エミヤが起こされたのは、ランサーの騒がしい声と衝撃のせいだった。ランサーを待ってソファーで眠ってしまったエミヤは、いきなり上に乗って来たランサーに叩き起こされた。
「エミヤ!」
「……何だね、ずいぶん元気ではないか。人を起こすのに他の方法は無かったのかね?」
「ご機嫌斜めだな」
「すまんな。斜めに傾いている性質で。いいから、退いてくれ。重い」
「俺、謝った方がいい?」
「君は子供じゃない。自分で考えろ」
エミヤは抱きついているランサーを退かしながらソファーから立ち上がり、着たままのスーツにため息を吐いた。口のなかでシワを取らねば、と呟いている。
まだソファーにしがみついているランサーに向かって、
「仕事に出るのは何時だ?それまでにこちらも準備しておくから」と言った。
「仕事?行かねぇよ、俺」
え?と言わんばかりの顔でエミヤはランサーを見た。ランサーはここ一ヶ月以上仕事を放り出していた為、仕事が溜まっていたのだ。シカゴのオフィスに行けば、拘束時間は毎日深夜になっていた。エミヤはボディーガードなので、同行する必要があり、何もしないでただオフィスにいるだけの時間を、思考の時間に宛てていた。考える事はたくさんある。ランサーと共にオフィスにいることは、戦場で何日も来るか来ないかわからない敵を待つよりましだった。少なくとも不意に撃たれない。
「何故?片付かない、と言っていたではないか」
「いいんだ、後はキャスターが何とかするから」
「…キャスターが、何をすると?」
ランサーはにっこり笑った。
「何でも、俺にとって良いことをさ」
ソファーに座り直して、子供のように笑う。エミヤは違和感を覚えた。
「思考回路を落として来たみたいだぞ、ランサー」
「お前、相変わらず俺に失礼だよな」
ランサーがエミヤに指を指した。エミヤは違和感がどこから来るのかわからなかった。とにかく、ランサーらしくないことだけはわかる。が、言っている事はランサーだ。仕草か?言っている中身か?何だろう?
「ランサー、お前、早く来いよ、飯食うぞ」
「ああ、悪い、今いく」
キャスターが部屋を覗いて顔を出した。嬉しそうに応えるランサー。エミヤは漸く納得した。今までランサーはどちらかと言えばキャスターを遠ざけようとしていたのだ。それが、とても親しそうになっている。悪い事ではないが、どんな心境の変化だろう?
「昨夜はキャスターと話ができたのか?」
「ああ、昔の事とか、色々な。結局キャスターの抱き枕にされてこっちに戻れなくてよ」
ランサーは唇を尖らせて不満そうだった。
「そうか、君はいい匂いがするし、キャスターも安心できたのだろう」エミヤが満足そうに言った。
「お前知ってるか、キャスターもいい匂いがすんだぜ」
それだけ言ってランサーがご機嫌でシャワールームに消えると、エミヤはランサーの脱ぎ捨てた服を畳んで机に置いて出ていった。
どうもランサーらしくない。まるで小学生の子供のようだ。おまけに、
「手を出してこない」
珍しい。いつもうっとおしい程にくっついて来るのに。まあいい、仕事は無い、エミヤもシャワーを浴びてから朝食を作りにキッチンに行こうと思った。
キッチンに行くと、主人の朝食の片付けをしている真っ最中で、部外者がチョロチョロするのは憚られた。それで、仕方なく敷地内の散歩に出ることにした。
湖の畔のランサーの邸宅は、ボートの係留所もある。そこまではさほど遠くない。桟橋の端まで行って帰れば、時間的にいい頃合いになるだろう。エミヤが歩き始めると、誰かが呼び止めた。
「エミヤ!」
ランサーの声かと思って振り向くと、にっこり笑ったキャスターがいた。
「散歩かい?一緒に歩いていいか?」
「…かまわない。君が不快でなければ」
キャスターが笑った。
「お前、ホント面白いこと言うな!」
「…それは、どうも」
キャスターが追い付き、エミヤと並んで歩いた。キャスターの背はランサーと同じだ。一卵性双生児、遺伝子学的には同じ生物。双子は近くにいるより遠くに離れた方が似ると言うが、成人してから離れたこの双子には関係無いようだ。あまり似ていない。ただ、それは性格が、と言う意味だ。姿は二人ともそっくりだ。
光に透かすと青く輝く髪、生き生きとした赤い瞳、整った容姿、明るい空気。けれど、エミヤは双子が全く同じ姿で同じ言葉を発したところで、二人を見分ける事ができると確信していた。
「何も聞かねぇの?」
エミヤが何も言わないでいると、キャスターが話しかけてきた。
「ランサーが君に聞くと誓った。だから、それを待つ。君がランサーに協力してくれたら嬉しい」
「裏切って何も聞かないとは思わねぇの?」
エミヤは頷いて、キャスターに言った。
「それもランサーの選択であれば、仕方ない。けれどキャスター、君は間違っている。私はランサーを待つと言ったが、ランサーがどうしようと君には何の関係も無い。ランサーが出来ないのであれば、私がするまで。私は私のしなければならないことをする。必ずこの非道な行いを終わらせる」
「ランサーが嫌がってもか」
「私は私の望みのために全てを犠牲にする。例えそれが何であっても」
「どういう意味だよ。それじゃまるでランサーを生け贄にするみてぇに聞こえるぞ。お前の伴侶なんだろう?」
「ああ、確かに。だがその事はランサーは承知だ。もし、ランサーが私を誤解しているのなら、とても残念だ。ランサーが口だけの誓いをしたと言うことになるからな」
「勝手な言い分に聞こえるな」
エミヤはふと微笑んだ。
「愛とは身勝手なものだ。何かを犠牲にしたがる。キャスター、分かっていないようだから、何度でも言う。私は必要であればランサーを排除することも厭わない。それが、私の望みのためであれば」
「お前は人か?言っている事に情がねぇぞ」
「クーフーリンは皆情が深いのだな」
変わらず微笑みながら応えるエミヤ。
「私の言うことに情が無いのは当たり前だ。ランサーから受けとる以外の愛は何も持っていないから」
「矛盾してねえか?ランサーを排除するお前と愛を受けとるお前と」
「…いや、そう思うのなら、それでいい。君は間違っていない。私は相反した存在だから。今更人にはなれぬよ」
桟橋の付け根に着くと、エミヤがキャスターの正面を向いた。
「ランサーから離れてもらいたいのか?」
「当たり前だ。お前は、危険すぎる。ランサーには相応しくない」
「私もそれには賛成だ。だが、出来ない。ランサーが選択し、私が受け入れた。私が誓って、ランサーも誓った。ランサーが与え、私が受け取る。私達はそう言う存在だ。もし、これが崩れると言うのなら、命をかけた人魚が泡になると言うだけのこと。何もかもが闇に消え、楽園を止める者はいなくなる」
「何の事だ?」
「ランサーに聞けばいい。今朝のランサーは君に心酔しているようだった。今ならきっと知らなくてもいいことまで教えてくれるだろう。君の好奇心は満たされるが、果たしてそれが君にとって良いことかどうかはわからない。聞けばきっと君は私を欲しがる。だが、決して手に入らない。歯がみするといい」
エミヤは最後無表情になって言葉を叩きつけ、足早に去った。キャスターは振り返らなかった。
「俺があいつを欲しがる?…どうして」
キャスターは呟き、頭を傾げた。エミヤの言っている事の大半がわからなかったからだ。情はない、ランサーとは別れられない、望みのためにランサーを殺してもかまわない、でも別れたら命をかけた事が無駄になる。
「なーにいってんだよ」
湖に向かって、息を吐いた。大体、何故好奇心を満足させたら、あいつが欲しくなるんだ?冗談。ヤダよ、あんな奴。
キャスターはその日一日をランサーと過ごした。話すことはたくさんあった。離れていたときの事、仕事の事、コトミネの事。ランサーはコトミネの事を話したときだけ嫌悪感を顕にしたが、他についてはのんびり話していた。
キャスターは夕食後、ランサーと自室に籠り、一晩かけてエミヤへの好奇心を満たした。ベッドでランサーと寝ながら考える。
あいつの言っている事は間違ってない。なるほど、俺はあいつが欲しい。
いとしいランサー。お前よりも俺に相応しい奴じゃないか。お前が酷い目に合うよりも、俺が盾になってやるよ。
