BALDR SKY Another World /世界X+Ω 作:デスイーター
「……バレンタイン、か……」
甲はカレンダーの日付を見ながら、一人そう呟いた。
今日は2月14日、世間ではバレンタインデーと呼ばれるイベントの日だ。
以前は灰色のクリスマスを切っ掛けとした閉塞感もあり、バレンタイン等のイベントをまともに祝おうとする人々は皆無だった。
しかし今は、アセンブラによって世界環境が浄化された事で閉塞感は取り払われ、こういった祭日も賑わいを取り戻していた。
今日もまた、恋人へ送る為のチョコを一喜一憂しながら用意する少女達の姿がそこかしこで見られる事だろう。
「……あの時はまさか、こんな世界になるなんて思ってもみなかったからな……」
甲は現状を思い返しながら、懐かしむようにそう呟いた。
彼の脳裏には、かつて傭兵時代……クリス達と共に迎えた、とある2月14日の事が想起されていた……。
──某日某所、仮想の構造体にて……。
「クリスっ、そっちは任せた……っ!」
『
甲は迫り来るウイルスをライフルで撃ち抜きながら、後方で戦っているクリスに指示を飛ばす。
クリスは当然その指示を即座に実行し、グリムバフォメットのチェーンソーブレードで群がるウイルスを両断していく。
ウイルスの数は中々途切れないが、クリスに限って心配は無用だ。
クリスは敵の数が想定より多い事を確認すると射撃形態へシフトし、一斉掃射でウイルスを掃討していく。
無数のウイルスに次々と弾丸が着弾し、爆発音が響き渡る。
「さて、あとはこいつか……っ!」
甲は後方の敵をクリスに任せ、本命の敵……即ち、三機のシュミクラムに向き直った。
赤いカラーリングの、無骨な機体。言わずと知れたドミニオンのシュミクラム、アイアンシックルである。
それが三機、甲と相対していた。数の上では不利なのは甲の方であるが、無論この程度の数など甲には問題にならない。
甲のシュミクラム、カゲロウは自己進化ロジックによって戦えば戦う程強化される特注機体であり、甲自身のシュミクラム戦の実力も図抜けている。
見たところ、この三機のシュミクラムのパイロットの技量は並程度かそれ以下。甲相手には、話にすらならないレベルである。
だからこそウイルスの数を頼みに襲って来たのだろうが、そのウイルスの大半はクリスが引き付けて殲滅しており、残りもたった今甲が駆逐したところである。
故に、もうこの戦場の勝敗は決まったも同然と言える。
「さて、大人しくドレクスラー機関の奴等の居場所を吐くなら命は取らないでおいてやるが、どうする?」
『ふざけるな……っ! 我らの命は、既に神の代行者たる神子様に捧げている……っ! 貴様などにくれてやる情報など、一欠片もないわ……っ!』
甲の停戦勧告に対し、返って来たのは銃口を突き付ける三機のアイアンシックルの姿だった。
予想通りの反応に甲は溜め息を吐き、速やかに殲滅行動に移る。
「そうかい。ま、所詮狂信者か。それなら、こっちも容赦する理由はないな……っ!」
甲はそう吐き捨てると機体を駆動させ、三機のアイアンシックルより放たれた銃弾を軽々と回避する。
そしてそのままアトラクターエッジを射出し、アイアンシックルの一体に刃を突き立て引き寄せる。
『ぎぁ……っ!』
返す刀でそのシュミクラムの胴体をブレードで両断し、真っ二つにされたアイアンシックルが爆散する。
『な……っ!?』
仲間がやられた事で動揺した指揮官機が動きを止め、俺はそれを見逃さずその頭部をパイルバンカーで打ち貫いた。
『が……っ!?』
頭部を破壊された事で、指揮官機は爆散。
瞬く間に、アイアンシックルは残り一機となった。
即ち、チェックメイトである。
『う、うわぁぁぁぁぁぁぁ……っ!』
残ったアイアンシックルからはやや幼い、20に満たさない少女の絶叫が迸り、最後の機体が凶器を掲げて突進して来る。
「…………」
甲は無言でライフルを撃ち、刃を握る敵の機体の腕部を破壊する。
結果、武装を手放してしまったアイアンシックルは丸腰で甲の眼前に晒される事になり、ブレードの一閃で両断され爆散した。
敵の殲滅を終えた甲は、無言で息を吐いて呼吸を整えた。
「……状況終了。クリス、こっちは終わっ……」
「あ、が……」
「……っ!?」
──だが、不意に耳に届いたその呻き声に甲がびくりと反応し視線を向ける。
その視線の先には、今甲が破壊したアイアンシックルの搭乗者であろう少女が、見るも無残な姿で横たわっていた。
シュミクラムが破壊された時、ダメージや損傷具合によってはそのまま死に至るが、場合によっては除装された状態で通常の電子体に戻るケースもある。
だが、甲は除装による生き残りを許すような生半可な攻撃をした覚えはない。
