BALDR SKY Another World /世界X+Ω 作:デスイーター
「先生……」
甲は信じられない、といった面持ちで眼の前に立つ久利原を見つめていた。
甲の眼の前でレヴィアタンに取り込まれている所を確認している為、いるであろう事は予想していた。
だがいざ眼の前に現れれば、甲自身中々その光景を受け入れる事は出来なかった。
あの灰色のクリスマスの日に決別し、真実を知る為に追いかけ、そして彼自身もまた被害者であると知った今となっては、甲が久利原に抱く想いは複雑だった。
全ての元凶であるアセンブラを彼が開発し、神父に乗っ取られたとはいえ……それを流出させ、灰色のクリスマスを引き起こした事は事実である。
同時に、元凶は彼に憑り付いた
「貴方が、久利原直樹ですね? 私は、六条クリス。グレゴリー神父の孫娘ですが、今は彼のパートナーをしています」
「……君の事は、神父の中から見ていたから知っている。神父に乗っ取られてからも、私の意識は続いていた」
久利原はふぅ、と息を吐いた。
「……神父が成す悪行を見るのは辛かったが、私自身の業でもある以上眼を背けるワケにはいかないと思ったからだ。今まで、よく甲君を支えてくれた。礼を言う」
久利原はそう告げるとクリスに近付き、深々と頭を下げた。
しかしそんな久利原を見るクリスの眼は冷たく、何処か蔑んでいるようにも見えた。
「……そうですか……なら、私が言いたい事は分かっていますね?」
「……ああ……やってくれ」
クリスの言葉を聞いた久利原は神妙な面持ちで彼女の前に立ち、しっかりと彼女を見つめた。
それを確認したクリスは拳を握り締め、甲が止める間もなく行動を起こした。
「……では……歯を食い縛りなさい……っ!」
「ぐふ……っ!!」
「な……っ!?」
──クリスは思い切り拳を振り被ると、久利原の顔面を容赦なく殴打しした。
被造子の筋力で殴られた久利原は宙を浮き、その勢いのまま床に倒れ込んだ。
突然行われたクリスの凶行に甲と真は唖然となり、慌てて倒れた久利原に駆け寄った。
「せ、先生……っ!? 大丈夫ですかっ!? く、クリスも一体何をやってるんだ……っ!?」
「──何を? ですって……? 忘れたのかしら? お爺様の浸蝕があったとはいえ、元はと言えばその男が不用意にバルドルに接続した事が全ての悲劇のトリガーだったのよ? しかも、やがて来る破滅を予測しながらも研究を続けた事は覆しようのない事実よ」
だから、とクリスは続けた。
「情状酌量の余地はあるとはいえ、
クリスは甲の訴えをそう言って跳ねのけ、倒れ伏す久利原を見据えた。
久利原はいきなり自分を殴り飛ばしたクリスを責める事もなく、穏やかに語り掛けた。
「……そうだ……私が邪悪なる意志に支配されていたのは確かだが、その破滅の種は私が自ら手を出したものだ。故に、どれだけの言葉を重ねようと、私が咎人である事に変わりはない。あの惨劇を引き起こしたのは結局の所、私が作り出したアセンブラなのだからね」
それに、と、久利原は続ける。
「どれだけの大義を述べようが……かつての私に、功名心が全くなかったとは言い切れない」
だから、と彼は告げる。
「私一人で研究を完成させようとせず、基礎研究を終えた後に残りの研究を後任に任せていれば……もしかすると、あの悲劇は防げていたかもしれない。私も所詮は、他の俗物と同じ欲に塗れた人間である事に変わりはないのだよ」
「そんな、事は……」
……ない、とは言えなかった。
久利原は結果的に見れば、神父に身体を乗っ取られた被害者だ。
だが同時に、彼の研究が破滅の引き金となった事も紛れもなく事実なのである。
久利原はそれを、正しく認識している。
だからこそ、彼は言い訳をしようとはしていないのだ。
彼は自分の罪を認めた上で、此処に立っている。それがどれだけの覚悟かは、もう察する他ない。
「……それが分かっていれば充分ね。少なくとも、自分の罪を認めようとしないあの
故にクリスはそれを分かった上で、けじめを付ける為に敢えて久利原を殴ったのだ。
要はクリスは、甲や真が久利原に少なからず抱いているわだかまりを今の一撃で払拭しろと言っているのだ。
乱暴ではあるが、結局の所クリスも甲達が遠慮なく久利原と話す事が出来るよう自ら憎まれ役になるような真似をしたに過ぎない。
それを理解し、甲はクリスに笑いかけた。
「……ああ、そうだな。嫌な役目を押し付けて済まないな、クリス」
「それが私の役目だもの。前から言っているでしょう? 汚れ仕事は任せなさいって。真も、いいわね?」
「……はい。先生には、こうして叱ってくれる人が必要だったんですね。本当なら、それは私がやるべき事だったのに……ありがとうございます、クリスさん。なんだか、スッキリした気分です」
真はぺこりとクリスに頭を下げ、突然恋敵に頭を下げられたクリスはどう反応していいか困っている様子だった。
その様子を見て甲は微笑ましくなり、思わず笑みが零れた。
