BALDR SKY Another World /世界X+Ω 作:デスイーター
「ノインツェーン、だと……?」
甲は目の前の少女……否、ノインツェーンが放った言葉を聞き呆然となった。
その名の持つ意味は、あまりにも大きい。
ノインツェーンはバルドルに自らの意志を焼きつける事で神父を生み出し、灰色のクリスマスを引き起こした元凶である。
その張本人がよりにもよって空の姿で現れたとなれば、当然心穏やかではいられない。
「お前が、あのノインツェーンなのか……?」
『少ナクトモ、ワタシ以外ノ存在ガソノ名で呼バレタトイウデータハ無イ……オ前ガ知ルノインツェーントワタシハ、同一ノ存在ダロウ』
ノインツェーンは相変わらずウイルスのカメラアイのような無機質な瞳でこちらを見据えながら、エコーがかかったような声で甲に語り掛けて来る。
ノインツェーンは神子の話では既に死んでいるという事だったが、それを言うならノインツェーンの肉体はとうの昔に死亡している筈だ。
そして、甲はこの場所で幾人もの
そう考えれば、眼の前に存在するモノがノインツェーンである事を否定出来る根拠は、何処にもない。
「お前は、俺を知っているのか……? さっき確かに、俺の名前を呼んだよな」
『知ッテイル……ワタシハ、嘗テアノ世界デオ前ト戦イ、敗北シタノダカラ……厳密ニハアレハカドクラコウ本人トハ違ウモノダガ、ワタシニトッテソノ程度の差異ナド些細ナ事ダ。オ前ハワタシノ怨敵デアリ、ワタシヲ一度眠ラセテクレタ者デモアル』
「それは、どういう……」
甲は、突然の事に戸惑っていた。
いきなり全ての元凶が目の前に現れた事もそうだが、目の前のノインツェーンからは
それどころか、何処か好意的な感情すら伺える事に内心混乱していた。
『口頭デ説明スルノハ、時間ガカカル……記憶データヲ、キョウユウスル』
「……っ!?」
──瞬間、甲の頭の中に断片的なデータが流れ込んで来た。
それは、この世界ではない……別の世界で、甲が空を取り戻す為にノインツェーンと戦った記憶だった。
その世界では空ではなく甲が灰色のクリスマスで死亡し、この世界の甲の足跡を追随するかのように空が傭兵となってドレクスラー機関を追い求めていた。
その果てに、アセンブラによって人類が滅亡……空達は聖良が実行した箱舟計画によって、電子体幽霊となった世界だった。
その世界で甲の分身とも言える存在、甲の
──空、すぐに眼を覚まさせてやるからな──
──俺は……お前を救うと誓ったんだっ!! ──
その記憶を通じて、模倣体の
甲はそれを、不快とは感じなかった。
人間であろうが模倣体であろうが、自分自身を甲と認識している以上、同じ門倉甲である事に変わりはない。
ならば、空を救う為に戦ったその姿は誇りこそすれ、自分と同じ見た目のNPCだと蔑む気にはなれなかった。
──あなたを破壊しないと、私は安らかな眠りに戻れない──
──……憎イ……憎イ……憎イ……憎イ……憎イ……憎イ……憎イ……憎イ……──
そして、その世界のノインツェーンが甲に向ける憎悪も、同じように伝わって来た。
空の身体を乗っ取り、仮想空間を支配したノインツェーンにとって、空に呼び掛け自身の心を惑わす甲は、なんとしてでも排除しなければならない
ノインツェーンはその圧倒的な力を用いて甲を追い詰めたが、最後には特異点の助力を得た甲に倒される事になる。
──ぁあアアあぁアアァアあああぁあァああアっ……! ──
──コウ……アリガ、トウ……──
ノインツェーンは、断末魔の叫びと共に崩れ落ちる。
その間際に聞いた声は、果たして本当に取り込まれた空
「……っ!? 今の、は……」
ノインツェーンの記憶の追体験が終わり、甲の意識が現実に戻る。
目の前には変わらず、空の姿をしたノインツェーンが立っていた。
甲の隣には真が心配そうな表情で立ち、その横ではクリスが厳しい眼でノインツェーンを睨みつけている。
『今ノ記憶ハ、『世界0』ト呼バレル世界ノモノ……ワタシハアノ世界デオ前ト戦イ、敗北シタ……今ノワタシハ、嘗テ存在シタ、ノインツェーンノ残滓ニ過ギナイ』
「……その残滓が、一体俺に何の用だってんだ? 違う世界で散々空を苦しめやがって、今更懺悔でもしようってのか?」
甲は敵意を込めた視線で、ノインツェーンを睨みつけた。
目の前の存在は灰色のクリスマスの元凶であるだけでなく、違う世界とはいえ空の身体を乗っ取り散々苦しめた。
そんな相手に抱く情けなど、欠片も持ち合わせていない。
……もっとも、そんな事を言っても目の前の存在が理解を示すとは思っていなかったが……。
『……ザンゲ……ソウ、ナノカモシレナイ……ワタシハ、嘗テノワタシガ行ッタ事ヲ悔ヤンデイル……』
「……はぁ……?」
……だが、ノインツェーンから返って来た言葉は予想外のものだった。
まさか、あのマッドサイエンティストから
『ワタシハ、コノ世界ガ醜イモノダト考エテイタ。ダカラコノ世界ヲ支配シテイル霊長ヲ滅ボシ、美シイ機械ダケガ残ル世界ニスル為ニ人類ヲ滅ボソウト考エタ……ダガ、アノ少女トオ前ノ感情ニ繰リ返シ触レタ事デ、ワタシノ本当ノ望ミヲ思イ出シタノダ』
「本当の望み……?」
『……ソウダ。ワタシハ、ワタシガ嘗テ消去シテシマッタ
フィーア……ドイツ語で、