事実、少女は全身に裂傷を負い、半身は瓦礫に潰されている。どう見ても、まだ息がある方が不思議な致命傷だった。
少女の命は、間もなく途絶える。何故こんな少女がドミニオンにいたのかは知らないが、考えても碌な理由じゃないだろうと甲は知らず溜め息を吐く。
せめて、苦しまないように介錯してやろう。そう考えた甲は引き金を引き……。
「──ああ、や、っと……あなたの、とこ、ろに行け……る……」
「……っ!?」
──弾丸によって少女の身体が吹き飛ばされる刹那、そんな呟きが甲の耳に届いたのだった。
「…………」
作戦終了後、甲は一人拠点としているホテルの部屋で過ごしていた。
「……はぁ」
ベッドに寝転び、染みだらけのラブホの天井を見ながら甲は溜め息を吐く。
彼の脳裏には、先程の少女の末期の声が未だに響き渡っていた。
(……情けないな。覚悟決めたとか嘯いておいて、この程度で揺らぐなんて……)
甲は自分が思いの他動揺しているのを自覚し、再度溜め息を吐いた。
分かっていた筈だ。自分がいるのは情け容赦のない戦場であり、戦場には悲劇などありふれたものである事を。
あの少女がどんな過去を背負い、ドミニオンに身を置いていたのかは知らない。
けれど、何かの悲劇が切っ掛けで武装カルトに入信し、その結果戦場で
けれど、自分もまた恋人の喪失という悲劇を経て傭兵となり戦っている以上、
思えば、クリスが甲の初陣から徹底して彼に敵を脳死させて来たのは、こういった甲の根幹を理解していたからなのだろう。
幾ら覚悟を固めたとはいえ、甲の性根には善性が染みついている。
甲の心には今も尚、正義を信じ人を思いやる優しい性根が息づいているのだから。
……だからこそ、今回の事は甲の心を揺るがしていた。
自分のしている事は、本当に正しいのだろうか。
戦場で数多の屍を築いた先の勝利に、意味などあるのだろうか。
そんな自問自答が、甲の中で渦巻いていたのだ。
「入るわよ、甲」
不意に、怜悧な声が部屋に響く。
甲の返事を待たずに開かれたドアからは、クリスは険しい表情で部屋に顔を見せていた。
「クリス……」
クリスの刺々しい視線に晒され、甲は決まりの悪そうな顔でクリスを見上げる。
そんな甲を、クリスは眼を細めて睨みつけた。
「……酷い顔。見れたもんじゃないわね。そんなに、女の子を殺した事がショックだったの?」
「え……?」
いきなりの言葉に、甲は硬直する。
甲の反応に、クリスは飽きれたように溜め息を漏らした。
「……あのね、オープンチャンネルでのやり取りなんだから聞こえるのは当然でしょう? あの後どうも貴方の様子がおかしかったからログを解析して、大体の事情は理解したわ。貴方、あのドミニオンの女の子に同情してるんでしょ? 違う?」
「それは……」
「即答できない時点で、肯定しているも同然よ。まったく、こうして来たのはやっぱり正解だったようね」
煮え切らない甲の返答にクリスはやれやれと肩を竦め、甲の隣に腰を下ろした。
クリスが上に乗った事でベッドが弾み、甲の身体が揺れる。
「うお……っ!?」
そこですかさずクリスは甲の肩を掴んでベッドに押し倒し、甲の上に馬乗りになった。
「く、クリス……?」
クリスは甲の腰に乗って体重をかけ、甲の頭の横に両手を突いて彼の顔を覗き込む。
彼女の紺碧の瞳が甲の眼球に映り込み、甘い少女の体臭に甲の身体が反応した。
そのままクリスは甲に顔を近付け、唇が触れるような至近距離で口を開く。
「何か、勘違いをしていないかしら? 私は確かに貴方に
「……え……?」
クリスの言葉に甲はキョトン、とした反応を返し、その反応を見たクリスは溜め息を吐いた。
「……あのね、確かに戦場で生き抜く為に殺しに躊躇を持ってちゃいけないわ。
でも、とクリスは告げる。
「けれど、それは
だから、とクリスは続けた。
「貴方の今抱える葛藤は、大切なものよ。その想いを、貴方の初志を忘れないで──私は、私達はありのままの貴方が好きになったんだから。その善性は、決して捨てないで……それこそが、貴方の良い所なんだから」
「クリス……」
甲はクリスの告白を聞き、先程までの暗い憂鬱が消えていくのを感じた。
甲は自分の葛藤を「情けない」と考えていたが、クリスはその葛藤こそ大事なものであるとし、甲の迷いを肯定してくれた。
その上で彼女は、
ならば、自分が取るべき行動は、告げるべき言葉は明瞭だ。
甲は身体を起こし、クリスと正面から向き合った。
「……ありがとう、クリス。お前がそう言ってくれるなら、俺は前に進める。情けない男で、ごめんな」
苦笑する甲の言葉に、クリスはくすりと笑った。
「馬鹿ね。そういう人間だからこそ、