「……気を遣わせてしまったようだね。改めて礼を言うよ、クリス君」
久利原は甲の助けを借りて立ち上がり、改めてクリスに礼を告げた。
クリスが久利原に向ける視線の温度は若干だが柔らかくなっており、クリスは素っ気なくその礼に応じた。
「別にいいわよ。私は、甲の恋人ですもの……自分の男の心のケアくらい、出来て当たり前でしょう?」
「クリスさん、正妻は私である事をお忘れなく」
「はは、前々からモテるとは思っていたが……二股とは、剛毅だね。しかもそれを全員が許容している辺り、君の懐の深さが伺えるな」
二人のやり取りを見た久利原は、何処かからかうような調子でそう語った。
甲は恩師に自分の普通とは言えない女性関係を知られ、少々バツが悪くなって頭をかいた。
二人の女性と同時に恋人関係にあるという今の状態が、一般的ではないという自覚はある。
普通なら後ろ指差されてもおかしくない状態でありながら、甲の父親である永二や真の実質的な保護者である聖良はそんな甲達の事を寛容に受け止めているのが救いではある。
そしてどうやら、久利原も今の甲達の関係をどうこう言うつもりはないらしい。
その優しさは、甲が知る久利原そのものだった。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか。まず、貴方は今の状況を何処まで理解しているかしら?」
「概ね理解している。レヴィアタンに取り込まれてから、外の情報を知るべく密かにバックドアを作成し外の映像は垣間見ていたからね」
ちなみに、と久利原は続けた。
「現在、レヴィアタンは活動を休止している。君達が引き起こしたバグを修復する為、一時的に起動を停止させているのだろう。恐らく、3時間程で修復作業を終えて、レヴィアタンは活動を再開する事になるだろうな」
「……3時間……それが、タイムリミットか……」
3時間というタイムリミットが、短いと感じるか長いと感じるかは微妙な所だ。
少なくとも、時間を浪費する暇はない事は理解出来た。
クリスと真もそのタイムリミットを聞き、何事か思案するように押し黙った。
「それで、先生……先生は、此処から出る手段に心当たりはありますか……?」
「……残念ながら、私の独力で此処からの脱出方法を用意する事は出来ない。この場所は簡単に言えば、無意識の海の一部を区切ってレヴィアタンという
つまり、と久利原は続ける。
「君達はレヴィアタンという一方通行の
久利原の説明に、甲は押し黙った。
つまり、自分達はレヴィアタンによって強制的にこの場所に転送させられた上、最初から物理的な出口が存在しない為に脱出する手段はないという事だ。
「ですが、あの白髪のクリスさんはこのレヴィアタンから出て来ましたよ? なら、出口は何処かにあるんじゃ……」
「……それは違う。彼女は此処から
恐らく、と注釈してから久利原は続けた。
「外に出ている彼女は、レヴィアタンの
「それは、どういう……」
甲が久利原の話に疑問符を浮かべると、久利原はその場で端末を操作し空中にレヴィアタンの
そして、何処からともなくノイズ交じりの声が聞こえて来る。
『……寂しい……暗い……此処は何処……? 誰か、いないの……?』
その音声を聞き、甲は息を呑んだ。
「これは……あの時解析した、レヴィアタンの咆哮か……?」
……その声に、甲は聞き覚えがあった。
これは以前、聖良が音声解析ユニットで解析したレヴィアタンの咆哮だ。
無数の少女の声が、孤独を癒す他者をひたすらに求めている。聴いているだけで、心が痛む声だった。
「確かに、これはレヴィアタンの咆哮を解析したものだ。しかし、これは単に大勢の少女達の声で
すると久利原は何かを操作し、それによって聞こえる音声が切り替わった。
『──嗚呼、甲……何処にいるの……? 早く、早く私と一つになりましょう……っ!』
「……っ!? これ、は……っ!?」
──それは、紛れもなくあの
その声からはどす黒い狂気と悍ましい執着を感じ取る事が出来、同時に懇願するような必死さも感じ取れる。
「これは、一体……」
呆然とする甲に対し、久利原は厳しい顔つきで語り掛ける。
「あの少女が
どうやら、と久利原は続けた。
「
要するに、と久利原は告げる。
「彼女は自分の半身を、人体実験にかけたんだ。レヴィアタンはもう一人の彼女であり、彼女の狂気の象徴でもある。だからこそ、彼女にレヴィアタンの制御が可能なんだよ」
「……自分の一部を、人体実験に……」
甲は久利原の話を聞き、神子の凶行を知り戦慄した。
彼女があそこまで壊れているのは、自分の無意識を怪物に変えた事も関わっている筈だ。
つまり彼女は自分で自分の脳を切り開き、あろう事かそれに不可逆の改造を加えてしまったのだ。
自分で自分の身体を滅茶苦茶にするその所業は、正気ではまず行えない。
彼女はもうどうしようもない程に、
