BALDR SKY Another World /世界X+Ω 作:デスイーター
「あれが、今のミッドスパイアの構造体か……」
甲は眼の前に広がる隔壁を見据え、溜め息を吐いた。
目の前に聳え断つ無機質な隔壁からは、その向こう側がどうなっているか伺い知る事は出来ない。
周囲には部隊ごと布陣した甲達以外はシュミクラムはおろか、ウイルスの姿すら確認出来ず、嫌になる程の沈黙に包まれている。
現在、甲達はミッドスパイア構造体内部を占拠しているドミニオンを襲撃すべく、こうしてミッドスパイア構造体の前までやって来ていた。
現在時刻は
だというのにこうして此処に布陣しているのは、クリスの発言が切っ掛けだった。
──神子による宣戦布告の後、社長室は暫く沈黙に包まれていた。
誰もが
1日後にあれが此処を襲撃するなど、悪夢そのものだ。
出来る事なら回避したいが、回避する条件は甲を引き渡し、
前者だけなら甲が犠牲になればそれで済むが、後者を容認するワケにはいかない。
甲のそんな考えを察したのか、聖良がゆっくりと口を開いた。
「甲さん……始めに言っておくのだけれど、私達の誰も貴方を差し出して事態の解決を図ろうとは思っていないわ。だから、短慮な自己犠牲だけは止めて頂戴ね」
「……ああ、そんな事を容認してしまえば、末代までの恥だ。対AI対策班の長官としても、そんな恥ずべき真似に手を染める気は微塵もない」
長官の発言に、永二も力強く頷いた。
「おう、誰が息子をあんなサイコ女の所になんかやれるかよ。元はクリス嬢ちゃんと同じであったとしても、今のありゃあ別物だ……俺が認めたのは
聖良に続くように勲と永二がそう告げ、永二は甲を安心させるように肩に手を置いた。
周囲を見れば誰もがその意見を肯定するように頷いており、皆の気持ちを感じ取った甲は暖かな気持ちに包まれた。
こんなにも、自分の味方になってくれる人達がいる……それは、レヴィアタンの脅威をその身で感じ取っていた甲の恐れを和らげてくれていた。
「そうね。あんな奴に、みすみす貴方を渡すワケがないじゃない……可哀そう、と思うのは大間違いよ。あいつは、
クリスは吐き捨てるように、そう告げた。
「収支の帳尻を合わせる事が出来なかった癖に貴方に手を伸ばそうなんて、
クリスは殺意を瞳に滲ませ、吐き捨てるようにそう告げた。
クリスは自分の目的の為なら倫理や常識を蹴飛ばす面を持っているが、それでも
要は結果を求める過程で何を犠牲にしてもいいが、結果だけは必ず出す事でその犠牲に報いる、という考え方だ。
そんなクリスの価値観からして、失ったものを嘆き後悔していても、その事を一切反省せず欲しいものに手を伸ばそうとする神子は相当に許し難い存在なのだろう。
言葉の端々から、神子に対する凄まじい侮蔑と敵意が垣間見える。
神子とクリスは、お互いを致命的なまでに嫌悪し憎悪している。
神子は甲の愛を勝ち得たクリスを憎み、クリスは一切の罪の清算をしないまま甲を求める
二人が顔を会わせれば、殺し合うしかないのは自明の理だ。
「だからこそ、私はこう提案するわ──今すぐ、ミッドスパイア構造体に攻め込むべきよ」
──クリスが放った言葉は、その場の空気を硬直させた。
一瞬の沈黙の後、おずおずと永二がクリスに問いかける。
「……嬢ちゃん、一応理由を教えて貰えるかい?」
「感情的な理由もあるけれど、一番の理由は
「……メリット……?」
クリスの言葉を甲は思わず復唱し、彼女はこくりと頷いた。
「ええ、あの女と私達は別に正式な停戦条約を結んだワケでもない……あの通告は、
クリスは一呼吸置き、続ける」
「──間違いなく、あの女は期限を破って襲撃をかけて来るわ。だって、
……それは、ある意味これ以上ない説得力を持つ言葉だった。
変わり果てたとはいえ、神子は元々クリスと同じ人間だったのだ。
狂気に染まっていたとしても、根本の性質までは容易には変わらない……だからこそ、彼女の言葉には真実味があったのだ。
「そうすれば、律義に期限を待つ相手に
だから、とクリスは告げる。
「時間を浪費すればする程、相手に襲撃準備を整えさせる事になる。