『そうですよ先輩っ! 私もいつだって、先輩の味方ですからっ!』
クリスに続いて、脳チップ経由で真からもそんな言葉が聞こえて来る。
甲の脳チップに間借りしている真は甲の網膜に自分の映像を投影し、にっこりと微笑んでみせた。
その姿がなんとも可愛らしく、甲は自然と頬が緩むのを感じた。
『むぅ~、やっぱり実体がないともどかしいですね。でもでもっ、今回は私なりのやり方で頑張ってみたんですっ! クリスさんっ、早く早くっ!』
「……もう、しょうがないわね。本当なら、もう少し焦らす予定だったのだけれど」
「……? 一体、何を話してるんだ……?」
真とクリスの不思議なやり取りに、甲は首を傾げた。
真はなにやらクリスを急かしている様子であり、クリスはそんな真に対し妹の面倒を見る姉のような面持ちで溜息を吐き、懐から一つの箱を取り出し甲に差し出した。
「ハッピーバレンタイン、よ。私と真から、貴方へのね」
『今日は2月14日、つまりバレンタインデーですっ! 先輩ったら、忘れてましたねっ!?』
「……あー、そっか。そういえば、そうだったか……」
クリスと真の言葉に、ようやく彼女達の行動の意味を理解し、甲は苦笑した。
無理もない。傭兵になってからは仮想現実問わず戦場で戦い続け、そんな日常のイベントからは離れていたのだから。
甲にとってこういった特別な祝い事は、どうしてもあの『灰色のクリスマス』を想起させてしまう。
それは『灰色のクリスマス』という悲劇を経験したこの世界全体の風潮であり、今どきクリスマスを祝おうなどという輩は皆無と言えた。
それに準じるかのように、こういった祝い事は世間でもめっきり見なくなってしまっていた。
だからこそ、彼女達がこういったイベントに参加する、というのは甲の想定の外だったと言える。
「……こんな時勢だから、間違ってもクリスマスなんて祝えないし、正月も同様でしょう? けど、だからと言ってこういう事を全部避けていたら、感覚が麻痺してしまって全てが終わった後日常に戻れなくなるわ」
だから、とクリスは告げる。
「せめて私達だけでも、こういう事を覚えててあげないとと思ってね。甲はそういうの不得意そうだし、私達が気を利かせないとね」
『実体がないから直接は作れませんでしたが、チョコの造詣は私の意見も取り入れて貰ってます。色々思う所はあるかもしれませんが、まずは食べてみて下さい』
「……ああ、分かったよ」
二人に詰め寄られ、甲は箱の包装を解いて中身を見据えた。
長方形の箱の中には可愛らしいハート型のチョコと三角形のスマートなチョコが並んでおり、それぞれに『by,macoto』『by,curisu』という文字が刻まれている。
「じゃあ、頂くよ」
甲は三角のチョコとハート型のチョコをそれぞれ一口ずつ噛み砕き、咀嚼する。
口の中にスイートの甘味とビターの苦みが広がり、仄かなチョコの香りが溢れ出た。
「これ、美味しいな」
特にくどくもなく、食べ易い味のチョコレートに甲の口から素直な感想が零れた。
それを聞いた二人は顔をほころばせ、甲に笑いかけた。
「ふふ、気に入ってくれたようで何よりよ。真が実体を取り戻したら現実の真の手造りチョコも受け取れるから、楽しみにしていてね」
『はいっ、実体を取り戻す時には料理上手になっていますので、楽しみにしていて下さいっ』
「……ああ、楽しみにしているよ。こりゃ、気を抜いていられないな」
二人の想いが乗ったチョコレートを賞味し、甲は自然と笑みを浮かべた。
自分を支えてくれるこの愛おしい少女達がいる限り、自分はこれからも戦い続けられるだろう。
いつの日か戦いを終え日常に戻る、その日を夢見て。
──そして、取り戻した日常でその約束は果たされる事になる。
甲は全ての戦いを終えた先の2月14日で、愛しい少女達から現実でチョコレートを受け取った。
その形は奇しくもあの時と同じものであり、けれどチョコに二人の名前は刻まれていなかった。
──名前を刻む必要もなく、二人とは既に想いを通じ合えていたのだから。
こうして甲は、幸せを掴み取った。
あの悲劇を、傭兵として殺して来た人々を、空を忘れたワケではない。
けれど、その全てを背負ったからこそ今の甲の日常がある。
それだけは、忘れてはいけない事なのだから。
──青空の下、恋人達は愛を語る。
空は何処までも青く澄み切って、彼等を祝福していた。
というわけで書いてみましたバレンタイン短編。
時間軸としては本編後最初のバレンタインかな。
ちなみに回想の時間軸は甲がある程度傭兵稼業に慣れた頃、1年後くらいを想定してます。
バレンタイン話を書くつもりがこういう話になりました。
今後も私の描くバルドをよろしくお願いします。