エミヤはランサーを置いてアメリカに帰ることにした。キャスターの安否も気になるが、自分の持論が正しければ、アメリカの販売ルートは単なるフェイクの可能性がある。本丸はヨーロッパだろうと、当たりをつけた。その為にもアメリカの調査を始めたい。キャスターに何かある前に。エミヤはキャスターが無事だとは考えていなかった。ランサーにはああ言ったが、コトミネがキャスターを排除して入れ替わることは簡単だ。ランサーに知覚能力があったとて、生きてさえいればどんな状況でも構わないわけだ。それこそ、手足を切り落として管に繋いでただ息をしているだけでも、生きていればコトミネの役に立つ。必要であれば人間は何処までも残酷になれる。数多の戦場を見てきた元軍人は、平和的な世界の方が時として残酷な事も知っていた。
それにこれ以上マクイルの兄弟を傷つけたくなかった。オルタは重体、ランサーは動けるものの、万全ではない。戦闘となったら、さらに身体を壊すだろう。その上長男にまで何かあったら、人魚に顔向け出来ない。自分が守ろうとしたものは無辜の民だ。ダストに犯されず、その存在すら知らない人々。獣を信奉しながら恐れ、支配を喜びながら逃れようとする普通の人だ。赤い龍は獣の先にいる。
そこまで付き合えとはエミヤには言えない。例えランサーがどう言おうと、彼には人智を超えた闘いよりも、人の上に立つ方が合っている。ランサーの気が済むまで付き合うが、所詮セレブだ、大して深刻で無いところで身を引くだろう。ぜひそうしてもらいたい。
雀蜂は社会に帰れない被験者達の集まりだ。今はどの薬も使っていないものの、スパイナルもダストも身体に爪痕を残す。自分が色を変えてしまったように。
メイヴが病室から出て、自分も病院から出ると、雀蜂に渡りをつけた。出国拒否についてはあまり心配していなかった。飛行機の手配は簡単だが、道路は難しい。しかも、陸路は時間がかかる上、どのルートかいつ通るかも計算しづらい。ヘクトールには話しておこうと、病院の職員にメモを渡した。オルタに伝言でなければ、ヘクトールはあの兄弟には自分の事を黙っているだろうと計算してのことだ。ヘクトールは自分をクーフーリンから引き離したいと考えている。丁度いいだろう。
雀蜂との待ち合わせは10分後、サングラスをかけてのんびり歩き始めた。
ランサーは夜になってエミヤの連絡先を聞いていないことに気づいた。アメリカではないので携帯が使えず、自分もヘクトールからの支給品を使っている。嫌な予感がした。あの男が一度寝たくらいで己のものになるとは考えていなかったが、少しは考慮してくれると思っていた。信頼してくれると思っていた。何せ自分を捨てて闘うと宣言したのだ。信じてくれると、信じたかった。
ランサーの嫌な予感は的中する。そして心配するのが遅かった。雀蜂と共に女王蜂はランサーの前から消えた。
北米にはキャスターの捜索を頼んでいたが、行方不明になって2日経っても捗捗しい情報はなかった。更に言うと、エミヤの方もだ。国内線でマナウスに行った事は知っている。そこから情報が途絶えた。水路を考えたが、ベネズエラかコロンビアか、それともアルゼンチンか、さっぱり見えない。アマゾンの奥地にわざわざ行くとか、時間のかかる方法を選ぶと思わなかった。サンパウロの海兵隊基地にでも行って戦闘機で帰るかと思っていた。退役軍人のやることでも、戦闘機の能力的にもやることでもないが。
病院食にも飽きてきた。出てくる食事で曜日を知る。フェイジョアーダがデンとテーブルにのる。土曜日と水曜日に食べるこいつは、南米に来た初日にお世話になっている。つまり二回目。
ケガは大分よくなった。少なくとも顔は元に戻って来た。時々かわいい看護婦にコナをかけてみる。赤くなる頬が俺の復調を知らせてくれる。よし。足の方も靭帯はもう回復した。左足のひびも触らなければ行ける。つまり、狩の開始を意味する。
ランサーはヘクトールにエミヤを追うと話をしたら、止められた。
「先に北米に帰ってキャスターさんを探した方がいいでしょう。蜂なんぞ放っておくべきでしょ、あんたに関係ない事をやってんだから」
「確かに。クランのトップとしてはその意見に賛成だ。だが、俺はあいつに誓った。あいつがどう思おうと、俺はそれに忠実でいたいんだよ」
「オジサンは反対です。ボスがなんと言おうと、俺はあんたを北米に帰しますよ」
「ヘクトール?」
ヘクトールらしくない感情の表し方だった。
「やっぱり、エミヤはよくない。あいつはあんたらクーフーリンを不幸にする。二人もいなくていいものを。欧州に三人目が居るとか無いでしょうね」
「お前、どうしたんだよ」
「どうもしませんよ、クーフーリンがのんびりしてるんでしょ」
「ヘクトール、お前に言われた位で俺が諦めるとか、考えて無いよな?」
「ランサーさん、別に追わなくてもいいでしょう。だって、キャスターさんを探せばいいだけですよ。あちらもキャスターさんを探すと言うのであれば、また会えるし、アメリカはあんたの根城だ。いつまでも隠れていられないんではないですか」
「何もかも終わってから探せと?」
「確実で、仕事にも支障なく、怪我もしない方法ですよ」
言われる通り。何故そうしない?
