BALDR SKY Another World /世界X+Ω 作:デスイーター
「ここは……」
甲は目の前に広がる赤い大洋を見て、思わず息を呑んだ。
此処はアーク構造体最深部……アイリスバルブを抜けた先にある、アークの最重要機密……通称、
その日、甲は一人で来るようにと聖良に呼び出され、社長室で待っていた聖良は甲を見るなり自分に付いて来るよう指示し、この場所まで連れてきたのだ。
灰色に包まれた世界は甲達以外の生物の気配はなく、砂浜に響く波の音だけが甲の耳に聞こえて来る。
聖良は赤い海を背に甲に向き直ると、おもむろに口を開いた。
「甲さん。まず一つ聞きたいのだけれど、先日の一件……
聖良の問いに、甲は少し思案しつつ答える。
「彼女が話した内容、というと……別の世界のクリス云々、という話ですか……絵……正直、どれもこれも信じ難いのは確かですが……ただ、俺が見た限り……変わり果ててはいても彼女が六条クリスである事に間違いはないと、そんな気はするんです。別人と言い切るには、彼女はクリスに似過ぎているし……」
あの白髪のクリスは確かに精神性は見る影もなく変貌していたが、その容姿は勿論、情の深さやその背筋が寒くなるような行動力はクリスそのものとなんら変わりなかった。
人を人とも思えない彼女をクリスと同一視するのは抵抗があるが、完全にはその存在を拒みきれない自分がいるのも事実なのだ。
「……協議の場では言わなかったのだけれど……あの映像を解析した結果、彼女は貴方の良く知るクリスさんと同一のIDを持っている事が分かったの。ただ、電子体を解析しようとしたらスキャンプログラムにエラーが出たから、偽装されていないとは言い切れないのだけれど……」
「そうですか……しかし、別の世界のクリスがこの世界にやって来るとか、有り得るんですか……? 正直、SFか何かの話のように思えてしまうのですが……」
だが、それでも彼女が
幾らなんでも、そうなるとSFやオカルトの領域だ。
AIに近い存在である第二世代であるからこそ、そんな話を鵜呑みにするワケにはいかなかった。
「そうね……
しかし、聖良はその馬鹿げた話をあろう事か肯定する発言をした後、赤い海の向こう側を指さした。
甲が言われるがままにその先を見てみると、海面の下に薄っすらと何かの影のようなものが見える。
……生物の気配が存在しないこの
「今朝の事なのだけれど、
聖良はそう告げるなり甲の眼の前に一つの映像を投影して来た。
それは、長い髪の少女の姿をした立体的なシルエットだった。胎児のように身体を丸めた少女のシルエットが、甲の目に飛び込んで来る。
甲はその姿に既視感を覚え、それを察した聖良が話を続けた。
「……結論から言うわ。あの場所に沈んでいるモノからは、クリスさんと同じIDが検出されたの。つまり、
「な……っ!?」
──その、思いもかけない言葉に甲は思わず驚愕し眼を見開いた。
確かに、眼の前に映し出された少女のシルエットは、言われてみればクリスそのものだ。
……しかし、そうなるとドミニオンの神子に続いて
「恐らく、あれは普通の人間でいうところの
「ちょ、ちょっと待って下さい……っ!? いきなりそんな事を言われても、俺にはもう何がなんだか……」
甲は混乱のあまり聖良の話に割り込み、焦ったようにそう言い募った。
その様子に聖良はハッとなった様子で気まずげに溜め息を吐き、話を仕切り直した。
「……ごめんなさい、順を追って話すわ。まず、この場所がどういうものかについては道中で説明したわよね?」
「え、ええ……此処はAIの深層意識であり、仮想空間の果てで、あらゆる情報がこの場所にあると。正直スケールの大きな話で呑み込みきれてはいませんが、こんな所ですよね」
甲の話に聖良はこくりと頷き、口を開いた。
「そうよ。そして、付け加えるなら……この海の底は、この世界だけではなく……
「え……っ!?」
……
それではまるで、あの時
「あくまで
聖良は神妙な面持ちで、そう告げた。
「実際、仮想に深く繋がっている私の脳内チップには時折この
確かに、電子体のIDは偽装出来ない……別の世界のクリスであるという説明以外で、
そうなると、どれだけ馬鹿馬鹿しい結論であっても一考せざる負えないというのが正直な感想だった。
「それに、そうであるなら彼女が今まで預言じみた真似が出来た説明がつくのよ……この
聖良の発言に、甲は息を呑んだ。
「そんなっ、それが事実ならこの場所を利用すれば誰だって預言者になれてしまうじゃないですか……っ!?」
「──言った筈よ、甲さん。
聖良の言葉に、甲は思わず押し黙った。
あの場所で出会った神子の言動は、とてもではないが真っ当な精神の人間とは思えなかった。
情緒は常に不安定で眼はギラついており、漏れ出る感情は甲への狂気じみた愛情か自分の邪魔をする者への果てしない憎悪のみ。
躁鬱が激し過ぎて、とてもではないが自分の感情をコントロール出来ているようには見えなかった。
「あの少女があそこまで
聖良の言葉に、甲は最早頷くしかなかった。
流石の甲も、彼女がまともな精神を保ったままあんな凶行に至ったとは考え難いものがあった。
それならば、発狂してしまった結果あんな凶行に走ったと言われた方が幾分かマシだ。
それでも尚、