あいつは俺が手に入れてやる。
ランサーがキャスターの腕の中で身動ぎをする。キャスターは満足そうにため息を吐いた。
双子の肌の温もりは同じだ。手も足も身体も爪も髪の先まで同じだ。同じものが二つ、一つに溶け合うように眠る。子供の時のように。
誰かといるよりずっといい。漸く還って来た自分の片割れ。俺のランサー。俺と共にあれ、俺の半身。命も魂も分けた俺の兄弟。溶け合う身体も分け合う喜びも全て二人だけのためにある。二人で一つの俺。
頭に軽くキスをして、ランサーを抱き締める。二人だけで過ごす、最高の時間。ずっとこうしていような。
エミヤは昨日、ランサーに朝会った以来、顔も見なければ、声も聞かなかった。何らかの問題が生じているのは分かっているが、何もしなかった。これはランサーの問題だ。いくらエミヤがすがっても、逃れる気の無いものには何も出来ない。このままランサーが壊れていくのを見るのも辛い。キャスターはランサーを完全に支配しているようだ。それを心地よいと感じるようなら、ランサーを見誤ったのは自分だ。
美しい、綺麗なランサー。きっとそれは純粋過ぎる煌めきを放っている。自ら濁ると言うなら、止められない。選択をし直すのであれば、早い方がランサーの為だ。
ランサーに会う前に戻るだけ。それだけだ。人魚は泡になる。時を待てばいい。
エミヤは慈愛に満ちた微笑みを溢した。愛するものの事を考えるのは、どんなことでも良いものだ。
次の日、いつものように朝食を作りに行こうとすると、キャスターが廊下に立っていた。
「よお、お早うさん。寝坊してな、あんたと朝飯を一緒に摂りたいんだが、いいか?」
エミヤはため息を吐いた。
「嫌だと言っても着いてくるのだろう。二人分作るのは手間ではない。いいだろう、話したい事もあるし。ご一緒しよう」
歩き始めたエミヤの肩にふわりとキャスターの腕が巻き付いた。不思議そうにキャスターを眺める。
「仲良くしようや」
エミヤは何も言わなかった。腕を振り払うこともしない。キャスターと肩を組んで無表情で歩いた。
キッチンに着くと、てきぱきと料理を初め、いわゆるアメリカンブレックファストを出した。卵はオムレツ、チーズを入れてあるが、ソースはかけない。作業台に大きなケチャップのビンを置いた。
「どうぞ」
キャスターに話しかけたのはそれだけだ。二人は並んでスツールに腰掛け、黙々と食べた。
食べ終わり、コーヒーを飲むと、キャスターが問いかけた。
「話したい事ってなんだ?」
「ああ、ランサーと話がしたいのだ。君抜きで。伴侶としての話だ、兄弟は関係無い」
「いいけどよ、そんなん、ランサーに直接言えよ」
「君の部屋から出てこないではないか。伝言してくれ。エミヤが話をしたいと」
「なあ」
キャスターがコーヒーを置いた。エミヤの手を強く握る。キャスターの左手が、エミヤの右手を拘束した。
「ランサーから乗り換えろよ」
エミヤがキャスターを見つめた。右手は振り払わない。握られたままだ。
「乗り換え?何から何にだ?」
「誤魔化すなよ。分かってんだろう」
「つまり?」
「俺の伴侶になれ」
エミヤは心底不思議そうに言った。
「何故?君は選択していない。私はそれでは動かない。君が選択して初めて考えるだろう。だが、何もせずに私を手にいれることは誰にも出来ない」
「選択とは?」
「私の事をランサーから聞いたのなら、知っているはずだ。知らないのであれば、ランサーはそこだけ正気だったのだろう」
キャスターの手をもう一方の手で優しく叩く。
「ランサーを責めるな。君のミスだ」
言うと立ち上がり、キャスターの手を振り払って皿を片付け始めた。
キャスターは作業をしているエミヤをじっと見ていた。その背中を。
作業が終わって振り向く時を狙ってエミヤを流しに拘束するように両手をついて鼻が触れるほど近付いて言った。
「力ずくでもいいんだぞ。お願いしている内にいいと言えよ」
エミヤの目が開いてぱちくり瞬いた。それからふん、と鼻で笑うと、キャスターの腕を思い切り掴んだ。
「キャスター、君がランサーからどう聞いているか知らないが、素人がプロに力ずくとは笑わせる。君には私を一秒たりとも拘束などできまいよ」
キャスターの顔が痛みで歪む。エミヤに潰されんばかりに腕を握られ、悲鳴を上げた。
「ってーな!」
キャスターが痛んだ腕を擦った。
「痛くて良かった。感じなかったら、殺していたかもしれん」
エミヤが射殺さんばかりに睨み付けた。
「ランサーへの伝言、よろしく頼む。そして、ランサーが選択を翻すなら、これ以上私に会わぬよう気を付けるがいい、キャスター」
エミヤはそういい終えて自室に下がった。姿が見えなくなってもキャスターはしばらく動けなかった。見たことの無い恐怖、自信に裏打ちされた殺意。あいつは何だ。人ではない、まるで、…昆虫のような目をしていた。
その時、異名を思い出した。
女王蜂。
あれが、蜂か。
エミヤの殺意をぶつけられて無事に済んだものはいない。ここが戦場でなくて良かった。間違いなく殺されていた。
エミヤは誰にでも身体を明け渡す。器は虚ろなる故に。同時に誰をも殺す。その理想のある限り。
キャスターはランサーや他人から色々聞くより、エミヤと対峙して初めて理解した。
あれは、人ではない。
キャスターの伝言で、母親に言われて仕方なく言う通りにするティーンエイジャーのような風情でランサーがエミヤの部屋にやって来た。
「よお、来たぜ。話って何だ?」
「ああ、ランサー。来てくれたか。一つはっきりさせておきたくてな」
エミヤは入って来たランサーをソファーに座らせ、お茶を注いだ。
「どうぞ」
エミヤがランサーにお茶を饗したのは初めてだった。いつもランサーが酒を持ち込んでいたので。ランサーはその事に疑問も無いようだった。エミヤはランサーの対面に座り、大きく深呼吸をした。
「今後の事だ。君は心境に変化があっただろう?まだ私に誓った選択を履行するつもりか?」
ランサーはカップに口を付けながら、エミヤを見た。
「どういう意味だよ」
ランサーがカップを置いた。
「君の誓いを無効にしたらどうか、と言っている」
ランサーはソファーに深く沈んで天井を見上げた。エミヤは無表情でランサーの回答を待った。
「…そうだな。夢は夢だ。見たつもりになっても意味はない。きっと俺はどうかしてた」
ランサーの目は天井を向いたまま、エミヤの方を見ることはなかった。エミヤはその先を黙って待った。ランサーの目が天井からエミヤに移動し、見つめた。
「お前は、それでいいのか?」
エミヤが微笑む。
「君の人生に幸多からん事を祈る」
「それだけか」
「他に何を?私の望みを知っているのであれば、最早私が君に期待することなど何もない。捨てないでくれと言って欲しかったか?」
「お前、嫌な言い方をするな」
「愛想が悪いのは自覚している。だが、そんなものは必要ない。既に君は私にとって単なる知り合い以上ではない。友でもなければ愛人でもない。さて、今日の夕方までにはここを出る。それまでこの部屋を借り受けるが、かまわないか?」
「構わねぇが、シカゴまで送ろうか?」
「無用だよ、ありがとう」
エミヤはそれ以上話すこともなく、ランサーも何も言わなかった。結局カップの中の紅茶は飲まれることなく、まるで二人の気持ちが溜まって凍ってしまったようだった。
やがてランサーは立ち上がり、何も言わずに出ていった。エミヤも声をかけなかった。
「私は、片割れよりツイていないらしい」
苦笑し、携帯を取り出した。キャスターを救助してからの報告がそろそろ到着する頃だ。蜂は既に放たれている。女王蜂は蜂の知った事を整理する時間を欲した。
ランサーはキャスターの部屋に帰った。キャスターは何やら書斎で仕事をしている為、自室にいなかった。一人きりのキャスターの部屋はがらんどうに見えた。書斎に行けば会えるだろうが、その気も起きない。ランサーはベッドにはい上がり、うとうとしながらキャスターの匂いを嗅いだ。
大好きな匂い。昔からの、ずっとずっと一緒の。温もりは同じ温度。身体も顔も声も同じ。だから、
だから?