「そうしたくない。俺はあいつと同じ時間を過ごしたい。何もかも終わってからでは、遅すぎる。俺の世界にあいつは不可欠なんだよ」
「今まで無くてよかったものは必要不可欠ではないでしょ」
「ヘクトール、気持ちはわかるがそれは無理だ。できねぇよ。俺はあいつを知っちまったからなあ」
「一つだけ聞きたいんですがね。何でそうあいつに拘るんです」
「何でだろうな。好きだからとか、色々考えんだけどな、結局誰かが納得出来るような返事はできねぇや」
俺も含めて、だな。
「とにかく、俺はあいつを追うと決めた。邪魔すんなら覚悟しろよ、ヘクトール」
ヘクトールはため息をついた。それから肩をすくめると、メモを取り出した。
「置いて行ったメモですよ、役に立つなら、持ってってください」
「いつもすまんな」
メモを受け取り、ランサーは病院を出た。
メモを確認する。
"陸路帰る。迷惑かけた"
あいつらしい。何もない。誰にも何も残したくないのだろう。おとなしくそれに従うなど生憎、そんな可愛らしい性格はしていない。
逃げられると思うな、エミヤ。
まずはマナウスへ。アマゾンで最も栄える都市で、観光スポット満載だ。コロニアル風の建物が多く、ロマンチックな町並みを見てとれる。エミヤと一緒ならよかった。
さて、ここからは二ヶ所、どちらも飛行機で行ける。定期水上バスがあるが、エミヤはそれだろうと当たりをつけた。コロンビアに抜けるならコダジャス、ベネズエラならボア・ビスタか。観光客ならボア・ビスタだが、あの元軍人、テロのエキスパートだ。コロンビアから抜けるだろう。普通の人間は通れない、麻薬マフィアの蔓延る地域であっても、あの野郎の足を止められない。なんて厄介な奴!
まずはコダジャス、ソリモエンス川を遡ってレティシアへ。まだこっちでも行けるルートだ。もし本当に陸路なら、ジャングルを抜けて歩く羽目になる。それはしないだろう。雀蜂が先導するなら。
ランサーは気持ちの上で少し焦っていた。ヘクトールが言ったように、アメリカで先回りした方がいいのでは、とかキャスターは生きているのか、とかコトミネは本当にダストを作って投与しているのか、と考えれば考えるほど間違った道を選んでいる気がする。
気持ちの焦りは苛立ちに変わる。
バカなことをしている。
時間のムダだ。
船旅4日目、そろそろマザーボートの限界が近いと告げられる。もっと小さい船倉の浅い船に替えろ、と。
ランサーの買った船は上三階、立派なキッチンまで付いた豪華クルーザーだ、確かに無理かもしれない。かといってハンモック船はごめんだ。それで、できるだけこの船の設備を小さな船に乗り換える事で乗りきることにした。ベッドを入れ換えるだけでも快適になるだろう。トイレやバスは諦めた。
その作業に1日くれと言うので、町を散策しようとした。単なる田舎で、見るものなぞ教会くらいしか無いが。フォンテ・ボアとはそんな所だった。
ホテルに一泊しようとして値段の高さに驚いた。この安宿でそんなするのか!セレブは相応の値段を愛してんだ、くそ。どうでもいいものに金を払いたくない。
アマゾンでは、船旅であれば意外に快適に過ごせる。ロッジやらホテルやらも観光地だ、どの町にもある。但し、山の上と同じで奥地値段が用意されている。マナウスの倍から三倍だ。船が快適なら、何も無理する必要はない。ランサーは諦めて船に戻った。やっぱり船の改造は何もしていない。明日できるのかも不安だ。ここで足止めされるのかと思うと、焦燥が滲み出る。
キャスターはまだ生きてる、見つかってない。コトミネと連絡をとった。奴は元気だ、どうでもいい。コトミネにはおかしな所はなかった。おかしな奴だからわからないとも言えるが、不審な素振りはなかった。ダストの話をしてもいいのは運転手だけだが、奴は休暇中だ。
エミヤを探すのはやはり、下らない拘りなのだろうか?俺はムダな事をしているのだろうか?
