BALDR SKY Another World /世界X+Ω 作:デスイーター
──そして甲は、かつての地獄を見た。
甲の心に残る最大の
甲はこの日、己が愛した少女を永遠に失ったのだ。
──うああ、あ、あああっ……ああああぁああ……! ──
画面越しに空が、自分の恋人が溶けて行く。
ナノマシンに食われ、ドロドロに溶解していく彼女を見て甲は絶望の嗚咽を漏らしている。
甲は涙を流しながら、変わり果てていく恋人の姿を目にして呆然としていた。
拭い難い悪夢の光景に眼を背けそうになるが、ふと自分の腕に柔らかな感触が触れる。
姿は見えないが、その感触と気配から隣に真がいてくれる事が分かった。
《大丈夫、大丈夫ですよ……私が、一緒にいますから……》
真は甲の掌を自分の手で優しく包み込み、悪夢から眼を背けようとする甲を支えてくれている。
甲は真の想いを汲み取り、なんとか眼の前で繰り広げられる悪夢の光景に目を向けた。
──甲が泣いてくれている──
ふと、甲の脳裏に空の想いが流れ込んで来た。
これは、記憶の中の甲には聞こえていない声だ。
恐らく真の記憶を追体験した事で、真の電脳症が作用して空の想いが流れ込んで来たのだろう。
空は死を受け入れ鈍磨した意識の中で、溶けていく自分の姿に絶叫する甲を虚ろな思考で見つめていた。
──先生、先生が言ってたのって……この事なの……? ──
空の脳裏には、久利原の姿が浮かんでいる。
それは甲の知らない、空と先生だけの約束の言葉……。
──もし、私が道を違えることがあれば、甲君に伝えて欲しい言葉がある──
──私と君が交わした、『消去された約束』を思い出せ、と。それは必ず、AIが記憶しているはずだから──
空はそんな久利原の言葉を思い出し、ナノマシンに身体を蝕まれながらも必死に声を出そうとしていた。
──甲に伝えないと。この言葉を伝えないと──
だが、アセンブラによって溶かされつつある空の身体は言う事を聞いてくれない。
もう、空には言葉が発せない。無念に思う間もなく、思考がナノマシンに食い尽くされ……。
──
──しかし、それでも空は諦めてはいなかった。
脳裏に浮かぶ久利原から聞いた
──この言葉を託す……君の名前も取り入れ……──
そう、甲はその言葉を聞いていた。空の唇が奏でる、最後の音を。
しかし、絶望と衝撃が、甲からその記憶を奪っていた。
だが、その言葉を聞いていたのは甲だけではなかったのだ。
真もまた、空の無残な姿に狂乱しながらも、確かにその言葉を聞いていた。
《……そうだ、思い出した。あの時、確かにお姉ちゃんは最後に一つの言葉を残した……その、言葉は……》
……そして、記憶は蘇る。
甲と真、あの日心に大きな傷を負った二人が灰色のクリスマスの悪夢と向き合う覚悟を決めた事で、その大切な言葉は今この時ようやく二人の下へと届けられた。
その、言葉は……。
──BALDR SKY──
──その言葉を、甲は確かに耳にした。
鍵となる言葉を聴いた事で甲の記憶の封印が解け、同時に安堵するかのような空の想いが伝わって来る。
──やっと……先生の言葉を甲に伝えられた……──
空の声を聞きながら、甲の『消去された約束』の記憶が蘇る。
あれは学園生時代。先生が、ふらっと如月寮を尋ねてきて……。
──この錠剤を飲んでくれないか? ──
久利原は甲と会うなり、「託したいものがある」と言って甲に一つの錠剤を渡して来た。
甲はいきなりの事に疑問符を浮かべながらも錠剤を受け取り、久利原に問いかける。
──薬……ですか? 一体、何の? ──
甲がそう尋ねると、久利原は真剣な表情で語り始めた。
──それは、正確には薬ではない。これはナノマシンの集合体で、君の脳にある情報を焼き付ける──
──時至って、キーワードを知るものが君にその言葉をささやけば、君は、ある物質の構成式を知る事になる──
──正確には、構造式の在りか……だな。それはネット上で複雑に暗号化されて常に情報を更新されている──
甲はあの時、久利原の話を理解してはいなかった。
しかし、先生の言う事なら……と薬を飲んだ瞬間眩暈に襲われ、立っていられなくなった甲を久利原が支えてくれた。
そして甲の具合を案じた後、こう話していたのだ。
──とりあえず要点を話そう。この先、改造され殺戮兵器と化したアセンブラが、何者かの手でばらまかれてしまうかもしれない──
──その話を聞いた時、甲は眩暈に襲われながらも驚いた事を思い出した。
まさか、久利原の開発していたアセンブラが、人類の希望が、殺戮兵器になってしまうなどとは考えてもみなかったのだ。
一体誰がそんな事を、と聞いても久利原は答えず、こう続けた。
──それに私も対抗手段を用意した。言ってみれば、一種の修復プログラムだ──
──これは、アセンブラを構成する
──アセンブラがどのような状態にあっても、オリジナルの環境修復ナノに復帰する仕組みになっている──
(そうだ……俺はこの時、大切なものを先生に託されたんだ。それを、今まで忘れていた……そうしないと、神父に知られてしまうから……!)
