エミヤはオルタのいるホテルに着くと、上を見た。騒いでいる様子はないが、いずれにせよエレベーターは使えない。厳重なセキュリティは時に手遅れになることもある。ホテルの外壁を一瞥し、まずは足場になる四階の張り出しを目標とした。二回飛び上がって張り出しに足をかける。出っ張りを使って大きく七階部分まで飛び上がり、窓枠に指をかけてどんどん上った。側面で上れる処まで上ったら窓を割って中に入った。ペントハウスだろうが何だろうが、非常階段は存在する。そこに貴賤はないのだ。大体隠されて見えにくいが、上まで続いているのは確かだ。
エミヤは階段を見つけ、かけ上った。ペントハウスまではまだある。音が聞こえて来た。既に事は起きている。間に合うといいが。
非常階段からペントハウスに乗り込む。非常口はセーフティロックがかかっているが、壊して開けた。中はぐちゃぐちゃになっていたが、オルタはまだ交戦していた。ただの人にはなかなか見られない膂力を持っているらしい。身体は傷だらけだ。敵は武器を持っていない。一人で良かった。エミヤはオルタと敵の間に入ると、至近距離で銃を心臓めがけて撃った。二発目は眉間、三発目は肝臓。最後に銃を手放し、殴り付けて倒すと、男の首を足で踏みつけて潰した。骨が折れる音が部屋に響く。
敵は動きを止め、撃たれた箇所から噴水のように血を噴き出していたが、やがて流れるだけになった。そこでようやくオルタに振り向いた。
「怪我はどの程度だ」
「肋骨が二本、指が一本、それにあちこち切れてる、が、大したことはない」
「バカな、そう言うのは重症と言うんだ。取り敢えず、ホテルの人間が来る、言い訳を考えておけ」
「俺が襲われてお前が助けた、でいい。後はランサーに任せる」
エミヤは頷き、銃をしまった。
「に、しても、凄い格好だな」オルタがニヤニヤする。
ここに来るまでにエミヤは服の残骸を脱ぎ捨てて来た。上半身には何も身に付けていない。
「貴様がやったのだろうが。少しは反省しろ」
オルタは痛そうに顔を歪めて笑った。
「後悔はしないし、反省もせん。いい男振りだ」
痛い痛いと笑うので、無事そうな頭を叩いておいた。
エミヤがオルタの服を着たところでホテルの人間が来た。部屋の惨状と怪我の状況、何処からの侵入だとか、警察より詳しく聞かれた。オルタは医者に手当てしてもらい、飛行機での移動を禁止された。ホテル側からの申し出で部屋を移動する事になった。スイートルームだが、ペントハウスよりは落ちる。オルタはグレードなどあまり気にしない。問題はいつ帰るか、だ。
「オルタ、その身体では飛行機には乗れない。治るまでここにいるか?」
ふん、と鼻を鳴らす。
「下らん医者の言い分なぞ、聞くわけ無い。今日にでも帰る」
「肋骨が内臓に刺さったら死ぬぞ。聞き分けろ」
「エミヤ、お前が飛べ」
「オルタ、死亡率が上がるだけだ」
「飛ばせるんだろう」
「残念ながら国際線は無理だ」
「そうなのか?」
「………何処まで知ってる?」
「必要な事は全部」
エミヤはため息をついた。
「緊急かつ国の許可があれば、だ。大体退役した身だぞ。下らん映画じゃあるまいし、一般市民の身分で越権など出来るわけがない」
「そうだな。ならヘクトールになんと言う?」
「部下か?」
「そうだ。文句が多い奴でな。今日帰らんと、あいつが死ぬ」
「死んでおけ。そんな部下などいないくせに」
「ふむ。お前、南米に行くか」
「貴様の代わりなぞ真っ平ごめんだ。ランサーに頼め」
「そうか、そりゃいい」
そんな会話の途中でランサーがやって来た。
「おい、オルタ怪我は大丈夫か?」
オルタはベッドの上でニンマリ笑った。ランサーは嫌な予感がした。
「俺がオルタの代わりになるわけねぇだろうが!行って何すんだよ!」
「帰れねぇんだ、仕方ないだろう。お前の他に代わりなんざいねぇ、よろしく頼む」
「全然よろしく頼んでねぇぞ」
「じゃ、帰る方法を考えろ。俺が帰れば済む事だ」
ランサーはぐぬぬと妙な音を出して悩んだが、解決策を見いだした。怪我人や病人を長距離運ぶことの出来るメディカルジェットをチャーターする事にしたらしい。が、直ぐに用意出来ず、三日間療養となった。オルタはヘクトールに電話して状況を説明し、ヘクトールはそれを了承した。聞いているオルタが段々萎んでいったが、オルタが帰るまではヘクトールにかかってるのだ、甘んじて受け入れるしかない。
エミヤは警護するとは言ったものの、一度家に帰りたいと申し出た。ランサーにドライバーと車を貸してくれ、と頼んだ。
「いいぜ、ちと待ちな。用意できたら連絡する」
と、消えた。
「オルタ、ランサーは何処に行ったんだ?」
「知るか」
オルタが不機嫌そうに言う。
「君は何故不機嫌なんだ?」
オルタはエミヤを見てそれからため息をついた。
「お前、本当に救いようが無いな」
「どういう意味だ」
眉をしかめてエミヤが言う。
「わかって無いにも程がある。ランサーも同罪だ」オルタは頭を振った。
「エミヤ、色々考えた方がいい。俺は結局お前に関わらざるを得ないが、ランサーがどうなるかはランサーが判断するだろう。話さなければならない時期は来ると思う」
「まだ、巻き込まれて無い」エミヤは窓の外を眺めるように溢した。
「まだ、引き返せる」
「甘いぞ、エミヤ。ランサーがやると言ったら誰にも止められん」
「そうか、君ら兄弟は同じような性質を持っているのだな」
エミヤの携帯が鳴った。ランサーから車の用意ができた、と連絡が入った。エミヤは携帯を切ると、オルタに向き直った。
「少し席を離れるが、無茶はするなよ。何かあったら直ぐに人を呼ぶんだ。いいな」
「ああ、エミヤ」
「なんだ」
「キスしてくれ」
「昨夜で満足したろう」
「名残の別れだ」
「不吉な事を言うな」
エミヤはオルタに近づくと、軽くキスを落とした。オルタは離れようとするエミヤの頭を掴むと、深いキスをした。角度を変えて何度も何度も。お互いに息を切らせて離れると、エミヤは額を合わせて言った。
「これで終わりだ。君のエミヤはもういないのだから」
「わかっている。最後まで名前を知らなかったが、本当は何て言うんだ?」
エミヤは微笑んで言った。
「エミヤオルタが正式名称だ。エミヤの可能性、選択。海から陸に上がる時、あれは反転し、私とは存在が変わった。起源は同じだが、在り方は違う。オルタ、私に求めても返せない」
「俺と同じ名が付いていたのか」
「そう、あれは初めから知っていたと思う」
オルタはそれ以上何も言わず、エミヤは「行ってくる」とだけ告げて出ていった。
ホテルの玄関で車を探すと、何故かドライバーではなくランサーが運転席にいた。窓を開けて、「よう」と挨拶する。エミヤは絶句した。
「何をしている!オルタの側にいろ!君は彼を守る義務があるだろう!」
「手は打ってあるさ。大体、俺より強い奴に任しておいた方がいいだろう?」
「君が、私に拘る理由がわからない」
ランサーはニッコリ笑って答えた。
「仕方ねえ、俺にも分からん」
エミヤはもう何も言わず、車に乗ろうとしたが、「違う違う!」
とランサーに止められた。
「助手席だろ?」
何だろう、ランサーは盛大に勘違いをしているのでは無いだろうか。友人でも恋人でもないが、ランサーの振る舞いは立場を飛び越えているような。彼に何かあったのだろうか?