むしゃくしゃしたので、甲板に出てタバコを吸った。蚊が寄って来るが、虫除けを付けている。虫の音が煩いが、イライラしていたので、タバコの火に燃え上がるバカどもはいいレクリエーションだった。
ランサーの精神状態は決してよくなかった。苛立ちが残虐性にふれていた。全てエミヤに直結する苛立ちが。
ランサーのクルーザーを掠めるように、一人乗りのボートが停泊所に入って来た。ふと眺めると、宵の口であるのにサングラスをしている。見え辛くないのか、と顔を見た。濃いめの肌に黒髪、この地域の人間だろうか、躁船に迷いがない。けれど、腕にしている時計に見覚えがある。それにドッグタグ。髪色は違うが、あれは。
「エミヤ!」
はっと顔を上げた。大当たり、間違いない。
ランサーを認めた小舟は、係留しようとした進路を替え、川の流れに再度戻ろうとしている。船を出させるのは間に合わない。ランサーは迷うことなく川に飛び込んだ。
水音で振り返った男は、ランサーの無謀な行動に呆然とした。さほど足が速い訳ではないが、モーター付きのボートに泳いで間に合う訳がない。エミヤはボートを止め、川の真ん中でバカなことをする男を待った。
最早運命は定まった。諦めるしかない。
ランサーがボートに手をかけると、ボートに乗り込むのを手伝った。全身びしょ濡れになった美丈夫は、エミヤの腕を掴んで唸った。
「ようやく見つけた。エミヤ」
ランサーの目はギラギラと光り、薄暮の中でも赤くエミヤを射抜いた。噛みつかれそうだ、とエミヤは思った。
ランサーのクルーザーの間近に舟を付け、ランサーに腕を取られながらクルーザーに上がる。
係留中も腕を離して貰えなかった。いくら口で言っても聞いてくれない。最悪の状態だ。何がここまでランサーを追い詰めたのだろうか?エミヤにはさっぱり分からなかった。
船室に入ると、ランサーが手を離した。何も言わずバスタオルで拭き始めた。
何も言わない。
こんなランサーも初めてだった。ランサーの纏う空気はいつも軽くて明るい。今は正反対だ、重くて暗い。まるで別人のようだ。
大体拭き終わった頃を見計らって、声をかけた。
「ランサー、どうしたと言うのかね、君らしくない」
「あ?」
ランサーの目がきつく細められた。
「何だと?俺らしいってのは、どんなだ。教えちゃくれねぇか」
「ケンカ売ってるのか?」
ランサーはニヤリとふてぶてしく笑い、
「その通りだな。お前にイラついてる」と、エミヤを指差した。
「どうして」
とエミヤが言った所で肩を掴んで壁に叩きつけた。
「解らないか!お前が逃げたからだ!」
言い終わるや否やエミヤの口に噛みついた。歯でぎりっと唇を挟み、血の味がするまで噛み合わせた。口を離すと、歯軋りしながらエミヤに聞いた。
「何故こんなことをした。俺の前から消えるとか、何故だ」
「逃げた訳ではない。なぜそうもいきり立つ?」
ランサーの手が握りしめられた。殴りたいのを我慢しているようだ。
「お前は、俺のものだろうが」
「ランサー、これは効率の問題だ。適切な所に適切な配置をする」
「うるせぇ!なら何故飛行機で帰らねえ。効率だと言うなら陸路はおかしいだろうが」
ランサーは再度噛みついて来た。唇が裂ける。血の味がした。ランサーが興奮しているのがわかった。多分、何を言ってもムダだ。
「ランサー、君の主張はわかった。確かに君に辿られないようにはした。だが、それは君を巻き込みたく無いからで…」
「その身体に刻んでやらねぇとわからねぇか」
「何の事だ、ランサー」
「俺から逃げんな」
エミヤはぐっと黙り込んだ。何も言い返せない。ランサーから逃げた、その通りだったからだ。義務からとか、ダストからとか言い訳がきかない言い方をされた。
乱暴にベッドに倒される。腕を頭の上で纏められて、ベッドサイドから出した手錠をかけられた。それをベッドヘッドにくくりつけられる。
「ランサー!私は逃げない!」
「信用出来るか」
今まで見たことの無い目で見られた。冷たく醒めて、値踏みするような。エミヤは自分が家畜にでもなったような気がした。
ランサーの手は乱暴ではない。だが容赦なかった。腕をとられて身を捩っても、それが服を脱がすいい動きになってしまう。シャツはボタンを千切られ、下に着ていたTシャツは破かれた。ドッグタグは耳元でチリチリ鳴っている。ズボンは足首までしか抜かずに足に絡まる。下着も同じだ。兆してもいないし、解してもいないエミヤは足枷をつけられたような形でランサーに饗された。
「は、いいざまだな」
「それはどうも」
ランサーだとてわかっている。エミヤがここまで無抵抗なのは、ランサーに身体を許しているからだと。決して抵抗しない。ランサーの望みのまま身体を開き、受け入れるだろう。手錠など要らないのだ。ただ、身体をいいようにした所で、この男は結局何処かへ行こうとする。手錠はそれを許さないランサーの気持ちの現れだった。自分に縛り付ける為に。
冷たい目のまま、ランサーは唾液で濡らした指を二本、いきなりエミヤの中に入れた。諾も否もない。遠慮無しにグリグリと捻る。
エミヤは唇を噛んで何も言わなかった。ランサーはエミヤを気持ちよくしたいと思っていない。エミヤはどう反応していいのか分からなかった。優しさの無い動きはエミヤを傷つけた。切れたのはわかった。お陰で唾液よりも滑らかになった。多分、ランサーの指は血だらけになっているだろう。腸壁を擦る動きも荒い。直腸には痛覚がない。随意筋も無いから、直腸を任意に動かすことは出来ない。その辺は膣と似ている。ただ、膣と違って直腸の損傷は生死に関わると言うだけだ。頭に血が上ったランサーがそこまで考えているかも疑問だ。