その言葉を聞いた瞬間、先ほどの記憶で見た空の言葉が蘇る。
──連結された脳の中で人間的な情感を司る部分……簡単に言えば、愛情に関連する部分は一つの──とある女の子の脳髄に集約されていた──
──最初は協調していた複合脳に、やがて対立と淘汰が発生した──
──そして淘汰の過程でノインツェーンは自らの手でその内なる女の子を潰しちゃったの──
──ノインツェーンは、自分の中の女の子に恋をしていたのにね──
──彼は昔繋がっていた少女の脳──感情を司る部位を取り戻したかったのよ──
ノインツェーンの本当の目的は、自ら潰してしまった自分の一部でもあった少女を取り戻す事だった。
あの世界で空を乗っ取ったのは、空をその少女の
無論、その事をノインツェーン自身気付いてはいなかったのだが。
本当の恋愛感情というものを理解出来なかった彼は、そうする事でしか自分の喪失感を埋める方法を知らなかった。
それは、彼という存在の性質が生んだ悲劇だった。
だが無論、彼が成した所業は許されるものではない。
同情出来る境遇だとしても、だからといって何をしてもいいというワケではない。
倫理観など知ってはいても理解はしていなかった彼は、その事が分からなかったのだ。
『シカシ、本当ノ意味デフィーアヲ取リ戻ス事ハ出来ナカッタ……ダカラコソ、安ラカナ眠リコソガワタシノ救イダッタノダ……活動ハ、今ノワタシニトッテハ苦痛デシカナイノダカラ』
「そう、か……」
矢張り、あの記憶の中で断末魔と共に聞いた声は、ノインツェーンを止めてくれた事に対する空の想いであると同時に、自分をようやく眠らせてくれた甲への
ノインツェーンはもう、生きる事に疲れていた。
だからこそ、自分を
『……ダガ、ワタシハ嘗テノワタシノ行イノ報イヲ受ケル事ニナッタ。世界0ノワタシガ死亡シタ事デ並行世界ノワタシノ自我ハ限リナク薄クナッタガ、バルドルシステムニワタシガ遺シタデータガアル以上数多ノ世界デワタシハ再ビ目覚メテシマッタ……ソシテ、
その言葉と同時に、ノインツェーンからかつて別の世界でクリスの電子体を定められたプログラムに従い、浸蝕しようとするノインツェーンのデータに対し、それを真っ向から
──貴方に教えてあげるわ、ノインツェーン……
貴方には、他者を求める情熱が足りなかった。全て、私に任せなさい。貴方に、本当の
──さあ、傅きなさいノインツェーン……っ! これが、本当の
神子の語る強烈な
「チッ……あの女、本当に初心を忘れているのね。
どうやら今の記憶を受け取ったのは甲だけではないらしく、クリスは舌打ちと共にそう吐き捨てていた。
一見滅茶苦茶に見えた甲に対する逆レイプからの告白も、甲が本気で拒絶していれば甲の前から消えるか、自身の命を断つ事で責任を取る気でいたあたり、その矜持の強さが垣間見える。
『……ワタシハモウ、疲レタノダ……コノママアノ少女ヲ放置スレバ、ワタシハレヴィアタンノ制御ユニットノ一部トシテ、永遠ニ見タクモナイモノヲ直視シ続ケル事ニナル……ダカラコソ、オ前ニ頼ミタイ』
そう語るノインツェーンからは、何処か倦怠感のようなものが感じ取れた。
彼としては安らかに眠っていた所を再び叩き落され、そのまま監禁されて良い様に扱われたような感覚なのだろう。
疲れ切った者が相対するには、神子の自我は苛烈に過ぎたのだ。
そして、そんなノインツェーンが甲に頼みたい事があるという。
ノインツェーンはしばしそのまま考え込むように黙り込み、やがて顔を上げるとじっと甲の眼を見つめ口を開いた。
『……ワタシト、戦ッテクレ。ワタシヲ終ラセル事ガ出来ルトスレバ、オ前以外有リ得ナイ……ワタシヲ、眠ラセテクレ』
ノインツェーンはその言葉と同時に姿を変えて行き、鋼鉄の肉体へと変貌した。
シュミクラムというには大き過ぎるそれはまるで人型の蠍のようで、相対するだけで凄まじいプレッシャーを与えて来る。
だが、その機体から悪意は感じ取れない。
その身体から漂って来るのは……戸惑うような感情と、煮え滾るような
ノインツェーンは
それは、紛れもない
「そうか……」
甲はすっと眼を閉じ、そのままシュミクラムへ移行する。
それを見た真は加勢しようと自分も移行しようとするが、甲の心情を察したクリスがそれを止めた。
この戦いは、甲一人がやらないと意味がない。
甲と1対1で戦ってこそ、ノインツェーンの未練は正しく清算出来るのだから。
「望み通り、終わらせてやるよノインツェーン……もう二度と眠りから覚めないよう、此処で……決着を着けよう!」
『……イクゾ……カドクラ、コウ……ッ!』
そして、甲とノインツェーンの機体が共に疾駆する。
仮想の砂浜で、運命の再戦が幕を開けた。
今回のシーンは、フォースの憐ルート終盤のゲンハ戦のオマージュとなります。あのシーンはフォースでも屈指の名シーンで、ゲンハが良キャラである証明でもありました。
ノインツェーンはその出自故の悲劇を描写されながら、徹頭徹尾『倒すべき敵』として描かれました。唯一空だけはそんな彼に同情を向けていましたが、甲達からは一貫して『相容れない敵』として扱われました。
この話はそんな彼になんらかの形で『救済』を齎そうと思い、このストーリーのプロットを思いついた段階で必ず入れると誓ったシーンの一つでもあります。