エミヤは必死で考えるが、思い当たる節が無い。
「ランサー、君は兄弟や友人の恋人に優しくし過ぎて勘違いされたり、争いになったりしたことがあるんじゃないか?」
「へ?何で」
「君の私に対する振る舞いはおかしい。女性にこんなことしたら気があると思われるぞ」
「そうか?」ランサーは全く無自覚だった。
「でもよ、女の服は破かないぞ」
「ランサー、それは犯罪だし、変態だ」
ランサーは女の服を破いたところを想像し、大笑いした。
「はは、そりゃそうだなぁ」
ランサーの笑いはまだ止まらない。ひーひー笑っていた。笑いの発作が鎮まると、ランサーはエミヤにしてきた事を思い出していた。確かに、三万ドル近い服を買い与えたり、わざわざペントハウスをリザーブして食事を振る舞ったりした。惚れた女にもしない行動かもしれない。だが、オルタが来る前だ。知り合いの恋人にする態度と言うには時系列が間違っている。つまりそれはランサーがしたかった行動だ。はた、とランサーは考える。何故、そんな事をしたかったのか?偏屈で訳のわからない理屈を振りかざし、ランサーを糾弾してくるが、夜の山に人を探しに行ったりベッドを明け渡したりするお人好し。そこに好意を無視するを付け加えて納得した。気に入らないのはそこだ。それを受け入れさせたかった。
そう言うエミヤもおかしいところは沢山ある。山小屋での独り暮らしはいい、だが、何故ランサーに殊更関わろうとしないのか、遠ざけようとしているのか。そうだ、あの態度はランサーだけではなく、誰をも近づけ無いようにしていた。そこまで忌避する理由はなんだ?その癖オルタには初めから親しげだった。二人には共通するものがある。
人魚、女王蜂、知らなくていいこと、ジャンキー、笑う犯人、頭の無い死体。事件があった次の朝エミヤはホテルにいた。オルタはわざわざ南米から飛んできた。そして死体を見つけた。エミヤと言う名前に反応したオルタ。山小屋での会話。"売る""義務"はセットで語られた。売る?何を?
「クスリ、か」
「なんだと?」
「麻薬か。隠しているのは麻薬だな?それは何だ?オルタが知っていて、俺が知らない、麻薬」
ランサーはオルタのもともとの商売を思い出した。そうだ、あいつドラッグ売ってた。作っていたのはコトミネだ。流していたのはキャスターだ。あいつらなら知っている可能性があるのか。知らないのは、俺だけか。何故そんな事隠すんだ?隠す理由がない。第一オルタの支援をしている時にコトミネもキャスターもきちんと言え、と何度も言っていた。オルタしか知らないのか。人魚の遺志とは、麻薬の撲滅か?できるわけ無い。だが、オルタは南米を完全にコントロールしている。そうまでして止める理由。笑いながら人を殺す。蜂。
「わかった!ラリって人殺しするクスリが蜂蜜に入って流通してんだな!」
エミヤは目を見開いてランサーを見た。
「そ、そうだな」な、の辺りは震えて声にならなかった。我慢しているのだろう、肩を盛大に震わせている。顔が真っ赤だ。
「んだよ、変な事言ったか、俺」
「い、や、その、ン、」気を取り直して、「悪くない推理じゃないか?」と言った。
顔がヒクついている。赤らんだ顔はそのまま、鼻から笑いが飛び出して来そうだ。面白くない。
ランサーも蜂蜜を舐めてヘラヘラ人を殺す様を想像したが、風邪を引いて喉の薬を舐めているようにしか見えない。変だ。
エミヤはまだ笑いの発作から帰って来ない。その様が可笑しくて、ランサーも笑った。
「だよな!風邪っぴきみたいだけどよ!」
と言った時、エミヤが吹いた。大声で笑っている。会ってこの六日間、一度も(拒絶以外で)笑顔を見たことのなかったランサーは、その笑顔に惹き付けられた。しばらくぼうっと眺め、運転中だと言うことをほんの少しの瞬間忘れた。
直ぐに己を取り戻すと、砂漠の道を眺めた。この道を通るのは四回目だ。何をしているかと言う悩みより、今後の関わり方が問題だ。何故なら、オルタは帰る。殺人から始まった事件は、多分ランサーを巻き込む。知らないではすまないだろう。その時、この事情を知っている男はどうするのだろう。
"海から陸に上がる"
何度も聞いたフレーズだが、何かの比喩か?それとも本当に海から来たのか?
ランサーの頭に人魚のエミヤが現れたが、上半身は酷い有り様だった。
主人の帰って来ない駐車場に車を停め、二人は小屋に向かった。小屋に向かう間にも考える。ランサーは考えてから行動にうつすのではなく、行動しながら考えるタイプだ。それでうまく行くことも失敗する事もあるが、概ね成功してきた。野生の勘が働くのだ。本能と勘に頼った生活をしてきた。その勘がこの男に会ってから狂いっぱなしだ。
会ったことの無い人種。
倫理観、行動、生活、全てが正反対。こう言っては何だが、金がない奴は金のあるものに媚びへつらう。でなければ敵のように忌み嫌う。エミヤはそのどちらでもない癖に施しは嫌がる。普通、喜ぶものだ。借りではなく返す必要は無いのだから。知り合いは皆、ランサーからのプレゼントを感謝一つで受けとる。それが当たり前だと思っていた。
小屋でエミヤが何かを片付けたり出したりしている。終わるのを立ったまま待ちながら、ペントハウスで見た姿を思い出した。思わず、
「こんな可愛くねえイライザはやだねぇ」
と口に出した。
「おい、ヒギンズ教授、昼を食べて行くぞ」
「げ、聞こえてた」
「こんな小さな小屋で何を言ってるんだね。で、ピッカリング大佐との掛けには勝てそうかね?」
「もう勘弁して下さい」
食卓に付きながら、小さくなるランサー。エミヤはふん、と鼻をならし、
「早く片付けろ」
と言い、自分の分を食べ始めた。
エミヤはオルタの服を着替えており、髪の毛もセットしていた。長袖のシャツを羽織り、白いTシャツを中に着ていた。ホテルで見た格好と同じだが、一つだけ違った。ドッグタグを着けている。動く度にチャリチャリ音がする。
ランサーは食事を取りながらも、こいつはスペインの雨を歌えるのか?と余計な事を考えた。今度試して見よう。
昼は簡単なサンドイッチで、中身とソースが今まで食べたものとはずいぶん違った。
「なあ、これ、何だ?変わった味だな」
「四川風に山椒(ジャパニーズペッパー)を使っている」
「中華風にジャパニーズ?」
「私が決めた言葉じゃない。仕方ないだろう」
「ケチ付けたいわけじゃねぇよ。面白ぇ組み合わせだなと思っただけだ」
「面白くなければやる必要がない」
物凄く不機嫌そうだ。あれ?