血だらけの指を抜いて、大して解れていない後孔に亀頭をつけて、無理矢理に挿入した。濡れていない中は熱いが好くはない。女と違ってその内濡れることもない。それでもランサーは止めなかった。冷たい目のままエミヤを見下ろし、エミヤの膝を握って腰を振った。お互い何も好くならないまま射精する。コンドームは付けていない。エミヤの肚の中に最後まで吐き出した。
中がじわりと濡れる。陰茎が自分の出したもので包まれる。エミヤの目は変わらない。戸惑いとイラつきと打開策を巡らせている。ランサーは血だらけになった自分のモノを抜き出すと、手で扱いて再度勃たせた。十分勃たせると、また挿入した。今度は中が濡れている。動きもスムーズだし、先程よりは快感を拾えそうだった。後孔から精液と血が混じった液体が溢れ出す。出す度に泡を吹いているようだ。エミヤからは呻き声すら出ていない。その事実にカッとした。
ズボンと下着をエミヤの足から抜き去ると、膝が肩に付くまで折り畳んだ。後孔が天井を向く。それに上から叩きつけるように抽送した。血と精液が混じった液体が背中に垂れる。無理矢理挿入したせいで内側の肉が盛り上がるほどついて来た。真っ赤だ。その赤い肉を見て興奮した。派手に音が鳴るほどきつく打ち付けて、エミヤの表情など一顧だにせず、自分の快感を優先した。再度エミヤの中で果てると、更に滑りがよくなった。半分ほど陰茎を抜くと、精液がだらだら垂れた。まるで女性器のようだ。
「この、雌豚め」
ランサーはエミヤを睨んだ。そこで、二回出すまで何もしゃべっていなかった事に気づいた。エミヤはランサーからの侮蔑に対しても反応しなかった。ただその鋭い視線でランサーを射抜いただけだ。よく見ると、エミヤは勃起していないし、興奮してもいない。まるで孔を貸しただけと言わんばかりだ。
「それが言いたくて来たのか。君のやりたいことはこんなことか」
ランサーはそれを聞いてカッとした。これまでの心配や苦労や焦燥が一度に襲って来た。ランサーは自身をエミヤの中に入れたまま首を絞めた。
「お前が、俺から逃げようとするからだろう!」
力を入れると、エミヤが苦しそうな顔をした。ランサーはそれに興奮した。グイグイ力を入れると、自身が回復していくのがわかった。腰を動かすと、ずしゃりと音がする。首を絞めると中も絞まる。身体の反射で、異物の排除にかかるのだ。門は開き、中から出そうとする。単なる排泄行為だ。だから、ランサーは奥へ入れた。身体がぶつかってこれ以上入らないところまで、更に奥まで。
先端が何かにぶつかった。まるで子宮口に触ったような。それとは感触が違う。柔らかさがない。結腸か、と当たりをつけた。ここを突破すると、真面目に排泄行為になるかも知れない。この括れは、結腸からブツを溜めておくものだ。更にきつく首を絞めた。腸内が動く。ランサーを追い出すために。ランサーは腰を激しく打ち付け、エミヤは苦しそうに顔を歪めた。よく見ると顔色がどす黒くなっている。死ぬかも、と思った。
俺が、エミヤを、殺す。
こんなやり方で?
三度目の射精で、正気づいた。何をしているのか、と。
息を切らせてランサーはエミヤの首を絞めていた手を離した。
ひっと音がして、エミヤが咳き込んだ。身体を丸めたいようだが、ランサーが上に乗ったままで、手錠がかけられた手は動かせないから出来ない。ヒューヒューと苦しそうに息を吸って咳き込むを繰り返していた。
ランサーはエミヤの上から身体を動かせなかった。じっと見ていた。首に自分の作ったアザがうっすら浮かび上がる。
「何で……抵抗しない」
声が弱くなったのは仕方ない。
エミヤは、はあはあ息をしながら、苦しそうに言葉を絞り出した。
「私は、君の、もの、だ」
ゴホゴホと咳き込む。その度にカシャカシャ手錠が鳴った。
「今、俺はお前を殺しそうになったんだぞ。なのに…」
「好きに、すれば、いい」
「そんな、事…」
「この身は、君に、捧げた」
"この身は既に己のものでなく、擲たれるものだ。君に捧げる事にはなるが、死体の様なものだ"
「でもそれじゃ、お前は…!」死んでもいいってのか!
"ランサー、君が選んだ。私ではない。私に選択権など無い"
「俺か、……俺が選んだのか」闘うと。闘うためにその身体を捧げろと。
「そうだ、君が選んだ」けれど、
"それは人には苛酷過ぎる。だから誰にも託さず消えようと思っていたのに"
今回のように。
俺がエミヤを殺そうが生かそうが、エミヤには関係ない。何故ならもう既に選択は為されているから。俺が選んだ。
"俺は俺を投げだしてでもお前と闘う"
共に闘うという決意はエミヤを追い詰めた。俺はエミヤの道を閉ざした。それをわかっていながら、エミヤは受け入れた。
"選択するのは、君だ。オルタの様にダストを滅ぼす事に手を貸すか、それとも知った上で無関係を貫くか。私に関わるとは、そう言う事だ"
そこに自分を生かす選択はない。初めから生きていないものに生きる選択なぞ無いんだ。
エミヤが俺から逃げたのは、俺を自由にするためだったのか。
エミヤという運命から。
お前はどこまで自分がないんだ!自分自身への感情なぞ欠片も残ってねぇじゃねぇか!ダストに捧げた心と俺が欲した身体と、もう、何もお前の手に残ってねぇよ!滓だけしか残ってないとか何とか、ああ!わかってなかったよ!
