幕間含めて一話として上げています。
pixivでは文字数の関係上、出来なかったことをしています。
タイトルは黙示録からお借りしました。
お借りしているだけなので、本家には何の関係もございません。平にご容赦を。
エミヤがその手紙を受け取ったのは、夏のある日だった。郵便は自宅まで届けられないので、全て郵便局止めだ。連絡先を知っている人はあまり居ないし、用のある人間もあまり居ない。毎週水曜日に新聞や雑誌、食料の買い出しに来るときにまとめて受け取る。1ヶ月に一度軍から届く知らせ以外に郵便物が届くことは稀だ。誰から来た手紙か確認して、そのまま家に帰った。
身内からの報せは、中身を見ずともわかっていた。予想通り人魚の死を報せてきた。
人魚は理想を胸に陸に上がり、一足ごとにナイフで刺されるような痛みに耐え、結局泡と消えた。寿命が短いことは本人もわかっていた。その命を全て使った望みは叶えられていないだろう。報せはその事も匂わせていた。一つの悪を倒したと云うが、だから何だと云うのか。
最後に近況とたまには会えと書いて結んでいた。
姉とも身内とも言えるが、そのどれでもない知り合いは、遥か海の向こうに住んでいる。バーサーカーと呼ばれるようになったあの被験者はまだ姉を守っているのだろうか?
過去が自分を追いかけてくる。世捨て人たる自分を引きずり出すために。蜂の羽音が聴こえて来るような気がした。
星の冠
「んでよお、何でこんなとこで迷ってんだ?GPSで何処居るか位わかんだろうがよ。早く宿に帰ろうぜ」
「それが、信号を受信して無くて。多分木とか山とかの陰になってるみたいで」
「マジか。んでどーすんだよ」
「いや、その、道路はどっかに通じてますし、何とかなんじゃないかな、と」
「へぇぇ、で、ガス欠かよ。スゲーな」
ランサーはドライバーの頭を叩くと、真っ暗闇の森のなかで立ち往生した車に寄りかかった。ガソリンがなければどんなに性能が良くてもこれは単なる鉄の塊だ。大体暗くなる前からこの道に紛れ込んで、一度も対向車を見ていない。交通量なんて言葉が必要か不明だし、舗装されているから道路と云う程度の代物だ。このまま車で夜を過ごすとして、朝になったら誰かに会えるのか?熊にしか会えそうにない。最悪だ。日帰りの予定だったから食料もなければ水もない。あるのは生ぬるいワインだけ、遭難と云うに相応しい状況だ。周りは針葉樹林になっていて、昼間の砂漠とは様子が全く違う。ガラガラ蛇や蠍の心配はしなくても命の危険にはまだ晒されている。携帯は当然使えない。外灯なんざもちろん無い。真っ暗な森の奥深くにしか見えない。
「人里はどっちの方かな。なんだったら足で降りるか」
頭をかきながらランサーが云うと、ドライバーが悲鳴を上げた。
「勘弁してくださいよ!昼間何時間沙漠を走ったと思ってるんです?人里なんてなかったでしょうが!」
パチン、とドライバーの頭から音が鳴る。
「イテ」
「そう思うなら何故もっと前に進路を変えなかった。お前のミスだろうが」
ドライバーの鼻先に指をかざしながら不機嫌そうに言った。
「そらそうっすけど、でも、観光地っぽくない自然が見たいーて騒いだのは俺じゃないっすよ」
それについては言い訳出来ない。確かに言った。ビジネスの帰りにちょっと帰り道を変えても、と。大して道が多い訳じゃない、逸れた所で見張らしはいいから、街の灯りくらい見える、と高をくくった。確かに、確かに。だが、山に突っ込んで道が無くなってからそんな事を云うか、この野郎。引き返そうにも、ガス欠だ。信じられないうかつ野郎だ。街に戻ったら糾弾してやる。しかし、目下の目標は生きて帰ること、だ。夜は夜行性の生き物が活動し初め、こちらをエサにするかもしれない。車で大人しくして、朝人を探しに行く方が安全だ。
と、山の上の方でチカチカ何か光った。星じゃない、人工の光だ。ランサーは、ドライバーに話しかけた。
「おい、あれ、人の家か?」
「はあ?何言ってんですか。こんなとこ、人が住んでる訳無いでしょ」
「でもあれ見ろよ!」
「気のせいですよ。それとも人魂かも」
ランサーはドライバーの頭を叩くと、
「いい、俺が見てくる、お前中に入って待ってろ」
そう言って灯りの方へ歩き出した。後ろから一人にしないでくださいよー!と聞こえて来たが、無視だ。この辺りの山は鬱蒼としたと言うより、岩肌と針葉樹の織り成す侘しげな荒涼とした風景だ。それも昼間ならいいだろう。夜は足許が覚束なくて歩きにくいだけだった。
ランサーが人の家と定めた灯りはちっとも近づいて来ない。気がついたが、一番命の危険があるのは、自分じゃないか?ドライバーは車で身を守れる。しかも車に帰ろうともあっちはバッテリー上がりを気にしてライトは消してある。つまり、戻れない。冷静な判断がなかったのは自分だが、始めてしまったものは仕方ない。灯りを頼りに歩くしかない。月が明るくて助かった。でなければこんなとこ歩けやしなかった。
ずいぶん歩いた気がするが、実際には一時間あるかないかと云うところだろう、ようやく灯りが家だと云うことが分かるところまで近づいた。
「やった、家だ!」
つい声に出した。声は思ったよりも森に響き、慌てて口を閉ざした。チラチラと洩れる灯りは安定していない。まるで蝋燭の火の様だ。今時電気を牽いてない家などあるのだろうか。山小屋だって最近は電気があると言うのに。人の家ではなくてレンジャーの借宿とか、でもここは国立公園じゃない。
ジャリジャリ音を立てて小屋に近づいた。小屋は丸太を組み合わせて作ってあり、よくある山小屋に見えた。小屋の前には薪割り用の台と斧が刺さっている。薪割りを季節に関係なくする必要があると言うことか。と云うと、暖炉等の暖房ではない可能性がある。但し夜になると砂漠地帯のこの辺りは夏でも肌寒い。山の中なので標高も高いかも知れない。長袖を着ていなかったランサーは緊張が弛んだのか、急に寒く感じてきた。
ポーチに上がり、扉をノックした。
「夜分遅くに申し訳ない、道に迷って困っている。助けて貰えないだろうか」
窓からは赤みの強い光が揺れている。中を覗いたが、よく見えなかった。
もう一度扉をたたく。
「おーい、すんませーん、おーい」
中に人はいるらしいが応えなし。扉に手をかけてみると、ノブが回った。そうだろう、夜訪ねる人など居なさそうだ。鍵はチェーンのみのようだった。悪い事をする子供の様に、こっそり顔を覗かせた。
「あの~」
タン!銃の音がして扉の枠に何かが刺さった。
「誰だ貴様」
そこにはおそらく家の主であろう男が拳銃を構えて睨んでいた。褐色の肌、白い短い髪、平均を超えた身長、マッチョ。どう見てもカタギじゃない。ヤバい所に踏み込んだかも知れない。急いで両手を挙げて武器を持って無いことを示した。
「違う、違う!俺は困ってる旅人で、あんたに危害を加えようとか考えてないから!だから、撃つな!」
「誰に頼まれた?どうやってここを知った?お前は誰だ」
よかった、話が出来そうだ。勢い早口になる。
「俺はランサーと言う。ベガスにビジネスに来ただけだ。ちっと寄り道して帰ろうとしたら」
チュイーン。今度は頭の上を狙われた。
「言え、誰に頼まれた」
灰色の目が鋭く睨む。「次はない、言え」
「いや、本当に単なるビジネスマンで、今日はドライバーと一緒に道に迷ってガス欠になって、ガラガラ蛇とか蠍とかコヨーテとか熊とか」
「残念だったな、ここに熊は出ない。もう少し北か国立公園にでも行くんだな」
「あの…」
「そのバカらしい話し方で誰かに頼まれたのだとしたら、人選ミスだ。くだらない疑いをかけて悪かったな。ミスタークーフーリン・ランサー・マクイル」
「いや、って、何で俺のフルネーム…」
「観察と推測。それだけだ」
男は銃を袖机に置くと、両手をだらりと下げた。こいつ、軍人だ。ピンときた。何もしていないときの姿勢にはその人の癖が滲み出る。警察官や軍人はいつでもどういった状況にも素早く対処するため、手を握ったり組んだりしない。特に軍人で最前線にいた奴ほど自然に手を下ろしている事が多い。すぐに武器を構えられるように。俺のフルネームを当てたこと、立っている姿勢、身のこなし。なんてきな臭い奴。
「俺ってそんなに有名人か?」
「気になるか。そうだな、種明かしすると、まずビジネスと言った。ラスベガスでビジネスするならこんなところには来ない。ラスベガスで全て済む。観光地はもっと南に集中している。普通の人間なら車では来ない。デスバレー国立公園なら160号線から行くのが賢明だ。となると、国道95号線沿いのインディアンスプリングスにクリーチ空軍基地がある。あそこは研究施設も兼ねていて見学も出来ないし、無人航空機等一般人には面白くない。なら、商売とはそこにあったと考えるのが妥当だろう。ラスベガスからなら少し遠いが日帰りコースだ。その格好でも納得できる。まして、国道95号線は砂漠を走るだけだ。特に見るものもない。つまらないから違う道に行くと言うのも確かにありだ」
チラッとこちらを見てため息をつく得体の知れない男。確かに半袖の薄いYシャツにスラックス、革靴は砂漠を歩くのに適した格好ではない。ネクタイは車で外した。