「俺、なんかした?機嫌悪ぃな」
「鼻唄歌ってたろう」ジロリと睨まれる。
「え?そんな事してたか?」
「してた。スペインの雨を歌ってた」
しまった。無意識にやってた。ランサーは取り繕うと、手を振り回した。
「いや、その、歌を知ってるかな~とか考えてて、深い意味は無いぞ」
「有名な曲くらい歌える。失礼だな」
「歌えんの?歌って見ろよ!」
「何故!ランサー、君、やっぱりおかしいぞ!」
「いいじゃねぇか、誰も聞いてないし。運がよけりゃ~ とかな!」
エミヤは頭を抱えて唸った。
「イカれてる。誰がやるか!」
せっかく歌ったのに、さらに怒られて終わった。どうにもノリの悪い奴だ。
エミヤは家からバッグパックを一つと小さなスーツケースを持ち出した。それから家の扉を閉めると、大きな鎖と錠を取り出した。ドアノブを鎖でぐるぐる巻きにすると、厳重に錠を付けた。
「頑丈だな」
「ああ、しばらく帰れないからな」
と言って立ち上がった。車に歩いていく間にランサーは一度小屋を振り返ったが、エミヤは一度も振り返らなかった。
二人が街に戻ったのは夕方だった。陽が傾き始めた頃だ。ホテルがざわめいている。嫌な予感がしてオルタの部屋に向かうと、警察やらなにやらで人が溢れていた。
「オルタ!」
ランサーが叫ぶと、警官が振り向いた。
「ご家族ですか?」
「兄だ。何があった!」
「警備の方が殺されて弟さんは今運ばれるところです。意識は有りませんが、生きていらっしゃいます」
「犯人は!」
「弟さんが射殺したようです」これは正当防衛が適用される事案ですので……。
ランサーは聞いていなかった。オルタが部屋から管をつけて出ていく。自分の足でなく、ストレッチャーに乗せられて。血の気が引く思いだった。
「殺さなかった…、そんな事が可能か」
エミヤが小声で呟いた。それを聞き付けて胸ぐらを掴んで壁に叩きつけた。
「お前何を知ってる!何を隠した!お陰でオルタはこんなことになった!きちんと話していれば、なかったかも知れないのに!」
エミヤは自嘲する様に笑った。
「知っていたって無駄だ。オルタはわかっていたのにああなった。止められるのは、同じものだけだ」
「だから、それは何だ!」
「ダストだよ」
「ダスト?」
エミヤはため息をつき、ランサーの腕を優しく叩いた。
「詳しく話す。何処か場所を変えよう」
ランサーのホテルに帰り、入念に隠しマイクやカメラを確認し、エミヤはソファーに座って話始めた。
「ダスト、ダストオブエデン、楽園の塵。様々な呼ばれ方をするが、早い話、麻薬だ。君が推測した通り。ダストが他の麻薬と決定的に違うのは禁断症状がない事。いくら使っても、薬が無いと居られない、と言う症状はない。それでいて快感と幸福感を手に入れる事が出来、効果のある内は楽園に居るかのような気分が味わえる。だから、ヘブンズダストと呼ばれる」
「結構な話じゃねぇか」
「そうだな、それだけなら」エミヤは頷く。そして大きく息を吸い、吐いた。
「ダストは今、麻薬として扱われている。本来の使用方法は無視されて。本来は脳障害、運動機能障害等の治療薬だった。ダストはその効果から鬱や統合失調症の治療薬として使われたこともある。
但し、軍の実験としてだが」
「実験?」
「そう、ダストは実験段階で実用性無しとして闇に葬られるはずだった。どちらにせよ公表等出来るわけがない。あれは、完璧な生物兵器を作る、ある意味夢のような薬だ」
「生物兵器?生き物が兵器になるとか、そりゃ不味いだろ」
「犬や猫でも?猿でも?」
「動物愛護団体が黙ってねぇんじゃねえの?」
「公表すればな。しなければいいだけだ。闇から闇に葬られる、死んだら戦死だ、誰も悩まないし、考えない。どんな風に死んだかなど、本当の話をする必要など無いからな」
「先進国じゃ無理だ、そんなの」
「そうだな、だから先進国はダストを葬り去る事に同意した。使用出来ないテクノロジー等無意味だ。データは欲しがったが、門外不出になっている。表に出た途端に国の中枢までデータを破壊するウイルスがばらまかれている為、利用出来ない。問題は同意していない国だ。南米、アフリカ、中東、東ヨーロッパの一部には、同意していない国、団体が数多くある。だが、七年ほど前に中東とアフリカの一部にはウイルスが作動した。南米はオルタのお陰もあって落ち着いている」
「七年前?お前、まさか」
「そうだ、私が実行した。軍の要請でもあったから。私は元海兵隊第二部隊所属、配属先は中東及び北アフリカだ。フォース・リーコン及びレイダース所属の特殊部隊、スカウトスナイパーとして活動。立場を利用し国家直下の依頼として、ダスト殲滅をしていた。因みに戦闘機は無理だが、輸送機位(オスプレイ)なら飛ばせるぞ」
「化け物」
ぼそりと呟いた。偵察、カモフラージュ、人質奪還、要人偵察、ミサイル爆撃位置の把握、空挺、戦闘機爆撃、短距離狙撃、何でもござれのてんこ盛り部隊。レイダース所属なら、対テロ要員でもある。最前線バリバリじゃないか。六年前、まだ若い。
「階級は?」
「一等准尉と言うところだ」
更に化け物。普通、大学卒でも二十年以上かかる昇進をそんな若さで成し遂げるとか、どう考えても化け物だ。
「大卒だろ?」
「いや、17で二等兵卒として入ってるが」
最早絶句。とんでもない奴と話をしている。こいつは俺をセレブだセレブだ言うが、こいつの経歴はあり得ない。何で山奥に居るんだ。勿体ない。
「お前、年金暮らしか」
「勿論だ。他にどうやって生きていくと言うのかね。セレブの君とは住む世界が違うんだ」
そうだけども。こんなに変わった奴にはそうお目にかかれ無いだろうな。
「まあ、それはいいとして、問題は、ダストは動物ではなく、あくまでも人間用の薬だと言うことだ」
「ちょっと待て、生物兵器って言ってなかったか?」
「言ったぞ」
片眉を上げて頷くエミヤ。どんどんきな臭くなってくる。オルタが口をつぐみ、エミヤが誤魔化そうとしていた麻薬は、聞けば聞くほどヤバくなっていく。
「さて、肝心な所を飛ばすのは止めよう。ダストは障害の克服から端を発した薬と言った。実は、ダストは運動野に機能する。簡単に言えば人を超える力を発揮する。
ロープが無くても垂直の壁を登り、橋がなくとも谷を超え、車より早く走り、イルカと同じ程度海に潜れる。
その上、ダストは自我を失わせる。
君はカジノの殺人犯の動画を見たろう?ニコニコととても楽しそうで幸福そうな表情をしていたはずだ。何をしているかなど、本人にはどうでもいい。言われた事をしているだけだ。それすら意識にはのぼらない。命令された事のみに反応する武器に成り果てる」
「でも、あいつ撃たれても平気だったぞ。いくら何でも人間なら痛いだろ?」
「ランサー、人を超えた肉体は壊れるんだ。壊れた体を動かす為には、誤魔化す物質がいる。
脳内麻薬でエンドルフィンはモルヒネの6.5倍の鎮痛効果を持つと言われている。ダストはエンドルフィンを出しっぱなしにするんだ。だから、何をされても痛くない。身体機能が失われるような怪我をしなければ、どんなに人の形をしていなくとも動き続ける。
止めるには心臓を壊すか、首を落とす事、頭を潰す事が効果的だ」
「何だそれ、マジでホラーじゃねぇか」
「絵空事に聞こえるか?」
ランサーは頷いた。そんなゾンビ映画みたいの、変だろ。
「そうだな、でも君は実際に見たろう?」
「お前が、オルタを助けに行った時か」
エミヤが頷いた。
「お前、ダストとやらを使っているのか?」
エミヤは苦笑いする。
「いや、私が使ったのは魔術髄液、通称スパイナルと言うものだ。これはダストの脳内麻薬を分泌させる機能が無いもの。ダストの使用による後遺症が無い代わり、身体が壊れれば痛む」
「なら、そっちのが優秀じゃねぇか」
「スパイナルは投与しただけで脳神経の暴走を引き起こす。ダストが作られた理由は、痛くて動けなくなるスパイナルをどうにかする為だった」
「ちょっと待て。痛くて動けない上、動くと体が壊れて痛むのか?何だそれ、拷問?」
「そのようなものだ。だから、ダストは福音だったのだ。投与しても頭が痛くない、身体を壊れるまで使っても痛まない。エンドルフィンが幸福感を演出し、ドーパミンが快感を呼ぶ。
そこは楽園、自分がやっていることの全面的な肯定。そしてスーパーマンのような動き。