ふと思い立ってキャスターの部屋を出て自分の部屋に行った。
自分の部屋は、キャスターの部屋よりがらんどうだった。何もない。ふらふら自分の部屋のリビングに行ってみた。やはり何もない。こんなに何もなかっただろうか?ランサーは昔を思い出そうとしたが、記憶がスライドしてうまくいかない。滑って落ちるように自分の感情と記憶が掌からこぼれ落ちる。不思議には思ったが、難しく考えるのはやめた。そう言う事はキャスターが代わりにやるだろう。さっきキャスターの部屋でうまく眠れなかった。ランサーは自分のベッドに行くべく寝室のドアを開けた。
ベッドはメイキングしてあり、いつでもランサーを待っている。のんびり布団に入ろうとした時、ベッドサイドに何か置いてある事に気付いた。キラキラしている。
ランサーは不思議に思って近づいて、よく見た。
すごい数のダイヤモンドがちりばめられた首飾りだ。キラキラピカピカしている。まるで星のよう…。
「綺麗だな。キャスターに似合うか…」な、と口に出し、首飾りを手にしたところで、思い出した。
白い髪、厳めしい顔、肩に纏った星。俺の星。
"太陽を纏い、月を踏み、頭に十二の星の冠を被った女が産みの苦しみに泣き叫んでいた。赤い龍は女の前に立ち、生まれた子を喰い尽くそうと待ち構えていた"
手にした星はランサーの手からこぼれ落ちる。砂のように、コインのように。キラキラ輝きながら。
赤い龍。
狙われていたのは、女ではなくて、子供の方か?
杖持つ子供は父の元へ隠される。赤い龍が封じられ、王として統べる事ができるようになるまで。獣を倒し、龍を封じなければ王は帰還しない。しかし、龍に喰われてしまったら、帰還も何もない。
キャスターは、コトミネにされた事を話したくないと言っていた。ランサーはつらい思い出を何度も思い出させるのは可哀想だと思って、コトミネとの事は聞かないようにしていた。だが、エミヤが言った通り、下らない感傷で根本から自分が間違っていたとしたら、どうなるだろう?
ランサーの手から全ての星が滑り落ちた時、家に銃声が響いた。
ランサーが部屋から出て行って客間にはエミヤ一人が残った。携帯のメッセージを確認する。文字も数字も記憶し、検索をかける。できるだけの検索はするが、後はやはり自分で探さねばならないだろう。
アイルランド、イギリス、ハンガリー、オーストリア、ドイツそれにフランス。
広大過ぎる。
蜂はオーストリア辺りにいるが、ハンガリーまで行ってもらうか。こちらはアイルランドから、様子を見てオーストリアと言うところ。本命はハンガリー、オーストリア、ドイツ。
そう言えば、時間を作れば姉に会えるかも知れない。何年ぶりか。
エミヤが思考を巡らせていると、ノックも無しで扉が開いた。
「話は済んだか?」
さっき出て行った愛しい者の半身。
「ああ、君の思惑通りに。安心したか?」
エミヤは一人頷きながら話した。
「俺の思惑たあ、物騒な言い方だな」
キャスターはさっきまでランサーが座っていたソファーにどっかりと身体を預けた。
「ランサーから私を離したかったのだろう?いいではないか、私はじきここを出ていく。安心したまえ、財産目当てではないから、今度の事で裁判など起こさない」
エミヤはわざと話題を反らした。キャスターが本当にランサーの幸せを願うなら、これで安心するはずだ。そうではないのなら、きっと。
「俺が言っているのは、そう言う事じゃない」
キャスターがイライラとしながら言った。
「俺はお前がランサーに相応しく無いと言っただけだ。それに、今朝俺はお前に提案したはずだ」
そして、ソファーから立ち上がり、エミヤの隣に座った。キャスターはエミヤの両手を握ると、その甲に恭しく口付けた。
「俺と共に歩もう。お前の希望は俺が叶える。ランサーは俺の半身だ。お前は何時でも俺達と共に行動し、三人で世界を支配すればいい。何も考えずに」
キャスターの赤い瞳がエミヤ一人を映す。光に当たって髪が宝石のように青く輝く。美しい白皙の美丈夫。キャスターの声と言葉には力があった。エミヤは一瞬キャスターに見とれた。とても美しく見えたので。美しく、残酷な支配者、マクイルの当主、ランサーの双子の兄、そして、
「支配はしたくない、レッドドラゴン」
赤い龍。
エミヤはキャスターの手を握って膝の上に置いた。キャスターが不思議そうにエミヤを見る。
「何だそれ?レッドドラゴン?」
「君は黙示録を知っているだろう?君は獣に権威を与えた赤い龍だ。初め、私は君のことをコトミネに支配されている獣だと思っていた。一方的に支配され、何をされても動けなくなっているのだと思っていた。もし、君がランサーに手を出さなければ、私はずっと間違っていただろう。けれど、君はランサーを必要とした。そして、"支配した"」
「穿ちすぎだ。単に兄弟の絆を確かめているだけだぜ」
「ニューヨークでランサーのドライバーが自殺した。ダストを服用していたにも関わらず。ダストは自己肯定を高める作用がある。本来なら、殺されていたのは私達だった。けれど彼は圧倒的に自分が有利な状況で頭を半分飛ばして自殺した。一つの仮定として、"誰かに自殺するよう言い含められていた"と考えた。しかし、催眠などで"自分を殺せ"と暗示することは出来ない。人には生存本能があるからな。では、どうするか。"口に咥えろ、引き金を引け"と命じる事はできる。だが、それだけで彼は言うとおりにするか?との疑問が残る。
キャスター、君は人の感情をコントロールできるだろう?」
「何をワケわからんことを」
キャスターが笑う。
「なら、何故私は君からのプレッシャーを感じ続けているのだ。人によっては攻撃されているように感じるぞ」
「そんなでき損ないのSFみてぇな力は持ってねぇよ」
キャスターは尚も笑う。エミヤはキャスターから目を離さないで話続けた。
「君は接触によって共感能力を増幅し、フィードバックをかけて君の感情を自分の感情だと相手に誤認させる事ができる力を持っている。キッチンで昨日と今日、私に二回試しているだろう。そして、今も」
キャスターから笑顔が消えた。
「君は共感能力を使ってドライバーが自分自身を攻撃するようネガティブ要素を刷り込み、彼の境遇につけ込んで自殺させた。理由は、私を殺した後、ランサーを救うため。
君はランサーを殺したくなかった。だから、彼の兄に私を殺させた後、兄を始末するために彼を送り込んだ。始末した後は、情報漏洩を防ぐ為に自殺するよう仕組んだ。
彼の兄はランサーに対して時間のかかる方法をとって襲っていた。私が助けることを計算していたからだ。ランサーが窮地に陥ることで、ダストユーザーがランサーをも標的にしたと思わせるために、殺し方まで指示した。成功していればその後、一人になったランサーは君の写真を手にいれ、コトミネが全ての元凶だと誤認し、コトミネを殺すはずだった。コトミネに囚われていた君は、全き被害者としてランサーを手にいれると言うわけだ。
キャスター、君は悪魔と言うに相応しい男だよ」
キャスターはエミヤにニヤリと笑いかけた。
「俺はずっとコトミネに囚われていた。出来っこないだろうが」
エミヤはキャスターの手を離した。
「コトミネに囚われていたのでは無いだろう。反対だ。君がコトミネを支配していた。あの写真も自分で指示した通りに撮影させていたはずだ。でなければ、"わざわざコトミネが写るような写真を撮るはずがない"。
私と対峙した時、コトミネはしきりに父の理想を実現すると言っていた。少し違和感があった。長年離れていた親子がそこまで父の理想に拘るのか、と。君がそう仕向けていたとなれば、納得する。あれは、自分の中にあるものの、表に出ない類いの思いだ。しかも矛盾していることすら気がついていないようだった。理想を追いかけて父と別れたのに、父の理想を実現すると言っていた。心の奥底にある理想の父と自分の理想がぶれて重なっているようだった。感情が混乱すると願望ばかりが噴き出す、そんな状態に見えた。ましてやコトミネはダスト使用中だった、想いは全て肯定される。自分の中では喜びで溢れていただろう。自らと父の理想を実現出来ると信じて。きっと操られていたと気付きもせずに死んだのではないかな。君が操作出来るのは感情だけだ。だから、余計に相手は自分の中から沸き上がるものだと誤認するだろう」
キャスターがエミヤの腕を掴んで静かに言った。
「そんな事が出来るなら、とっくにお前は俺のものだろうが」
エミヤが口の端を上げるだけの笑みを溢した。
「私は他人に影響を与えることは出来ないが、似たような力を持っている。エミヤ同士限定のエンパシストだ。ランサーから聞いたろう?同じ人間が二つに別れているように存在していたと。私には君が何をしているか位わかる。だから、私をどうにかしようと考えるな。君の手に負えるものではない」