「それに、君はドライバーと一緒だと言った。地位のある人物、軍用の品物を卸し研究所で結果を確認する立場、加えて外見。マクイルの一族は特徴的な容姿をした者に同じ名をつける習慣がある。"クーフーリン"、先代にはいなかったが、当代には三人いると言う。ミドルネームで区別すると聞いた。キャスター、ランサー、オルタ。君はランサーと名乗った。その容姿でその名前、他にいないだろう。ようこそ、マクイルの双子の片割れ、クランのトップ、ミスタランサー・マクイル」
ランサーは言い当てた内容が正しいこと、自分がそんなに有名だったか考えた。いや、そんな事はない。かのケネディ一族よりも有名じゃない。顔で判断出来るほどの知名度はないはずだ。それにどちらかと言えば裏側の立場で暗躍する一族だ。表に出始めたのは、主にオルタのせいだった。
オルタをトップに担ぐクランのある国にクーデターがおこる、と聞いたのは五輪の数年後、南米全体が政情も経済も不安定な時だった。まさか、と返したが、ある、だから裏だけの直接ルートは意味がなくなる可能性が高い。表に別に事業を立ち上げる必要がある、と応えがあった。
何故そう思う?には、知らなくていい、と返された。それから数年後、実際にクーデターはおこり、政府は転覆、軍の解体まで行われた。当時聞いたのは蜂(ワスプ)と言うワードだったが、南米では米国で言うほどの揶揄の意味は含まれない。だから人なのか物なのかもわからなかった。何を象徴しているのか知りたくともオルタが共有させなかった。何を守っているのか、と問われ、何もと言う。守っていない、俺は"いる"だけだ。
情報開示が進まない事についてずいぶん糾弾されたが、その後のオルタの手腕で商売は上々となれば誰も何も言わなくなる。かくしてオルタは南米のキングと称されるまでになった。それがここ数年の事。
つまり、それまでは地味でチマチマした裏家業をしていたが、一気に表に出る必要があった。利用したのはアメリカ軍だ。世界中に基地を持ち、世界中に兵を派遣し、雑多な人種と幅広い能力、それに退役した後にアメリカ中に広がるネットワーク。新規で入るのは難しいが、ありがたい事に日用品の一つを卸していた。もともと代替わりを画策していた三兄弟を表に出し、裏家業を仕切っていた先代を引きずり下ろし、一新したことをアピールし、クリーンさを信じさせた。嗅がせた鼻薬の量たるや、驚くほどだ。主に政治家に。アイルランド移民の繋がりは強い。有名人に知り合いが多いお陰で助かった。
確かにその頃いろんなパーティーに出かけた。家柄、ビジネス、どれをとってもまあまあ及第点のランサーは独身である事と見目の良さで大分得をした。双子が揃っていると特に目を引いたろう。陽に透けると明るい青に見える黒髪、赤い瞳。この特徴を持って生まれた男の子にマクイルは"クーフーリン"と名付ける。"クーフーリン"は連れていくと話題になったし、自慢出来た。連れていく方にもメリットがあった訳だ。人寄せパンダとしては、それを利用しないわけがない。容姿も狡猾さも何でも使った。
その頃会ったことがあるのか?いや、こんな奴何着てても目立つだろう。挨拶しただけでも顔も名前も覚えるし、耳打ちだけでも思い出せる。必死に思い出そうとするランサーを見て、男は声をかけた。
「何を考えているのかは聞かないが、私は君に直接会ったことも見たことも無いぞ。思い出そうとするだけ無駄だ。それより、困ってるとはどういう事か?」
「えっ」二重の意味で問い直した。会ったことがないのに名前を知っている、困ってる事の話を聞く気がある、と言う意味で。
「まさか、先程の話は嘘だったとか?」
「いや、いやいやいやいや本当だ。ガス欠で車が動かなくて街に帰れなくてだな、出来ればガソリンを恵んで貰えれば、嬉しいんだが」
呆れたようにランサーを見て言った。
「成る程、迂闊なボスには迂闊な部下か。砂漠を走るのにガス欠など、死にたいのか?」
「悪かったな。死にたかねぇよ」
ランサーはようやく手を下ろした。机の上の銃を再び取る気は無いようだった。
「いくら何でもそんなにガソリンの備蓄はない。どうせとんでもない高級車なんだろう?そんなものを街まで運ぶガソリン等持ち合わせていない。明日なら、街に連れて行ってもいいが、ドライバーと車を待たせることも出来ないだろう」
「懐中電灯でも貸してもらえば連れて来れんだろ。そういや、ここ電気はないのか?」
「ない。ミスタマクイル、二次災害になるから山を甘く見ないでくれ。ここにたどり着いたのは単に運が良かっただけだ。おおよその場所は分かった。私が連れてくる。良かったら適当に座って寛いでいてくれ」
「えっ?」ランサーは言葉を失った。
「家を俺だけにしていいのか?」
「盗む物があると思うなら好きにするといい。夜の山で追われて逃げられるなら。逃れても気が付いたら砂漠の真ん中で干からびるのがオチだと思うがね。それに」
ニヤリと笑って男は言った。
「盗めるのは物だけじゃない等と考えても無駄だぞ。私の経歴や名前は別に秘密じゃない」
「じゃ、何でさっき…」銃を向けたんだ。
「ああ、この場所について知る必要のある人間は知っている。それ以外の人間が来るなら、その誰かに聞いたのかと思っただけだ」
ランプを壁から外しながら、流し目をくれてきた。
「弾道で殺す気が無いのは分かっただろう?君は賢いセレブリティだ」
的確な嫌味にぐうの音も出ない。道に迷ってから己らしくない行動ばかりで、面白くない。
「お前、名前は?」
「そうか、名前か。そちらが自己紹介しないので、こちらも忘れた。失礼したな。私はエミヤと言う。しがない退役軍人だ」
ウインクしながら、
「ミスター、しばらく一人で平気だな?では行ってくる」
と言って、小屋から出ていった。ランサーは家のなかで立ったまま、一瞬呆然とした。名前を言うと思わなかったのだ。直ぐに己を取り戻すと、机の上の銃が無いことに気付いた。
「息を吸うように武器を扱う」
まるで体の一部のように。
ランサーは軍人相手に商売をするが、軍人も上の方になると、人を相手に銃を撃った事がない人間も出てくる。上級士官など機械の操作や機密で頭が一杯で、効果的なミサイルの撃ち方は知っていてもマシンガンの取り扱いは不馴れだったりする。
「空軍ではない、な。あの話し方は陸軍か?」
どの軍隊でも同じだが、上官に逆らうのは命取りだ。奴等の視点は俯瞰で捉えられている。兵士の蟻の視点とは違うのだ。死にたくなければ逆らうな、は実感のある話だ。人の感情は無視するが。
「話し方と行動は別」なんだろう。
漸く結論にたどり着いたランサーは、小屋の中を見渡した。何もない。一人暮らしなのだろう、ソファーはひとつだけ、銃を置いた机の脇にあり、扉に背を向けて置いてある。その奥は暖炉ではなく薪ストーブで、ストーブの脇には薪が積んであった。扉から見て左にダイニングキッチンがあり、小さなテーブルが置いてあった。そこには木でできた椅子が向かい合わせに二つあった。ここから見て扉は外へ通じる扉ともう一つ。おそらくあと一つは寝室に通じる扉だろう。さすがにそこは躊躇った。だが、ここで見渡す限りにおいて、人となりを示すものは何も置いていなかった。経歴や名前は秘密ではないと言っていたが、写真もなければ勲章も無い。
「不名誉除隊か?」
いや、銃を持っていたから違うだろう。少なくとも一般市民の権利はありそうだった。PTSDによる名誉除隊も考えたが、だとするとなるべく軍から遠ざかるようにするだろう。ここはそういう環境ではないように思えた。
「まあ、いいか」
いずれにしてもランサーには全く関係ない話だ。ソファーに身を委ねると、ランプが一つ減った小屋の中は程よく暗く、疲れもあって眠くなって来た。ドライバーを待たねば、と思いつつ、眠気に勝てそうにない。小屋の主が帰って来たら起きればいいか、と本能に身を任せた。
「重い」
魘されて起きたランサーは、天井を見て違和感を感じた。止まっているホテルの天井じゃない。丸太だ。約束していた女とのデートはどうしたっけ?と、ぼやけた頭で考えて、昨夜の事を思い出した。
隣はすやすや寝ているドライバー、ランサーの体の上に腕を投げ出していた。これで寝苦しかったのか。乱暴に腕を退かすと、上半身を起こした。ベッドの上で寝かされていると云うことは、誰かが運んできたのだろう。寝室にはクローゼットとサイドボードがあるだけで、何も飾っていない。凡そ人が住んでいるとは思えない、モデルルームのようだった。
「何でよりにもよって男と寝なきゃいけねぇんだ。くそ」
一向に起きようとしないドライバーの頭を叩くと、ランサーはベッドから出た。
「んが」
ドライバーの寝言がランサーを追いかけて来た。うざい。
ベッドの脇にはきちんと揃えられた二足の靴。朝から男の靴がきれいに並んで置いてあるとか、悪夢か。自分の靴を履いて寝室を出ると、テーブルの上に朝食が用意されていた。食べてもいいのだろうが、家主に断ってから、と探すことにした。
キッチンの奥に扉があり、中を覗くとバスルームだった。これ幸い、トイレと洗面を借りると、顔と手を濡らしたままバスルームを出た。
「何をやっているんだね」
家主が腕を組んで睨み付けていた。何か怒らせるような事をしただろうか、ランサーには身に覚えがなかった。
「あ、すまん、勝手にバスルームを借りた。それと…」
全部言うことはできず、顔にタオルを押し付けられた。
「バスルームにタオル位あっただろう!拭いて出てこい!」
怒るところはそこか?
