その言葉の後に僕がしたことは、先輩を自宅に招くことだった。
とりあえず僕はその発言の意味を深く考えることはやめた。
何かの間違いだと思うことにした。
先輩は僕に促されるままについてきた。
先輩と一緒に帰る姿を学校の連中に見られたらとも思ったが、そんなことを考えている場合ではなかった。
図書室での言葉といい、公園での言葉といい、安城院先輩はおかしかった。
「あまりきれいじゃなくて申し訳ないですけど」
アパートの扉を開けて招くと、先輩は落ち着かない様子を見せながらも入ってきた。
「コーヒーでも入れるので、ちょっとその辺に腰掛けてて下さい」
僕の言葉に素直に頷いて、リビングの椅子に先輩はちょこんと座っった。
心臓の鼓動がいつもより早くなるのを感じながら、僕はキッチンでお湯を沸かす。
どうしてこうなったんだろう?
なんで先輩がうちに?
そもそもさっきのはなんだったのだろうか?
聞き間違いだろうか。
しかし何をどう聞き間違えれば、奉仕奴隷という単語になるのだろうか。
沸騰しそうなのは、ケトルの中身だけではなかった。
僕は一度深呼吸をする。
慌てるな。
僕はインスタントコーヒーをお湯で溶かし、角砂糖のボトルと一緒にお盆に載せる。
お盆を持つ手がやや震えていたが、なんとかこらえて先輩の待つリビングへと戻る。
お盆ごとリビングテーブルに載せ、僕は先輩の正面に座る。
先輩は恥ずかしそうに耳を真っ赤にしながら、きょろきょろとしている。
いつもの様子が「氷の花」だとすれば、今は「赤い花」という感じだ。
僕は自分の分のカップに口をつけた。
先輩は顔を伏せるようにして僕の目を見ないまま。
「さっきの続きだけれど、私を川上くんの奉仕奴隷にして欲しください」
先輩はそう言ってさらに顔を真っ赤にした。
やっぱりさっきの言葉は聞き間違いではなかったようだ。
「その奉仕奴隷っていうのはなんなんですか?」
僕がそう聞き返すと、
「それはその……」
先輩は恥ずかしさからか、もじもじと足をくねらせたまま、押し黙った。
その仕草は正直かわいかったが、しかし、それ以上を問うことを躊躇わせた。
「ごめん。川上くん。やっぱり恥ずかしくてっ!」
そう半ば叫ぶように言うと、先輩は右手につけていた指輪を外してテーブルにそれを置いた。
すると、どういうことだろう。
先輩は別の『存在』になった。
先輩ではなくなった。
外見的な変化はそれほど大きくないわけじゃやない。
黒髪が銀髪に、瞳の色に赤みが交じる。
けれどその外見的な変化以上に、その雰囲気はまったく別の『存在』になっていた。
神々しいとしか表現できないような、そんな圧倒的な『存在』に。
「やはりこうなったかの」
それは先輩と同じ声色なのに、まったく違く聞こえる。
魅惑的で、蠱惑的で。
それでいて超然として、人間離れしていた。
「先輩じゃないんですね」
「あたしはエロ神様じゃな」
先輩がふざけているわけではないのはわかった。
ばかげたことを言っているのにその声音に圧倒されそうになる。
彼女は、先輩ではなかった。
「エロ神様?」
「そうじゃ。エロが大好きエロ神様。エロを司る神じゃ」
「先輩はっ! 先輩はどうなっちゃったんですか?」
「安心しろ、少年。今はまだ雫の体を借りて、取り憑いてるだけじゃ。そうだの。いわば二重人格みたいなものじゃよ。その指輪を外すと主従が入れかわると思ってくれれば、それほど間違いではない」
エロ神さまと名乗る先輩そっくりの『存在』はさらに説明を続ける。
「あたしは久しぶりにセックスをしたいんじゃ」
僕はその発言に思わずずっこけそうになるが、彼女を取り巻く雰囲気の重みはそうすることはゆるさなかった。
「言い切りますね」