禁断症状が無い事も手伝って、被験者は歓喜した。勿論、製作者もだ。完璧だった」
エミヤは大きく息を吐いた。
「前頭葉の破壊がわかったのは、ダスト開発から半年後だ。被験者の常用が確認されてから直ぐだ。
薬を飲めば幸せで気持ちよくて力持ちになれる。
それは人にとってどれだけ幸福か。想像して見てくれ。周り中が君を祝福し、君は喜びに満ちている中で、人を超えた力を奮い人を助け、災害を防ぎ、感謝される。まるでヒーローになったようだ。
だが、薬が切れると身体は痛み、周りが自分を苦々しく思っている事に気づく。天国から地獄だ。人はそれに耐えられない。
もう一度、いやずっと、自分はヒーローになり続けたいと思うようになる。
薬さえ切れなければ、自分はヒーローだ。
皆に感謝され、喜ばれ、愛される。
後遺症が無い?これ以上の後遺症は無いと思うがね。何故なら、薬の禁断症状ではなく自分自身の禁断症状で薬に手を出す。いつ止めても自分に影響は残らない。全員がそう信じていたんだ。
異変は恐らく少しずつだったのだろう。朝一人で起きられなくなる、日にちや曜日が分からなくなる。歯磨きや手を洗うといった生活に支障をきたす、食事を取らなくなる、何を言っても反応しなくなる。
痴呆症の様になって、被験者は廃人になったと思われた。
だが、力は失われていなかった。被験者はその頭の中で変わらずヒーローだったんだ。
ある日、被験者を車椅子で散歩させていた看護師が、風に煽られ崖に膝掛けを落とした。単なる戯れで被験者に命令した。
"あの膝掛けを取って"
被験者は立ち上がり、崖に飛び降りて膝掛けを取り、また飛び上がって膝掛けを看護師に渡した。
人に出来る事ではなかった。崖は川に面していて高く垂直で、引っかかったのは崖の中腹にあった小さな岩の出っ張りだ。足場もなければ手をかける場所もない。崖を降りるのも登るのもロープがなければ叶わない、そんなところだった。だが彼は簡単に成し遂げた。
その後症状が良くなるかと期待されたが、特にそうではなく、強い命令に対して反応することがわかった。この被験者は看護師の声にしか反応しないこともわかった。
被験者は看護師の命令だけに反応し、力を発揮する。看護師が命令するものは絶対で、けして迷わない。被験者はバーサーカーと呼ばれるようになり、今も彼女を守っている。
それが人の言うなりになる、人を超えた力を持つ生物兵器の始まりだ」
「何でそんなもんが麻薬で手に入るようになったんだよ」
「ああ、これは私達のミスだ。死んだらデータをばら蒔くと言った者を殺したせいだ。本当に世界中にばら蒔かれた。データ根絶の為に先進国は手を組み、一ヶ月でウイルスを完成させて表面上はなくなった。各国の軍も根絶に手を貸して居るので、その後の掃討もできている。
でも一度アップしたデータは消えない。何処かで流出する。誰の手に渡るかわからない。何処かの国の軍が手に入れて利用しようとしたら?」
「て、おい、オルタがいた国のクーデターってまさか」
「軍の解体が必要だった理由の一つだ」エミヤは肯定した。
段々とんでもない話になってきた。
「お前、クーデターに手を貸したのか?」
「いや、既に隠居の身でね。何も知らなかった。知人が後から知らせてくれたんだ」
「誰がやったんだよ」
「雀蜂」
「蜂(ワスプ)」
「そう、雀蜂。ダストの元被験者もしくはその親族が自主的に集まり、女王蜂を中心にダストの撲滅を実行している組織だ」
「女王蜂ってのは?」
「同じだよ。元被験者。ただ、女王蜂はスパイナルを常用していた」
「その、ただ痛くなる奴?」
「ああ、スパイナルはシナプスの暴走が起きる。暴走はニューロンの刺激を誘い、脳に直接な痛みとして伝わり、純粋な痛みだけを中枢に伝える。更に身体を壊せば痛みは数十倍に伝わる。最早人の耐えうる痛みではない。被験者の多くはその痛みに耐えられず、中には死ぬものすらいた。女王蜂はそれを常に使用して生き延びていた。最も長くスパイナルに触れていた、初めの実験体」
エミヤは項垂れて、続けた。
「そう、しないともう、身体も動かせないほど壊れていたんだ」
ランサーは実験体と言う言葉に反応したが、敢えて触れなかった。後で聞けばいい。それより気になるものがあった。
「お前は?スパイナルって使ってンだろ?」
「私は、見ての通り、そんなでもない」
「見ての通り?」
「ああ、」と気づいた様に苦笑した。
「スパイナルの薬の効果を緩和させるために後から添加物が加わったんだ。それは色素の異常を引き起こした。私は日本人だと言ったけれど、姿形が日本人らしく無いだろう?スパイナルを使用すると肌の黒化と白髪化を誘発するんだ。色を変えるほど使いはしたが、スパイナルを常用する必要は無い」
「その添加物とやらで痛くなくなるのか?」
エミヤは目を丸くした。
「いや、そんな事はない。多少ましだが、ほぼ何も変わらない」
「何でそんなの使うんだ?お前はダストを使う方がいいんじゃないか?使った事は無いのか?」
「私?いや、使った事はある。ダストの最初の被験者だからな」
「え?」
「なんだ、こんな危ない薬の話を延々してきて関係者じゃないとでも思ったのか?」
「いや、その、え?」
「海から陸に上がる、と言うのは比喩でも何でもない。実験施設は大西洋上の孤島にあり、小さな無人島だった。そこで実験を繰り返し、スパイナルをダストに昇華した。
スパイナルはヨーロッパのある医療研究所から始まっている。その研究を軍が引き取り、孤島でダストに変えた。
私はそこでスパイナルとダストの被験者として暮らしていたんだ」
ランサーはどう言ったらいいか、分からなかった。何でもない様に話すが、とんでもない話だ。
「日本人、なんだろ?何故そんな所にいたんだ?」
エミヤが返答しようとした時、ランサーの携帯が鳴った。ビジネス用だ。
「ランサーだ」
と言って携帯に出ると、緊張した面持ちで聞いていたが、やがてほっとしたようにそうか、と言って携帯を切った。
「オルタの意識が戻ったそうだ。会いに行くが、お前は?」
「私はオルタから離れない。後三日でオルタが搬送されるまで。構わないだろうか」
「いや、そりゃいいけどよ」
エミヤはほっとしたように息を吐き、表情を緩ませた。
「良かった。では連れて行ってもらえるか?」
「分かった」
立ち上がったところでランサーがふと疑問に思った事を口に出した。
「そう言や、お前、オルタの何だ?」
「何でもない」
無表情でエミヤが応えた。
「そんな有り様でか?」
「どんなもそんなも無い。オルタと私は関わりなぞ無い」
ランサーの頭に疑問が飛び交う。
そんなに執着の印を付けられておいて?山小屋で会った時だって、親しそうだったし。オルタはお前を初めから自分のモノみたいに見ていた。関わり無いってじゃあ。
「オルタは捨てられたのか?」
「はあああ?!ランサー!何を言ってるんだね!」
「可哀想だなぁと思ってよ。ケガしてんのにお前に捨てられて、踏んだり蹴ったりだなあと」
「ランサー!私は捨ててもいなければ拾ってもいない!初めから無関係だと言ってるんだ!」
顔を真っ赤にして怒っている。ランサーは両手を上げて、
「分かった、すまんすまん」と謝った。だが、すぐその後のエミヤの呟きを聞き逃さなかった。
「ひどい目に会ったのはこちらの方だ。意識が無くなるまで潰しおって」
尚もブツブツ口の中で悪態をつくエミヤ。ランサーはこの時はっきりとオルタに嫉妬した。跡を見た時もイラついたがまだ余裕があった。想像がつかなかったからかもしれない。けれど、元とは言え屈強な軍人をいいように扱い、意識を失うほど抱き潰した。そこまで受け入れられたのか、と、その事に嫉妬した。
どんな風に乱れるんだ、解けて緩んだ顔を見せるのか、懇願するのか、声は、悲鳴は、腕は脚は手は、何を掴む?
初めて見た時から気になっていたんだろう。でなければあんなに執着しなかった。ランサーはこれまで男に興味はなかったし、抱くなら女の方が良いに決まっている。もし、オルタとの事がなかったら、こんな気持ちになっていなかったかもしれない。昨夜オルタに悋気かと尋ねられて違うと答えた自分は何も分かっていなかった。恐らく、オルタは俺の気持ちを分かっていた。その上で、こいつと関係を結んだ。そして、こいつはそれを受け入れた。
俺はオルタにバカにされたのか?