キャスターの感情が身体中から噴き上がり、部屋中を満たす。憎悪、嫌悪、恐怖。
「言っただろう、キャスター。私は決して君の手に入らない。歯がみしろ、と」
キャスターが立ち上がり、エミヤに銃を向けた。
「お前が従わないのなら、俺はランサーを殺すぞ」
エミヤは無表情で言った。
「君に支配されたランサーは魅力がない。それに、前にも言っただろう、私はランサーを犠牲にすることを躊躇わない。キャスター、見誤っているのは君自身だ。私は私の望みを果たす為に、全てを犠牲にする。例え私自身であっても」
「ここで死んでもいいのか」
「好きにしろ。どうせ撃てない」
「なんだと?」
「片割れは既に亡く、オルタはデータを受け継いでいない。エミヤはこの世に私一人だけ、君は原データを諦めきれない。けれど、人魚の愛がなければ、データにたどり着けない。滑稽だな、キャスター」
キャスターの銃がエミヤに向かって撃たれた。エミヤは身動ぎ一つしなかった。キャスターが放った銃弾は、客間のガラスを割った。
「どうする、キャスター。私に協力するか?」
キャスターの顔がくしゃりと歪んだ。
「するわけねぇだろ!何でてめえなんかに!」
「何時でも、情報を多く持っている者が強者となるのだよ。今は、私だ」
エミヤは立ち上がり、キャスターに近づいた。
「ダストの実験棟は何処だ?教えろ、キャスター」
キャスターの手が震え、銃口が下を向いた。
「教える訳ねぇだろ。女王蜂め、南米の時も今も何故俺の邪魔をする…」
「おい、今の銃声は!」
キャスターが呟くように言葉を口のなかに消した時、ランサーが入って来た。それを見たキャスターは、ランサーに笑いかけた。
「ランサー」
キャスターがホッとした顔をしたが、ランサーはキャスターを見なかった。
「エミヤ、ケガは無いのか?」
ランサーがエミヤに駆け寄る。キャスターの目が見開いた。
「ランサー?」
「キャスター、てめえ、エミヤに何しやがる!」
ランサーがキャスターに向かって言葉をぶつけた。キャスターの身体が次第に震えて来た。エミヤが冷静にキャスターに語りかけた。
「キャスター、どうやらランサーの暗示が解けたようだ。ここは大人しく言う通りにしてもらえないか?」
キャスターが二人に向かって銃口を向けた。
「死ねよ」
ランサーはエミヤを庇うように立っていた。銃弾がランサーに向かって放たれるその時、エミヤがランサーを突飛ばし、キャスターの銃弾をその身で受けた。
「エミヤ!」
ランサーが叫び、エミヤが踞る。キャスターはその場に銃を捨て、部屋から飛び出した。ランサーがエミヤに縋ったが、エミヤはランサーを押し退けた。
「どけ、ランサー。キャスターが逃げる」
「バカ言うな、お前撃たれて、」
「だから何だ!手を放せ!私は痛みなどどうでもいいんだ!馴れてる!」
エミヤは肩と胸から血を流しながら立ち上がり、銃を片手にキャスターを追った。その身のこなしはいつもと変わらず、ランサーはエミヤの言っている事を理解した。スパイナルの痛みは撃たれたときより上だ。それでもエミヤはダストユーザーと同じ動きが出来る。女王蜂とは、人ではなかった。
キャスターの足は早く、恐らく外出予定があったのだろう、玄関に既に車が用意されていて、それに乗ってキャスターは逃げた。スパイナルを使っていないエミヤはキャスターを追うことを諦めた。
「エミヤ!」
ランサーの声がエミヤに聞こえた。
「ああ、ランサー、君、キャスターと一緒に行かなくていいのか?」
「何言ってんだよ」
「私達はさっき別れたばかりだぞ」
「冗談言うな!お前と別れる訳ねぇだろ!お前が逃げたって追いかけるって前に言ったよな」
エミヤの目が見開き、瞬きを何度もした。
「あの話し合いは何だったのだ…」
心底落胆した声を出し、ガックリと肩を落としたエミヤは一言、
「病院へ連れて行ってくれ。出血多量で死ぬ前に」
と言って、その場に崩れた。
手術と輸血、それに安静を言い渡され、エミヤはキャスターを追いつめられなかった事を悔しがった。エミヤによると大したケガではないそうだが、担当医からはきつく安静が申し渡された。銃弾は肺を貫通していて、死ななかったのは、単に運が良かっただけだと何度も言われた。
「運は悪い方なのだが」
とポツリと言った事は、全員に無視された。エミヤは体力に自信があると言っていたが、退院には一週間を要した。
ランサーの家に二人して帰る。エミヤはリハビリしながら入院しており、まだ在宅プログラムは続行しなければならない。後遺症が残りやすい所では無いものの、油断は禁物と言われた。ランサーは毎日エミヤに面会し、その度に言葉だけで愛を囁いた。キスも手を握る事さえしなかった。ランサー曰く、けじめだそうだ。エミヤには理解出来ない。別れて無いなら、元のままだ。しかし、ランサーはそれを良しとしなかった。エミヤを不安がらせたと言うことが、ランサーにいたく反省させる事となった。
結論として、ランサーがしたいのなら好きにすればいい、エミヤは口に出さなかったが、ランサーの反省を投げ捨てた。
「痛くないか?してもらいたい事は何だ?」
「特に。ランサー、君こそちゃんと休みたまえ、どうせ仕事漬けで家にも帰って無かったんだろう?私は一人で大丈夫だから、君は君自身の面倒を見るといい」
ランサーが自分の身体を嗅いだ。
「ん?臭いか、俺」
エミヤが眉をひそめた。
「臭い、と言う程では無いが、臭う」
「げ。わかった、風呂入ってすぐ来る」
「?来なくていいぞ、ランサー」
「俺が嫌なんだ。エミヤがいるのに、何で一人で寝るんだよ」
「怪我人だからだろう?」
「……すまん。一人で寝てくる」
「ぜひそうしてくれ。では、また明日」
ランサーがニッコリ笑った。
「おう!」
ランサーが出ていくと、エミヤは蜂からの報告を確認した。キャスターはフランスに寄った後、アイルランドのマクイルの別荘に引き篭っているらしい。会社の仕事はキャスターが行方不明だった時と同じように先代が引き受けている。ダスト実験施設を確認するのではと期待したが、調べのついているマクイルの寄贈施設に立ち寄ったと言う報告はない。
「面倒な」
エミヤはそう言って眠りについた。
ランサーが自室に帰り風呂に入った後、ベッドサイドにあるティファニーブルーの箱を開けた。星の煌めきがランサーに微笑みかける。キャスターから自分を解き放った光。
「エミヤは何度も俺を救ってくれている。俺は、あいつに何が出来る?」
口ではそう言うが、ランサーは既にわかっている。エミヤの望みを叶えること。己を捨て、人に捧げること、そして、見返りを求めないこと。
エミヤがそうしているように。同じようには出来ないが、己に出来るだけの事はしたいと思った。
ダストの殲滅、幸せな人生。
星を手にして再度誓う。この身を焼く炎に炙られよう。
「マクイルの名で建てた寄贈の病院、学校、施設を調べたが、実験施設は併設されていないと報告があった。そして、その全てに対しダストユーザーがいるか確認したが、気配も無かった。調査対象を関連会社まで広げる必要があるが、多過ぎてお手上げだ。君がわかる範囲でダストユーザーを作れそうな施設に心当たりはあるか?」
「いや、ねぇな」
「そうだろうな」
エミヤが横を向いてため息を吐いた。
「何だよ、いかにも落胆しましたみたいな仕草は」
「いい、わかっていた。という訳で、ピックアップした施設を自ら見て廻ることにした。君も来るか?」
「行くに決まってんだろう!一人じゃ行かせねえからな。この怪我人」
「傷が塞がれば心配無い。今はほぼ完治している。大袈裟だ、君は」
「うるせえ。とにかく、一緒に行くからな」
「わかった。では、よろしく頼む。我が伴侶よ」
ランサーの目がキラキラ輝いた。
「任せろ!」
聞いたとたんにエミヤは不安になった。
シカゴオヘア空港からパリド・ゴール空港へ。約8時間の旅、ほぼ寝て過ごした二人は、観光しようと言うランサーを(鉄拳で)宥め、夕食を摂ってからホテルに入った。
ここはパリである。ヨーロッパの中心、芸術と文化の都。繁華街に宿を取った為、いつまでも夜は明るい。珍しく安いホテルに宿泊するので、客室を二部屋取った。これも珍しい。だって部屋が狭ーんだもん。だ、そうだ。だが、スイートルームである。左岸に行った方が立派なホテルが多いのに。
扉がノックされて、ランサーが顔を覗かせた。
「なあ、飲みに行かね?」
「いいぞ。この辺り、バーも多いしな」
エミヤは黒いシャツに黒いジーンズだ。放っておくと、この男、黒しか着ない。ランサーはその内それを変えてやろうと思っている。因みにランサーは白いTシャツにジーンズだ。人の事は言えない。