好きとか嫌いとかで関わるな、か、そりゃそうだ、バカだったよ、俺は!何度も言われてたな、そうかよ!
"君は、バカだな"
病院での笑顔が甦る。
よくも笑える!己の運命を知っていてなお、俺に笑いかける!
ランサーは不意に立ち上がると、何も言わずに甲板へ出た。衣服の乱れは必要最小限だ一秒もかからない。汚れなぞどうでもよかった。
甲板に出ると、誰もいない川に向かって叫んだ。自分が許せなかった。エミヤが、オルタが、雀蜂が、何より運命が許せなかった。
エミヤは一人寝台の上に残されて、何も出来なかった。手錠はついたままだし、衣服はぼろぼろにされている。出血は止まったようだが、身体から溢れるもので寝台はどろどろだ。ため息をついて、取り敢えず楽になれる体勢になろうと身体を捩った。
「しかし、手錠など何故持ってたんだ?」
己が虚しい人間は、自分が傷つく事などどうでもよかった。ひたすらにランサーを気づかっていた。
ランサーが漸く気を取り戻し、船室に戻った時、エミヤの顔色は最悪だった。
「エミヤ、その」
「ランサー、今すぐにこの手錠を外してくれ」
「その、大丈夫か?」
ランサーは船室に入った所で動けなかった。
「ランサー、頼む!」
ランサーはエミヤの様子がいつもと違って切羽つまっているらしい事を認め、慌てて鍵を取り出した。震える手で手錠を外す。
エミヤは腕をさする事すらせずに、
「トイレはどこだ!」
と叫んだ。ランサーが船室の扉の一つを指すと、あっという間にトイレに消えた。
「あ~……」
ランサーの反省は海より深くなった。
かなりの時間、エミヤは出てこなかった。心配したランサーが、こっそり扉を叩いて声をかけた。
「エミヤ、大丈夫か?」
返事なし。気を失っているかもしれないと、少し声を大きくした。
「なあ、エミヤ」
「うるさい!」
怒鳴られた。が、その後苦しそうな呻き声が聞こえた。
こんな時何が必要なのか、ランサーにはわからなかった。取り敢えず水と濡れタオルを用意して、シーツを取り替えようとリネンを探した。
シーツは血で真っ赤に染まり、自分の所業をまざまざと見せつける。正気に戻ったランサーは、エミヤに何をしたかったのか、それすらわからなくなった。
シーツを外して握りしめる。自分の不甲斐なさが身に染みる。
もう、二度と、もう、二度と、と小声で言う。二度と何かは口の中に消えた。
フラフラになってエミヤは出てきた。シーツを外しただけのベッドに横たわる。ランサーは声をかけづらく、黙って船室にいた。
エミヤはため息をついて、そこでランサーに気付いた。
「ランサー、どうした?」
「どうしたもこうしたも。その」
「君も体調が悪いか?なら、ここを明けよう。甲板に少し横になれば、私は出ていくから」と、身体を起こした。
ガン!とランサーが壁を殴って穴を開けた。
「てめえ、本当、いい加減にしろよ!」
心底わからない顔でエミヤはランサーを見た。
「いい加減に、とは、なんの事を言っているんだ?」
ランサーはエミヤの肩を掴んで、肩に頭をつけた。
「頼む。そんな風にお前を投げ出さんでくれ。お前をもっと大事にしてくれ。お願いだ。頼む」
お願いだ。お願いだ。
ランサーは小さな声で何度も何度も言った。まるで祈りのようだった。
エミヤにとって大事なものは常に自分以外のものだった。それはどうにも変えられないだろう。ランサーの祈りは、エミヤにとって意味のない音でしかない。
オルタも同じように言っていた。オルタはエミヤの望み通りに彼を抱き、後悔を蟠らせた。ランサーはエミヤに祈るが、エミヤはそれに応えられない。
エミヤは、己を守らない。守るのは己以外のものだ。
エミヤは何かを好きになることはない。そういう感情がない。
エミヤは何かを嫌うこともない。その必要がない。
この世は美しいもので溢れ、人は幸せに生きる権利がある。その中にエミヤは入らない。
そして、エミヤが守ると決めたものに仇為すものは何であれ排除する。
エミヤとは、機械が人の形をしたような生き物だった。
「すまない。ランサー、許して欲しい。私にはわからない」
その時のランサーは、いっそ悲壮であった。
怒りも願いも祈りも効かない。どんな言葉も態度も届かない。ただ受け入れるだけ。
確かに彼はそう言った。
そして己はいつか好きにさせると言ったのだ。
ランサーは嘆きを内に閉じ込めた。
そして、
「わからないなら、いつかわからせてやるさ」
と、無理やりな笑顔を作った。
ランサーのクルーザーは結局二日かけて改造された。ベッドは一つ、後は甲板にハンモックだ。エミヤと船乗りはそこで休む。ランサーは自分のベッドを譲ろうとしたが、固持された。船の雇い主がいつまでもぐじぐじ言うのもおかしい、ランサーは適当な所で諦めた。
それからの旅は順調で、約5日程でレティシアに着いた。船は船長達が乗って帰った。
出国と入国で、ランサーは何故エミヤが陸路を選んだか理解した。
「なんだよ、いい加減な」
ランサーは出国手続きの為にタバチンガに立ち寄っていた。とは言え、陸続きだ。道の向こうはレティシアだ。レティシアはコロンビアに属しているから、その前に出国しなければならないのだが、到着したのが夕方だった為、ホテルを先に捜したのだ。レティシア側の小さなホテルにシングルを二つとり、落ち着いた所で、ホテルの人間に出国手続きはどこでしているか聞いた。