「ランサー?行かないのか?」
エミヤが顔を覗き込む。ハッとして顔を上げ、まだホテルの中なのに行動を起こしていなかった事に気付いた。すぐにドライバーを呼び出し、車を用意させた。いつもの事だが、分からないなら行動だ、オルタに確かめればいい。
病院に着いて、病室で管だらけになったオルタと対面した。
「いい面してんなあ」
「んだ、悪態つきに来たか」
酸素マスクが声をくぐもらせる。話すのも辛いようだった。無駄話はしない方がいい。
「お前、俺があいつを気にしてた事、知ってたな。どうしてだ」
「友達になりたい」
「あれか」ランサーは頭を抱えた。
「そんなの言ったの、初めてだ」
「そうだったか?」
頷くオルタ。オルタを見て、ランサーはなじるように言った。
「なら、何であいつと」
「俺は、あいつと寝たわけじゃねぇ」
「な!」にを言ってるんだ!と続けられなかった。生まれて初めてかも知れない、オルタの優しい笑顔が見えたからだった。
「オルタお前…」
「あいつは優しいな」
オルタはそれだけ言うと寝入ってしまった。
結局訳が分からなかった。ならばエミヤに聞くかと思ったが、何も言って貰えなさそうだった。ランサーはしばらく病室で悩んでいたが、結局は出てエミヤの下に行った。廊下で座っている所に声をかけた。
「付き添いなら、中に入ってやろうぜ。二人座っても問題ない。でかいソファーがあるからよ」
エミヤは何か思いに耽っていたように、ふと顔を上げると、
「ああ、そうだな」
と立ち上がった。立ち上がったエミヤの腕を掴むと、ランサーは言った。
「オルタと行くのか?」
パチクリと目をしばたたかせると、
「何処へ?何故?」
と言った。腕は振りほどかれない。
「オルタはお前が好きみたいだから」
「オルタが?まさか。それはあり得ない」
なら、何故オルタはお前と寝たんだ、何故あんなに優しい笑顔でお前の事を話すんだ。
ランサーの手に力が入った。
「好きでも無いのに、お前、男と寝るのか」
「人の情事に首を突っ込まない方がいいぞ。お上品に振る舞わないとな」
からかうような口調がランサーの手に更に力を入れる。
「っつ」エミヤの顔が歪み、ランサーはそれにほっとした。
「オルタは俺の弟だ。他人じゃねぇ。心配したっていいだろうよ。変な虫がついたら大変だからな」
「ランサー、手を離せ。それに、私はオルタに付きまとう気も共に行く気もない。義理もない。もう終わったんだ」
「やっぱり捨てたのか?」
「違う、何度も言っている。初めから無関係だ」
「わかんねえんだよ!」
ランサーはつい大声を出した。病院は夜の消灯を迎え、暗くて静かだ。ランサーの声は廊下に響いた。
エミヤはランサーの腕を軽く叩いて、オルタの病室に誘った。二人がソファーに座ると、エミヤが心配そうに尋ねた。
「どうしたんだ?何が不安なんだ?私で力になれるか?」
先生かよ。小学校時代を思い出して苦々しく思った。ランサーはやんちゃな子供時代を送っていて、暴力沙汰の多いオルタと同じくらいカウンセラーのお世話になってきた。その点、キャスターは上手に目を掻い潜ってたなあ。一頻り懐かしく思い出した後、本題に入った。
「俺はな、山でお前が助けてくれた後、どうしても気になってたんだ。どうしてこいつは俺の感謝を受け取ろうとしないのか、てな。借りは返してぇ、の一念だ。事件の朝会いに行こうとしてたのも事実だ。どうしてもお前に感謝を伝えたくて。お前が取引したいって言った時、チャンスだと思ったんだ、これで借りを返せるってな。会う約束した時も、お前がすっぽかすなんて一つも思い浮かばなかった。絶対来ると分かってた。服を買い揃えて食事したのは、純粋に俺がそうしたかったからで、誰かに頼まれた訳でも何でもない」
ランサーは一人頷いて、納得すると続けた。
「そこにオルタが来たんだ。お前と親しげに喋るし、初対面からキスするし、何だか最初から自信ありげに自分のモノみたいに接するし。面白くないと思ってたんだ。そんで、"それ"だろ?」
ランサーはエミヤの身体を指差した。
「服を破いたのは、正直カッとしたからだ。おもちゃを取られたガキみてぇに」手を下ろして顎に当てる。
「で、だ。何でそうなるのかよく考えたんだ。例えばお前が話した事とか、オルタの事とか、お前自身を見直した。あのな、」
顎に当てた手を膝に下ろして、真正面からエミヤを見た。エミヤは少し仰け反った。
「いや、嫌な予感がするから、それ以上言わなくていいぞ、ミスターランサー・マクイル」
「俺さ、お前が気になる。まだ、好きとか何とかその辺分かってねぇんだけど、でも、もう少し近づきたいし、知りたい。二度と会わないとか考えらんねぇ。お前は、どうなんだ?」
ランサーの顔は真剣そのもので、揶揄うつもりはないようだった。しばらく言葉を失っていたエミヤは、深呼吸をしてランサーを見た。
「選択するのは、君だ。オルタの様にダストを滅ぼす事に手を貸すか、それとも知った上で無関係を貫くか。私に関わるとは、そう言う事だ」
「て、事はよ、俺の事嫌いじゃ無いんだな?」
「ランサー?何を言っ……?」
ランサーはエミヤの手を握り締めた。
「良かった~、二度と会わないとか言われたらどうしようかと思ってたんだよ!これで友達だよな、俺達!」
「だから、君は何を言ってるんだね!人の話を聞いてたのか!」
「聞いてた聞いてた」繋いだ手を上下に振るランサー。
「これからもよろしくな!あ、俺にもキスしてくんね?ほっぺでいいから」
と、病室の外からバタバタ騒ぎが聞こえて来た。オルタの繋がっている機器からピーピー音がしている。苦しそうなオルタの声が微かに聞こえた。
「お前ら、俺を、殺す気か」
オルタは笑っていた。震えている。それが身体によくなかったらしい。病室に医者やら看護師やらがやって来てバタバタし始めた。何となく所在が無くなった二人はさっきエミヤが座っていた廊下の椅子に戻った。一人分間を開けて座った所でそっぽを向いてエミヤがぼそりと言った。
「子供か。友達とか。君はどうかしてる」
「いいじゃねぇか、別に。素直な気持ちなんだからよ」
微かに顔を赤らめ、口を尖らせて言うランサー。
「大人の判断力は何処に落として来たんだ。今君の頭を振ったらカラカラ音がするほど中身が詰まって無さそうだぞ」
「ひでーな」
「オルタを見たろう。あれは運が良かっただけだ。それに、常に目を配っていなければならない。休みはない。南米を掌握したオルタですら、油断は禁物だ。君は北米を掌握出来るとでも云うのか?」
出来っこない、と云う言外の台詞。その通り。出来ない。けど、
「お前の手伝いは出来ると思う。北米をどうにかする事は出来なくても、俺は俺の名前にかけて、お前のやることを支持する」
ランサーは頷きながら誓った。
エミヤはその言葉を聞いた後、頭を抱えた。
「君はどうかしてる。何も分かっていない。あれだけ話したのに、理解していない」
エミヤは顔を上げ、ランサーを見据えた。
「ランサー、オルタは積極的に関わらない事で生き延びた。君は何をするつもりだ」
「共に闘う」
得意そうに胸を張るランサー。更に頭を抱えるエミヤ。
「私が闘うのは誰かでも何かでもない。常に入れ換わるダストの製造だ。一生かけても終わるかどうかわからない。ダストの本当の効能を知っている人間は、軍関係を除けば二桁を切るだろう。知っている者は知っている者に排除される可能性を常に孕む。"利用価値"を潰されたくないからだ。
全能の神になれる機会を逃す人などいない」
「なあ、エミヤ。俺は俺の世界にお前がいて欲しい。お前が排除すると決めたなら、俺はお前に手を貸す。俺の命をかけろと云うならかけよう。お前にその価値を見出だした俺を信頼しろ」
エミヤはショックを受けたようにランサーを見た。
「君は私に星の冠を被せる気か。鉄の杖を自ら持つのか」
「前もオルタに言ってだけど、何だそれ?」
「"太陽を纏い月を踏み十二の星の冠を被った女が産みの苦しみの果て男を産む"」
「黙示録だよな」
「聖母マリアとイエスの話だ」
「何でお前自身がイエスにならないんだ?」
エミヤは自嘲した。苦そうに笑うと、言った。