「いや、使っていいかわからんかったし、別に直ぐ乾く」
拭きながらランサーは応えると、ふん、と冷笑で迎えられた。
「それはずいぶん育ちの良いことで。私は洗濯にも事欠く生活をしているとでも?」
「そんな事は言ってねぇだろうが」
素直に感謝しようと思った気持ちが萎えていく。気分は急降下した。
「もう一人はどうした?」
「まだ寝てる」
頭を掻きつつ、応えた。その時長い髪を留めていた飾りが無いことに気付いた。ベッド脇のサイドボードになかった。
「なあ、エミヤ、俺の髪止め知らないか?」
「ソファーの脇のテーブルにある」
エミヤは寝室のドアを開け、中に入った。家主が消えると、ソファーに行き、言われた通り髪止めを見つけた。手に取り、想像する。
夜の山を歩いて車にドライバーを迎えに行き、説明して山に馴れない素人を連れて帰ると、ドライバーの雇い主はソファーで寝呆けている。自分も疲れているだろうに俺をベッドに運び、ドライバーを横に寝かせ、自分はソファーで寝たのだろう。
「なんつうお人好し」ボソリと呟いた。
そこにドライバーが起きてきた。
「あ、ランサーさん、おはようございます。いやー、昨夜は大変でしたね。あの人、エミヤさんでしたっけ、おれ、ここまでおぶって貰いましたよ。ランサーさんも一人で担いでベッドに連れて行ってましたし、力あるんですねー」
「お前、礼は言ったのか?」
「ランサーさんの分まで言っときました!」
サムズアップ。なんだこいつは、調子のいい。
「お前そういやミスターとかつけねぇな」
ドライバーが妙な顔をした。
「今更そんなミスター呼びとかされたいんで?」
「いや、全然されたくないが」
エミヤがうんざりするくらいミスターをつけて人を呼ぶので、正直気味が悪い。人によってはそれを好む者もいるが、どちらかと言えば、ランサーで十分だ。現にドライバーだってランサー呼びだ。
「二人ともさっさと朝食をとってくれないか片付かない。終わったら街へ行くから、忘れ物の無いようにしてくれ」
エミヤは寝室から出てきて、子供に言うようなセリフを言いながらリネンを持って外に消えた。洗濯するんだろう。
「イエス、マム」
と言ったドライバーの頭は代わりに叩いておいた。が、気持ちはわかる。
ドライバーと向かい合って朝食をとる。男と食事、あんまり嬉しくないが、朝食は文句なしに旨かった。こんなところでエッグベネディクトを食べられると思わなかった。コンチネンタルブレックファストでも文句無いのに、山小屋で食べる内容じゃない。
何故か感動して喋りまくるドライバー、煩くてうんざりするランサーと云う構造で朝食は進んだ。ミルクとコーヒーを腹に入れきると、幸福感が滲み出る。そこへエミヤが戻って来た。
「終わったか?片付けたら行くが、いいか?」
「片付け位こっちでやるよ、作ってもらってなにもしないじゃ悪いし」
「いや、結構だ、ミスタマクイル。寛いでいてくれ。外はいい天気だ。朝の空気を吸うのもいいだろう。せっかくの山小屋ライフだ、楽しんでくれ」
エミヤはそう言うと食器を片付け始めた。ザーザー音はしない。雨水を貯めて使っているのかも知れない。水道はさすがに引いてあるみたいだが、それもどこからの供給か分からない。
ドライバーはさっさと外に出て山の空気を吸っていた。ランサーは躊躇い、エミヤに話しかけた。
「わりぃな、昨夜からその、色々と。あんたみたいにいい奴に助けて貰えて、本当、助かったよ」
「それはどうも。山で遭難されても困るからな、お互い様だ、気にしなくていい」
最後の皿を洗い終わると、エミヤは顔を上げた。
「では、行こうか」
ランサーは喉まで出かかったイエスマムを飲み込んだ。
エミヤの車は山小屋から10分程山を降りたところにある。大きめの赤いトラックだった。幌とヒモが着いていて、必要な物をまとめて買っていることがわかる。大人の男三人が横に並んで余裕で乗れる。人のことは言えない位ガソリンを喰いそうだった。山を降りて砂漠のハイウェイに出る。そこからは一時間程で街に着く。街中には行かず、郊外のスーパーマーケットで死ぬ程買い物をして、ガソリンスタンドに寄った。そこで容器二つ分のガソリンを手にいれ、再び山を目指した。ランサーの車にたどり着く頃には昼を回っていた。
「なぁ、エミヤ、お礼をさせてくれないか。夕食をご馳走させてくれ」
「結構だ、ミスターランサー・マクイル。今度からこう言った事がないように気をつけてくれれば助かる」
「は?」
「二度と会うことは無い。さようなら」
そう言って自分の車に乗ると、あっという間に転回させて消えた。
残されたのはガソリンが半分程入った車とドライバーとランサーだけだ。呆気にとられて道を眺める二人。
「なんなんスか、あの人。天使?」
ドライバーの頭を叩いて自分を正気に戻すランサー。
「気に入らねえよ。俺からの感謝は一つも受け取ろうとしなかったぞ、あいつ」
言葉も態度も物も食事も全部断られた。圧倒的な敗北感。何だかちっとも気が晴れない。隣にいるこいつみたいに単純だったらいいのに、と悔しくなった。
ホテルに帰り二日ぶりのシャワーを浴びる。ジャグジーに湯を張って最上階からの眺めを楽しんだ。色とりどりのドギツイ色をしたネオンサイン、一晩中催されるショーやカジノ。ビジネスは終わって、後二日、珍しく休暇のつもりでとった日程が今は恨めしい。
「っつっても仕方ねえ、カジノでも行くか」
グダグダしてても仕方ない、せっかくカジノにいるのだ、楽しもう。そう思って繰り出したが、全然身が入らない。いくら掛けてもいくらすってもいくら儲けても他人事のようだった。ルーレットからバカラに移動する頃には女が何人かくっついて来ていた。娼婦より高くつくが、既に相手と定めているなら面倒は少ない。金髪の方に流し目を送る。頬を染める姿は可愛らしく見えた。昨夜は散々だったのだ、いい思いをしても構わないだろう。金髪の腰に腕を巻き付け、耳に囁こうとした時、カジノの入り口近くで騒ぎが起きた。
カジノの治安は金を扱うだけに世界一だと思っていたランサーは、席を立ってチップを部屋に付けるよう指示した。金髪女は気になっているようだったが、それは無視して部屋に上がった。女にも騒ぎにも興味がなかった。
翌朝、金髪女がべたべたしてきたので叩き出した。うるさく騒いでいたが、直通エレベーターに乗せてしまえば出口まで連れて行ってくれる。キーを差し込まなければ上がれないので、一方通行になる。下に着く迄には頭も覚めるだろうと、それ以降は顔も思い出さなかった。
ルームサービスを頼んで思い出したのは山小屋の朝食だった。アメリカンブレックファストはスクランブルエッグで頼んだが、なんと味気無いことか。食べている途中でボソリと呟いた。
「結局、エミヤが原因だ。あいつに俺を認めさせてえ」
認めるも何も迷惑をかけたのは自分だと分かっていた。だからこそ悔しいのだ。何も返せない自分が。例えばこれがビジネスで便宜を図ってもらいたいとか、ランサーの会社に雇ってもらいたいとか、金が欲しいとかあれば良かったのだ。そうすればランサーも今朝の女のように直ぐに忘れることが出来た。一方的に施しを受けてよしとするほどランサーは世間知らずではない。タダより高いものはないと知っている。
どうするか考えをまとめるためにソファーに座り、何気なく新聞を手に取った。一面に昨夜の事件が載っていた。カジノの入り口で殺人事件があり、殺されたのは男が一人。殺人事件としては近過ぎて気味が悪いが、死に方が異常だった。首をネジ切られた、と書いてある。刺された、ではなく、撃たれたでもなく、ネジ切られた。どんなに力があっても人間が出来ることではない。犯人は逃げたと言う。
ランサーは携帯でツイッターを検索した。そこには犯人は一人で、被害者に黙って近づくとニコニコ笑いながら頭をわし掴んでぐるぐる回したと書いてある。しかも、犯人は警察に浴びるほど銃弾を受けたにも関わらず、やはりニコニコ笑いながらあり得ない身のこなしで現場から逃げたと言う。
「フェイクか?」
と思ったが、動画が出てきた。ホラー映画を見ているようだった。これは、現実か?ランサーは自分が見ていることが信じられなかった。
死んだ男はこれと言って特徴の無いビジネスマンだった。他のホテルに泊まっていて、このホテルのカジノに来たのは偶然のようだった。犯人も映像から身元が割れていて、地元のジャンキーらしかった。繋ぐ線は何もない。世間では通り魔と結論していたが、ランサーにとってはそんな犯人がラスベガスにうろうろしているなら外にも出られない。
鬱屈した気分は、結局自分が動くことで解消しようと思った。ホテルの出口は人でごった返していた。カジノは立ち入り禁止テープが貼られている。とにかく外に出ようとした時、エミヤがホテルの出口にいるのが見えた。
「エミヤ!」
エミヤははっと顔を上げ、こちらを認めた。周りを見て逃れようか考えたようだが、ランサーが腕を掴むのが早かった。
「よう、会いたかったぜ」
エミヤは苦虫を噛んだような顔をして、言った。
「こちらはそう思いもしなかったがな」
ランサーはニッコリ笑った。
エミヤに会うと云う目的を達したランサーは、エミヤを部屋に招いた。入るなり、
「最上階のスイートか。無駄金を」
と呟かれたのは無視をした。拾っていたらキリがない。ランサーは自分の為に話がしたかっただけだ。ソファーに座らせてコーヒーを頼む。
「あんたの家に行こうと思ってた」
エミヤは心底驚いた顔でランサーを見た。
「何故だ?別に用事はないだろう」
「なに言ってんだよ、あんたに会いにだよ」
「私に?また、何故?」
「用が無きゃいけねえのかよ?」
「当たり前だ。君は旅行者で、私とは面識があるだけの赤の他人ではないか。関わる必要はお互いに無いだろう」
「それ、それが気にくわないんだよ、確かにあんたとは二度と会わないかも知れねぇが、スッキリしたいじゃねぇか。だから、俺に付き合え」
「はあ?意味が分からないぞ」
「いいから、まずはコーヒーから付き合え」
男と二人きりでスイートルームのソファーでコーヒーを飲みながら話をする。正気ならやらない行為だ。ランサーは努めて平静を装った。
「あんた退役軍人だと言ってたな、何処の軍にいたんだよ」
「それが君にどう関係すると云うのかね」
「そりゃ、元軍人には定番の質問だろうよ」
エミヤはため息をつくと、嫌そうに言った。
「海兵隊(マリーン)だ」
「へぇ」
これでランサーのいくつかの疑問が解消された。確かにそれなら武器の取り扱いに馴れていることも、高い身体能力も頷ける。
「何処の部隊にいたんだよ?」
「だから、何故そんな事を聞くんだ?」
「いいじゃねえか、もう昔の事だし。なんか繋がりあんのか?」
「ない、が、君は何がしたい。私のような退役軍人に媚を売った所で便宜を図る事など出来ないぞ。そんな地位にはいなかった」
自分が考えていた事をまるっと返された。不快な気分になる。これが邪推と言うものだな、と心の中で独り言つ。
