BALDR SKY Another World /世界X+Ω 作:デスイーター
「この先に、バルドルが……」
甲達は合流した長官の先導に従い、ミッドスパイアの地下道を進んでいた。
表層の明るさとは全く異なる暗い地下道は無数のパイプが剥きだしになっており、照明もごく僅かで長い時間留まれば気が滅入りそうな空間だった。
一般市民が立ち入る事がない空間である為か、ミッドスパイア内部に広がる人口の清浄な空気も此処までは流れて来ない。
その代わりとでもいうかのように、鉄とオイルの香りが地下道を満たしていた。
「ああ、本来であれば管理者以外立ち入り禁止となっているが……今の実質的な管理者は、この私だ。君達は私のお付きという事にしてあるから、問題になる事はない。安心して進みたまえ」
長官は笑みを浮かべてそう言うと、それなりの年齢であるにも関わらず力強い歩みで地下道の奥へと進んでいる。
甲達も長官の後ろを付いて行き、暗い地下道を一歩一歩進んでいく。そんな中、長官がおもむろに口を開いた。
「……もしもの話だが、私がエイダの事を誤解したままであったなら……きっと私はAIを憎悪し、米内と同様の愚行に及んでいただろう。そうなれば、こうして君達と良い関係を築く事は出来なかったに違いあるまい」
長官はクリスを真っ直ぐに見据え、告げる。
「……六条クリスくん、改めて君に礼を言おう。君は、私が過ちを犯す可能性を事前に摘み取ってくれた……この恩は、一生忘れる事はないだろう」
長官はそう告げ、クリスに深々と頭を下げた。いきなりの事に、クリスは若干ながら動揺しつつ言葉を返す。
「……いいえ、前にも言いましたが私は大した事はしていません。長官は単に、桐島さんときちんと話す機会を持っていなかっただけです……私でなくとも何か切っ掛けがあれば、真実と向き合う事は出来ていたでしょう」
クリスの謙遜するような言葉に、長官はいや、と首を振った。
「それでも、私が君に大恩があるのは事実だ。聞けば、君は今は天涯孤独の身だと言うじゃないか。君さえ良ければ、私の養女にしても良い。決して悪い話ではないと思うのだが……」
長官の声色からは、本気でクリスの身を案じる思慮が伝わって来る。
大人からそんな配慮を受けた事が殆どないクリスは思わず面食らったが、僅かに躊躇いながらも首を横に振った。
「……残念ですが、今は彼の目的を達成させる為全力を尽くしていますのでそのお話をお受けする事は出来ません。そもそも彼の正妻の座を射止める事が出来れば、問題はありませんしね」
「……そうか。だが心変わりをしたならいつでも言って欲しい……私が君の事を心配する気持ちに、嘘はないつもりなのでね」
「ええ、格段のご配慮……ありがとうございました」
クリスの答えに長官は少々寂しそうだったが、それでも彼女の意志を尊重したのか苦笑を浮かべて見せた。
その光景を見ていた千夏は長官が自分の後見人になってくれた時の事を思い出したのか、懐かしそうな顔をしている。
「……ちょっと誤解されがちだけど、根はいい人なんだよ。甲も、その辺り分かって来ただろう?」
「……ああ。良い父親じゃないか」
「今じゃ、本当の父親のように思ってるよ。家族を亡くした私を引き取って、此処まで面倒を見てくれたのは長官だからね」
千夏の言葉には、長官に対する感謝と親愛の情が滲み出ていた。
聞けば灰色のクリスマス以降、天涯孤独の身となった千夏を引き取った後、親身になって面倒を見てくれていたらしい。
だからこそ、義体になった事も対AI対策班で長官の役に立てるなら、と少しでも前向きに考える事が出来たのだという。
甲としても、千夏が此処まで生き延びて来たのは紛れもなく長官のお陰なので感謝の念は尽きない。
「よし、見えたぞ。あのハッチの向こうが、バルドルのある場所だ」