「エロ神さまだからな。エッチなことが大好きなのじゃ!」
声から感じる凄みとは裏腹に、言葉だけ聞いている戸塚みたいな奴だ。
「ただな、この状態ではできんのじゃ。存在が不安定すぎての。体を保っておれんのじゃ」
エロ神はそう言ってカップに手を触れる。
カップの縁をすり抜けるように指がそのままカップの中身にまで達し、中に入っているコーヒーの水面を揺らす。
存在が不安定というのはどうやらそういうことらしい。
「だからの、あたしはセックスがしたくなったら、若くて綺麗な女子の体に取り憑いて、こうして人格を乗っ取るんじゃよ」
「そんなのっ!?」 と僕は思わず叫ぶ。
「そうじゃ。そんなのは殺すのと変わらない」
それまでふざけたように話していたエロ神さまの声に悲しみのようなものを感じる。
「ただ、あたしはエロの神さまじゃ。その快楽がないと死ぬからの。背に腹は代えられない。ともあれ、取り憑いた相手の体と意識を奪うというのも目覚めが悪いからの。妥協案を用意してある」
「先輩が奉仕奴隷がどうのといっていたのが、その妥協案と関係があるんですか?」
「そうじゃな。あたしは取り憑いた相手に試練を出すことにしている」
僕は黙って頷いてエロ神さまの話を促した。
「快感は小さいがの。取り憑いた相手の快感をあたしも感じることはできる。だから試練を一週間で達成することができたら解放してやることにしているのじゃ」
「案外優しいんですね」
「死神や貧乏神の連中に比べれば、あたしなんかはそう見えるじゃろうな」
そういうのもこの世界にいるのか。
なんだか世界の見方が変わってくる。
「あたしの試練には契約者が必要なんじゃ。エロいことは一人では限界があるからの」
契約者、それが僕ってことなのか。
「そうじゃ」と心を読んだようにエロ神さまは言う。
「あたしは取り憑いた相手に合わせて試練を与えることにしている。雫の場合、契約者に対する『奉仕』と『奴隷』が試練ってわけじゃ。久々にエッロい奉仕を見たくなってな」
「なんだかAVを選ぶ男みたいですね」
「うまい比喩じゃな。あたしにとってはそう変わらないの。強いていえばあたしは視聴者じゃなくて、監督じゃがの」
「その監督が撮りたいのが」
「『奉仕』と『奴隷』じゃな。ともあれ、どうする? ここまで聞いて、お前さんは雫と契約するかの?」
「僕が断ったらどうするんですか」
「お前さんは断らない。そうじゃろ」
エロ神さまは微笑む。
その笑顔は快楽そのものを貪り尽くすような笑みだ。
「本能を、欲望を、快楽を否定してはならん。それは表にだしてこそじゃよ」
その言葉に説得されたわけじゃない。
僕が断ったら他の契約者を探すのかもしれない、その痛みを想像しただけだ。
「受けますよ。先輩をあなたに渡したくないですし」
「あたしがこの体を手に入れたら、お前さんとしてやってもいいがの」
「遠慮しておきますよ。それでどうしたらいいんですか?」
「今回の試練は先ほども言った通り『奉仕』と『奴隷』じゃ。まずはそうじゃの」
エロ神さまは立ち上がり僕の座る正面に立つ。
手を振り上げると、僕の口に触れるようにしてその指で円を描く。
するとその軌跡に銀色の光が残った。
その光に向かって、つまり僕の唇に向かって。
先輩の、先輩の体をしたエロ神さまの唇が近づいてくる。
「なにをっ!?」
という時には先輩の唇が僕の唇に重なっていた。
「初やつじゃ。初チューかの? 安心しろ、実体はないからカウントしなくてよいじゃろ」
じんわりとあつい感触があったように思ったが、どうやらそれは錯覚だったらしい。
「『奴隷』の方は完了じゃの。これでお前さんが雫に与える恥じらいや屈辱によって、雫は快楽を得るようになったぞ」