「単なる好奇心だ。別にあんたを利用しようだなんて思ってねぇよ」
一番女受けのいい笑顔で答えると、相手の眉間にシワが寄った。顔に自信のあるランサーには初めての反応だった。
「何だよ、気に障ったか?」
エミヤはコーヒーを飲みほすと、ソーサーにカップを置いてランサーをじっと見た。
「大いに。さて、コーヒーは飲んだ。私は失礼する。ご馳走さま、お元気で」
「待てよ!」
相手はすたすたエレベーターに向かって行く。声をかけねば、と思って背中に聞いた。
「あんた、ここに何しに来たんだ?」
エミヤは振り向くと、ニッコリ笑った。
「それこそ君に関係無い。事件があったのだから、ホテルから出ない方がいいぞ、ではな」
言われっ放しでは男が廃る。ランサーはエレベーターが開くと同時に乗り込んだ。驚いたのはエミヤの方だった。
「何だ、ミスターマクイル、何か用か?」
「あんたに付き合う事にした」
「はあ?」
「俺に付き合うの、嫌なんだろ?だから、俺があんたに付き合う」
「いや、結構だ、ミスター、帰りたまえよ!」
「嫌だね。それから、そのミスター呼び止めろ。俺はランサーでいい」
「ランサー、ここで私に沈められたくなければ帰れ」
威圧的に睨まれたが、しれっとして返した。
「エレベーター内での暴力行為は監視カメラの餌食だぜ」
エミヤはグッと堪えた。その通りだったので。
「分かった。取引をしよう。どうしたら君は納得する?」
「話が早くていいな。昨日と同じだ。夕食に付き合え」
「ドレスコードのあるところじゃ無いだろうな」
ランサーはニンマリ笑った。
「もちろん、あるところだ。其なりの格好をしてきてくれ」
「そんなものはない!」
「じゃ、買いにいこうぜ」
「はああ!?」
「用事を済ませてからでいい。四時にベラージオで待ち合わせな。これ、俺の名刺。携帯のナンバー書いてあるから」
チーン、と音が鳴り一階に着いた。
「じゃーな」
ランサーは手を振ってエミヤを送り出した。名刺を持って呆然とするエミヤ。
「くそ、こんなもの、売るかも知れんだろうが!」
セレブの名刺は高く売れる。コネが欲しいもの、成り済ましになりたいもの、記者など。ましてや私的な携帯の連絡先があれば値段は跳ね上がる。ランサーはその価値をまだ分かっていない。悪用などいくらでも出来るのだ。腹立たしげに胸ポケットに名刺を入れると、エミヤは歩き出した。
エミヤは携帯を取り出し、ランサーが見ていたと同じ動画を再度確認した。間違いなくこのホテルのロビーだ。カジノの入り口は黄色いテープがあり、その内側には大量の血が流れたろうシミがあった。まだ警察がいたので、そこでの観察は終わりにした。ホテルを出ると、大通りから外れた。犯人は地元の人間だった。だとすると、右か左か。
「どちらにも行けばいいか」
少し離れてはいるが、約束の時間までには確認できるだろう。エミヤは、くん、と街の匂いを嗅いだ。あれだけ撃たれていれば血の匂いをさせずに移動する事など出来ない。目で見るより今は鼻だ。ここは観光地、走る人間等いない。だから、ゆっくり歩いて移動した。
ランサーはベラージオホテルのロビーでエミヤを待っていた。VIP専用なので観光客はまばらだ。有数の観光スポットで人がいないと言う優越感は特別が大好きな人間の気持ちを揺さぶる。因みにランサーは生まれた時からそれが当たり前だったので、特に感慨はない。並んだこともなければ手に入らなかったこともない。
ランサーはいるだけで周りの空気を変える。その珍しい髪色や瞳の色は周りとは全く違っている。ハリウッドのセレブもかくやと言う雰囲気があり、その辺の俳優よりも余程見目がいい。特に今はきちんとしたスーツを纏い、長い脚を組んで座っているため、何かの撮影かと思ってしまう。美形に馴れたセレブリティすら振り向かせる華やかさと明るさを持っていた。
ちら、と時計を見る。約束の時間が近い。あと三十秒。と、携帯が鳴った。何と公衆電話からだ。
「用心深いにも程があるだろ。公衆電話って」
そんなに番号を知られたく無いのか。その用心深さがランサーの負けず嫌いに火をつけた。ランサーは今日が終わるまでにエミヤの携帯番号を手にいれることを心に誓った。例え大統領であろうと私的な電話を教えて貰う自信があった。
電話に出てどこにいるか告げると、ほぼ時間ぴったりに待ち人は現れた。
今日、エミヤは白のTシャツに黒の長袖のシャツを羽織り、黒のジーンズをはいていた。靴は編み上げブーツだが、ジーンズに隠れて重さはない。袖は肘下の辺り迄捲って、大振りの腕時計を着けていた。エミヤは目立つ。アメリカは人種の坩堝で、エミヤのような肌色は珍しくない。髪を染める人間も大勢いるので、カラーだけでは目を惹かない。白髪は確かに珍しいが、それだけだ。エミヤには人の視線を振り向かせる雰囲気があるのだ。孤高と自信から滲み出るもの。姿勢の良さも含めて、身体に冷たい焔を纏っているようだった。
「よう」
つまり、この二人が並んで立っていると、とんでもなく目立ち、とてつもなく視線を浴びる。二人とも無意識なので性質が悪い。周りがざわつく中、ため息をついてエミヤは応えた。
「約束だからな、これきりにしてくれ。で、どうしたらいい」
「まずはそのジーンズをどうにかしよう。それから靴、ああ、シャツもそれじゃまずいな。上着もいるか」
「全身じゃないか。私はマイ・フェアレディになる気はないぞ!」
ランサーはニンマリ笑うと、指さしして言った。
「付き合えよ、それが条件だろ」
「最低だ。地獄に堕ちて迷え、ランサー!そうだ!貴様のドライバーから借りるというのは」
「その体型でか」
グッと詰まるエミヤ。昨日見たドライバーは中肉中背で、体格のいい自分では入らないことは目に見えていた。筋肉が付きすぎているので既製品が合わないことが多い。大体上半身に合わせて下半身が緩いか下半身に合わせて上半身がパツパツかどちらかになる。
「いいから、行こうぜ」
ランサーはショッピングモールではなく、客室に向かった。
「どこへ行くんだ?」
「あ?ペントハウス」
「君の宿泊ホテルは違うだろう」
「だから、借りた。と言うか、ここキャスターがハイローラーなんだよ。親族のよしみってか、まあ、蛇の道は蛇って奴だ」
ランサーはウインクして応えた。無駄に顔がいいだけに、様になるところに腹が立つ。その上ベラージオのハイローラーなど!最早二度と顔を見たくない。こちらが何十年もかけて漸く手にする金額を一晩でカジノにかけていく奴等など、知り合いたくない!住む世界が違いすぎる。
何でこんなとんでもないのが転がり込んできたのか。頭が痛む。山小屋で大人しくしていたつもりだったのに。己の幸運値を恨む。
最上階に着いて扉が開くと、部屋だ。直通エレベーターは皆同じだ。要人の警備に来ていると思えば腹も立たないかもしれない。経験はないが。
入って直ぐにどこかへ電話したランサーは、ウェルカムフルーツとシャンパンに手をつけた。既にシャンパンは開いていたようだ。馴れた手付きでサーブすると、エミヤの前にグラスを出した。
「これは、夕食ではない」
「固いこと言うなよ、まあ、付き合え」
言うと、一息で飲み干した。この、アイリッシュマフィアめ、人種が違う、飲めるか!心の中で罵倒して、受け取るだけはした。ランサーが二杯目、エミヤが三分の一程減らした所で5~6人の人間がやって来た。
「サーランサー・マクイル、計測をさせていただきます。お召し物をお預かり致しますが」
「ああ、俺じゃない、そいつを測ってくれ」
一斉にこちらを向く業者らしき人々。態度には出さないが、完全に誤解されている。違う、男娼じゃないし、恋人でもない!単に運が悪かっただけの一般人だ!叫びは喉まで出かかるが、言えない。その間にもTシャツとジーンズだけのエミヤをメジャーが測って行く。手をあげろ、捻るな、こちらを向け、脚を開け。自分がスーツを作った時でもこんなに執拗に測られたりしていない。軍の制服は身体に沿わなければならないと云うのに。一体何をするつもりだ。エミヤは計測の間中ランサーを睨み続けた。
一方、ランサーは終始ご機嫌だった。意趣返しは大成功、昨日のモヤモヤは嫌そうなエミヤの顔で吹っ飛んだ。自分がゲイだと思われようが別にどうでもいい。外聞が悪いので表に出ないが、アッパークラスにもゲイはいる。
する事も無いので計測を見ていたが、山小屋生活のせいか、トレーニング好きなのか知らないが、実にいい筋肉が付いている。ランサーは上に立つ者の嗜みとしてきちんと鍛えている。勿論、護身術は身に付けているし、そこら辺の暴漢等は自分の相手にもならないことを知っている。でも、こいつはまた違う種類だな、と関心した。
計測が終わると、一斉に電話をかけ始めた。あれをいくつ、これとそれを、直しが入るからお針子がいるだの、つまり既製品に手を入れて形にするらしい。初めに来たのは洋服屋だった。いくつか着せ替えられ、シャツの具合を確かめられ、あちこち針で直しながら頷いて出ていった。次は靴で、タコのように次々試し履きをさせられた。それが終わった時、エミヤの体力は気力と共にかなり削られた。
「おー、疲れてんな、大丈夫か?本番はこれからだぞー」
「1500ドルのシャツに上下で2万ドルを超えるスーツ、5000ドルの靴。君はどうかしている、ランサー。知り合いと夕食を食べるだけのためにかける金額ではない」
「友達ならいいか?」
「度を超していると言っている!今払った金額は誰かの年収に等しい!」
「それ、俺に関係無いだろ?お前と過ごす為に必要なら幾らでも出すさ。俺が満足すればこの茶番は終わるんだ」
「本当だな」
エミヤが睨みつけ、ランサーは上機嫌に頷く。嘘は言ってない。いつ満足するかゴールを決めて無いだけだ。
ランサーが四杯目のグラスを空けそうになった辺りで洋服屋が恭しくエミヤが着る服を持ってきた。よくあの短時間で直したな、恨むぞ。シャツに着替えさせられ、ズボンをはき、上着を着せられて、洋服屋は満足そうに頷いた。暗い紺地に濃目のグレーでストライプを入れ、かなり落ち着きのある生地をセミピークドラペルが引き締めている。チーフは暗めの臙脂色にして、袷はシングル。身体に沿ったカーブに仕上がっていて、ウエストはきれいに絞ってある。ズボンはセンターラインをいれて、裾はシングル。靴はシンプルに紐付き、一見すると黒だがよく見ると茶色、爪先は少し尖った形になっている。さすが元軍人、姿勢がいい。何を着ても軍人らしくなってしまうが、美徳でもあるだろう。ランサーは自分の見立てに満足し、ウキウキと次の行動を告げた。
「ここはダイニング付きでな、お前が来る前からキッチンで準備をしてもらっている。そろそろ出来た頃だ、飯にしようぜ」
最早言葉もない。とても疲れた。電気の無い我が家が恋しい。それに、今日見たことの整理もしたかった。この、バカセレブが。人の気も知らないで!