「……確かにな。聖良さん、どう思う?」
永二はクリスの言に一理あると判断し、この場のトップである聖良に指示を仰いだ。
聖良は暫く考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「……いいでしょう。では、最低限の防衛線力を残しミッドスパイア構造体へ襲撃を仕掛けます。勲さんも、それでいいかしら?」
「ああ、構わない。私も部下を連れ、出撃する。これ以上、あの都市を連中の好きにさせるワケにはいかないからな」
勲は部隊を動かす為、聖良と簡単な打ち合わせを行った後アーク構造体を後にした。
永二もそれに続くようにして部下の下へ向かい、甲達もまた同じように出撃準備を整えアーク構造体から戦場へと向かったのだった。
こうして、ミッドスパイア構造体の前にはフェンリルと対AI対策班の部隊が並び、それに混ざるように甲達もシュミクラムに移行した状態で布陣していた。
現在レインを中心としたサポート班が隔壁のロックを解除している最中であり、ロックが解除され次第内部へ突入する手筈になっている。
内部の様子は外からでは分からないが、中へ足を踏み入れた瞬間ドミニオンと戦闘になる可能性が高い。
ミッドスパイア構造体は現在、ドミニオンの支配下に置かれている。
ならば当然、中に入った瞬間甲達の事はすぐさま敵に伝わるだろう。
今は
突入に際し、万全の注意を図る必要があった。
『甲、緊張してるか』
そんな折、不意に甲の隣にニーズヘッグ……永二の機体が現れ、
甲は自分に笑いかける永二を見て、溜め息を吐いた。
「あのな、俺だって傭兵として経験は積んでるんだ。今更緊張なんかするワケない、と言いたい所だけどな……正直、またあの怪物と鉢合わせになると思うと心穏やかでいられないのは確かだよ。叔母さんの推測が、当たってくれていればいいんだけど」
そう告げる甲の脳裏に、聖良から告げられた
ミッドスパイア構造体に突入するという事は、再びあの
レヴィアタンは近付くだけで致死の過負荷によって機体が爆散し、遠距離攻撃も周囲に渦巻く過負荷のフィールドによって本体に届かず一切攻撃を通す事が出来ない化け物だ。
攻撃が通じない以上逃げる他道はなく、逃げ回るだけではレヴィアタンの負荷の影響を受けない無数のパプティゼインによってやられるのを待つだけだ。
だが、聖良は無数のデータを表示しつつ
──レヴィアタンは、ドミニオンの神子によって完全に
──レヴィアタンは
確かに甲達はあの時、レヴィアタンが神子の命令に従うように
そして、その後甲達を追いかけて来た時もまるでこちらを嬲るように付かず離れずの距離を追撃して来ており、その行動には神子の明確な意志が感じ取れた。
つまり、あのレヴィアタンは神子の命令通りに動くウイルスのような存在であり、命令がない限り動く事はないだろう、というものだ。
甲としてはあんな怪物が完全な制御下にあるというのは信じ難い話だったが、他に解決策があるワケもなく、作戦目標は
幸い、短時間であればレヴィアタンからの負荷を軽減する為の補助演算装置を組み込んだサポート用の機体を無数に展開させている。
気休めではあるが、これでレヴィアタンの近くで戦っただけで過負荷で爆散する、という事態は防げる筈だった。
無論、不安要素はある。あの時甲達は逃げるばかりで、レヴィアタンの
神父を殺した時に龍の咢を思わせる触腕による攻撃が行える事は分かっているが、他は精々無数の光弾の雨を降らせる能力がある事が分かっているくらいで、どれだけの攻撃手段を搭載しているかの情報が一切ないのだ。
敵の射程距離も攻撃威力も分からない以上、危険は常に付き纏う。
それでもやるしかないのが、現状ではあるのだが。
『ま、不安要素があるのは戦場じゃいつもの事だ。出たとこ勝負で行くしかあるめぇよ』
「全く……それでも部隊の長かよ、親父」
『悲観的に考えて、何も出来ない奴よりはマシさ。ま、いざとなったら俺がどうにかしてやる。だから安心しな、甲』
にこやかに笑う永二の表情はとても頼もしく、甲は思わず顔が綻んだ。
