「ただいま」
3週間の出張を終えとにかく早い便で家路についた私は玄関のドアを開きながら帰宅を告げた。
愛する妻には連絡を入れていないので帰りが一日早いことを驚くだろうか。それでも何時もの優しい笑みで迎えてくれるはずだ。だが、妻の出迎えは無かった。出かけているのだろうか。
靴を確認しようと足元を見ると見慣れない靴が、どう見ても男物である。来客中だったかと静かに屋内へ歩を進める。
しかし、あの靴は一体誰のものだ父や義父でも来ているのだろうか。見慣れないのは若者向けの物だからだろう。父や義父はああいう靴を使っていただろうか、いや、最近若々しい恰好しているとも母から連絡があったような気がする。
そんなことをつらつらと考えながら居間を除くが誰もいない。妻の名を呼んでみたが返事は無い。
台所の影にいる訳でも内容だ。来客中であるにも関わらずお茶を出した様子もない。家に上げる客人お茶を出さない妻ではない。どうも様子がおかしいと思い始める。その時、女性の悲鳴のような艶やかな声が聞こえた。
「っ!?」
妻の声だ、聞き間違えることはない。愛しい女性のよく聞く明るく華やかな。今の声が妻のものだとすると一体どこから。それになぜ今あんな声をあげる。知らない男物の靴、妻の嬌声、嫌な感情を抑え込みながら声のした方へ足を進める。
寝室に近づくにつれはっきりと妻の声が聞こえる。妻はこの中にいて知らぬ男と情事に耽っている。私の帰宅に気づかぬ程に……
手が震える、左手を握り込みその薬指に光るリングに唇を落とし、意を決してドアノブを捻った。
妻が居た。寝ている男に背を向けるように跨り体を上下に激しく動かしていた。髪は乱れ、肌と肌がぶつかり合う音が生々しく聞こえる。だらしなく伸びた舌にそこから滴る唾液。上気し朱く染まった頬や肩口、体中に流れる汗にも気に止めず一心に体を動かす。
果たして妻は私との時もこのような顔をしていただろうか。潤んだ瞳と視線がぶつかると瞬間、妻は動きを止めた。次第に青ざめていく表情。今私はどんな顔をしているのか。
「どうした?」
妻の影で見えなかった男がこちらをのぞき込む。私を視認すると片方の口角を上げた。なんだこいつ気持ち悪いな。
男は軽薄そうな見た目をしていた。明るい黄色の髪、耳と唇にピアス。肩には入れ墨も見える。少し垂れ気味の目がいやらしい笑みを浮かべている。この状況で笑っていられるのも性格が捻じれている証拠だろう。
妻のこの世の終わりのような顔とは対照的だ。その絶望に打ちひしがれている表情も妻がしていると絵になるというのに、この男の笑顔で台無しだ。
さっきから思考が飛んでいる。この男の下卑た笑いで少し冷静になれそうだ。
「あな…た……」
妻がいつもと打って変わって、か細い声で私に声をかけようとする。
「ダンナさんですかぁ?奥さんイタダイちゃってま~っす。」
それを男がかぶせて声をかけてきた。なんだこいつ三週間ぶりに妻の生声で呼んでもらえるところを邪魔してくるとは。怒りを落ち着ける為に私は大きく息を吸う。
「……どうぞ、続けて」
ネクタイを緩めながら傍の椅子に腰かける。足を組みながら男を冷たくねめつける。一瞬ひるんだ男の顔から先ほどまでの笑みは消える。妻は一層、悲壮感漂う表情に変わり俯いてしまった。
「……っは、旦那は変態だな」
男は私の行動に苛立ちを覚えたのかそう言い放つと微動だにしない妻の腰を持ちそのまま下から突き上げた。意気消沈していた妻はそれに嬌声で反応した。慌てて口を手で塞ぐが男動きは加速していった。
「ひっ…、いっ、やぁ、…っ……っふ。見てっ、る、からぁっ。」
突き上げる毎に言葉が途切れる。先ほどまでの行為で高ぶっていたのだろう妻は私を見ないよう