二人でマレ地区を歩く。小洒落た店は閉まっているが、バーやクラブが煌々と光る。ホテルから少し離れたバーで飲んでいると、男二人組に声をかけられた。面白いショーが見られる店があるから、一緒に来ないか、と。開放的になったランサーがそれに乗り、帰ろうとしたエミヤを引き摺って店に行った。
「ショーとは、男性のストリップなのか」
最早感心するエミヤ。気まずいランサー。エミヤは弱いカクテルをちびちび飲み、ランサーはマティーニをがばがば飲んでいた。ドライマティーニを浴びるように飲む。ジンのビンでも抱えたらどうだろう?カクテルにする意味がわからないほど飲んでいる。耳鳴りがするほどうるさい音楽と、男ばかりのショーバー。マレ地区はゲイタウンだった。ランサーは声をかけてきた男にやたらとべたべた触られ、周り中の男から注目されていた。エミヤは努めてランサーと他人の振りをしていた。あんな目立つ色男と知り合いとか思われたくない。時々ランサーがこちらを見てホッとしているが、何故だかわからない。貞操の危機はランサーの方が上のような気がする。今のところエミヤに絡む者はいなかった。そうだろう。ショーバーに来てサングラスをかけているような物騒な男と気軽に話が出来るとは思えない。同じテーブルに座っているが、間に声をかけてきた男達が二人座っていて、ランサーと離されている。エミヤはショーを見ていた。
次々脱いで下着一枚で見せつけるように踊るダンサー達。光と音でセクシーさを強調する。特に見たいものではない。鍛えられている身体は見事だが、芸術品としては今一だ。もう少しこう、見せ方があるのでは、とショーの構成にダメ出しを始めた頃、急にランサーが立ち上がり、ステージに乱入した。
何故か盛り上がる店内。今日最高潮だ。ランサーがダンサー達と踊り始め、シャツを脱ぎ捨てた。
「何をやっているのだ、あのバカは」
冷静にエミヤが呟いた。ランサーの裸体は日に焼けて健康的な肌色をしているダンサー達の中で光って見えた。閨で輝く白い肌。エミヤはそれをよく知っている。鍛えられている大胸筋や、引き締まった腹筋、腕の筋肉も足も芸術品のように美しい。エミヤの視線は伴侶に固定され、ランサーはエミヤの気を引くように踊った。ランサーが居なくなって、暇になった一人が、エミヤの肩に腕を回した。エミヤがランサーに気を取られている内に、サングラスをはずされた。
「珍しい色だな。キレイ…」
と言ったところで、テーブルにあったナイフを目の前に突き立てられた。ランサーが上半身裸で男を睨み付けている。
「てめえ、エミヤに何の用だ。その汚い手で触んな。切り取ってやろうか」
殺気を含ませてランサーが言った。エミヤに回されていた腕はあっという間に離れ、男達はそそくさとテーブルから離れた。
「もう踊らないのか」
男達が居なくなって、テーブルにどかっと座り、ふてくされてランサーが言った。
「やんねぇよ。お前に見てもらいたかっただけだ。その間に誰かに触られるんなら、俺はお前から離れねぇ」
エミヤがランサーの手を握った。
「君はキレイだったし、一番セクシーだったぞ」
少し微笑んでエミヤが言うと、周りがざわついた。ランサーは顔を赤くして聞いていたが、周りのざわついた気配を感じとり、
「見んな!」
と叫んだ。エミヤはそれを聞いて口の端を上げたまま、カクテルに口を着け、ランサーに流し目をくれてきた。更にざわつく店内。ランサーが慌てて脱ぎ捨てた服を回収したが、その間にもエミヤに絡もうとしている男達がテーブルに近寄って来ていた。急いで手を掴んで店を出る。
「どうしたんだ、酔ったのか?」
「おっ前な、少しは自覚しろよ!」
エミヤが不機嫌そうに眉をしかめる。
「何をだ」
「何度も言ってんじゃねぇか!お前やらしいんだから、笑うな、しゃべるな!」
「何を怒っているんだ?別に何もしていないではないか」
無自覚誑しは全くわかっていない。ランサーは自分が何をすれば人がどう思うのか、全て自覚してやっている。計算しながら表情を作る。ところがエミヤは計算など全くしない。しないのに、人を誑し込んでいく。厳めしいサングラスの男が変わった目の色をした男になり、ほんの少し微笑んだだけで魅了する。こんなところに一人でいたら、声をかけまくられる。冗談じゃない。
必死に歩いてホテルに着くと、ランサーは漸くホッとした。エミヤの部屋の前で、
「寄って行くか?」
と言われたので、とても良い笑顔で
「おう!」
と答えた。
アメリカでは、さすがにケガの事もあって触るのすら躊躇した。ランサーを庇ってキャスターに撃たれた傷だ。無理をさせたくなかった。でも、これって誘われてるよな、俺。ウキウキしながら部屋に入った。
ブティックホテルと言われるこのホテルは、部屋のデザインが全て違う。ランサーの部屋とは雰囲気も配置も違っていた。
リビングに置いてあるソファーベッドにどっかり座り、几帳面に手を洗うエミヤを待った。テーブルの上にはワインとグラス、近くのスーパーで買った物らしい。チーズも置いてある。ワインの栓がスクリューキャップなのに気付いて、ランサーは勝手にワインを開けて飲み始めた。
「ランサー、手を洗う位したらどうだ?」
「やんねぇ。後で一緒に風呂に入るから、その時洗う」
「誰と風呂に入ると言うんだ?」
「お前以外の誰だよ。とぼけんなって話だ」
「バスタブが小さすぎて無理だ。君と入るのは絶対に嫌だ」
「その気にさせりゃ良いんだな?」
「ランサー、イヤだ」
「……何でだよ」
「それくらい、その、見ないで欲しい。準備する所とか、見られたく、無い……」
エミヤが視線を外して顔を赤くしながらぼそぼそ言う。ランサーの頭の中はすっかりエミヤで一杯になった。
「シャワーなら良いだろ!入ろう!今すぐ入ろう!準備とか、俺がやってやるから!入ろう!」
「ランサー!?」
エミヤの腕を掴んで必死の形相でランサーが叫ぶ。赤い目がギラギラしていた。エミヤは自分の発言のどこにその気になるような言葉があったのかわからない。わからないが、無事に済みそうにない。
「ちょっと待ってくれないか!早急過ぎるだ」
先は言えなかった。ランサーがエミヤをきつく抱きしめ唇にむしゃぶりついたからだ。ランサーの手が傷をきつく押す。ランサーはエミヤの状態に気付いていないようだ。静かな部屋にキスの音だけ響く。散々吸い付かれて息が上がる。ランサーの手がエミヤの尻に下がり、奥に指を入れるように動いた。
正直、最後にしてからかなり経つ。そんなに簡単には身体は動かない。けれど、暴走しているランサーには関係無いようだ。結局ソファーベッドに倒されてのし掛かられている。傷は痛むが、出血しなければ構わないだろう。エミヤはランサーに応える事にした。
「ランサー、ここでは用意がない。寝室で待っててくれないか?」
首筋にキスを落としながらランサーが「うん」と聞いているのか聞いていないのか、わからない返事をした。
「ランサー?」
「離れたくねぇんだけど」
ベロリと首から顎を舐めて言う。
「子どもみたいな事ばかり言わないでくれ。必要な物をとって来るだけだ」
「一緒に行く」
「…そうか」
エミヤはベタベタくっつくランサーを伴ってクローゼットに向かい、ローションとコンドームを取り出した。ランサーにコンドームの箱を押し付け、自分はビンを持って寝室に行く。ランサーはエミヤの手を握ったまま、後を着いて歩いた。ベッドに着くと、二人で縺れ合って転がった。貪るようにキスを交わし、身体をまさぐった。
エミヤが艶っぽい声を出した時、ランサーの手が止まった。
「ランサー?」
エミヤが不思議そうに見る。ランサーがエミヤの頭を撫でた。額から前髪を上げるように。泣きそうな表情でエミヤを見ている。
「どうしたんだ?」
「済まん。俺、帰るわ」
ランサーがモソモソと起き上がる。エミヤにはよく意味がわからない。どうすれば良いのかもわからない。声をかけようと思うのだが、なんと言えば良いのかわからなかった。
「本当、悪い」
ランサーが部屋を出ていった。こんなことは初めてだ。止めてくれと言っても止まらない男が自らやめるとは。
「取り敢えず、風呂に入るか」
自分の身体の火照りも鎮めないと。
ランサーは部屋に帰ると、シャワーを浴びた。頭を冷やしたかった。ベッドに雪崩れるように倒れると、歯を食い縛った。
「くそ」
拳を握り、目を瞑る。
キャスターの声。汗に張り付く髪、夜に光る白い身体、赤い目。同じものなのに、違う匂い。往き来する想いと懐かしくて嬉しい気持ち。
シーツに広がる同じ髪。同じ顔。同じ唇、同じため息、同じ身体。同じ快楽。わかっている。何もかも同じ。どっちがどっちだかわからない。一つに溶け合う心と身体。
記憶と精神に蝕まれる。
「最低だ」
ランサーは一人でベッドに寝転んで目を手で覆った。思い出したくない、現実とは思えない。実感がない。気持ちはある、スライドする記憶。
くそ、キャスター、俺に何をした!