かつては確執もあった父親だが、今となっては掛け替えのない肉親である事に違いはない。
これが終わったら何か親孝行でもするかな、と甲は約体もない事を考えていた。
『隔壁、ロック解除に成功しました!』
『よし……っ! 総員、突入! ドミニオンの機体は見つけ次第、排除しろ……っ!』
『『
レインの報告を受け、永二が号令をかけてフェンリルの部隊が構造体内部に突入する。
対AI対策班の部隊もそれに続き、甲達もそれに倣って突入する。
甲達が突入したミッドスパイア構造体は不気味な程の静寂に静まり返り、見慣れた金属質の通路が甲達を出迎え……。
『──ふふ、ようこそ……
「……っ!?」
──次の瞬間、何処からともなく聞こえてきた
金属質の壁はドクドクと脈打つ生物的な肉壁に変貌し、床面の至る所には緑色の粘液で出来た沼がブクブクと泡立ち、沼の底からは無数の白い腕が見え隠れしている。
壁や床からは生物の骨を思わせるオブジェクトが無造作に乱立しており、まるで巨大な生物の体内にいるかのような錯覚を覚えさせた。
目の前の光景はまさに、視覚化された
『予想よりは、少し早かったくらいね。待ちくたびれる必要がなかったのは幸いだわ』
そんな声と共に広間の奥の床面が波打ち、その中から漆黒のグリムバフォメットが浮上した。
同時に表情画面が展開され、笑みを浮かべる神子の姿が映し出される。
「
『嗚呼、名前を呼んでくれて嬉しいわ……っ! 待っていて、甲……邪魔なモノ達は、すぐに消し去ってあげるから……っ!』
神子は表情画面の中で凄絶な笑みを浮かべ、次の瞬間には通信越しにレインの悲痛な声が響き渡った。
『……っ!? 隔壁、封鎖されました……っ!? 解除コードも書き換わっています……っ!』
「な……っ!?」
それは文字通り、閉じ込められたという事だ。
背景が急に変わった事といい、すぐにそんな真似が出来る事と言い、それは
『そんなに驚く事かしら? 業腹だけど、そいつも六条クリスだもの……なのにどうして、
『……っ!?』
──その言葉に、クリスはハッとなって神子の機体を睨みつけた。
それを見て神子はニヤリと笑い、口元に嘲りの表情を浮かべた。
『じゃあ、お前は……っ!?』
『ええ、そうよ。貴方なら、私の考えるであろう思考をある程度
……甘かったと、言わざる負えない。
クリスと
ならば、クリスが神子の思考を追跡出来るように、神子もまた、クリスの思考を追跡する事が出来たのだ。
神子はそれを利用し、罠を張った……これは、ただそれだけの話だったのだ。
『約束の期限を守る気は、元々なかったわ……だって、
神子は文字通り塵か何かを見る目で並び立つシュミクラムの部隊を睥睨しつつ、口元に笑みを浮かべた。
真実、彼女にとって甲以外の人間は
彼女が人間として認めているのは、甲ただ一人だけだ。
他の人間は見る必要すらないと、彼女は本気で考えてしまっている。
最早、根底となる価値観が人とは違ってしまっているのだ。
『そもそも、ある程度レヴィアタンの特性を解析した程度で、本当にレヴィアタンをどうこう出来ると思っていたのかしら? レヴィアタンは、いわば
だから、と神子は告げる。
『
──オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン──
──瞬間、おぞましい
負荷で歪んだその直下からは滲み出るように無数のパプティゼインが床から這い出して来ている。
その数は3機どころではなく……見た限りで、
「……嘘だろ、オイ……」
あまりの光景に、甲は絶句する他なかった。
1機だけでも充分厄介な能力を持つパプティゼインが、
そして、すぐさま離脱する事は事実上不可能……奇襲をかけたつもりが、まんまと敵の術中に嵌ってしまった形になる。
してやられたクリスは悔しそうに唇を噛み、目の前の神父の軍勢とレヴィアタンを睨みつけている。
『さあ、掃除の時間よ。甲の周りに積もった
甲達は絶望の光景を前にどうする事も出来ず、ただ武器を構え立ち尽くしていた……。
虎穴だと思ったら中身はブラックホールだった、これはそんな話です。