に顔を逸らした。男は気に入らないのだろう上体を起こすと私に顔が見えるように妻の顔を強引にこちらへ向けた。
「みっ、…見なっ……いでぇ」
何時もの妻とは思えない弱弱しい声、汗で顔に張り付く髪といい懇願する潤んだ瞳も実に私としている時とは大違いだ。これが私がいるからなのか、男がそうさせているのか。前者であるなら背徳漢によって欲情を掻き立てられているのか。後者であるならこの男にいい様にされているという
ことだが、彼女の表情からはその両方が見て取れる気がした。
尚も続く男の動きは、私の目の前で妻を果てさせようとしているのだろう。そうすることで妻を自分のモノにしたという優越感に浸りたいのだと、ニヤついた男の顔から理解した。どうだ、お前には出来なかっただろうと言われているような。一瞬のにらみ合い、ついと妻の声に一層熱がこもる。男はそれを聞いて動きを速めた。
数度、肉の打ち合う音ののち妻は甲高い嬌声を放ち大きく仰け反った。男の上で痙攣のように体が跳ね、その後、前のめりに崩れ落ちた。妻は果てた余韻からか、肩を震わせ浅い呼吸を繰り返している。男も達しだろう。ベッドに体を預け、顔だけこちらに向けて私の様子伺っている。
私は笑みも怒りもせずそこで最初に座ったままの姿勢で変わらず妻を見ていた。何の反応も示さない私に男は放心しているのかと、妻を押しのけ向ってきた。
胸倉をつかまれ無理やり立たされると男は気味の悪い笑みの顔を寄せてきた。おいやめろ、私にその気持ちの悪い顔を近づけるんじゃあない。
「どんな気持ちだ?大事な女を他人に取られるってのは。」
どんな?そんなに聞きたいのか。
「……君は、妻を愛しているのか?」
男は私の言葉に呆けた顔をした。この男と妻の間に愛情があるなら私に別れ話をもってくるだろう。だが、この男は妻を自身の欲望のはけ口としか見ていない。こいつはきっと今までいろんな男から女性を奪って来たのだろう。でなければ、私を見て、動揺や悪びれるではなく"笑う"などとい
うことはできない。こんな奴相手にこちらが取り乱す必要はない。
「あ?」
出た言葉はそれだけだった。最初からこの男の態度が私に対する挑発行為でしかない。
「愛が無いなら今の行為に自慰以上の意味は無い。もっとも、下半身でしか物事捉えられない君に はそれで十分なんだろうが……」
この男は妻を取った気でいる。そこに関しては憤りを感じている。こんな奴に妻がと思う。
だが、先の行為を見て確信した。妻は被害者だ。この男は妻を脅している。でなければ証拠が残りそうな我が家でことに及ぶわけがない。当然、男は私に関係が露見しても問題ない。困るのは妻なのだ。全ての事後処理は妻がする、しなければならない。快楽に溺れ男の元に出向くか、それとも男に言われるがまま体を差し出し私には気づかれないように振る舞うか。どちらかを選ぶまで。
どちらにしても私には面白くない状況だ。これ以上妻にこの男のことで時間を割いてほしくはない。
「私が居ればその必要もなくなる。だから、君に要は無いんだ」
片方の眉を上げ、男の目を見ながら告げると男は右を握りしめ振りかぶった。
次の瞬間、床に突っ伏していたのは男の方だった。たまたま出した右手が男の顎を捕らえ、男はそのまま昏倒してしまったようだ。鼻で笑えるような挑発に乗ってくるとは。最初にこの男が笑ったのは優越感と最悪暴力に訴えれば良いと考えたからだろう。ジム通いでも身を守れるものだ。
少々蔑ろにしてしまった妻を見ると放心状態で倒れた男を見ていた。私と目が合うとその瞳から
雫が流れだす。箪笥からシャツを取ると彼女にそっとかけ、肩を抱いた。
どれほどの時間が経っただろう。泣きはらした顔で妻は男との関係をゆっくりと話し始めた。