エミヤとキャスターを比べる自分に嫌気がさす。褐色の肌と白い肌。汗がダイヤモンドのように……
駄目だ、萎える。
キャスターの置き土産はランサーをただ苦しめる。何て時に思い出させる。恐らく計算だろう。キャスターは人が悪い。
朝になり、エミヤの指定する場所に行くことにした。メトロ13号を北へ。悪名高いバンリュー(郊外)のサン=ドニへ。
「何年か前にテロがあった所だろ?」
「そうだな」
「そこに何がある?」
「君達の会社の子会社で、病院に資材を卸している小さな会社がある」
「そうか、で?」
「小さくてさほど儲かっていないのに、何故かコミュニティセンターを寄贈した。その会社の社長が個人的に」
「何だそれ?不正所得隠しの寄贈みたいな…」
「大当たりだ。怪しすぎる。で、見に来たわけだ」
エミヤはサングラスをかけ、胸ポケットから何かを取り出し、何枚か確認し、カードケースに入れ直して、ランサーに聞いた。
「君、フランス語は堪能か?」
「会話には困らねえ。嗜みだ」
「アッパークラスの嗜みも、たまには役に立つ。では、英語を忘れろ。いいな」
「了解」
と全部言いきる前にエミヤはコミュニティセンターに入り、受付に先ほどのカードケースを提示した。
「パリ警察の者です。こちらの建物に爆発物を仕掛けたと予告がありました。全員外に出て、なるべく遠くに逃げてください」
受付のふくよかなおばちゃんは目を白黒させていたが、さすがに理解が早かった。いきなり防災ベルを鳴らして、構内放送で逃げろと伝える。二分で見事に建物内が空になる。
「これ、泥棒の手口だぞ」
「そうだな、だが、この建物は本当にこれから爆破されるのだよ」
ウエストバッグから何やら取り出す。灰色の粘土のような物。
「エミヤサン、それプラスチック爆弾じゃねーの」
「トレビアン」
「バカにしてんのか」
「いいや。仕掛けるところはここではない。地下だ」
エミヤはそう言うと、階段で地下に下がった。下がると言っても、地下一階の建物だ。そこには配電盤しかない。と、思ったら、ある場所をエミヤが触ると、まるで出来損ないのスパイ映画のように配電盤が押されて引っ込んだ。
「エミヤ?何で、そんな事知ってんの?」
「雀蜂の何人かが、教えてくれた。ここは、」
配電盤の後ろに隠し扉を見つけ、蓋を開けて梯子を降りる。すると、さっきの騒ぎで誰も居なくなったのか、全ての作業が放置された理科の実験室みたいな部屋が見つかった。
「ダストの工場だ」
「マジか」
「と、言うわけで、ここを爆破する。君は何十秒で地上に出られる?」
「待てよ、せめて何分にしろよ!」
「生ぬるい!よし、走れ。五十秒後に設定した」
「梯子登るだけで終わっちまうだろうがよ!」
ランサーとエミヤは出来るだけの早さで駆け抜けた。途中途中で信管付のプラスチック爆弾をぽろぽろ落としていく物騒な男と必死に走る。
「後二十秒。建物からなるべく遠くに逃げろ!」
まだ建物内なんですが!漸く外に出る。コミュニティセンターにいた人間達が不安そうにこちらを眺めている。
「危ない!離れて!」
エミヤが大声を張り上げたその時、大爆発が起きた。エミヤとランサーは十メートルほど吹き飛ばされ、ランサーの耳に耳鳴りが起こった。
上からパラパラ落ちる瓦礫の欠片が雨のようだ。ランサーは背中が熱いので、何かケガをしたのでは、と不安になった。横でエミヤが踞っていた。
「大丈夫か、おい!」
ランサーが叫んだ。エミヤはまだケガから完全に回復しているわけではない。傷が開いたのでは、と心配になった。
エミヤが何か言っているが聞こえない。さらに大声を張り上げようとして、殴られた。口の動きで、『黙れ』と言われているのがわかった。エミヤに腕を引っ張られて立ち上がり、その場を離脱する。地元の連中はパニックを起こしていて、こちらがどうなっているか気にしていなかった。
かなり離れた路地で『この●○■』と何かなじられている。エミヤが何を言っているのかわからない。ランサーは自分の耳を指して頭を振った。エミヤがはっとして頷いた。どうやらわかってもらえたようだ。
肩を落として、ため息を吐くとランサーの手を握り、その手のひらにキスをされた。エミヤはランサーを見上げるように覗くと、今度は手を繋いで歩き始めた。しゃべっても無駄だと思ったのだろう、無言で手を引く。地下鉄の駅に向かっているのに気付いて、ランサーはエミヤの肩をつついた。エミヤが何だと振り返る。と、道路表示に"サン=ドニ大聖堂"の文字がある。
エミヤが目を丸くして驚いた。看板を指してジェスチャーで聞く。
『行きたいのか?』
ランサーが頷く。
ため息。エミヤが頷く。
話すことも出来ないくせに、観光したがるのはどういう事だろう?エミヤは路地で上着を投げ捨て、シャツを脱いだ。ウエストバッグからTシャツを取り出すと、着替えようとした。その時、ランサーの手が背中に触った。銃傷のあるところ、肺を貫通した痕だ。ほとんど傷は塞がっていて、今は傷を保護するために薄いパッドを付けている。そこにランサーの手が探るように触れている。
「ランサー?」
エミヤはランサーの不安を防ごうと声をかけた。もう治っていると、肺も塞がっていると、そうわかってもらおうとした。
ランサーは何も言わず、傷に触れたまま、肩の傷にキスをした。その後、直ぐに身体を離し、「着替えの邪魔したな」と言った。
エミヤはそれに応えず、着替えを終え、脱いだものをゴミ箱に押し込んだ。
「捨てんの?」
物を大切にしないと散々怒られているランサーは、エミヤの意外な行動に驚いた。
「目撃証言はスーツの男だ。Tシャツの男じゃない。何故工作行動後に観光せねばならんのだ」
ぶつぶつ何やら文句を言っているが、聞こえない。だが、着替えを持って来ている時点で同罪だ。ランサーも上着をゴミ箱に捨て、ネクタイを外すと、ニッコリ笑った。
「いいじゃねぇの!」
お互いまだ耳が回復していない。けれど、何を言いたいのかはわかった。伴侶とはいいものだ。
サン=ドニ大聖堂には代々のフランス王の墓がある。王家の墓と呼ばれ、10世紀頃からの墓が約70程並ぶ。それぞれ彫刻や意匠を施し、見事な芸術品のようなものもある。中のステンドグラスも見事で、見学は有料である。何が言いたいかと言うと、誰が出すのかと言う問題だ。ランサーには現金を持つ習慣がない。パリならそれもありだが、ここでは無意味だ。お互いジェスチャーで会話する。
『一人分しかない。私はいいから、君が行けばいい』
『何で俺だけで行くんだよ』
『なら、帰ろう』
『見たい!』
『無理だ』
『一緒に行こう』
『無理だ』
『見たい!』
「やかましい!小学生か!この戯け!」
最終的にランサーが諦めた。美しいステンドグラスも、有名人の墓も金を払わねば見られない。とりあえず、無料で入れる礼拝堂を見学し、近くにある公園を散策することにした。
公園を散策するうちに耳がだんだん聞こえるようになり、ベンチに座る頃には普通に話が出来るようになっていた。
「なあ、何で彼処に工場があるってわかったんだ?」
「キャスターがフランスに寄った理由を探していたのだ。パリに寄った事はわかっている。何の為かは不明だったが、それを調査してもらっていた」
「誰に?」
「雀蜂にだ。もう彼らはいない。今は取り敢えずハンガリーを目指してもらっている」
「優秀なんだな、蜂って」
「彼らは元プロだからな。前にも言ったと思っていたのだが、雀蜂はほぼ全員元軍人だ。実験施設は軍の施設で、実験体は軍関係者とエミヤだ」
「その言い方止めろ」
「言い方?」
「お前は俺にとって大事な人間なんだよ。お前がどう生きてきたかは知っているが、自分をモノみたいに言うのは止めてくれ」
エミヤの表情が和らいだ。
「君は優しいな。本当に美しい」
「だ、から、そう言うのも、止めろ。恥ずかしい」
ランサーの顔は真っ赤になり、エミヤが不思議そうに言った。
「本当の事を言うと恥ずかしいのか?妙な性癖だな」
この天然たらし男が!いい加減判れよ!
