私は現在、都内のタワーマンションで一人暮らしをしている。30階建ての20階で間取りはは2LDK。私の部屋は賃貸契約で、月々の家賃は20万を超える。20代前半の学生がそんな高額な家賃を払えるの?といぶかしむ人も多いだろうが、家賃は事務所と折半なので、私の収入でも十分に生活していける。家賃を事務所と折半しているのは、安全面の理由からだ。それだけ今の事務所は、私に期待しているということでもある。
私がエントランスで部屋番号を入力すると、ドアは静かに開いた。
「すげえな、最新式のタワマンって」
「まあ、安全に重点を置きたければ、このくらい常識だけどね」
「近所付き合いなんかできなさそうだね」
「ないね、そんなもの・・・隣に誰が住んでいるのか知りたくもないし興味もない」
そもそも芸能人というのは、顔を知られている分だけ何かと不都合なことも多々ある。近隣住民にサインをせがまれるのはまだマシな方で、中にはストーカーまがいのことをされた人も存在する。トラブルが起きた場合、引っ越すのはたいてい芸能人サイドだ。近隣に迷惑がかかるという理由で、芸能人がマンションを借りることに、いい顔をしない不動産業者も多いんだよね。
私はオートロックの鍵を解除して玄関の扉を開け、渚に中に入るよう促す。彼が中に入るのを確認すると、素早くドアを閉めてロックをかけ、室内の電源スイッチをオンにする。
「うわぁ、あかりの部屋ってきれいだなあ、それにとっても広い」
渚は私の部屋を見て、子どものようにはしゃいでいる。
「とりあえず、お茶の用意をするね。リビングはそっちだから。飲み物はなんにする?」
「じゃあ、コーヒーで」
「銘柄は?」
「インスタントでいいのに」
「なに言ってるの?今日は特別な日になるかも知れないのにさ」
「え?なにそれ特別って?」渚はきょとんとする。
しまった。私ともあろうことがなにを妄想しているのだろう。冷や汗が吹き出るのを感じながらも、私は激しく首を振る。
「ううん、なんでもない」
「なに動揺しているの?」いつの間にか、渚の目は細くなっている。
「だーかーらー、なんでもないっていっているでしょ!銘柄は?」
「それじゃあ・・・モカでよろしく」
「了解!」と私はいうと、私はお湯を沸かして準備を始めた。
「で、さ。さっきあかりが口走っていた『色気云々』ってさ、いったい何のこと?」
ダイニングのソファに深々と腰掛け、私が淹れたコーヒーを口に含みながら、興味津々といった表情で、私を見つめている。
「ああ、その話ね・・・」私は、浮かない表情で応じる。
「なんかあったんだね?」
「うん、まあ、ね・・・」私は押し黙ったまま、次の言葉が出てこない。リビングは、重苦しい空気が漂った。
その沈黙を破ったのは、やっぱり渚だった。
「仕事関係、でしょ」
「うん・・・」
「私の最新ドラマ、見た?」
「ああ、あのドラマのことだね?」
女優業を復帰してからの私は、復帰当初はその身体能力を生かして、アクション女優として活動してきた。だが昨年あたりから事務所は「20代になったのだから、これからは本格派の女優に脱皮してほしい」という狙いから、舞台や映画の仕事を多く入れるようになった。自然、ラブシーンがある仕事も多くなる。
だが私は、22歳になるというのに、未だに恋愛経験というものがない。中学時代に体験したあの出来事は事故みたいなもので、ファースト・キスというのは渚に失礼というものだろう。
それでも将来のためだ、これは仕事なのだと割り切って、自分なりに演じてきたつもりだったのだが・・・やっぱり、私の演技は小手先でごまかすと相手に見透かされていた。
ロケハンに出た場所で一人きりになり、静かに休憩時間を過ごしていると、誰かが私の陰口をいう声が聞こえてきた。
「あの磨瀬って子、アクションだけしか取り柄がないよね」
「そうだね。正直、あの子のどこがいいのかさっぱりわからん」