「警察だと。さっき行ったら、閉まってた。明日出直ししろとさ」
「そうか」
エミヤは落ち着いたもので、特に慌てていない。
「こっち、もうコロンビアだよな」
「そうだな」
「俺ら不法入国してんだけど」
「そうだな」
「エミヤ?」
「気にしなくていい。結果として出国と入国が記されていれば、困ることはない」
「落ち着いてんな」
「国境の町など、そんなものだ」
ランサーは取り合ってもらえず、やきもきした気持ちのまま、ホテルで寝た。
因みに、ランサーはエミヤに手を出していない。もう六日になる。フォンテ・ボアでの失敗を引きずっていたのだ。ランサーがどう思おうと、ランサー自身が己を戒める。まずい、ケガが完治するまで待て、10日待て、と。
まだ六日、後四日。俺は待てる、待てる。
既に何日もロマンチックと言えるような船旅を続けて、キス一つしないで過ごしている。肩も抱いていない。
それだけトラウマになったのだ。
ランサーが己に誓った事もある。だから、我慢するのだ。
どんなに扇情的に見えても、蠱惑的に見えても、屈託なく微笑む顔が幼く見えても、ランサーは船旅の間中歯を噛みしめ、腿をつねり、足を角にぶつけて我慢した。
何をしても受け入れられると知っているからこそ、もう二度と失敗したくなかった。
次の日、警察署で適当に出国手続きをし、次に入国となったが、町の中には無いとわかった。
「国境の町じゃねぇのかよ!あって当然だろうが!」
「空港に行けばあるとの事だ。そんなものだろう」
「いや、あのね」
「ランサー、役人に期待してはいけない」
エミヤはそう言うと、空港への交通手段を探した。この町では、ポルトガル語とスペイン語と英語が交錯する。いかにも国境の町だ。別に見るところは無いが、今ランサーはエミヤと二人きりで旅をしていた。考えてみると、誰かと二人だけの旅とか、生まれて初めてかもしれない。セレブは誰かに囲まれて過ごす事の方が多い。
先に歩き出した男の背中を眺める。広くて大きくて頼りになりそうな。
エミヤの髪は黒く染まったまま、元に戻そうとしていなかった。何故だ、と聞いたら、ここはアメリカではない、印象に残るような姿で過ごしたくない、と答えた。
んじゃ、俺は?と聞いて、君が何故人目を憚る必要があるのか、と聞き返された。
会話が噛み合わない。とにかく、エミヤは自分がランサーを誉めていることに気づかない事がある。
美しい魂は美しい器に宿るとか、
上に立つものは慈悲深いとか、
強いものは必然美しいとか、
その他にもたくさん、よくもまあ出てくるものだと感心する。それを真顔で、揶揄するつもりは全くない顔で言われる。
エミヤは眉と髪は染めているが、睫毛が白い。
ハタハタと揺らぎながら、こちらをまっすぐに見て言う。時々衝動的にキスしそうになって正気に戻す、を何回も繰り返していた。
公共のバスが空港まで出ているというので、まずはチケットを買う。レアルからペソになるが、こう言うところはドルも使える。バス代をドルで払うと当然お釣りはない。儲けたな、と思いつつ、バス停に並ぶ。観光客や地元の人間が、ごったに並んでいた。時刻表はあるものの、信用できるはずがない。三十分程遅れてバスは到着し、アルフレッド・バスケス・コボ空港 に向かって進み出した。
「このまま陸路で行くのか?」
「正直、時間をかけすぎていると思う。空港に行くのだ、空路を考えるのが現実的だろうな。幸いここからボゴタに定期便が出ている。ボゴタからならアメリカは近い。ところで、どこへ行く?」
「え?」
「キャスターを捜すのだろう?」
「あ、あ、うん。そうだな、取り敢えず、コトミネに会うか。アメリカに来ているらしいし」
「なるほど、では方針は決まったな」
アマゾンから10日余り、ジャングル見物も出来ないまま、南米を離れる事になりそうだ、とランサーは少し残念だった。川旅は堪能したけどな。
空港に着いて入国審査をする。終わったと同時に時刻表とチケット予約であちこちのカウンターに交渉した。エミヤがスペイン語が出来てラッキーだった。空港職員は基本的に英語が話せるが、訛りがきつくて分かりにくい者も中にはいる。エミヤがスペイン語で交渉すると、やたらスムーズに話がついた。
「スペイン語ができんだな」
「分かりにくかった」
「ん?」
「私はスペイン語が出来るが、ヨーロッパのスペイン語だ。南米のスペイン語じゃない。所々英語で話す羽目になった。いろんな言語が頭に飛び交ってやりにくかった」
「そうか、大変だな」
眉をしかめてご機嫌斜めのようだ。
「で、何でそんな機嫌悪いんだ」
「現地の人間に見られないなど、情けない。腕が落ちたな、と反省している」
ランサーの目が丸くなった。
「へ?」
確かに黒髪で褐色肌のエミヤは、アメリカにいる時より馴染んでいる。アマゾンも奥地から来たから、確かに地元にこう言う人間がいると言っても無理はないかもしれないが。
「いや、お前、無理だよ。現地の人間には見えねぇって」
「何故だ、ランサー」
「でかいもん、お前」187センチはアメリカなら目立たないが、ここでは目立つ大きさだ。
今度はエミヤが目を丸くした。そしてため息をつくと、消沈したように、
「そうか」
と言った。