「恐らくあの海の中の六条クリスは、バルドルを制圧した
そして、と聖良は続けた。
「遠隔操作では再構築するまでが限界で、目覚めるには至っていないようだけれど……もしかしたら、
「……随分、電子体幽霊について詳しいんですね。そういえば、あの協議の時に電子体幽霊に関する技術を持っていた、とか言っていたような……」
訝し気な顔をする甲を見て、聖良は覚悟を決めた様子で甲の眼を真っ直ぐに見据え、口を開いた。
「……ええ、その通りよ。甲さんには、話してあげる……かつて私は、
「箱舟計画、ですか……?」
そんな壮大な名前を付けられた計画が存在などと、一度たりとも聞いた事はない。聖良はそんな甲の考えを察したのか、こくりと頷いた。
「ええ、甲さんの考えてる通りこの計画を表に出した事はないわ。あくまで秘密裏に、準備を進めていた計画だったの……とても、万人に受け入れられるような代物じゃないから」
「それは、一体……」
聖良の声色から何かを感じ取ったのか、甲の表情が硬くなる。聖良は若干躊躇いつつも、その計画の概要を口にした。
「──人間の、電子体幽霊化計画……実体を捨て、人を仮想という箱舟に乗せて来るべき終末を乗り越える為の計画よ」
「……っ!?」
──その言葉に、甲は絶句せざる負えなかった。
人間を、電子体幽霊にする計画……それはつまり、実体を死亡させて電子体のみが生存出来るようにするという、
甲は眼の前に立つ聖良をまじまじと見据え、聖良はそんな甲の視線を悲し気に受け止めた。
「勿論、私としても望まない人間にまで箱舟に乗る事を強要するつもりはなかったわ。あくまで自ら望んだ人間だけを箱舟に乗せ、真の
聖良は髪をかきあげ、物憂げな表情を見せる。
「私自身、現実に戻ったのは10年以上前だもの……現実への未練は、殆どなかったわ。甲さんに会えなくなるのは、寂しいかと思っていたのは確かだけれど」
「……でも、先日の話によればその計画は……」
甲の言葉に、聖良は再びこくりと頷いた。
「……ええ、頓挫したわ。灰色のクリスマスが起きた直後、何者かによって計画に必要な主要施設を破壊され、計画の資料も跡形もなく抹消された事によってね」
そこで聖良は一呼吸置き、告げた。
「──そして、その時破壊されたのは箱舟計画に関するデータだけじゃない……
「な……っ!?」
──それは、甲にとって青天の霹靂だった。
学園生時代、甲が出会った空と同じ姿をした
そのデータが破壊されていると知った時の衝撃は、箱舟計画について知った時よりも更に大きなものだった。
甲の記憶には、無邪気に笑うクゥの笑顔が焼き付いている。
あの空の分身というべき少女がもういない事を告げられ、甲は呆然となった。
「しかも、オリジナルのデータだけじゃなくその形状記録や行動パターンに至るまで、
聖良は溜め息を吐き、続けた。
「かつて私はクゥを元にしたNPCを量産しようと思い至った事があったのだけれど、それを思い留まったのは……甲さんに不快な思いをさせたくなかったのもあったけど、一番の理由は
「……っ!? そうか、あいつは確か……っ!?」
──余計な事は言わなくていいわ、神父。
あの時、神子は確かに
それは即ち、クゥのデータを破壊したのはあの
感情がコントロール出来ていなくても、目的を果たす為の計画は綿密に練り上げるのがクリスという少女の特性だ。
彼女にとってそれだけ、クゥの破壊は成し遂げなければならない事だったのだろう。
既知の存在を壊された事に甲は憤るが、同時にそこまで徹底的に自分の邪魔となるものを排除する神子の行動力に、薄ら寒いものを覚えた事も確かだった。
「私から話せる事はこのくらいかしら。甲さんにこの事を話したのは、私の罪を知って欲しかったのと……
聖良は、甲の反応を伺いつつ口を開く。
「……本当ならクリスさんにも説明するべきだったのだけれど、彼女を此処に連れて来てはあの海の中の存在が何らかの反応を示す可能性があった。
「……確かに……あれがクリスなら、憎い相手に文句を言う為に自力で目覚めるくらいはやりそうですね」
クリスという少女は情深く、恨みも恩も忘れない性格をしている。
あれだけ憎悪しているクリスが近くに来てしまえば、感情任せに目を覚ます可能性も0ではない。
そのようなリスクは、流石に犯せなかった。
「……話はこれでおしまい。私の告白を聞いてくれて、ありがとう……これから何があろうと、私は貴方の味方のつもりよ……それだけは、忘れないで頂戴」
「はい、俺も叔母さんを信じています。俺にとっては、もう一人の母さんのようなものですから」
「………………そう」
甲の言葉が思いがけないものだったのか、聖良は珍しい事に眼を丸くして驚いている様子だった。
それを見た甲は今更ながら気恥ずかしくなり、思わず聖良から眼を背けた。
聖良は暫く小声で何かをぶつぶつと呟いていたが、やがてハッとなって甲に向き直った。
「……とにかく、此処で聞いた話を誰にどう話すかは甲さんに任せます。何か新しい情報が入り次第連絡しますから、甲さんは英気を養っていて下さい」
「はい、叔母さん。ありがとうございます」
そしてその会話を最後に、二人は
赤い大洋の中に沈む少女は未だ沈黙を保ったまま、その身を赤い海水の中に漂わせ、目覚めの時を待ち続けていた……。