甲は記憶の中の久利原の話を聞きながら、徐々に当時の情景を思い出していく。
あの時は眩暈の影響で夢現の状態であり久利原の言葉は半分も耳に入っていなかったが、その記憶はAIが記録し、鍵となる言葉の解放と共に甲にこの記憶を見せてくれたのだ。
──……何で俺なんです? 亜季姉ぇとか……他の研究者達とか……──
あの時の甲は、何でそんなものを自分に託すのかが分からず、久利原にそう問いかけた。
そんな甲の問いかけに、久利原は力強い笑みで応じた。
──君には戦う力がある。そして、守ろうとする意志がある。私はそれを、良く知っているんだよ──
久利原はそう告げ、それが何処にあるか甲が尋ねるとこう答えた。
──君と同じく、私がとても信頼している人物の脳内チップに、データは更新されて保存される。彼女自身も知らない間にね──
《……もしかして……あの時の……?》
その言葉を聞いていた真がハッとなり、同時に一つの記憶が流れ込んで来る。
──真君。君にこれを託す。今のこの時の記憶は忘却されるが、来るべき時には必ず彼が鍵を開いてくれるだろう──
それは、かつての真の記憶だった。
甲と同じようにある日久利原の訪問を受けた真は、彼から錠剤を受け取り、それを飲んだのだ。
目が覚めた時には久利原の姿はなく、真もまたその事を忘れていたが……甲の記憶の解放と共に、その記憶も忘却の淵から蘇ったのだ。
──今、君に投与したナノマシンは、特定部分の記憶をブロックする。君は、この会話そのものを忘れてしまうだろう──
──この件に関しては、忘却こそが一番の方法なのだ──
そして久利原は自らを蝕む神父に悟られないよう、甲と自身の記憶を敢えて忘却させた。
修正プログラムを用意しても、対抗手段を作られてしまえば意味がない。
故にこそ、甲を信じて
──大丈夫。特定のキーワードを聞けば、思い出せる手筈になっている──
──もし万が一の時は、必ず誰かが、君の記憶を取り戻させてくれるだろう──
──
先生はそう言って甲を励まし、最後にこう告げてくれた。
──浄化された大地で、皆が家族と平和に、健やかに暮らしてくれればいい。それが私の夢であり、希望なのだから──
──その言葉を最後に甲の意識は浮上し、微睡みの中から覚醒した……。
「……っ!? 今の、は……?」
気付けば、甲は研究所の一室で立ち尽くしていた。
甲の手を握る真も甲と同時に眼を開けており、何かを悟ったようなその笑みが、今の体験がただの夢ではないと教えてくれた。
「……必要な事は、思い出せたかね? 甲君」
「……はい、先生……先生から受け取った希望は、必ず俺達が形にして見せます」
甲は何処か迷いの吹っ切れた笑みを浮かべ、久利原にそう語り掛けた。
その言葉を受けた久利原は何処か眩しいものを見るように甲を見つめ、薄っすらと微笑んだ。
「……そうか……私は、君達に希望を残す事が出来たんだね。ありがとう、甲君。君達は、私の自慢の生徒だ」
そう語る久利原の眼は何処か寂しそうで、それでいて誇らしげだった。
久利原の言葉を聞いた甲と真は互いに笑みを交わし合い、空の遺したものを思い出す事が出来た事を喜び合った。
「先生、これを使えば此処から出られるんですね?」
「……ああ、その筈だ。しかし、ただ此処から脱出するだけでは前回の二の舞になる。現状を覆すには、それを此処の中枢で使う必要があるのだ……これを見てくれ」
久利原はそう告げると、スクリーンに一つの映像を映し出した。