レティシアからボゴタまでは小型機でのフライトとなる。二時間余りのフライトだ。ランサーは小型機に乗ると、意味のない不安に襲われる。空中でバラバラになったらどうしようか、と。二時間、大した時間ではないが、神に祈った。
空港が近くなるとボゴタ市街の様子も見えてきた。もうすぐ着くからと視線も外に向く。山の上に出来た街並みは、独特の雰囲気を持っている。なんというか、南米っぽい。麻薬マフィアや移民の流入で治安は決してよくないが、ランサーはある意味当事者でもある。オルタの手はここにものびているので、ランサー自身が心配する事は特にない。心配するのは強盗位だ。
ボゴタはコロンビアの首都で、エルドラド国際空港はハブ空港だ。本数も多く、アメリカへの定期便も充実している。空港から出ずにアメリカへ帰ってもいいのだが、さて、どこへ飛ぶか、が問題だった。
「JFKが多い。二便飛んでいる。後はサンフランシスコか、ロスもだが、一便だな。JFKで国内線を使った方がムダがないだろう。席があるか確認しよう」
結局夕方の便は席がなく、夜便に搭乗する事になった。今は昼である、後十時間。
「観光しようぜ!」
まあ、必然である。
飛行場でガイドブックを買った。ランサーはワクワクしながらガイドブックを手にしている。時々デートだデートだと呟いているが、エミヤはランサーの気持ちが理解できない。こんなつまらない男と散策して何が面白いのかと。
ボゴタの街並みは旧市街と新市街に別けられる。観光スポットの多くは旧市街にあり、ボゴタと言えばボリーバル広場である。もちろん、ランサーも行きたがった。
「でもな、その前に休みたくねえ?」
の一言で、夜には出ていくと言うのにホテルをとった。やっぱりスイートルームで。バカらしいと思ったが、もう何も言わない。これがランサーのスタンダードなのだ。おそらくエミヤ一人なら旧市街の安宿に泊まるだろうが、このアホらしくなるほどのセレブは思い付きもしないだろう。他人の金だ、好きにしろ。
スイートルームにはキングサイズのベッドとゲストルームまであり、エミヤは遠慮なしにゲストルームに倒れこんだ。
考えてみると、川旅ではハンモックで、腰も尻も予後は良くない。毎日のお務めの支障はなくなったものの、やはり衛生環境が悪すぎた。しばらくぐったりしてから、ゲストルームに付いているシャワーを使う事にした。
久しぶりのお湯と、清潔なタオル。
暖まった身体は眠りを欲した。ランサーに付き合わなくては、と思いつつも柔らかいベッドはエミヤを離してくれそうになかった。
ランサーもメインベッドルームで風呂に入り、ベッドに腰かけた。
実はエミヤの顔色がここ何日か良くないのを知っていた。何が原因かはわからないが、自分が無関係とは思えなかった。だから、ちょっと強引に休みをとった。ランサーは今日の夜の便で帰国する気など更々ない。エミヤを少し休ませたかった。一日位なら、コロンビアを観光してもいいだろう。
わざと時間を気にせずに眠る事にした。大きなベッドは久しぶりだ。ここにエミヤの体温が欲しいと思ったところで、腕をつねった。
エミヤが目を冷ましたのは、夜の10時で、空港に急いで行ってもフライトには間に合わない時間だった。自分の失策をイラつきながら反省し、リビングに出ると、ルームサービスを前にしたランサーがご機嫌で酒を飲んでいた。
「ランサー、起きていたのなら、何故私を起こさないんだ。帰国が遅れるだろう」
「まあいいじゃねえか、座って飯にしようぜ」
呆れたようにため息をつくと、ランサーの対面に座った。
「違う違う、ここ、俺の隣に座るんだよ」
エミヤの眉がしかめられる。
「また君は、突拍子も無いことを」
「いいからいいから」
エミヤはここ何日かランサーが妙な行動をとることに気付いていた。自分を叩いたり、つねったり、足をわざとぶつけたり。いつとか、何がとか、タイミングがまちまちでエミヤにはその意味するところはさっぱり分からなかった。そのランサーがご機嫌らしいので、従うことにした。
ランサーの横に腰かける。ふわりとしたソファーは身体を沈ませて、横にいるランサーに寄りかからせた。
エミヤは身体を起こそうとして、ランサーに肩を抱かれた。自然にキスをされる。
何だこれは、どこのご令嬢だ、私は。
ムード満点のスイートルームに夜景が映えて、美味しそうな食事を前に甘いキスとか。今一ランサーのしたい事がわからない。ディナーをとるのではなかったか?それともランサーは自分を抱きたいのか?なら、何もこんな風に食事を用意しなくてもベッドルームに連れ込めばいいだけではないか。
「目を閉じろよ」
いい声でランサーが囁く。エミヤの目が揺れた。何がしたいかわからないが、ランサーにとっては大事な事なのかもしれない。
エミヤはランサーの要請に応えた。目を閉じて口を薄く開いてランサーを待った。ランサーの息がかかる。人というのは暖かいな、とぼんやり思った。
ランサーが離れてエミヤは目を開けた。やたらと優しげな目で見られている。ランサーに何かあったのだろうか?自分が休んでいる内にキャスターが見つかったとか、ビジネスで儲けたとか。ランサーをじっと見ていると、にかっと笑って、
「メシにしようぜ!」
と言った。
言ったが、メシにするとは、こういう事を言うのか?