「出来ない。荒野に逃れて生き延びるマリアと違って私には時間がない。誰かに託すしかないのだよ。でもそれは人には苛酷過ぎる。だから誰にも託さず消えようと思っていたのに」
ランサーは慌ててエミヤの手を握った。消えそうに見えたからだ。
「君は、バカだな」
ランサーはその笑顔に見惚れた。心の底から本気でエミヤが欲しいと思った。
この統制されたアメリカならば、
「今あるダストを片付けるのは難しくない」
と、次の日の朝、エミヤは言った。
「取り敢えずラスベガスの状況を把握して、雀蜂に会いに南米へ行こうと思う。オルタと行ければ面倒無いが、それはランサー、君次第だな」
「俺?」
エミヤが頷いた。
「君がここを調査しろ。売人と買っている者、そして命令系統まで」
「いや、ちょっと待って、エミヤサン。俺、何も分かんな」エミヤは最後まで言わせなかった。
「やると言ったのは君だ。協力しろ。私はここから動けない。オルタの警護に専念する」
「いや、イヤイヤイヤイヤ、あの、偵察本業の人に言われたくないんですが。警護なら俺がやる」
「ほう」エミヤが蔑んだような目で笑った。
「ダスト使用者に勝てると、オルタを守りきれると、そう宣うか。確か君はオルタをホテルに置いて行った時"俺より強い奴が守る"と言っていたと思うが、結果はどうだったかね?」
「殺された上にオルタが瀕死になりました」
「よろしい、正解だ。褒美にラスベガスの街を散歩する事を許可する。成果を期待するぞ」
「この、鬼軍曹」
「私は軍曹ではない。准尉だ。わかったら行け」
ランサーは物凄く嫌そうに、
「アイ・サー、キャプテン」と言って出ていった。後ろから
「大尉じゃない!准尉だ!」と叫んでいたが、無視した。
やっぱり気の迷いだ、男なんざ、欲しかねぇ。負け惜しみを胸にランサーはラスベガスの街に繰り出した。
とは言え、あまりこの街に詳しい訳ではない。ザ・ストリップは治安がいい。アメリカでも1・2を争う治安の良さだ。そしてランサーはそこしか歩いた事がない。どうしようもなく観光客だ。知識も然程無い。病院からストリップに来るまでに慌てて検索した位だ。
まず己の格好からどうにかする事にした。ランサーの自前の服は何を着てもアッパークラスであることを示している。強盗に会いたいのならそれでもいいが、欲しいのはクスリの売人とジャンキーだ。警察に間違われる位なら着替えた方がいい。と、云うわけでスーパーに寄って適当なシャツとジーンズを買った。初めてクスリに興味を持った若僧を目指し、服を変え、少し髪を乱し、髪止めを外した。
「なあ、生意気な小僧に見えるか?」
ドライバーに聞いた。
「あんたが生意気じゃなかった事なんざ、無いでしょ。何時だってそう見えますって」
「おい、主人に何て事を。少しは敬え」
「敬ってますよ。ハイハイ。行ってらっしゃい」
ホテルではなく駐車場に車を停めて、目抜き通りの反対側へ歩く。二、三ブロックを入ると、泥酔者らしき者が現れた。娼婦の数も増えて、いかにも迷い混んだ観光客や、それを目当てにスリをしそうな輩が増えた。
昼なのに、とは思うものの、何かを欲しい連中に時間は関係無いのだろう。売人を知っていそうな娼婦を見つけようとキョロキョロした時、肩を叩かれた。いかにも染めた金髪の何か詰めました胸の娼婦が、ドラマみたいな口調で声をかけてきた。
「いい男のお兄さん、何をお探し?お手伝い出来るかしら?」
ホントにこんな風に声をかけるもんなのか?それとも美人局か?俺には違いがわからねぇ。ヤバい。
背中に汗をかきながら余裕を見せるように肩を抱いた。
「親切な美人はいいね、力になってくれるかい?」
「もちろんよ」
まずい。セリフが物凄く陳腐だ。金を掏られない様にしないと。ジーンズの前ポケットに無造作に入れているのは100ドル札だ。クスリの軍資金でもある。取られたら出直しだ。
カードで買わせてくれよ。現金なんて滅多に手にしない。泣ける。
「俺さ、嫌な奴にドやされて、クサクサしてんだ。面白いことねえかな?気持ちよくなりてぇんだ。」
胸を触りながら。感触がうすら寒い。何でだ。
「あら、イイコトする?」
「いつもと同じじゃ興ざめだぜ」
こっちが興ざめだって!心の叫びは大きくなるばかり。帰りたい。
「いい人を知ってるわ。紹介するわね。こっちよ」
やっぱり美人局かな~と思いつつ女に付いていく。狭い路地に入って、男が一人立っていた。単なるカツアゲか。どうやら空振りだな、と残念に思った時、白い粉を目の前で振った。
「おにーさん、これ、いる?」
やったぜエミヤ!テメー少しは俺を見直せ!
ランサーが病院に戻ったのは、夜になってからだった。あれから、色んな男や女がランサーに声をかけてきては、なにかを売り付けようとする。軍資金が底をつき、生まれて初めてATMのお世話になった。使った事がなかったので、機械に疎いじい様の様になっていたが、どうにかやり遂げた。達成感ではち切れんばかりにふんぞり反ってランサーはエミヤに戦果を差し出した。
「調べたぞ!」
「そうか」エミヤはソファーに座ったまま報告を待つ上司のようだった。
「よかった。どんな事が分かった?」
「ストリップの近くの通りとダウンタウンに行ったが、売人は多かったぞ。わりかし若いのが多かったな。買っている奴は見なかったが、どうだ、この成果。売人全員に聞いたんだ。ダスト知ってるかって」
エミヤは両手を組んで「ほう、それで?」と聞いた。
「これよ、皆ダストだ」
「そうか。確認しよう」
ランサーがテーブルに展開した白い粉が入った袋を丁寧に開けていく。結晶をみて、匂いを嗅ぎ、舐めた。小指にちらと付ける白い粉と舐めとる舌が何故か背徳感を助長する。ランサーは見ていられなくなって視線を外した。
「ランサー、君、これ全てにいくらかけた?」
「え、6500ドルだな」
「そうか」頭を抱えてため息を吐かれた。
「この中にはダストは一つもない。コカイン、ヘロインが一つずつ、あとは麻薬に塩やら、グラニュー糖やら混ざった所謂混ざりものが七つ、残りは純粋な塩だ。高価な勉強したな、ランサー」
「え?」
「観光客だと馬鹿にされたんだ、君は。この成果ならこれ以上の深入りは禁物だ。大人しくしてろ、ランサー」
「ちょっと待てよ。何で分かる?」
「君、その服、買ったばかりだろう。新品のTシャツと新品のジーンズ、わざとらしい振る舞い、慣れない金の持ち方。そして、靴。服を買って靴を買わないとか、何してるんだ、君は。ハイブランドのヒモ靴なんてそんな上半身と合わないもの、何で履いてたんだ。スニーカー型だから分からない等と思うな。売人なぞいつ捕まるか分からない人種は仕草や小さな事に敏感だ。君は人畜無害の観光客だと思われたが、いいカモでしかなかったようだ。クスリのクの字も分からないと思われたんだろう。命拾いした、と言うところだ」
「バカ云うな、これでも」
「言わなくていいぞ」エミヤはピシャリと止めた。
「君が何者かは知っている。だが、末端の事なぞ知らんだろう。代々継いで来ただけで、組織を増やす事は出来ても、売人が何をしているかは知らなかった。上に立つものにありがちな事だから、気にしなくていい。単なる私の人選ミスだ」
確かにそうだが、評価が地を這うのは我慢出来なかった。
「じゃあテメーなら出来んのかよ!」
「自分に出来ないことを人には頼まない」
サーっと頭が冷えるランサー。そういやこいつはオールラウンダーだった。戦闘機以外なら飛ばせて、揚陸挺も操縦出来て、装甲車位走らせられるだろう。
「なら、俺はどんな格好しとけばよかったんだよ」
「そうだな、偉そうにしておけば、一人くらい釣れたかもな」
物凄く偉そうで余裕ありげだ。ムカつく。
ふと昨日の朝のエミヤの様子を思い出した。だらしない着方、わざと見せた情事の跡、髪型。
「お前、昨日の朝の格好って、もしかして」
「良くできてたろう?」ウィンク。
ランサーは二の句が継げなかった。分かって見ればその通り、あの格好なら、客に酷く扱われてふらふらしている男娼に見える。いかにもクスリ欲しさにさ迷っているように。