映像には見覚えのある赤い大洋……無意識の海が映し出されており、無限に広がる霧に包まれた大洋の中に一ヵ所だけ霧の張れた場所が存在し、そこに一つの島が浮かび上がっている。
「……これは……無意識の海、ですか? レヴィアタンの中にも、これが……?」
「ああ、言っただろう? レヴィアタンは無意識の海の
そして、と久利原は語った。
「私は此処から、莫大なエネルギー反応を感知した……恐らく、この場所にこそレヴィアタンの
「……この場所に、レヴィアタンのコアが……」
説明を受けた甲は、じっと映像に映し出された島を見つめた。
この場所に、この化け物の心臓がある。
そう考えるとどうにも恐ろしくなってきて、思わず竦みあがる自分がいるが……そんな自分の手を、真とクリスがそっと握ってくれた。
「真、クリス……」
そうだ、自分は一人じゃない。
だったら、出来ない事なんて何もないのだと思えた。自分はやれる、戦えるんだと。
「ありがとうございます。先生……これ以上、先生の夢は汚させません……っ!」
甲がそう告げると、久利原は笑顔で甲の肩を叩いた。
「頼んだぞ、甲君。私は此処から出る事は出来ないが、健闘を祈っている……行って来なさい」
「はい……っ!」
甲はそう言って久利原に一礼すると、クリスと真と共に研究所を後にした。
久利原は去り行く甲達の背中を、いつまでも穏やかな眼で眺めていた……。
「……おいおい、なんだよこれ……」
アーク構造体のアイリス・バルブを抜け、3人はシュミクラムに移行して無意識の海の上空を目的地目掛けて突き進んだ。
その結果例の島に降り立った三人を出迎えたのは、予想外の光景だった。
降り立った先には外から見た島の大きさからは考えられない程の陸地が広がっており、奥には怪しげな研究所が見える。
ドレクスラー機関の研究所に酷似しているが、研究所には統合軍のマークが刻印されており、これが軍の施設である事を訴えている。
空の色は暗緑色に濁り、異質な雰囲気が漂っていた。
「資料で見た事があるわ……これは、ルネサンス計画の研究所ね」
「ルネサンス計画……? それって……」
ルネサンス計画とはかつて統合軍で進められた次世代テクノロジー開発プロジェクトであり、
最後には研究主任であったDr.ノインツェーンの違法行為が発覚し、研究は凍結された筈だが……。
『……待ッテイタ……カドクラ、コウ……』
「……っ!? 誰だ……っ!?」
不意に、何処か無機質な声が響いた。
声に反応し振り向くと、そこには、いる筈のない人物が立っていた。
亜麻色の髪を二つに束ね、スラリとした肢体を赤いジャケットと軍服で包み込んでいる。
隣で真が息を呑んだ。その姿は、紛れもなく……。
「……空……?」
──甲のかつての恋人であり、灰色のクリスマスで死んだ少女……水無月空に違いなかった。
だが、軍人である筈のない彼女が軍服を身に纏っている事もそうだが、その眼が記憶の中の空とは違い過ぎた。
この空の姿をした少女の眼は無機質で、それは何処かウイルスのカメラアイを思い起こさせた。
「お前は、空なのか……? いや、そんな事がある筈は……」
『……チガウ。コノ姿ハ、ワタシガアノ世界デ取ッタ仮初ノ姿ヲ模シタモノニ過ギナイ……ワタシハ、ソラデハナイ』
「じゃあ、一体……」
甲の疑問に答えるように、少女は再び口を開き……。
『……ノインツェーン……』
──その、信じ難い名前を口にした。
真もネットからあの場面見てるんだから真の記憶を見ればキーワードわかるよね、という事で真ちゃんに頑張って貰いました。