした。そして、ルミナクェーサーへ一気に接近した。
「なッ...!?来る!?」
予想外の展開にレイは反応が遅れ、ファントムグリーツの接近を許してしまう。ファントムグリーツの膝からグレイプニールを飛ばし、ルミナクェーサーが捕縛された。
「しまった...ううっ!?」
「良い声で鳴く女だな、レイとか言う奴!」
敵が自分の名前を知っている事に、レイは困惑した。レイからすれば、ミッチェルとは一度も会ったことが無ければ何処かで戦った記憶もないのだ。不気味さに鳥肌が立つ。ファントムグリーツの両肩サーベルラックが回転し、先端部から光の刃を伸ばしてルミナクェーサーの頭を動かせないように固定した。刀身が当たるか否かの絶妙な位置に寄せているせいで、ルミナクェーサーの視線を釘付けにしたような格好だ。
「後は顔をおがみ次第どうするか考えねえとなぁ...へへっ...んわっ!?いきなり送ってくるなぁ!?」
ミッチェルの目の前に突然ウィンドウが現れ、思わず肩が強張る。だがよく見るまでもなく、青い髪と年の割に出来上がっている顔立ちから本人の物だと理解した。
「何か面倒そうだから送っといたよ、これで満足?...それよりも先にあの世に送るけど」
「こんな状態で何が出来るって?」
「...舐めないほうがいいと思うけど?」
突如、ファントムグリーツの両足が吹き飛び腰がゆっくりと凍り始めた。ミッチェルは反射的にルミナクェーサーを押し退けて離脱を図るが、そのタイミングでアラートが鳴る。思わず振り返ると、結界を形成していたはずのユニットが全て壊され、何事も無かったかのようにJOKERがこちらを見据えていた。
「な、ん、だ、とぉおお....?ぐわぁっ!?」
瞬間移動と見紛うような速度でJOKERが膝蹴りを食らわせ、股間部に亀裂を作る。JOKERの膝装甲は鋭利な突起の形をしており、攻撃に転用できるようになっている。慄くミッチェルと涼し気な顔をするジョーカー。実力差は歴然としているのがはっきりと分かる。
「相手を調べている割には呆気ないな?...まぁもうその必要も無くなるさ。じゃあな」
JOKERがブレイヴエッジでファントムグリーツのコクピットを貫いた。ミッチェルの断末魔を聞く間もなくファントムグリーツは火球に飲まれ消滅した。その直後、青い光弾がJOKERの周囲に取り付き、次々と着弾した。
「こういう時に来るかよ」
ジョーカーは僅かに驚くが、既に対処は出来ていた。JOKERはファントムグリーツの結界に閉じ込められる直前からバリア・フィールドを展開していた。現在もフィールド展開時間の真っ只中であり、ホーミングするビームは無効化される。
「邪魔者が消えたから今度こそは...!!」
「片腕だけでどうしようって言うんだ?執念だけは素晴らしい」
ダイバーズから意識をサルベージさせた頃には日付が変わっていた。ゆっくりと目を開け、深呼吸をすると椅子から立ち上がった。
「お嬢様。お話がございます」
ドアの向こう側から声がしたので、史佳は少し待ってと言い背伸びをした。暫くして部屋を出ると、背広を着た男が深々と礼をした。史佳は軽く会釈をすると、そのまま居間へ向かう。無論背広の男もついて行く。
「森田さん...どうかしましたか?」
「お嬢様、そろそろ本邸へお戻りになったほうがよろしいかと。お父上もお母上も心配なさっておいでで、何度か電話を掛けられております。ご学友の方からも同様にお電話が来ています、これ以上はお辞めになったほうがお嬢様の為にもよろしいのではと」
背広の男、森田の声に心配の念がにじみ出ていた。史佳も流石に長居し過ぎているのではと自覚した頃だったので、ある意味ではちょうどよかった。史佳はくるりと振り返り森田に向き直った。
「それもそうね。ありがとう、森田さん。私の馬鹿な行動に付き合ってくれて」
「滅相もございません。直ちに車のご用意を致します。今しばらくお待ち下さい」
森田が外へ出ようと踵を返した。そこまで長くなるつもりは無かったが、新たに与えられた力を使いこなせる様に、習熟に専念しているうちに時間が経ちすぎていた。怜を救いたいとは言え、これでは間違いなく自身の進路に響く。これだけでも迷惑がかかるのは目に見えていた。
程なくして、史佳は森田の運転する車に乗り本邸への帰途に就く。先程まで使っていたのは謂わば別荘のようなものであり、基本的には長期休暇の時期にしか使うことが無い。だが今回は、史佳がダイバーズに集中する環境を用意するため独断で使用した。特に大きな問題は無いが、受験期目前となった今頃に行うことではない。
「お嬢様がゲームをなさるとは、初めての事のように思いますが...いつから始められたのです?」
「2年に上がる少し前には始めてました。ただ、友達から誘われたと言うより自分で始めましたけど」
「それならば、ご学友とも一緒に遊べますな」
「そうは行かないでしょうね。怜も美彩も奏さんも、私がゲームにのめり込むような人間じゃないと思ってるから...イメージを崩しづらいのよ」
カーナビが本邸に近づいた事を知らせ、森田はハンドルを切り車庫の中へ車を進ませた。
そして翌日。史佳は約一週間ぶりに登校した。普段なら一番乗りで教室に入るのだが、今日はホームルーム直前の時間に来た。
「おはよう、奏さん」
いつの間にか席替えが行われていたらしく、史佳の席は奏の前に移っていた。奏は携帯電話で音楽ゲームをしていたが、史佳の気配に気づきスリープボタンを押した。
「あ...史佳ちゃん!久しぶりだね、元気してた?」
「えぇ、まぁ...心配かけさせてごめんなさい。今日からちゃんと来るから。...怜と美彩は?」
「...あれ、美彩メール送ったって言ってなかったっけ...届いてない?あ、美彩は多分寝坊だよ」
「あの子時々やるわよね...ちょっとメール見てみるわ」
史佳はポケットから携帯電話を出し、メールソフトを起動した。少し遡ると、確かに美彩からメールが来ていた。
From:成田 美彩
先生から聞いたけど、怜多分後一週間くらい学校休むんだって 心配だよホントー。ふみかも怜に会いたいよね!?
怜が意識を現実に戻したのは、朝の10時を回った頃だった。疲労により体が重かったが、それはいつもの事のように感じた。怜が求めていた世界を壊され、現実を突きつけてきたJOKERには再び完膚なきまでに叩き潰された。怜の目には生気のある輝きはなく、ただ半分死んだような感じになっていた。
『お前に何が起きているのか知ったことじゃないが、お前を見ていると心底気分が悪くなる』
とどめを刺される直前にジョーカーが放った一言が怜の頭から離れなかった。
(私は...少しも幸せになれないって言うの...)
怜は力なくベッドに座り、壁にもたれかかった。
「そんな価値も、私には無いのかもね」