「お前、すげーな」ランサーは心から称賛した。
エミヤは存外大きな目をパチクリして、
「素直で気持ち悪い」と言った。
「そんで、どーすりゃいいのさ、准尉殿」
「簡単だ。君のいつものやり方をすればいい。自分で調べるなど愚の骨頂。人を使え。君の得意分野だ」
「あ、そうか」
「金はかかるが、恐らく君が今日かけた金額でもっと有用な情報が手に入るだろう」
「わあったよ。もう一度行ってくらあ」
「では、よろしく頼む」
「なあ、頑張って来るからよ、ちとご褒美は無いか?」
ランサーが座っているエミヤに立ったまま上目遣いをした。
「褒美?何だそれは、金持ちにやるものなぞ無いぞ」
眉間にシワを寄せて嫌そうな顔をする。
「ほっぺにキス」指で自分の頬を指した。
「そうか、キスマークが頬に欲しいと。そうかそうか」
ランサーが突きだした頬を思い切りつねりながらにっこり笑ってエミヤが言う。
「わあったわあった!痛ぇし、勘弁しろ」
「ふざけとらんで成果を出せ!ブルジョアジー!」
ランサーが慌てて病室を出ると、オルタの声が微かに聞こえた。
「仲良いな、お前ら」
「オルタ、あれはランサーの人心把握術の一つなのか?実に腹立たしいが」
「単なる趣味だ」
「なるほど、ド変態だな」
「エミヤ」オルタがベッドから睨んだ。
「お前、実は暗殺を目論んでるだろ」
「?何故?」
「ここにいると命の危険を感じる」
「笑い死にか。中々いい面の皮だな。その面下げて人魚に会いに行け。銃弾を撃ち込んだ上で歓迎してくれるだろう」
「っク、違いない」
苦しそうにオルタは笑った。
ランサーは夜のラスベガスで車の中にいた。自分は動かず、ドライバーに頼んだ。彼はいい身なりだが、ブルジョアには見えない。そして何より、親類にジャンキーがいた為、すぐに見て分かると言ったのだ。ランサーはクスリの常習者、買う人間を探す事にした。ドライバーとの約束の時間になったので車を降りて街角に立つ。わざといいスーツで立った。タバコを取り出して吸う。病室に居る時には吸えない為、何だかいつもより苦く感じる。
ラスベガスの裏通りがざわついた。表通りのネオンはここまでやって来ない。街灯がランサーをスポットライトの下にいるように照らし、裏通りにそぐわない美貌をさらけ出す。普段はくるくるとよく変わる表情でそうは見えづらいが、ランサーは大変美しい顔の男だ。身長も白人の平均を上回っているし、スタイルもいい。ライトに反射して青く見える髪を長く伸ばして一つで止め、背中に這わせている。ライトに影を落とす長い睫毛が赤い瞳を覆う。今は苦く感じるタバコのせいでほんのり眉にシワを寄せているが、それすら演出のようだ。煙を吐き出した所で歩いている女と目が合った。口の端だけ上げて挨拶する。女の顔が赤らんだ。
これが普通の反応だ。うん、いつも通り。
ランサーが目的を持って笑いかける時、相手はランサーに魅了される。男も女も関係無い。顔を赤らめ、動揺し、いつもランサーは相手から思い通りの答えを引き出す。眉をしかめられたのは初めてだった。
しかも大いに気に障ったとか、あいつ何だ、コトミネの親戚か?しかも、あいつの笑顔に魅了されてんの俺だし。車での大笑い、夕べの笑顔。普段の顔は厳しくて人好きのする顔ではない。何かを見据えて遠くを目標にしている。何を考えているかわからないが、こっちを振り返ることはない。多分、見ているのはダストの無い未来。俺に興味を持たせといて何なんだよ。俺を見ろよ。
ランサーがタバコを吸い終わり、携帯灰皿にタバコを捩じ込むと、
「ランサーさん!」
とドライバーの声がした。
「よう」と挨拶をしようとしたら、腕を引っ張られた。
「何だよ、どしたんた?」
「どうもこうも、あんた何してんすか?」
「何で怒ってんだよ。お前を待ってただけだろ」
「あんな目立たなくてもいいでしょうが!悪目立ちってんですよ!」
「俺?フツーだったぞ」
「あんたのフツーは他の人の目立つなんですよ!ったく、自覚してください」
「悪かったな。あのよ、俺が目立つってのは分かるけどよ、なあ、聞いていいか?」
街灯から外し、目立たない所に移動してからドライバーは聞いた。
「何を知りたいんですか?」
「あいつ、エミヤ」
「恩人の?あんたが無体を働いた?」
「いや、そんなでも……じゃ無くてだな!
お前から見て、エミヤってどんな奴に見える?」
「いい人。あと、男前っすよね。格好いい、つか、男~ってか」
「だよなあ」
「でも、その筋の人には好かれそうっすよね」
「そうなのか?!」
「あの人、身長も高いし、健康そうだし、筋肉質でガタイいいっすよね。なのに柳腰ってんですか?腰細いし。それにあの顔ですよ」
「顔?」
「そう、あの顔。一見キツそうに見えるのに、前髪下ろしただけでやたら幼くなるあの顔。ありゃヤバいでしょ。ピチピチのTシャツと前全開にしたジーンズで歩いたら1ブロックで死ぬほど声かけられそうですよね」
「お前そーゆーの得意?」
「いえ、全く。俺あくまで女が好きですし。でも、人の趣味には立ち入らないんで、好きにしたらいいっすよ、ランサーさん」
「俺」
「そう、あんた。好きなんでしょ。あの人の事」
「俺が」
「間抜けた顔ですねぇ。そんなにおかしな事言いました?」
確かに欲しいと思った。オルタに嫉妬した。何でもしてやろうと思った。それって
「好きって事なのか?」恋人として、愛人として?マジか。
「嘘だろ」
「あれでしょ、見てると胸がぎゅっと苦しくなったり」
「心臓病か?」
「ドキドキしたり」
「動悸だな。心臓病を疑った方がいいぞ」
「見るとときめいたり」
「なる訳ねぇだろ、俺男だぞ」
「あの人の周りだけキラキラしたり」
「目が悪いんじゃないか?」
「分かった。あんた、人生楽すぎて何も分かってねぇんですよ。あんたが少し好意を向けるとみーんなあんたの事好きになりますもんね。好意に好意が返って来るのが当たり前でそうでない人は珍しいんでしょ。あの人固そうだし、確かにあんたには難しい人かも知れませんねぇ」
単なる独占欲かと思っていた。それにちょっとした興味。よくある感情の一つで、問題にするほどではない。男と寝た事は無いが、あいつとなら興味がある。その程度だと思っていた。
すき。
ランサーの顔が真っ赤になった。イケメンの赤ら顔。核弾頭のようなものだ。ドライバーが悲鳴を上げる。
「ランサーさん!その顔やめて!」
「バカやろ、取り換えられねぇんだから、諦めろ」
「あんたね、ホントに大した主人ですよ」
「だろ?」
「欠片も誉めてません。ところで、報告聞く気あります?」
「ある」
赤い顔のまま答える。ドライバーはランサーの顔については諦めた。
「それで、」エミヤ一等准尉は報告を聞く。
「今度は何が分かったと言うのかね?」
「今のところダストを扱っているのは固定じゃない。どうやら卸す奴が同じ売人に渡さない様にしているらしい。それに、一部を除いて買う人間も固定しないようにコントロールしてる。写真を渡されて、"こいつには売れ"と指令が下ってその条件を飲んだ奴だけが取り扱うみたいだ」
「ほう、先程とは大違いだな。素晴らしい成果だ、ランサー。誰を使ったのかね?」
「運転手」
「なるほど、彼は優秀なんだな。雇い人冥利に尽きるだろう。ふむ。複数証言で、そこまでは確実か」
「へ?お前、知ってたのか?」
「売人と買人からの証言を総合すると結論は先程のものとなる。私の調査と一致した。さて、指示は誰が出しているか、だな。調べたいが、私はオルタの傍を離れられない。取り敢えずオルタがここから居なくなれば、ダスト患者所謂ゾンビに襲われる事も無くなるだろう。オルタを無事に送ってそれからだな。問題はその取り扱いがここだけなのか、アメリカ全土なのか」
「怖い事言うなよ」
「常に最悪を想定するのは君も同じだろう」
エミヤはそう言うと、黙った。眉間にシワが寄っている。ランサーはそんな横顔をじっと見た。
どんなに見ても難しい顔をした男の顔で、ときめいたりとかキラキラしたりだとかはしない。恋とか愛とかではなく、友情か?だが、友情なら寝てみたいとか興味あるとか思わないのでは?