そして、暫く進んだ先で長官が立ち止まり目の前のハッチを指さした。
甲達は大仰なハッチの向こうから伝わる威圧感に息を呑みながら、長官に連れられハッチを潜り抜けた。
「……これが……現実のバルドル、か……」
──そこには、あの映像で見たものと全く同じ天高く聳える漆黒の柱……バルドルシステムが鎮座していた。
仮想であっても常識外の大きさを持ったその鉄の柱が、こうして現実に存在する事に対しては、驚きを禁じ得ない。
直で見た迫力は、映像で見た時とは比較にならない。
此処は仮想ではない為、あの黒い球体の姿はないが……それでも、その神の如き威容には戦慄せざる負えなかった。
「見て! 真の実体はこっちだよっ!」
と、甲がバルドルの姿に圧倒されている最中に千夏が真の実体を見つけたらしく、そんな声をあげている。
慌てて甲が駆け寄ると、そこには操作席に寝かされた真の姿があった。
真は甲の記憶の中の幼い姿のまま、白いシーツをかけられて安らかに眠っている。
「真くんの実体の操作席との切り離しが完了した。これでもう、いつでも実体に戻れる筈だ」
長官が手早く切り離し操作をしてくれたらしく、真の寝かされていた操作席に点滅していた光が消えていた。
甲は脳内チップの内部に控えている真に確認すると、真の実体の神経接続子を自身の神経接続子と接続した。
「……う……」
──すると、甲の神経接続子を通って実体に移った真が、薄っすらと眼を開けた。
そして、パチパチと瞬きし、自身の身体をペタペタと触り……現実に戻った事を確信すると、眼に涙を浮かべて甲に抱き着いた。
「うぅ、あぁ、うわぁぁぁぁぁぁぁんっ! 先輩! 先輩……っ! 私、やっと、やっと現実に戻って来れたんです……っ! 何年も何年も現実に戻れなくて、でもこれでやっと戻れて……っ! 私、私ぃ……っ!」
「……うん、良かったね真ちゃん……俺も、嬉しいよ」
甲は嬉しさのあまり泣き喚く真を抱き締め、頭を撫ででいる。
流石のクリスも今の瞬間を邪魔する気はないようで、溜め息を吐いて経緯を見守っている。
真は今シーツをかけられただけの一糸纏わぬ姿であるワケだが、感情に任せて甲に抱き着いた所為でシーツがずり落ち白い肩が見え隠れしている。
暫く甲に抱き着いて泣いていた真だが、長官が気まずそうに後ろを向いているのを見て、ハッとなって甲から腕を離しクリスから服を受け取ると彼女の助けを借り、いそいそと着替え始めた。
「……まったく……」
クリスはそんな真の姿を見て、苦笑しつつ溜め息を吐いた。
彼女は真が何年も実体を保存されている事から、生命維持装置を兼ねたタイプの操作席に繋がれていると考え、予め着替え用の衣服を用意しておいたのだ。
そういったタイプの操作席は裸になって接続しなければならない為、見つけた時の真が服を着ていないだろう事を予測しての配慮である。
真は仮想で着ていたものと同じ薄桃色のワンピースと白いコートを身に纏うと立ち上がろうとしてふらつき、甲が慌てて真の身体を抱きかかえた。
「……もう、何年も実体を動かしていないんだから碌に動けないのは当然でしょうに。ちゃんと現実で動けるようになるには、それなりのリハビリが必要よ」
「……そうみたいですね。じゃあ甲先輩、おんぶして連れて行って貰えますか」
「分かった。いつまでもこんな所にいる必要はないし、行こうか……真ちゃん」
甲は真の身体を背負い、クリスからの物言いたげな視線を敢えて無視して何気なくバルドルを見上げた。
黒曜石を削り出したかのようなその柱の表面は滑らかな光沢があり、鈍い輝きを放っている。
思わずその輝きを凝視した、その瞬間……。
──オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!! ──
