【プロローグ】
その姿はまるで捨て猫みたいだった。
皆の憧れの生徒会長、というにはまったく似つかわしくなかった。
表情は遠目にわかるほど淋しげで、同時にほとんど絶望感すら抱き、泣いているようにさえ見えた。
安城院先輩はうずくまるようにして公園で屈んでいた。
その姿すらも一枚の絵画のようになってしまう。
それが皆の憧れたるゆえんなのかもしれないが、さすがに放ってはおけなかった。
僕は自転車をとめて、少し駆け足気味でその小さな公園の入り口をくぐり、先輩に声をかける。
「安城院先輩、大丈夫ですか?」
先輩は声をかけるまで、僕に気づいていなかった。
気づくと驚きからか、戸惑いからか、その大きな瞳をさらに大きくした。
同時に藁にもつかむような、それでいて目当てのものを見つけたようなそんな表情を浮かべた。
なぜそんな表情を、とは聞き返すことはできなかった。
僕は先輩が口を開くのを待った。
すぐに。
「川上くん……」と頬を赤らめながら、僕の名前を呼んだ。
僕は先輩の次の言葉を待った。
何かを欲するような、期待するような、お願いをするような、その大きな瞳に僕は吸い込まれそうになる。
何を言い出すのだろう。
僕は先輩の次の言葉を予想したけれど、そんなものわかるはずもなかった。
いや、先輩の次の一言を予想できた人間なんてどこにいなかっただろう。
ありとあらゆる意味でその言葉は予測不可能で、
そしてその言葉によって、僕と先輩の関係は一変したのだった。
「あの、私を君の奉仕奴隷にして下さい」
【一日目 憧れれの生徒会長】
安城院先輩は名前を呼ばれると、いつも通り凛とした声で返事をして壇上に上がった。
「生徒会長の安城院です。早速ですが、今月分の報告をします」
月に一度の全校集会。
ということは参加するのは十数回目だ。
どこの学校でも同じだろうが、このイベントは退屈極まりない。
唯一楽しみがあるとすれば、安城院先輩の報告の時間だけだ。
正確に言うとその報告の内容が楽しいわけではない。
内容は各委員会がまとめただけの、これまた退屈極まりないものだ。
だけど不思議と先輩が読むそれは不思議と心地よく聞こえるのだ。
よく通るその声色によるものも大きいが、それ以上に安城院先輩の外見が要因だろう。
僕は壇上の先輩を見上げる。
先輩はいつも通りに全校生徒を前にしても特に緊張することもなく、報告を続ける。
その姿は、しばしば「氷の花」と例えられる。
凛としてクールな表情と佇まいが氷。
そして、その容姿は花のように美しい。
触れたら崩れてしまうような、汚してはいけないような、そんな透明感のある美しさだ。
流れるような瑞々しい黒髪が長く肩まで伸び、整った顔立ちと瞳の大きさが彼女の美しさを彩る。
着ている学生服は他の女生徒と変わらないずなのに、その凛とした佇まいによるものか、着こなし方か、あるいはその豊かな膨らみによるものか、他の女生徒と比べるべくもないほど綺麗に見える。
「テレビに出るアイドルと比べてもよっぽどかわいい、ってかマンガのキャラとかよりかわいいってやばくね」とい
うのは、友人の戸塚の評価で、
「あの美貌で、出るとこ出てるし、声も最高、安城院先輩と付き合えるなら死んでもいいだろ、マジで」と付け加えたのも奴だ。
いや、戸塚のみならず学園中がそう思っているのかもしれない。
それほどまでに安城院雫という人は魅力的だ。
「今月の報告は以上です。ありがとうございました」
そんなことを考えている間に先輩の報告は終わり、続きはいつも通りの退屈さで進行した。
「川上、お前さっきの集会で雫先輩のおっぱいガン見してただろ」
集会が終わり、教室に戻り席に着くと後ろからそんな声をかけられる。
僕の知っている限り白昼堂々そんなことを言い出すのは戸塚しかいない。
残念なことに奴は僕の一つ後ろの席なのだ。
つまりは真後ろ、避けようがない。
もちろん無視することはできるが、そうすると余計に厄介なことになるのは既に経験済みだ。
僕は後ろを振り返り相手をする。
「相変わらず下品だな、お前は」
戸塚はニヤリと笑みをつくる。
その笑顔は少しもいやらしくなく、ひまわりのように朗らかだ。
「雫先輩のおっぱいが見れるなら品なんていらねぇよ」
「別にお前は品がないだけで、見れてないだろ」
「お前は相変わらず細かいな、川上。つっても俺とお前の違いなんて声に出すかどうかだけだろ。お前だって今日も雫先輩かわいいなとか、今日も雫先輩のおっぱいでかいなとか、エロいことばっか考えてたんだろ」
こいつは本当に周囲を気にしない。
常に自分の欲望丸出しの発言をして隠すことをしない。
ただこいつの場合は裏がないおかげで、そのあけっぴろげな言動でも、ギリギリ周囲の好感を保っているという、ある意味すごい奴だ。
僕はやれやれと首を振る。
「声に出すかどうかは大きな違いだし、そもそもそんなこと思ってないよ」
僕の返事に、戸塚は納得いかないとばかり不満げな顔になる。
「素直じゃない奴だよ、お前は」
「素直になるってのが、お前みたいになるってことなら僕は素直じゃなくていいさ」
「ったくわかってねぇな。それに大体、川上はずるいんだよ、今日も放課後、図書委員で雫先輩に会えるんだろ」
「そう思うならお前も図書委員やればいいだろ」
「俺はお前と違って本が好きってわけじゃないから退屈なだけだよ。それになったとしてもあの人と一緒の日に、当番になるなんて偶然なかなかねぇよ」
それはその通りだと僕も思う。
委員会と生徒会が独立しているとはいえ、まさか生徒会長である先輩と図書委員で一緒になるとは思わなかった。
しかも当番の担当の日が重なるなんて運のよさはなかなかあるものでもない。
僕がこの学園に入ってからの一番の幸運といってもいいかもしれない。
でもそれだけだ。
僕に先輩に気軽に話しかける勇気はないし、先輩も基本的にはおしゃべりが好きな人じゃない。
仕事中にちょっとしたやりとりがあるぐらいだ。
時計を見ると授業までは後わずかだ。
僕は戸塚をやり過ごそうと前を向き直り、次の授業の準備をすることにした。
「ところでよ、川上。今日の雫先輩、いつもよりおっぱい大きくなかったか」
しかし、戸塚はしょせん戸塚で、本当に公害のような男だった。