「無論、一人分の無意識を肥大化させた所で得られる力は知れている。だからこそ、彼女は無意識の海から大量の死者の情報をサルベージし、仮想で集めた孤独感を集積させたデータと死者の生者を求める未練を融合させ、それを自身の無意識に統括させる事でかつてのリヴァイアサンの再現を試みる事を考えたのだ」
しかし、と久利原は付け加える。
「知っての通り、昔と今とではAIの処理能力の規模が違う。リヴァイアサンはその巨大容量を以て
だが、と彼は表情を歪めた。
「……そこで彼女は、自己増殖能力を持つアセンブラの構造式を移植する事を考え付いてしまったのだ」
久利原の言葉には、言い知れない悔しさが垣間見える。
自分の研究成果を、このような化け物を生み出す事に使われたとあっては、心穏やかではいられないのだろう。
身体を乗っ取られ、自分の知識を良い様に使われたとあっては猶更だ。
「彼女はまずレヴィアタンのプロトタイプとしてタラスクを作成し、
そして、と久利原は険しい顔をする。
「その種子をノインツェーンの分身、トランキライザーに埋め込み、トランキライザーをレヴィアタンの
久利原の顔には、言い知れない嫌悪感が滲み出ている。
死者を冒涜するような神子の行いは、久利原からしてみてもおぞましいものに映るに違いない。
「そうして集めた死者達の未練を少女達から集積した孤独感と融合させ、それを自身の無意識に統御させる事で、彼女はレヴィアタンを完成させたのだ」
それに、と久利原は続けた。
「アセンブラの核である指揮者は、元々は接続者システムから生み出されたものだからね。トランキライザーのAI抑圧能力を用いれば、充分指揮者の代わりを果たす事が出来るのだよ」
久利原の説明を聞き、甲はなんとか話を理解しようと聞き返す。色んな情報が一気に入ってきた為、理解が追い付ききれていないのだ。
「要するに、今の神子自身が指揮者の人格に相当するものだから制御出来ている、という事ですか?」
「そうだ。指揮者は一種の疑似知性だが、彼女は自分の無意識を指揮者の制御人格に変質させ、レヴィアタン全体を統御しているのだ」
つまり、と久利原は告げる。
「レヴィアタンはいわば、膨大な数のナノマシンの集合体をトランキライザーという
久利原は腕を組み、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「レヴィアタンは、仮想に再現されたアセンブラそのもの……つまり、
久利原はそこまで言うと、じっと甲を見つめて来た。甲は久利原の視線に何処か懐かしいものを覚え、久利原が口を開くのを待った。
「
そして、と久利原は告げる。
「神父に知られないようにする為、私自身や君の記憶からも削除されているだろうが、
「俺が、先生に……?」
甲は久利原の言葉に既視感を感じ、同時に記憶の底からかつて聞いた久利原の言葉が想起される。
──この件に関しては、忘却こそが一番の方法なのだ──
──もし万が一の時は、必ず誰かが、君の記憶を取り戻させてくれるだろう──
──
「……っ!? 今の、は……」
甲は突然の白昼夢のような光景に、目を見開いた。
その様子を見た久利原は、何処かほっとしたような表情を浮かべた
「……どうやら、私はきちんと君に鍵を託す事が出来たらしい。真君が此処にいる事も、望外の幸運だ。後は君が
久利原はそう告げると甲の肩に手を置き、穏やかな声で告げた。
「絶望の記憶の中にこそ、希望は潜んでいるものだ。甲君、全ての起点と向き合うのだ。辛いだろうが、それは君にしか出来ない事なのだから」
「俺、は……」
甲は久利原の言葉の意味を察しながらも、それを理解する事を頭が拒んでいた。
全ての起点とは、つまり今の甲の原点────────それは即ち、甲にとって
それと向き合うには、甲としても多大な覚悟が必要だった。
故に、甲にとって最大の
──不意に、甲の手を、小さな手が掴み取った。
「真ちゃん……?」
甲は自分の手を掴む少女、真の顔を見上げ呆けた声をあげた。
真は今までにない厳しい表情で、甲の顔を見下ろしている。
「……先輩、先輩が何を躊躇っているかは……分かりました。一人であの光景を見るのは、とっても辛いですよね。ですから、
「……っ!? 真ちゃん、まさか……っ!?」
甲は真が何をしようとしているかを察し、咄嗟に制止しようとする。
しかし真は既に覚悟を決めており、甲の制止を聞き入れる筈はなかった。
「──大丈夫です、先輩。私と一緒に、あの悪夢と向き合いましょう」
「……っ!?」
──そして、意識の奔流が甲の意識を遮断し、二人は記憶の海に沈んで行った。
久利原は確かに最終的にはアセンブラを正常化させる事が出来たけど、やがて訪れる破滅を知りながらアセンブラの研究を続けた事は事実なので、一度それを追求した方がいいのではないかと思ってクリスにやって貰いました。
真ちゃんに諭された時の感じからしても、無意識の功名心なんかはあったと思いますし。