「……っ!?」
──バルドルの壁面に不気味な赤い瞳を幻視し、巨大な怪物の如き咆哮が甲の耳に響き渡った。
周囲の者達には聞こえていないようであった為、幻聴かと甲が溜め息を吐いた直後、けたたましい警戒警報が響き渡った。
『ミッドスパイア構造体内部に、敵性シュミクラム多数出現。所属はドミニオンと思われます。現在、敵性シュミクラムは構造体内部を進行中。繰り返します。ミッドスパイア構造体内部に、敵シュミクラム多数出現。所属は……』
機械音声が鳴り響き、一瞬にしてその場が殺伐とした空気に包まれる。
情報を集めていた長官は血相を変え、甲達に向けて叫んだ。
「聞いての通りだ……っ! ミッドスパイアの構造体内部に、突如夥しい数のドミニオンのシュミクラムが出現した! しかもどうやら、操作席が根こそぎ使用不能となっているらしい……現在は操作席なしで没入出来る者達に迎撃を任せているが、数が足りな過ぎる……っ! 申し訳ないが、君達も迎撃に加わって貰えないかね……っ!?」
長官の叫びは、懇願じみた響きがあった。
このミッドスパイアは、反AI派の牙城だけあって第二世代の数は非常に少ない。
操作席が使用不能となれば、出撃出来る戦力はごく僅かだろう。
ドミニオンの目的は分からないが、勝手を許せば碌な事にならないのは間違いがない。
「
「任せてくれたまえ。君達の実体は私が責任を持って、安全な場所に運んでおこう……っ!」
長官の返事を聞くや否や、甲達はミッドスパイア内部でも自由に没入出来るように用意していた携帯用操作席に接続し、仮想へと没入していった。
ミッドスパイア構造体に、シュミクラムに移行した状態で降り立った甲は、隣に現れた
しかしそこで脳内チップにも仮想の中にも真が来ていない事を確認し、疑問符を浮かべた。
そして次の瞬間、表情画面が開いて真の姿が映し出された。
『先輩! 何故か私だけ、没入出来ないんです……っ! いつも通り先輩の脳内チップの中に行く為には一度没入しなきゃならないので、サポートも出来ない状態です……っ!』
「なんだって……? 一体、なんでそんな事に……」
甲は真の報告を聞き、首を傾げた。
思えば、ドミニオンの襲撃が開始されたのは真の実体を取り戻した直後の事だ。
まさかとは思うが、真に没入されたままだと困るとでも言うつもりだろうか……?
接続者システムを利用する為真を没入させたままにするのであれば分かるが、真を操作席から引き剥がす時も何も妨害は見られなかった。
敵にとって、真は奪われてはならないキーパーソンではなかったのだろうか……?
『接続者システムは、最早無用の長物……否、彼の悪魔にとっては、今や目覚めを妨げる壁とも言うべき代物だったのだよ。よくぞ、真くんの実体を仮想から切り離してくれた……我らが神子に代わって礼を言おう、門倉甲くん』
「……っ! 貴様、グレゴリー神父……っ!」
そんな時、甲の耳に朗々とした声が響き渡り、背後にはグレゴリー神父が映った表情画面が展開された。
しかし
「テメェ、何処にいやがる……っ!?」
『今私は、我らが神子と共にバルドルの下へと向かっている。真実が知りたくば、私を追いかけて来るがいい……共に、悪魔の目覚めを見届けようではないか』
そう告げるなり神父からの通信は切れ、展開されていた表情画面も消滅した。
甲は拳を握り締め、クリスと千夏に向かって声を張り上げた。
「二人共、神父を追うぞっ! 何を考えてるのか知らねぇが、これ以上好き勝手させてたまるか……っ!」
『『
そして甲は、クリスと千夏を引き連れ構造体の奥へと疾駆した。その先に蠢く、巨大な怪物の姿を幻視しながら……。
真の実体はここで取り戻せましたが、真が一時的に戦線離脱しました。今回の戦いでは、真からのサポートは受けられません。