本人を目の前にしてもよく分からない。すき。と言う言葉が不意にランサーを襲った。丁度その時エミヤがランサーを振り返り、何かを話そうとして、口をつぐんだ。
「君、顔赤いぞ。熱でもあるのか?」
「え、いや、何でもねぇよ。うん」
「ならいいが、もう遅い。疲れたろう。ホテルに帰って休みたまえ」
「エミヤ、お前、昨日も病院に泊まったろ?いい加減、お前こそ休めよ」
「休めるときには休んでいる。君が気にすることはない。それより病人が増えても困るから、ちゃんとしろ」
「出たよ、オバハン発言」
「なに?」
「お前よ、気付いてないみたいだけどよ、時々物凄ぇオバハン発言するぞ」
エミヤは目を見開いた後、眉をしかめると、うんざりした口調で話した。
「私がオバハンだろうが何だろうが、君が休む事に全くちっとも関係無い。下らん口答えしてないで子供は寝てしまえ」
「俺は立派な成人男性だ」
「年下の癖に生意気だと言っているのだよ」
「そんな変わらんだろうがよ!」
「私はオルタと八歳違うぞ」
「え」
「君が小学生をやっと卒業した時、私は軍にいたぞ、ガキ」
「げ」
「おじさんの云うことは聞いておけ。ではお疲れ様。お休み」
病室から追い出されて呆然とするランサー。六歳差。あいつ、詐欺だ。全然見えない。日本人の年齢は分かりにくいとよく聞くが、見た目だけならオルタと同い年と言ってもおかしくない。
「マジ詐欺」ぶつぶつ文句を云いながらも、結局従った。
メディカルジェットは朝出発、ギリギリ当日の夜半に南米に着く。到着時刻は既にヘクトールに伝えてある。ビザ申請はランサーが制度を掻い潜った。結局は三人で行くことにした。エミヤは雀蜂に会いに行くため、ランサーはオルタの付き添いで。オルタの回復力は普通の人よりよく、少しの時間ならば会話をすることが出来た。
病院から空港までは搬送車を使うため、ずっと一緒に行動していたドライバーは漸くお役御免となった。ランサーは労う為にランサーが南米から戻るまでの間休暇とした。ドライバーからは、
「あんたの運転手なんだから当たり前でしょ」
と、返答された。朝搬送車に乗り込む際、ドライバーはエミヤと握手をして挨拶をしたが、二人が別れる際にエミヤは不思議そうな顔をしていた。狭い搬送車に乗り込んでから、エミヤはランサーに問いかけた。
「ランサー、君のドライバーに"障害は多い方がいいらしいですよ"と言われたが、なんの事かな?」
ランサーは手を口に当てて赤くなった。
「さぁ、俺にはさっぱり」
「そうか」
真ん中で、オルタが笑っていて、相変わらずその度に苦しそうにしていた。
空港に着いて必要な手続きをオルタに代わってランサーがしているとき、騒ぎが起こった。プライベートジェットの搭乗は、空港の入口も手続きのカウンターも全く違う為、完全に反応が遅れた。観光客でごった返す空港が悲鳴で多い尽くされ、発砲音が三度響いた。エミヤが唇を咬んだ。
「来た」
エミヤはオルタの傍に付いた。ストレッチャーを握る手が震えていた。
「どうしたんだ、お前」ランサーが声をかけた。
「助けに、行けない」
「俺がオルタの傍にいるから、行ってこいよ」
エミヤは振り向いて唇を咬んだまま言った。
「出来ないことを言うな。二人とも失う訳にいかない」
ストレッチャーの手は細かく震えたまま、離さなかった。一人だけの襲撃ならいいが、複数人もし来たとしたら、エミヤがオルタの元を離れた瞬間を狙って来るかも知れない。そうなったらランサー共々死ぬしかない。マクイルはクーフーリンを一度に二人失う事になる。それはクランの長としても出来なかった。エミヤの判断は正しい。エミヤの心情は置いておいて。
オルタがエミヤのストレッチャーを握る手を叩いた。
「行けよ。いざとなれば俺がダストを使う」
エミヤがギョッとした目でオルタを見た。
「持っているのか?使った事も?」
「一度だけ。持っている」
オルタは自分の持ち物を探すように指示し、カバンの底を外して小さな袋に入った白い粉を取り出した。
「オルタ、舐めてすぐに効くとでも思っているのか」
「ダメか?」
「即効性を期待するならダメだ。タイムラグ1~5秒と云うところか。その間に殺されてしまう。それに、それ以上体が壊れたらさすがに死ぬぞ」
「じゃあ、俺がやりゃいいだろ?」
ランサーが口を挟んだ。エミヤは何かを言おうとして口をつぐんだ。ランサーをじっと見ると、初めて頷いた。
「そうだな、それがいいだろう。最悪二人の怪我人が出るだけで済む。死ななければいい。だがランサー、ダストの使用は細心の注意を払え。初心者は全能感に振り回されて自分の身体を必要以上に壊してしまう。南米に行く事すら出来ないようでは困る。私はあちらを片付けてすぐ戻る」そしてオルタを見て、
「オルタ、これは何回分だ?」と言った。
「一回分にしてある」
「ではランサー、オルタの警護を頼む。薬は約30分ほど効く。用意しておけ」
「え、つまり?」
「飲んでおくんだ。効果が切れる前には戻れる」
エミヤはそう言ってスーツケースから注射器のようなものを取り出して腕に突き立てた。プシと音がして一瞬だけ顔を歪めると、シャツを脱いでオルタの上に掛けた。
「持っていろ」
言うと、あっという間に消えた。
「なあ、あいつスパイナル使ってるって言ってたよな。痛くねぇのかな?」
「痛いだろ」
「何で平気な顔してんだ?」
「痩せ我慢だ」
ランサーはオルタを見た。オルタは無表情だ。
「そんなもんか」
「そんなもんだ」
取り敢えずランサーは手の中の白い粉をミネラルウォーターで飲み込んだ。
別に何の味もしない。それに変化も無いような気がした。巷で麻薬なのだから、もっと即効性があると思ったのに、と口に出そうとした時、急激な快感に襲われた。見ている風景は変わらないのに、まるで世界が光輝いているかのようだった。
「何だ、これ」
「ダストだ。エミヤが言ったことを忘れんなよ」
オルタが珍しく兄を敬う発言をしている(様に聞こえる)。
頷くと、オルタが微笑んだ(様に見える)。
世界は煌めいてランサーを祝福し、オルタが自分を頼ってくれている。やる気が出てきた。
一方オルタは不安に襲われていた。一度使った事がある。だが、戦闘はしたことがない。ただ、身体が軽くて何でも出来るような気がして、本当に出来る。それがダストだった。ランサーは既にクスリの効能に溺れかけてる。大丈夫なのか、と心配になった。
エミヤは空港入口の惨状を目の当たりにした。あちらこちらに倒れた人がいる。死亡者が少ないのがせめてもの救いか。それでも見たところ三人は死亡者に見えた。騒ぎはゲートの向こう側に移っている。ゲートはシャッターで閉められ封鎖されていたが、躊躇わずにシャッターを壊し金属探知機を鳴らして通り過ぎた。
騒ぎの中心で警備員が発砲しているが、心臓には当たって無いようだ。エミヤは両手にナイフを持ち、警備員が発砲するのに構わずゾンビに近づいた。
危険だ下がれ!危ない!等の声がしたが、気にしなかった。気にしたのは目の前の敵だ。このゾンビが単なる一般人ならいいが、元警察官や軍人だととても面倒になる。エミヤは右の手にあるナイフを喉へ向けて薙いだ。避けられる。更に左手を突き立てる。手を取られた。ち、と舌打ちをした。
こいつは、元プロだ。
どうりで大勢殺傷しても捕まらない訳だ。躊躇わずに相手の右手を切りつけた。深く腱を切り、腕の無効化を狙った。斬られた腕はぶらりと体の脇にぶら下がり、これでこちらの両手は自由だ。切りつけた動作のまま右のナイフをしまうと銃を取りだし、掴みかかろうとする相手の左手をナイフで捌いて、心臓めがけて撃った。至近距離で外さない。更に眉間。腕を捌いたナイフを喉に突き立てて、漸くゾンビは後ろに倒れた。倒れてなお身体を動かそうとしたので、首を足で砕きつつ、頭に二発銃弾を撃ち込んだ。ピクリとも動かなくなって警備員や警察官がざわざわエミヤに事情を聞こうとしたが、寄って来る人を飛び上がって避け、こう言った。
「すまんが、時間がないので失礼する」
スパイナル使用者に人は追い付けない。来たときと同じ、あっという間に見えなくなった。
ランサーは幸福感でふわふわしながらも、身体が軽いことは感じとっていた。敵が来るのか来ないのかわからない状態で待つのは本来苦手だったが、ダストはその状況をも幸福な時間に変える。
待合室のドアが吹き飛んだ。爆発音はしていない。係員の悲鳴が聞こえた。
足から待合室に入ってきたゾンビ化した敵は、幸せそうに笑いながらランサーの前に現れた。
敵に近付くのは一瞬だった。まるで自分のいつもの動きと違う。敵の顔が目の前に来ると、ランサーはその笑う顔目掛けて腕を振り抜いた。相手が壁まで吹き飛んで壁を壊した。まるでスーパーマンだ。
脳のほんの片隅で"ヒーローになる"と云う単語が頭に響いた。話を聞いているだけではダストがなぜ麻薬なのか、なぜ人が欲しがるのか分からなかったが、今わかった。
とてつもない快感と幸福感の中、人を超えた力を発揮する、一度やったら止められないかもしれない。