「あの子、大手事務所でしょ?それで制作側が忖度してるんじゃないの?」
「ああ、その可能性はあるよね」
「でさ、この間、あの子と告白のシーンをやったんだけどさ」
「ああ、あのシーンね」
「確かに、台詞回しはそれらしかったよ。でも、表情が全然なっちゃない」
「あのシーンで、あの表情はないっしょ」
「単なる告白シーンであの程度の演技力しかないんだから、ベッドシーンや過激な濡れ場なんか無理だって、第一、あの子のような色気のかけらもないオンナが『女優でござい』なんてふんぞり返っていられるほど、この世界甘くないっちゅーの」
その場にいた一同が、これらのやりとりをして腹を抱えて笑い転げていた。その場面を、話のネタにされていた当人が、最初から最後まで目撃していたことを、その場に人間は全員知らないだろう。いわれた当人が、どれだけ傷ついたのかを彼らは知るまい。
「ちょっといい加減にしなさいよ。経験不足の役者をたたくのはフェアじゃないよ」
とたしなめる声も聞こえたが、もちろんその意見に同調する声はほぼ皆無で、あの場にいたスタッフと役者たちは、休憩の間中ずっと私の悪口を言っていた。
その日は食事もそこそこに済ませると、部屋に閉じこもってベッドに横になった途端、涙が溢れてきた。後で誰かが部屋のドアをノックしていたが、私は知らぬふりを決め込んだ。それが影響したのか、そのロケハン以降の収録では、私は共演者やスタッフから無視され、すっかり浮いてしまった。
視聴者は、そのことに敏感に反応する。視聴率が伸び悩んだまま、そのドラマは終わってしまった。私は芸能マスコミから「視聴率不振の最大の戦犯」という烙印を押され、しばらくバッシングの嵐に晒された。その影響もあったのだろう。決まりかけていたドラマの出演もキャンセルになり、映画や舞台のオーディションでも、連戦連敗を重ねた。
美咲たちが順調にキャリアを積み重ねる中、私一人だけが同世代のライバルから置いてきぼりを喰らっただけでなく、後輩女優たちも私を蹴落とすべく、着実に実績を積み重ねていた。私は弱冠22歳にして「芸能界引退」の危機に直面したのである。
「ちょうどいい潮時だから、芸能界を引退して普通の学生みたいに就職活動をして、地味にOL生活を送ろうかな?」
私が渚を自宅に招いたのは、そんな時期だったのである。
「どーせ私なんか、アクションしか取り柄のない、色気が永遠のゼロのクソ女優ですよ」
半ば捨て鉢気味に、私はつぶやいた。ゼロどころかマイナスだ。心の中で、私は毒づく。
だが渚は、そんな私をたしなめるでもなく、ただニコニコ笑っている。
「なにがおかしいの?」
「あかり、さっきからグチグチ言っているけど、今の状況は君が思っているほど悪くないかも知れないよ」と渚はいう。
「どういう意味?」
「ものは考えようさ。今がゼロっていうことは、これ以上落ちないってことだよね?」
「だから?」私はぶすっとした表情で返事をする。
「あかりは、色気がほしいんでしょ?」と、渚は真顔で返す。
「ええそうよ、カネを出せば買えるのならばほしいわよ!」と私は叫ぶ。
そういえば中学時代、殺せんせーが担任として赴任した際、賞金でなにを買いたいと聞かれた私は「筋肉でもいいから胸囲がほしい」とかいっていたな。お姉ちゃんが巨乳だったから、あの頃の私は事あるごとに「脱巨乳」と叫んでいた記憶がある。
「じゃあ、僕があかりを『色気がある女』にしてあげるね」と、渚がすっとぼけたことをいう。そんなことができたら、誰も苦労しないっての!
「どうするの?」ワタシの声は、知らず知らずのうちにとげとげしい響きになる。
「こうするのさ!」渚はきっぱり言うと、私にキスをしてきた。
「うぐぐっ!」突然の出来事に、ワタシは声も出ない。
彼は自分の舌を私の口入れ、片方の手で私の乳房を愛撫し、もう片方を背中に回した。
「ハウッ!」
私の背中を、これまで体験したことがない快感が走った。