「部屋で食事をするなら、ドレスコードは関係無かったのでは?」
真っ当な疑問だ。
「何でだ、星付きのレストランに出張してもらってんのに、現地気分を味合わないのはもったいないだろ?」
エミヤはじっとりランサーを見た。この男、完全に嫌がらせでやっている。それが証拠にさっきからとんでもなくご機嫌だ。くそ、嫌がれば嫌がるほど喜ばせるのか、最悪だ。やはり、地獄に堕ちてしまえばいい、今すぐにでも構わない。見届けてやる。
ダイニングに着くまでの数十歩で三十回程ランサーを地獄に落とし、殺し方も全て変えまだバリエーションがあることに密かに溜飲を下げて、食卓についた。
アメリカンフレンチの食卓は、格調高く、隙がなく、美味だった。何故この男と二人きりでスイートルームなのか、もう考えたくなかった。何故なら、やはりここでも友人との食事ではなく、恋人とのデートになっていたからだ。乾いた笑いしか出てこない。嫌がらせにしても身体を張りすぎだろう。私はこいつに親切にしただけだ。神よ、どうかこいつからお守りください。
ランサーはこちらの事情を聞くことを諦めたようだった。それが良かったのだろう、漸くまともな会話が出来るようになった。砂漠の夜や昼、出てくる動物、怖いこと、良いこと、ラスベガスとの付き合い方、観光地の本当、嘘。他愛ない話に嫌味は出ない。存外のんびり話が出来た。
一方ランサーは知りたいことの大半を手に入れていた。具体的ではないものの、エミヤと云う人物の概要が分かった。つまりはこんな感じだ。
「あの山小屋に人が来ることは無いのか?迷い込むんじゃなくてよ」
「君のようにか?そんな迂闊な人間は二人と居まいよ。それに、あの場所は観光地でもない」
「郵便とか、宅配は?」
「局止めにしている」
ここでランサーが分かったのは、独身で近所付き合いがなく、恋人はいない。親戚は近くに住んでいないか、既に他界していて、訪ねて来ない。人との接触が無いことに満足していて、孤独であることを苦にしない。生活に必要ではない遊びの買い物が極端に少なく、密に連絡を取る必要のある団体、個人がなく、家事は自分で全て行う、と云うところだ。アッパークラスの会話など裏の意味の探り合いだ。出来ない者から脱落していく。ランサーは砕けた物言いで相手からひきだす事を得意としている。知りたいことと関係無いものを混ぜて組み合わせる事で自分の知りたいことを拾っていく。
動物の話から思想を、昼と夜から信仰を、怖いことや良いことから生活を、ラスベガスとの付き合い方からこの土地に来てどれくらい経っているかを拾った。
纏めると、現実主義者で無神論者、家事は得意、ここに来て6年弱と云うところだった。更に日本人と云うことも分かった。なるほど、シャンパンをなるべく飲まないようにしていた理由が分かった。日本人は酒に弱い人種だ。
「さて、食事も終わったし、行こうぜ」
「ああ、服はこちらに置いていって構わないだろうか。私には必要の無いものだし。珍しい体験をさせてもらった。感謝するよ。お元気で」
エミヤは右手を差し出し握手を求めた。嫌がらせが終わることに安堵していたのだと思う。ランサーは握手を無視して不思議そうにエミヤを見た。
「何言ってんだよ、これからナイトクラブに行くんだぜ」
「いや、夕食は食べたではないか。約束は果たした。君の意味不明な趣味にも付き合ったし、もういいだろう」
「これから先は朝食の分だ。さっきのは泊めてもらった分、まだドライバーを助けた分が残ってる。明日までかかるな」
しれっと云うランサー。エミヤは俯いて声を震わせながら言った。
「ランサー、私は君からの誘いを努めて平静にやり過ごそうと頑張って来た。君が義理堅い事も分かった。情に篤く、面倒見の良いことも分かった。だが、この仕打ちはない。ランサー、私は生まれてこの方最も耐えきれない状況に直面している。これ以上何かに付き合えと言われたら、即座に君を撃ってここを出ていく。犯罪者になって君から逃れられるのであれば、それでいい」
そして大声で叫んだ。
「私を今すぐ解放しろ!」
ランサーの眉間に銃を突き付ける。ランサーは動じなかったが、一つ息を吐いた。
「分かった。一つだけ願いを叶えてくれたら、解放する」
「何だ、早く言え」
「携帯の番号教えろ」
ランサーはご機嫌だった。目的は果たせたし、義理も返した。もう心残りはない。一眠りしたら、エミヤの事は忘れるだろう。自分が渡した名刺にエミヤは番号を書いて寄越したが、一方的に連絡先を知っていると云うのも悪くない。またラスベガスに来る事があったら、からかってやろう。
満足したランサーは、元いたホテルに戻って寝た。ベッドに入ったのは、深夜一時頃だったろう。ぐっすり寝ていると、けたたましい音を鳴らして携帯が叫んだ。この携帯はプライベート用で、身内には過敏に反応するようできている。友達からの連絡はバイブのみになっていた。つまりは、鳴らしているのはキャスターかオルタだ。このメロディはオルタだ。仕方なく携帯に出る。
「…あい」
「起きろ、ランサー。詳しく話せ」
「すまん」寝起きの掠れた声で応える。「何の事だかさっぱりわからん」
「お前の泊まってるホテルで殺人があったろう」
「ああ」とあくびをして「あった。犯人は捕まってないぞ」
「それくらい知ってる。どっちにしろ、死んでる。何か掴んだか?」
「警察でもないのに、俺が知るかよ」再度あくび。「何でんなこと聞くんだ?」
「今からそっちに行く。そこにいろ、ランサー」
「へ?俺明日帰るぞ」
「いろ」
オルタはめったに自己主張しない。だが、やりたいことや曲げられないことに関しては絶対に譲らない。クーフーリン一の頑固さだった。
「分かった。着いたら教えろ。それまで寝る」
言い終わる前に電話は切れた。ランサーは何とか電話を枕から追いやると、寝直した。
次の朝、遅く起きた為にブランチになったランサーの下にオルタがやって来た。昼に近いとは言え、物騒な雰囲気を持つオルタは周りの人間を遠ざけながら、カフェにいるランサーに手を上げて挨拶した。
「よう、お早う」ランサーが応えた。
「カジノの前か」オルタが向かいの席に座る。
「ああ。今日から営業再開だと。すげえな、話題になるから人でごった返してるぞ」
「そうか」
「現場に興味ないのか?」
「犯人は、何処の野郎だった?」
「地元の人間だったとか」
「何で死体が出ねえ」
「誰の」
「犯人だ」
「……、意味わかんねぇ。わかるように言えよ」
「誰が、持ち込んだ。羽音は聞いてない…」
「オルタ?」
「外に出るぞ。散歩だ、行くぞ」
何も聞いてない。ランサーは着いていくしかなかった。
ホテルから出ると大通りから外れた。ビルの壁を見渡し、オルタが何かを辿るように歩き始めた。ランサーは何も聞かなかった。聞いても無駄だろう。ホテルに着いて一休みもせずに歩き回る、飛行機ですら長旅の南米から来て直ぐにだ。何かあるから来たのだろう、オルタに逆らう事はしなかった。
やがてオルタはビルの屋上を見上げた。
「いたな」
ありふれたアパートだった。急に中に入ると、屋上目指して階段を駆け上がった。そして屋上に着き、二人は声を失った。そこには頭が無くなるほど潰された銃痕だらけの死体があった。頭の周りだけ血で花が咲いたようになっていて、その赤い花には脳漿や脳や頭蓋骨の破片が散らばっていた。人の頭らしい所はなくなっていた。
警察に通報し、DNA鑑定すると言っていたが、あれは犯人の死体だろうと二人は結論付けた。
「でも何で死体がある事が分かった?」
ランサーはオルタに問いかけた。
「血の匂いが、した」
ランサーにはしなかった。凄い鼻だな。犬並みだ。いつの間にそんな特技を身に付けたんだ?