エロ神さまはそんなことを言って指を一つ立てる。
「それともう一つ。雫はお前さんの命令を聞き続けることで感じやすく、またその快楽を肥大化させるようになった。命令を与え続けて快感を増幅させ、恥や屈辱を与えろ! というわけじゃ」
「はあ」と返すほかなかった。
次にと、エロ神さまは僕の股間を指差した。
先輩の姿でそんなことをしないので欲しいのだけれどと思うが、その『存在』には通用しない。
「次はお前さんのものを出せ」
「えっ!?」
「はやくせい、減るものでもないじゃろ」
何かが減りますよと思ったが、その声に逆らうことはできそうもない。
言われた通りズボンと下着を下ろすと、僕のものは屹立していた。
「おお、ちょうどいいの」
エロ神様は僕のものに向かって円を描く。
その銀色の円光と一緒に僕のものを一緒に咥え込む。
「あっ」
思わずその視覚の快楽に声を上げたが、それは実体を伴わなかった。
僕は下着とズボンを戻して、話の続きを待つ。
「これで『奉仕』もOKじゃの。雫とお前さんのものとの間につながりを作った。これでお前さんが射精する度にその絶頂を雫も味わうことになる」
「……っ!?」
「逆にお前さんや雫は互いの関わる範囲で行為によってしか、達することはできなくなった。つまり一人でのオナニーは無意味じゃな」
「それって試練をクリアすれば戻るんですよねっ!」
「無論じゃ」
「ならいいですけどっ」
一瞬マジで焦ったじゃねぇか。
「それでどうすれば試練をクリアできるんです?」
「この指輪じゃ。この指輪をお主の左手の薬指につけろ」
そういってエロ神さまは指先で輪を作って口の中に含むと銀色の指輪を取り出した。
それはどうやら実体を持つようで、エロ神さまがテーブルに置くとカリンと音を立てた。
少し大きいかなと思ったが、言われた通り左手の薬指に持っていくと、その指輪は自動的に指の太さに合わせて締まった。
「快楽を得れば得るほど、その指輪は黒く染まる。その指輪を真っ黒になるまで染めろ」
「ずいぶんとわかりづらいですね」
「現代っ子じゃな。そういう時のためにデジタルで表現できるようにしてある。ぽちっとな」
エロ神さまが指を鳴らすと、指輪の縁に〇/二〇〇と表示されていた。
「その数字が満タンにすることじゃな。ちなみに単なる射精の快楽は二ってところじゃな」
ということ射精だけで考えると一週間で一〇〇回か。
それを一週間。普通じゃ不可能に近いな。
「だからこそ命令が重要じゃ。お前さんの命令を聞き続ければ、一回の射精で三十ほどの快楽を得ることだってできじゃろ」
射精の一五倍の快楽。
そんな快楽がどんなものなのか僕には想像もできない。
「ちなみにここまでの説明を全部雫本人がして、お前さんに契約させることができたら、クリアするまでの数字は半分になっていたんじゃがの。今日一日はずいぶんと笑わせてもらったぞ」
「先輩は僕以外の人にも声をかけようとしたんですか?」
「さあな、それは内緒じゃ。そろそろ、体を雫に返そうと思うが、いいかの?」
僕は頷く。
ひとまずの状況は理解したつもりだ。
「それじゃあの、せいぜい雫をお前さんの最高の奉仕奴隷にすることじゃ」
エロ神さまは自らテーブルの上の指輪をその右手の指にはめる。
瞬間その『存在』は先輩へと戻る。
髪の色が、目の色が、その雰囲気が先輩へと戻った。
先輩はただただ一点を見ていた。
それは僕の左手。そこに収まる指輪だ。
「その……僕で良かったんでしょうか?」
「ありがとう、川上くん」
僕たちの言葉は重なったけれど、先輩が言葉を続けた。
いえ、違うわねと先輩は口にして、
「不束者ですがよろしくお願いします。ご主人様」
こうして僕と先輩の奇妙な関係が始まった。