コミュニティセンターの周りは警察やら何やらで人だかりになっていた。二人は何食わぬ顔をして鉄道でパリ市内のホテルに戻った。
エミヤはせっかくヨーロッパに来たので、姉に連絡してみた。時差の問題もある、直ぐに返事があるとは思わない。メールを打ち込んで携帯を放り投げると、風呂に入った。バスタブに湯を張り、のんびりする。ふと昨夜のランサーを思い出した。白い肌を晒して踊るランサー、覆い被さるランサー。兆した自分にため息を吐いて、シャワー室に移動した。
まだそう言う気持ちになる自分に驚き、後何日ランサーといられるか考えた。なんと言うか、短い間なのに、これはこれで勿体無い。ランサーの手を想像する。エミヤが少し微笑んで終わらせた。
風呂から出て、身体を拭いていると、ノックの音がした。
「よう、飯食いに行こうぜ」
バスローブ姿のエミヤは、頷いてランサーを招き入れた。黒いシャツを着てジーンズを履いた。着替え終わると、ランサーがまぶしい物を見るように目を細めていた。
「どうしたんだ、君、昨夜からおかしいぞ」
「あー、うん。そうだな」
「何を食べるんだ?」
「この辺、食べる所一杯あるからな、適当につまみながら行こうぜ」
ランサーと街を歩きながらあちこちの店で食べたり飲んだりする。時折妙な物を買おうとするのを止めて、セーヌ川に出る。街は暗くなっていて、イルミネーションがキレイだ。川には遊覧船がのんびり航行して、観光客がノートルダム寺院や市役所やルーブル美術館を見て楽しんでいた。
ランサーが微笑む。綺麗だな、と思う。ランサーはいつでもエミヤに美しさを教えてくれる。今この時も、ランサーのとても綺麗な魂がエミヤに真っ直ぐ届く。イルミネーションに照らされた赤い瞳がエミヤだけを見つめている。いつもはこう言う時、どうして良いかわからなかったが、今日は少し素直になろうと思った。
「ランサー、君が欲しいんだ」
エミヤがランサーの手を取った。
「キスしても?」
ランサーの表情が強ばった。見たことがない表情をしている。エミヤは訝しんだ。
「どうしたんだ?」
ランサーが顔を背けた。手を振りほどかれる。エミヤの手が空いた。さっきまでランサーの体温が暖めてくれていたのに。急に気温が寒くなったように感じた。
ランサーが何も言わないので、エミヤもどうして良いかわからない。
「済まない。君の気持ちを考えなかった。帰ろう」
ランサーが振り返り、泣きそうな顔をしてエミヤを見ている。昨夜と同じだ。だが、何も言わないので、エミヤにもどうにも出来ない。
自分は明日には死んでいるかもしれない。寿命は後何日だろう。けれど、ランサーの気持ちを踏みにじってまで己の我を通したい訳ではない。帰るしか無いのだ。
性的な接触をしなければならないと言う程度の付き合いではないと思っている。ただ、近くにいるだけでも良い。もう愛はここにある。必死で探らなくても生きていける。後何日であろうと、それは全てランサーに捧げられるのだ。
ランサーは黙ってホテルに帰り、ソファーに己の身を預けた。エミヤのおずおずとした申し出は、ものすごく嬉しかった。その場で押し倒したい位に。ランサーは知っている。あの難しい顔をした男が喘ぐ様を。宝石のような煌めきを身体に纏い、ランサーを煽る姿を。初めての恋、初めての愛、ランサーだってこんなに好きになったのは初めてだ。手放したくないし、別れたくない。
けれども、自分がこれを克服しなければ何も出来ない。
キャスターの事を。
相談する人はいない。エミヤに正直に言うか、だが、意味がない。ランサーの問題だ。ランサーがエミヤを抱かなくても、エミヤは受け入れるだろう。変わらない愛を与え続けるエミヤに、ランサーはどうやって愛を渡せるだろう。
「いるだけで良いとか言われそうだよな」
ランサーは大きく息を吐いた。
朝食の時に、エミヤがドイツに行くことを告げた。
「ドイツ?なんでまた」
「ドイツにも見たいところがあるのだが、寄りたい所があってな。言っとくが爆破は決めて無いぞ」
疑いの目をしてエミヤを見た。あの時あまりにも躊躇いがなく、初めから決めていた事はわかっていた。プラスチック爆弾の量だって簡単に手に入る量ではない。雀蜂に用意させていたのだろう。どこで手に入れたのかはその内聞こう。夜はかなり遅くまで飲んでいたのに、朝には手に入れていたのだから。
「と、言うわけでだな、空港に行くぞ」
「もうパリはお終いなのかよ。目の前に観光地が一杯あるのによ」
「君は見飽きているだろう。何度も来ているだろうし」
「お前と来るのは初めてじゃねぇか」
「誰と来ても建物は変わらないさ。君はまた来れる」
「そう言われると、意地でも見回りたくなるな」
「どうでもいい。早く行こう。飛行機の時間がある」
「もう決まってんのかよ!」
にやりと笑って立ち上がる。
「行こう、ランサー」
珍しく上機嫌な様子にランサーは何も言えなかった。
パリの空港からドイツベルリンへ到着し、乗り捨て可能なレンタカーを借り、アウトバーンで北へ行く。ランサーにはすっかり場所がわからなくなり、寒くて森の中と言うことしかわからなくなった。小さな湖が点在し、針葉樹が生えている。
大きな街をいくつも通りすぎ、森の細い小道に入って行く。何だか美女と野獣の映画を思い出す。途中、門らしきものが自動で開き、そこから細い道路をずいぶん走ったがいつまで経っても何も見えてこない。森の中だ。帰れんのか?と不気味に思っていると、急に城が見えてきた。
ランサーの本宅はシカゴの家で、周りから見ればとても大きいし立派だが、城ではない。今ランサーの目の前にあるのは、城としか言い様の無いものだった。しかもかなり古い城に増築が繰り返されて年代もバラバラ、これは歴史がある城だと直ぐに気付いた。
「行きたい所があるって、ここか?」
「ああ、ドイツに来るなら必ず寄れ、と厳命されてな。まずはその用事を済ませることにした」
「観光?」
「ここは個人宅だ」
玄関前に車を止め、エミヤが外に出た。玄関の前には噴水があり、車寄せは明らかに馬車が使われていただろう名残があった。ランサーも外に出てエミヤの隣に立つ。
「知り合いの家?」
「ああ、ここでは身内と言っておく。そうでないとうるさいから」
呼び鈴を押してしばし待つ。大きな扉が重々しく開き、いかにも城に居そうな執事が現れた。
「いらっしゃいませ、エミヤ様。お連れ様も。お疲れでしょう、こちらへ」
応接間に通される。大体城の作りとは同じにできている。左か右に応接間、食堂、広間は正面、ホールの階段を上がれば寝室、書斎。これだけ大きいと、もう少し違う作りになっているかも知れないが、基本は変わらない。
玄関から右に応接間があり、奥に続いていて、執事は奥のサンルームに案内した。
サンルームは森からの光を目一杯取り込み、ぽかぽかとしていた。午後の光は柔らかく、移動ばかりの身体を癒してくれた。お茶が運ばれ、一息ついていると、扉が開き、主人が入ってきた。
「本当だ、シロウ!漸く来たのね!」
「厳命だったのでね、フロイライン・イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。息災か?」
エミヤが立ち上がり、挨拶をする。これは、遠坂凛の時と同じ笑顔だ。まさか、試練再びか?ランサーは警戒しながら、エミヤに倣って立ち上がり、挨拶をしようとした。
イリヤスフィールと呼ばれた女主人は、エミヤよりかなり若く見えた。と、言うより、子ども?十五六にしか見えない。今まで聞いていたイリヤスフィールは確かエミヤより年上だったはず。同じ名前の子どもだろうか?女にジュニアが付くのはとても珍しいが、世襲の名前を持っている家も無いわけではない。色んな疑問を隠しつつ、ランサーはとびきりの笑顔で挨拶をしようとした。が、出来なかった。
イリヤスフィールが、
「ずっと待ってたのよ、酷いわ!」
と言うなり、エミヤに飛び付いたから。ランサーは目眩がした。遠坂凛だって認めさせるのは大変だったのだ。こいつはエミヤの何だ?身内?