「誰が犯人の頭を潰したんだ?」ランサーがオルタに聞いた。
「何故俺に聞く?」そっぽを向いた。
「俺が知るわけ無い。ここにいたお前の方が余程知っていそうだ」
「可哀想なお兄様はホテルからほぼ出てないんだ。ホテルからホテルに行っただけだ」
「遊びに行ったのか?」
「まあ、そうだな」
「へぇ」
オルタはランサーの遊びに興味は無かった。どうせ女がらみだ。キャスターとランサーは人を騙して楽しむような趣味の悪い遊びが大好きだ。オルタには昔からさっぱり理解が出来なかった。ふとベッドの脇にランサーの名刺を見つけた。めったに出さないプライベート用だ。女の目に見えるところに置くとは珍しい。ランサーはのべつまくなし女に声をかける為、余程気に入った女でも自分のプライベート用の番号を教える事はない。俺が会いたい時に声をかける、と取り合わない。かける時はナンパ用を使う。2ヶ月に一度は番号を変更する様な使い捨てだ。プライベート用の番号は過去親友とか幼なじみ等にしか教えていなかったはず。名刺を手に取ると、裏に自棄をおこしたような字で誰かの番号が書いてあった。オルタには状況が把握出来なかった。
ランサーの名刺を手にしたのにも関わらず、自分の番号を書いて突っ返す?
ランサーの名刺を出されたら舞い上がって押し頂くのが普通だ。オルタから見てもランサーはそつなく人間関係をこなし、男も女も魅了してきた。そうでなければこの北米でやって行けない。大体"マクイルの双子"は有名人だ。誰だって有名人の知り合いになりたいと思うものだ。
「これ、誰の番号だ。女か」
「いや、俺の命の恩人てーか、面白れぇ奴ってか」ランサーは少し言い淀んで、続けた。
「俺が友達になりたい奴」
オルタの目が丸くなった。もしかしたら一生見られない表情かもしれない。
「お前が、なりたい、だと?何を言っている?」
「取り合ってもくれねぇんだ。だから、無理やり番号聞き出した」
「誰だそいつ。男か女か。俺も知ってる奴か?」
「退役軍人の偏屈野郎だよ。俺達は知らない。あっちは俺達を知ってたみたいだが、俺とは面識がないと言っていた」
「ランサーを知ってて、尚且つ友達になってくれと云われて断ったのか?」
「まあ、そうだな」ランサーは項垂れて、「圧倒的な敗北感を味わった。が、次の機会があれば、必ず落とす!」と、握りこぶしを突き上げた。
「大変だな」
「だろ?」
「いや、相手が」
ランサーがやると言ったらやるだろう。友達と言わせるまでしつこく付きまとうに違いない。
「エミヤはそんなヤワじゃねぇよ」
オルタの動きが止まった。
「何だって?」
「あいつはそんなにヤワじゃないって…」
「違う、そいつの名前だ」
「エミヤ」
オルタは急にランサーの胸ぐらを掴むと、
「そいつ、肌は褐色、髪は白髪か?背は平均より上で筋肉質か」と大声を出した。
「その通りだが、お前知り合いか?」
オルタはランサーを離すと、首を振った。
「いや、そいつは知らない。ランサー、直ぐに連絡を取れ。俺が行くと伝えろ」
「構わねぇが、」携帯をとって番号を入れる。「多分、連絡つかねぇぞ。あいつん家、携帯の電波届かねぇ」
ランサーは電話の定型句を聞いて言った。
「直接会う。何処に住んでる?」
「オルタ、オルタ、少し落ち着けよ。お前、食事もまだだろ?少し休め」
オルタはランサーを振り返り、初めて息を吐いた。
「ああ。そうだな」
オルタはソファーに身を沈め、手を目に当てた。
「慌ててた。すまん。明日、また付き合ってくれ。頼む」
ランサーはオルタの肩に手を置き、
「ああ、もちろんだ」と言った。
ベラージオをリザーブしたままだったので、そちらをオルタに譲り、次の朝迎えに行った。
「お早うさん」
「ああ、行くのか?」
「俺も仕事があるからな」
ウインクしながら言うランサーに、心配そうにオルタが言った。
「事と次第によっちゃ暫く仕事に帰れねぇかも知れねぇぞ」
「へ?」
「まだわからんけどな」
オルタはランサーの肩を叩いてエレベーターに乗り込んだ。慌ててランサーも入る。地上へは数分だが、長く感じた。
ドライバーは車の横に立っていた。オルタとランサーの乗車を手伝うと、車を発進させた。行きはオルタがいるせいか、いつもうるさいドライバーも無言を貫いた。
エミヤの車は駐車場にあったから、家にいるだろうと判断し、ランサーとオルタの二人でエミヤの小屋に向かった。ドライバーは車の中で留守番だ。オルタが同席を拒んだ。知り合いだと言ってもダメだと聞かなかったので、ドライバーは挨拶を諦めた。
家に着いてドアをノックする。人の気配がない。留守のようだった。こんな所で外に出て何をするんだ?
ポーチに男二人座って待った。陽は容赦なく傾き、昼を過ぎてさすがに出直すか、と提案しようとした時、家の反対から音が聞こえてきた。ランサーとオルタは立ち上がると、音のする方へ行ってみた。
ツナギを着て手に太いロープ、ハンマーを持ったエミヤが山から降りて来た。
「よう、元気か?」
びっくりしたような顔をした後、眉間にシワを寄せて物凄く嫌そうに応えた。
「これはこれは、二度と再び顔を会わせるはずのないセレブリティがしがない貧乏人に何の用だね。因みにこちらには一辺たりとも君に用事はない」
荷物を物置小屋に入れると、振り返り、まじまじ二人を見つめた。
「単性生殖か?分裂したか?」
「お前、基本失礼だよな。こいつはオルタ、弟だ」
頷いて、納得する。
「ああ、三人目か。良く似ている」
「お前程じゃない。エミヤ」
エミヤは訝しげにオルタを見ると、
「会ったことが?」と言った。
「お前ではないが。俺は南米から来た。ニュースを見て」
「ああ、」エミヤは項垂れて、オルタを見た。
「人魚に会ったか」
「?女王蜂だろ」
「いや、あれは人魚だ。希望を抱いて海を出て、苦痛と共に生き、泡と消えた。違うか」
オルタは聞いて言葉を失ったようだ。
「そうだな。その通りだ」とだけ応えた。
小屋に招かれるが、座る椅子は二つ、ソファーが一つだ。どうするかと思ったら、ランサーをソファーにオルタとエミヤがダイニングに座った。ランサーにコーヒーが出され、オルタとエミヤもコーヒーを前に向かい合っている。ランサーは何となく仲間外れのようで面白くなかった。
「お前がやったんだろう?」オルタが言った。
「知っているなら、何故かもわかるだろう。あれからどこまで聞いている?」
「原因と結果を」
「あれ自身の話は余りしていないらしいな。まあ、賢明だ。必要無いからな」
オルタは頷く。
「間違い無いか?」
「調査中だが、間違い無いだろう」
「売った奴がいる。誰だ」
「知ってどうする。お前は人魚の遺志を継ぐのか?」
「そのつもりはない、が、王には義務もある」
「難儀な事だ。だが、そうか。あれは最後に星の冠を被ったか」エミヤはそう言って微笑んだ。
「鉄の杖持て全てを統べよ」
オルタは苦笑いをして、「面倒だな」と言った。
「全くだ」エミヤは頷いた。
ランサーはずっと会話を聞いていたが、全く意味が分からなかった。いつだってオルタは言葉が足りないが、いつにも増してひどい。しかもエミヤは内容が分かって答えている。何だこれ、何なんだよ。
最後だけは分かった。黙示録だ。鉄の杖を持つ男が生まれる話。オルタが救世主だと?何から何を守るんだ?
「お前はこれからどうする?」オルタがエミヤに聞いた。
「…わからん。海から出るか、地に潜るか。それとも空を飛ぶか」
「結論が出たら教えろ。返答次第では力になる」
オルタは自分の名刺を差し出してエミヤに渡した。エミヤはそれを手にして訝しげに言った。
「ありがたい事だ。だが、いいのか、本当に人を捨てるぞ」
「仕方ないだろう、エミヤ」
「そうか」エミヤは頷き、そして真剣にオルタに向かって頭を下げた。
「お心遣い、痛み入る」
オルタは何も応えず、コーヒーを飲んで立ち上がった。
「気にするな、これは、義務だ」
エミヤは頭を上げずに応えた。
「王よ、あなたに幸運と祝福を」
そして頭を上げ、立っているオルタの前に跪くと、手を取り甲に口付けた。臣下の礼だ。ランサーは目を白黒させて二人を見た。
俺が見ているのは現実なのか?それとも悪夢か。昨日まで面識どころか噂しか知らなかったような二人が、ほんの短い会話を交わしただけで何でこうなる?
ランサーは混乱していた。オルタだけが知っていて俺が知らない事がある。その話を二人はしていた。オルタは何を知っている?女王蜂とは何だ?人魚とは?
オルタは満足して小屋を出た。その時、振り返り、エミヤに言った。
「お前には片割れがあるのか?」
エミヤは目を見開いてしばらく声が出なかった。
「……オルタ、それは……」
「いい、余計な事を聞いた」
そして二度と振り返る事なく、ランサーと共に街へ帰った。
ホテルの部屋へ入るなり、ランサーはオルタに問いかけた。
「オルタ、お前、何を知ってる?何故俺達に言わない?」
「言うべき事も知らせるべき事も共有している。ランサーは知らなくていい」
「けどよ、」なおもいい募るランサーに被せるように言った。
「ランサー、エミヤから俺に連絡があると思う。居場所は知らせていい。多分、直接来ると思うが、念のためだ」
「オルタ!」
「何だ、悋気か」
「~~~~!何で俺がお前に嫉妬すんだよ!あいつ、男だぞ!」
「そうだな」オルタはランサーに向き直って言い聞かせる様に言った。
「ランサー、獲物を掠め取るわけじゃない。俺は既に狩りを終えてるんだ。これは単なる義務に過ぎない」
「だから!気味悪ぃ事言うな!」
「悪かったな」
オルタは無表情で自分のホテルへ帰った。残されたランサーは、明日帰ることを決めた。正常な世界に帰りたい、その一心だった。
エミヤはオルタがホテルに着いて直ぐ電話してきた。ホテルの場所を告げ、電話を切る。公衆電話からだった。オルタはルームサービスで軽食を頼み、エミヤを待った。待ち人はルームサービスと入れ替わりに到着を告げた。部屋に上げるようフロントに頼み、エレベーターがエミヤだけを連れてきた。
「結論は出たか」
「このホテルで君らの相手をするのは二回目だ。さぞかしやり手の男娼だと思われているだろうな」
「は、ランサーの押し売りか」
オルタは笑いながら立ち上がった。
「そうだ。あれは酷かった」
オルタはエレベーターからさほど離れていないエミヤの手を取ると、その手の指に口付けた。
エミヤはオルタを見つめると、
「私はあれではないぞ」と言った。
「わかってる。だが、あれだろう」
「そこまで話したか。片割れの事まで言うとは、迂闊な」
「俺は壊したくなかった。だが、あれはどうしても自分を破壊する方向へ行ってしまう。狂った思想はあれを壊し続けた。どうにもならなかった」
エミヤはオルタの肩に手を置き、ぽんぽんと叩いた。
「仕方ないな。見続ける事も苦痛だったか?」
「俺はあれに触れないようにするのが精一杯だった。協力する事も支援する事もしなかった。ただあり続ける事を己に課した。あれは俺の力がいるときは簡単に報酬を与えた」
オルタはエミヤの手を痛くなるほど握り締めて懇願した。
「お前を必要なだけ助けよう。だから、壊れないでくれ」
「私で構わんのか」
「"エミヤ"だからだ」
「私はお前を選ばない。それでも?」
「一度で構わん。一生を保証する」
「ああ」エミヤは目を瞑ってため息をついた。
「ああ、ならばこの身を擲とう」
オルタはエミヤを息が出来なくなるくらいきつく抱き締めた。
「おい」
エミヤが苦しい事を訴えると、身体を離し、頬を両手で挟んだ。啄む様にキスをすると、又抱き締めた。
「エミヤ、エミヤ、お前は手型は付かないか?見えるところに触っても平気か?内出血しないか?」
「…そんなに症状は悪かったのか?」
「酷かった。俺が触れば手型が残る。腰を打ち付ければ、尻が真っ黒になった。なのにあれは酷く扱われることを望む。全身内出血で痛みで動けなくなっても目だけはギラギラ光って、笑っていた。俺は最後触れることすら恐れた。この俺が。狂王と呼ばれた俺が」
「オルタ、私は壊れない。酷く扱わなくともいい。一夜、思うがままにするといい」
オルタは震える手でエミヤを離し、手を引いてベッドに誘った。
キングサイズのベッドが大きな身体を受け止める。オルタは軽食に付いていたオイルを手に取り、ベッドサイドに置いた。エミヤは着ていたシャツとジーンズを脱ぎ、下着だけでベッドに上がった。オルタはエミヤの手を握り、自分に引き寄せた。オルタの手がエミヤの背をなぞる。オルタとエミヤの上半身は何もない。皮膚をひたりと合わせて、しばらく心臓の鼓動を堪能した。
「温かい。生きてる」
「オルタ…」
エミヤの肩に顔を埋めていたオルタは、位置を反転させ、静かにエミヤをベッドに沈めた。オルタの髪がエミヤの肩にかかる。お互いにお互いの顔しか見えない。エミヤは腕をオルタの首に回して言った。
「あれの最後を看取ってくれてありがとう」
そして自分からオルタに口付けた。オルタはエミヤの後頭部に手を当てるとより深く口を合わせた。じゅるじゅると音をたてて唾液も舌も飲み込んだ。エミヤは自分から何も出来ず、ただ貪られる口中を甘んじて受け入れた。オルタは吸って舐めて噛んで啄んだ。その間にエミヤの下着を剥ぎ取ると、前から後ろをなぞった。エミヤはまだ兆していない。柔らかい陰茎をするりと撫ぜて陰嚢を軽く握る。掌で撫でて、後孔を指が探る。
オルタの口は首筋にキスを落としながら鎖骨を甘噛していた。
「はっ」とエミヤの息が漏れる。オルタは自身が兆して来たのをエミヤの手を導かせて教えた。
「どうだ?」
「ああ、大丈夫なんだな。少し、心配していた」エミヤはオルタに触った手を動かしながら少し笑う。
「こんな身体でも良ければ、うまく使うといい」
オルタはそれを聞くと、エミヤの胸の辺りに跨がった。エミヤの目の前にオルタ自身がそそり立つ。
オルタは自身を己が手で扱きながらエミヤに問いかけた。触る度にオルタがびくりと反応している。
「俺はどうなってる?勃ってないか?興奮してないか?お前を欲しいと思ってないか?」
エミヤの目の前で先端がてらてらと光る。濃いピンク色をしたそれは、オルタの手が鈴口に触る度にカウパー腺を溢した。エミヤはオルタ自身とオルタの顔を交互に見つめた。オルタは全身上気して染まり、切なそうに眉を寄せ、口は懇願し、目は今にも泣きそうだった。エミヤは両手をオルタの腹に置き、脇腹に滑らせた。
「お前は本当に救い様のない…」
オルタがそこまで言った時、エミヤがオルタの先端をするりと撫でた。オルタの手が止まる。
「すまなかった。お前が私で好くなるのではなく、お互いに好くならなければな」
オルタが扱いていた手をぎゅっと握り、後ろへ回した。
「こちらを可愛がってくれないか?オルタ」
エミヤ自身を触らせて、エミヤはニヤリと笑った。オルタも上気した顔をニンマリさせて、
「任せろ、俺の役目だ」と言った。
オルタはエミヤと腰の位置を合わせる様に位置を変え、お互いの勃った雄を触れ合せた。
「…ン」エミヤが身体を捩った。
「エミヤ、不安か?」
見透かされたように感じ、オルタの背に置いた手が微かに震えた。エミヤは大きく息を吐くと、下らないプライドを一つ捨てた。
「ああ、馴れなくて」
オルタはまたニヤリと笑い、
「大丈夫、万が一にもお前を傷つけるような真似はしない。だから、」エミヤの頬と額にキスをしながら、目を見て言った。
「お前も痛みを我慢するな。痛いか、感じるかを誤魔化すな。すなおに」口に合わせるだけのキスを落とし、
「俺に教えてくれ」
狂王と呼ばれた男の懇願は、赤く染まった全身と泣き笑いでエミヤに届けられた。エミヤはエミヤがどれだけこの男に欲されていたのか、初めて実感した。まだ手は震えていたが、震えていることを隠すのはやめようと思った。震えたまま、オルタ自身に指を絡ませた。先端を擦り、陰茎を撫で、陰嚢を指で転がした。その間、オルタはただ待った。何もせずにエミヤの動きを受け入れた。オルタの先端まで指が戻った時、エミヤがオルタの目を真っ直ぐ見つめた。
「オルタはとてもきれいな身体をしているな。それに、顔も美しい。今、私を見つめる目はとても深い赤で、」クスリと笑う。
「何だかとてもいやらしい」
聞いてオルタは律動を想起させるような腰の動きをしながら、エミヤに笑いかけた。
「よく言った。覚悟しろ」
エミヤは声を上げて笑った。
「ふふ、楽しみだ」
言い終わって、口に噛みつかれた。口を舐ぶりながらオルタはエミヤの胸の先端をそうっと触った。小さくて何も知らない。乳輪全体を摘まんで掌で転がし、指で押す。腰を振るのは止めない。
口は噛んだり吸ったりしたお陰で少し腫れてきた。よく見ると色が濃くなり、唾液で光っている。少し潤んだ瞳とパラパラ落ちてきた前髪が、エミヤの顔を彩った。
「なんだ、お前の方がエロい顔してるぞ」
「エロっ…何を言っているんだ、オルタ!」
恥ずかしさで顔を赤らめるエミヤがとてつもなく可愛く見えた。
「素直な感想だ。お互い我慢しないで口にするんだろう?」
「…っ、ひ、卑怯だ。そ、んな、嬉しそうに言うのは」
オルタはべろりとエミヤの顎から鼻まで舐め上げると、
「好きにしていいんだろ」
と言いながら額にキスをした。何度も何度も時に舌で舐めながら、キスをした。額のキスは親愛と祝福。
キスの後、エミヤの頭を抱き締めた。エミヤはオルタの腕を撫でながら言った。
「オルタ、これでは進まない」
「俺はお前に許して貰いたいと思っている。壊すことしか出来なかった俺を、壊れていく様をただ見るしか出来なかった俺を、愛情を言葉で伝えなかった俺を…」
オルタが許しを求めているものは、エミヤに必要ないことは分かっている。けれどそれを伝えることは今は出来ない。どれだけの後悔とどれだけの愛情を蟠らせていたのだろうか。
「このまま離したくない。連れて帰りたい。俺のそばにいて欲しい」
でも出来ない。だから、この一夜なのだ。
「オルタ…」
しばらくそうしてじっとしていたオルタは、ようやく気を取り戻し、萎えてしまったお互いを再び高める為、積極的に触れてきた。触る手の先を見つめながら。視姦されているような鋭い視線。オルタの手が内腿の足の付け根に触れる。下生えと陰茎を掠りながら、そこを尻の方まで撫でる。
はあ、とエミヤが息を吐いた。オルタは内腿を何往復も撫でた。エミヤはもう片方の足を曲げて足を大きく開いた。そうして腕を広げ、
「オルタ、来てくれ」誘った。
エミヤを触っていた手を離し、エミヤの足の間に身体を陣取り覆い被さった。オルタは首に肩に噛みついた。
「くそ、抑えられねえ」