「済まない。姉さん」
満更でも無さそうに柔らかく微笑むエミヤ。俺だってそんな笑顔、めったに見られないのに。てか、
「姉さん?!」思わず大声を出す。
「あら、だあれ、これ」
抱きついたままイリヤスフィールが言った。
「事前に連絡しておいたと思うが?イリヤスフィール。知らない振りはいただけない」
「イヤよ。せっかく会えたのに、こんなのと一緒なんて。シロウ、離れて話しましょう」
ちょっと待て。こいつ、遠坂凛より酷いぞ。
「フロイライン・イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。俺はクーフーリン・ランサー・マクイルと言う。お会いできて光栄だ」
ランサーは必死に笑顔を取り繕って挨拶した。イリヤスフィールはちらとランサーに視線を寄越したが、無視してエミヤの手を取って、部屋の端まで連れて行ってしまった。
「イリヤスフィール」
咎めるように言うエミヤを無視して話をするイリヤスフィールは、ニコニコと笑っている。
「イリヤと呼べと言っているでしょう?シロウ、今どうしているの?ドイツには何しに?何日此処にいられるの?」
エミヤの手を握ったままだ。ランサーの堪忍袋の緒が切れた。
「てめえ、黙ってりゃいい気になりやがって、ふざけんな!俺のエミヤに触んな!姉さんだか何だか知らねえが、俺を無視するたあ、良い根性してやがる。やるなら受けて立つぞ、こらあ!」
「ランサー、何だ、その口のききかたは。レディに対して失礼だ」
「こいつは、」
と、ランサーはイリヤスフィールを指差し叫ぶ。
「俺に対して失礼だろうが!こいつこそ、客に対する振る舞いを学びやがれ!」
「ま、いやぁね、歴史の浅いアメリカ人は。これだから話にならないのよ。あなたは私のお客じゃないもの、嫌なら帰れば良いわ。さよなら」
「では、私も帰ろう。挨拶もしたし、顔も見せた。会えて嬉しかったよ、イリヤ」
エミヤが立ち上がり、ランサーの下に歩き始めた。
「シロウ!そんなの無いわ!何日も前から楽しみにしてたのに!」
「イリヤ、私はランサーを蔑ろにするために来たのではない。主人としてやりたいように振る舞うのは構わないが、言いなりにはなれない。わかるだろう?ここは、二人とも抑えてくれないか?」
イリヤスフィールの頬が膨らんだが、暫くして、落ち着いた。
「シロウが言うなら、我慢するわ。じゃあ、ようこそ、クーフーリン・ランサー・マクイル。アインツベルンの当主があなたを歓迎致します」
じゃあって何だよ。
「こちらこそ、先ほどは失礼した。どうか許して貰いたい。アインツベルンの歓迎、傷み入る」
ふん、と鼻を鳴らしてイリヤが挨拶をした。ランサーもこめかみに青筋を立てている。ここは戦場、油断したらヤられる。
漸く全員座ってお茶を飲みながら話を始めた。
「姉さん、皆元気か?」
「ええそうね、キリツグはそれなりに元気よ、見ないけど。今はフランクフルトの方にいるの。時々帰って来るわ。後、」
「バーサーカーは?」
イリヤは少し哀しそうに笑うと、エミヤに応えた。
「身体は大丈夫よ、完全看護してるもの。患者のままだけれど。会いたい?」
「どうかな。向こうが会いたく無いだろう」
「きっと判らないわ。あなたに会って、何か反応があればラッキーよ」
「…そうか」
「ちょっと聞いて良いか?」ランサーが割って入った。
「何よ、失礼ね」
「いやその、あんた、エミヤの姉さん、て、おかしくないか?」
エミヤがランサーから視線を外した。ランサーはその仕草でイリヤの地雷を踏んだことを知った。
「へえ、マクイルの家では女性の年齢を聞くのが伝統なのかしら?」
「いや、済まん、そう言う訳では!」
「あなたに関係ないわ。ミスターランサー・マクイル」
その言葉を発した後、イリヤはそれまで英語で話していたのをドイツ語に切り替えた。ランサーはドイツ語はほとんどわからない。フランス語ならわかるのに、決してランサーにわかる言語で話そうとしなかった。
エミヤは当たり前のようにイリヤと話をしている。語学に堪能すぎてムカついてきた。どんだけの言語が話せるんだ。
ランサーとて、無学ではない。英語だってキングスイングリッシュで話すことも出来るし、修辞法は得意だ。詩も暗唱出来る。フランス語はたしなみだ。スペイン語はそこそこ出来る。こんなことならドイツ人の彼女と付き合っておけば良かった。
楽しそうな二人に割って入れず、立ち上がるのに釣られて、同時に立ち上がった。
「ランサー、部屋に案内する。今日はここに泊まりだ」
「エミヤ!」
エミヤがウインクする。
「今日一日我慢してくれ。久しぶりなんだ」
ウインク嬉しいけど、でもさ!でもな!俺、ドイツ語わかんねーし!楽しそうにしてるの見てるだけかよ!
イリヤがエミヤの腕に絡みながら、にやりと笑った。
計算ずくかよ。くそ、エミヤの度を超えたフェミニストを利用された。俺は絶対勝てない。身内で女に勝てるわけがない。
諦めれば、きっと何処かで救われるに違いない。エミヤが大人しくしている俺に同情してくれるのを待とう。情けない計算だが、勝てないのであれば、負けるが勝ちだ。
部屋は思い切り離された。北と南で、もちろんランサーは北だ。一応北の棟の方が良い部屋だと言っていたが、当主とエミヤは南棟で、南棟は増築された部分で北からの道のりは遠く、正直ランサーには複雑すぎてたどり着けそうになかった。
どんだけ嫌がらせすれば気が済むのか、と思ったが、エミヤに手を出せない自分が言うことでもないかと考え直した。何とか、決着を着けねばならない。あのくそったれの兄から。
夕食を広いダイニングで摂る。ランサーは主賓扱いだ。つまり、テーブルの端。エミヤは当主のすぐ隣。席順としては間違ってない。間違ってないが、話をするのに大声を出さなければならないほどの大きさのテーブルで、端にする事は無いだろう!しかもドイツ語で話すな!耳打ちするな!
三人でテーブルを囲んでいるが、とても孤独に食事を終え、部屋に帰るのも一人では行けないので、メイドが案内してくれた。嬉しくない。口説けば良かっただろうか。エミヤを抱くより楽かも知れない。けれど、出来なかった。欲しいのはあの男で、抱きたいのもあの男だ。
ランサーは大人しく部屋にいるのがバカらしくなった。エミヤの部屋に行こう。キャスターがどれだけ俺を縛ろうとしても、俺は自由に人を愛せる。あんなの、バカバカしい。ほんの少しの過ちで、エミヤと過ごせる時間を削るなんて、愚かだ。克服してやる。
ランサーは立ち上がり、ドアを開けた。階段を下がり、大広間を目指した。が、迷った。
全く場所がわからない。廊下は暗く、先が見えない。扉がたくさんあるが、何の部屋かわからない。階段を探してうろうろし、見つけた階段を上り下りする。すっかり場所がわからなくなった。迷子だ。しかも、人の気配がない。夜の城で迷子。ランサーは情けなくなった。屋内での遭難とは。
気がつくと、廊下の先で灯りが見えた。ランサーが恐る恐る近づく。ドアがきちんと閉まっていなかった為、灯りが見えていたらしい。ノックをして応えを待つ。何もないので、二度目のノックをした。やはり何も応えはない。
「失礼する。城で迷ってしまって、困っている。帰り道を教えてもらえないか?」
扉を開けて、入ってみた。リビングらしい部屋には誰もいない。寝室に入るのはさすがに気が引ける。諦めて部屋を出ようとした時、唸り声が聞こえた。苦しんでいるのであれば、何もしないのも気が引ける。そうっと寝室の扉を開けた。
ベッドに寝ている人はいなかった。ソファーに座って唸っている。ランサーはその人物を見てぎょっとした。
そこには、色は違うものの、エミヤを老けさせたような人物が座っていた。視線は入り込んだランサーを見ていない。
「あの」
話しかけたが、ランサーを見ない。口を開かず、唸り続けている。
誰だ?これは、一体、誰だ。
「バーサーカー、寝る時間よ」
イリヤの声が聞こえた。
バーサーカー?
もしかして、初めのダスト患者?看護師の言うことしか聞かない、と言っていた?
「ランサー、あなた何してるの?」
イリヤスフィールが叫んだ。その時、バーサーカーと呼ばれた男が、ランサーに飛びかかった。