オルタはオイルをエミヤの下腹にぶちまけると、手を全面に浸し、後孔に指を入れた。
「痛いか」
「いや、あの」
「痛いか!」
オルタは怒鳴った。
「痛くない、物凄い違和感はある」
「まだだ、まだ足りない」次は指を二本揃えて入れてきた。
「…っ」
エミヤが顔を歪めた。
「すまん。急ぎ過ぎたか」
根元まで入れていた指をそろそろ抜いた。指先だけを縁と入り口に沿わせる様にぐるりと動かした。
「あの、オルタ、もういい。挿れてくれ」
「駄目だ!ったく、なぜいつもそうやってお前を傷つける真似をさせようとする」
「なら、口でやるから、一度出したらどうか?」
「イヤだ。俺は、お前に挿れたい。奉仕して貰いたい訳じゃねぇ」
「駄々っ子みたいだぞ」
「構わねぇよ、何だって。後悔させんな」
口を尖らせてオルタは言う。けれど、顔は真剣そのものだ。二本の指は大分楽に出し入れ出来る様になってきた。慎重に三本目を入れる。そして指を広げて中で曲げたとき、
「ぅあ?」
と声が出た。オルタはそこをグリグリ押すように探ると、背中に回したエミヤの腕に力が入った。
「ここ、気持ちいいか?」
「あ、…っ、どう言ったらいいか、わから、ン、ない」
オルタは耳元でわざと低い声で囁いた。
「イイって言えよ、エミヤ」
「ん…」
腕が緊張する。身体中に何かが這い上り、痺れるような気がした。は、は、と息が荒くなる。オルタの指が抜かれ、つるりとしたものが後孔に宛がわれた。オルタは両手で膝を押さえると、思いの外ゆっくり腰を進めてきた。指とは違う、感触も大きさも固さも温かさも。エミヤは痛いのか痛くないのかよく分からなくなった。オルタの表情は真剣だが幸せそうだ、懇願の色も見られる。
はあ、はあ、ふう、ふう、とオルタが荒く息をする。ひ、は、ふ、ふ、とエミヤが緊張を逃そうとする。
エミヤの尻にオルタの腰が当たった。
「挿入った。すげえ、気持ちいい」
恍惚を滲ませてオルタは言う。オルタの手が結合部にのび、縁をなぞった。
「挿入ってる。エミヤ、手を」
背中に回した手をほどいてオルタに託す。オルタはエミヤの手を結合部に導いた。
「な、繋がってる」
幸せそうなオルタの顔を見るのが恥ずかしくなった。赤くなるのがわかる。
「嬉しい」
オルタが動き始めた。細かく、負担がかからないように。少し抜いてエミヤのいいところを探し始める。
ん、ん、と抽送する度に声が漏れる。身体全体が律動に合わせて震える。
「痛くないか?苦しくないか?」
エミヤの顔を覗きながらオルタは動く。じわじわと多幸感がエミヤを満たし、充足感がエミヤに溢れた。その時、オルタの先端がエミヤのいいところを突き、溢れた気持ちはそのまま声になった。
「あぁ…あっ……」
オルタの腰が激しく動き始めた。いいところを攻めながら、足を取り、後孔が上を向く様に抱え込む。上から叩きつけるように激しく抽送した。エミヤの目に涙が溢れ、感じている声は次第に大きくなっていく。
「駄目だ、オルタ、駄目、もう駄目だ!」
悲鳴を上げてエミヤが仰け反る。褐色の肌がオルタの前で踊った。オルタも限界が近い。エミヤの手はオルタにしがみつき、爪を立てている。オルタは片手を脚から外してエミヤ自身を握り、扱いた。エミヤの顔を上から眺め、
「一緒にいこうぜ」と言った。
エミヤの手はオルタに食い込み、皮膚を破った。声にならない悲鳴がオルタにも聞こえた。エミヤが吐精すると同時に己も放出した。
エミヤの上に覆い被さる。心臓のある場所に手を置いた。
「お前は壊れないな」
荒い息のまま呟いた。
「ああ」
「お前を愛している。エミヤ」
「ああ」
オルタはエミヤを抱き締め、エミヤはオルタを受け入れた。この一夜だけならば、何を言っても罪にはならない。きっと。
次の日の朝に一人でホテルを出たエミヤは、せっかくなので街の探索に行くことにした。朝はまだ人が活動している残滓がある。大抵は夜の活動が上手くいかなかった者だが、単に活動時間が遅れてしまう場合もある。エミヤは街を歩きながら、クスリに溺れている者がいるかどうか確認した。ヘロインでも覚醒剤でもMDAでもLSDでも構わない。それが麻薬であるなら、そいつが廃人になればいい。けれど、あれは、廃人と言うだけではない。幸せを呼ぶクスリなど錯覚でしかない。
「なあ、兄さん、クスリ買わねえ?常連が来なくなってさ、いいの、余ってんだ。すげえんだぜ。簡単にトリップさせてくれる」
「何だ?」
「クスリ、知ってんだろ、話題のダストだよ」
ビンゴ。あの犯人がいなくなって売れ残りを売りに来たか。
「もしかして、楽園の?」
「兄さん、若いのによく知ってんね!そうだよ!」
「いくらだ?」
エミヤは交渉に入った。大切なのは、旨い客だと思わせる事。常連になること。油断させること。時間をかけて食らいつく。俯瞰の視点は急降下に役立つ。イーグルと呼ばれた対人狙撃手はいつでも適切な時に爪を立てる。
ランサーがホテルを出て、オルタのいるホテルへ迎えに行くとき、エミヤを見かけた。昨日の昼間見たツナギではなく、ストライプの半袖シャツとジーンズだった。少しシャツのボタンを開けてだらしなく着ている。それに、いつも上に上げている髪が下りていた。お陰でしばらく分からず、通りすぎてしまったが、白髪頭に見覚えがあり、振り返るとエミヤだった。ランサーは車を停めてドアから出た。
「よお、珍しいな、こんな朝早く!」
エミヤはギョッとした顔をした。
「君こそ、こんな早くに何だね。さっさと行かないと飛行機の時間があるのだろう?ラスベガスにもう用はないはずだ。お疲れ様、ではな」
「何だよ、つれねぇな。いいじゃねぇか、話くらいしたって…おい、どうしたんだ、それ」
「は?」
「鎖骨の上、何か、虫刺され?赤くなってる…」
と、言うより、それは鬱血と言うか、キスマークと言うか。シャツの奥を覗くようにすると、噛み跡やら何やらチラチラしている。ランサーはエミヤのシャツの衿を掴んで引っ張った。顕になるはっきりした情交の跡。エミヤはランサーの手を払いのけて言った。
「何をするんだね、君は、破廉恥な!」
ランサーは呆然とした。誰とだ、と、どうして、と、頭の中で渦巻く感情を整理できない。思い出したのはオルタとの会話。"お前に嫉妬なんかしない"
「オルタか」
「は?」
「それ付けたの、オルタか」
「何でもいいだろう。君には関係無い」
「何で」関係無いとか言うんだ?別にオルタとどうなろうと、友達なら聞いたっていいじゃねぇか。
でも、友達じゃ無い。
ランサーは頭に血が上るのを感じた。確かにランサーは友達でもなければ親戚でもない。エミヤが何をしようが何の権利もない。しかも二度と会わないかもしれない。縁の無い人物だ。
「心配してやってんだろ?顔見知りの誼でさ」
「愛想は君の世界の人間にとっておけ。私には不要だ」
「そうかよ」
エミヤが踵を返してランサーから離れようとした時、ランサーはエミヤのシャツを両手で掴んでボタンを飛ばして引き裂いた。
エミヤの上半身は酷いものだった。肩、胸、腹、背中までありとあらゆる場所に跡があった。執拗で異常でもある。これをオルタが?信じられなかった。兄弟の情事を皆知っている訳ではないが、こんな事をするとは思わなかった。ましてや男に。
「お前、オルタの何なんだ。会った事はなかったんだろう。異常だ」
「往来で洋服をぼろぼろにされるのは普通か。マクイルの兄弟は異常だ。いいから、何処へなりと帰りたまえ。二度と会わない男の話などどうでも好きにすればいい」
前を全開にして、どうやら引っ掛かっているシャツを整え、エミヤは歩き出した。それではレイプされても文句が言えない。ニューヨークの男娼だってあんな格好で歩いてない。
「バカが!」
ランサーはエミヤの腕を掴むと自分の車に引き摺り込んだ。さっきから何の抵抗もしないエミヤは、この時はさすがに抵抗しようとした。だが、ドライバーがとりなした。
「エミヤさん、それは酷いですって。俺が送りますから、その恥ずかしい主人は置いといても」
「ああ、私の車が置いてある駐車場に連れていってくれれば、それでいい」
「どこですか?」
「北の方にある駐車場だ」
「了解です!」
エミヤはランサーと並んで座っているが、無言を貫いた。ランサーは自分の感情を整理中だ。エミヤに目をやると、とんでもなく目の毒だ。下りた前髪が額にかかって思いがけない幼さを現出させる。首も腕も情事を色濃く見せていて、己の所行ではあるものの、かろうじて引っ掛かっているシャツから見える肌はやたらに艶かしかった。車のある駐車場に着いた時、異様な風景を目にした。
「まともな車がねえ」
ランサーが絶句した。駐車場の車は全て壊されていた。二つに割れていたり、コンパクトに纏められていたり。エミヤの車は縦に千切られ、上からも潰されていた。動かすとかそう言う状況ではない。鉄屑に成り果てていた。
「その、大変だな」
ランサーがエミヤに声をかけた。これは車両保険に入っていても保険金は出ない。誰かが故意に壊している。犯罪だ。
「……オルタは無事か?」
「へ?」
「これは一人や二人じゃない、組織的にやっている。こんな人数、いる筈無い。謀られていたか」エミヤは髪を掴み、叫んだ。「俺は、何をしていた………!」
髪から手を離すと、怒鳴った。
「ランサー!オルタの元に行くから、送ってくれ!オルタが国外退去するまで警護する!」
「どうしたんだ?」
「危険なんだ。オルタは南米の要だ。何かあったら、南米から崩れる!くそ、あの事件は囮か!ランサー、早く!」
「わかった」
さっぱりわからなかったが、とにかく急いだ。車に乗り込むと、ドライバーに早く行くよう指示する。だが、車は渋滞に巻き込まれた。
「くそ、どうにもならん!」
エミヤはジーンズのポケットから細長いものを出した。と、それを腕に押し付けた。
「う、う」
と呻いたと思ったら、車の扉を開けてハイウェイに降り立っ
「おい、エミヤ!危ねぇ!」
ランサーが言うまもなく、エミヤが消えた。いや、凄い速さで駈けて行った。エミヤは渋滞の車を一顧だにせず、あっという間に消えた。
「何だ、あれ…」
「さあ」
ランサーとドライバーは何も言えなかった。