エミヤはランサーの隣でいわゆる"あーん"している状態だった。自分の手を使わせてもらえない。手を出そうとすると、
「いいからいいから、とってやるよ、な」
とかなんとか、結局一口ずつ口に運んでもらっている。食事は上品で丁寧な仕事ぶりだ。美味しいが自分で食べたい。それに、
「ランサー、君、食べて無いだろう。私は気にせず、君も食べてくれ」
肉の塊を飲み込んで、エミヤは言った。ランサーはとても綺麗に微笑んで、
「ありがとうな。そうさせて貰う」
と言ってエミヤの口に食事を運んだ。つい反射で口に入れる。その時、ランサーが顔を近付け、エミヤの口に入れたニンジンを舌で絡めとって浚って行った。
「うまいな」
「うまいな、では無いだろう。ランサー、何をしている…!」
最後まで喋れなかった。またキスされた。何だ?何なのだ、ランサーのご乱心か?
自分が口にしてランサーが砕いたニンジンは、二人の口のなかで共有された。唾液とニンジンを飲み込むと、息をついて抗議しようとしたが、今度はワインを飲まされた。口移しで。
ランサーを退かそうと思えばいくらでも出来るが、ランサーはとても嬉しそうだ。やっている事を理解できないが、少なくとも抵抗しようとまで思わない。そんなに嫌ではない。ランサーに対して警戒心が皆無になりつつある自分に驚いた。ランサーならば何をしてもいいのだ。だから、
「わかった。次は何を食べたいんだ?」
と、口を開けた。
「お前」
舌を取られた。
ランサーは夕方目を覚ますと、ゲストルームに行ってエミヤに声をかけようとした。するつもりだった。ベッドの脇まで行ってエミヤの寝顔を見るまでは。染めた黒髪が額を覆って、染めていない睫毛が白く臥せられている。前にも思ったが、エミヤの童顔は犯罪だと思う。眉間にシワがなければ途端に幼くなるのもどうかしている。無防備に寝ていて、ランサーが部屋に入っても気づかない。疲れているんだろう、と額に手を宛てて、髪を優しく撫でた。ついでに軽く唇にキスを落として、部屋を出た。これ以上やると抑制出来なくなる。
ヤバい。
まだ後二日。待てが出来るよな、うん、出来る。俺は出来る。
リビドーは心とは関係なく出来ている。あれだけの性的なものを全く含まない接触で、愚息は立ち上がる。
お前の発言は認めていない。だから引っ込め。
愚息が発言する。でも酷いことしたのは俺じゃない。あんただろう。俺はあんたに従っただけだ。
然り、だが同罪だ。
言いがかりだ。
いや違う。
ランサーの頭の中で戦うリビドーとエゴ。結局リビドーはエゴに従う。トイレで事なきを得た。
頭が冷えると、街の空気を吸いに外へ出た。交通事情のせいで排ガスがきつい。タバコを吸いながら、ネオンに色づく街を眺めた。この辺りは新市街で治安はいい方だ。だが、決して犯罪に巻き込まれないとは言えない。ボゴタはほんのこの間まで犯罪率がヨハネスブルグと肩を並べる程だったのだ。警戒は必要だ。極力大通りを歩いてZONA Tまで行ってみる。立派なショッピングモールがきらびやかにお出迎えしてくれた。
赤レンガの外観のそれはガイドブックにショッピングモールとしては最も大きく載っていたところだ。はっきり言えばいつもの店がいつもの如く並んでいる。観光客にうけそうな清潔さ。日本人でも安心出来そうな治安の良さ。
ふと宝石店に寄ってみた。ニューヨーク本店が映画になったあの店だ。つまんねぇ品揃えばかりなので、奥から本命を出すよう指示した。ブルーブックコレクションの一つくらいあるだろ?
ここにはブルーブックコレクションはないが、ハイジュエリーの一つくらいはあると言う。この店らしい、ダイヤのびっしり付いたネックレス。女性用なので首が苦しそうだと思ったが、後でサイズを直せばいいかと、それを購入した。ホテルに持ってこいと指示してホテルに歩いて帰った。
直ぐにルームサービスを頼む。
ワインを飲みながらエミヤを待っていると、宝石が届いたとの連絡があった。上に持って来させて準備万端だ。
相変わらず、何でこんなことしてるのかわからない。きっと何か受け取って貰いたいのだと思う。あいつは俺の心を受け取らないから、物で縛り付けようとしているんだろう。情けない。けれど、ラスベガスの時も思ったが、エミヤが目を白黒させて慌てる様を見る為なら100万ドル位安い買い物だと思う。
エミヤを隣に座らせて食べ物を食べさせる。不満そうにしている様が可愛い。もぐもぐ動かす口が可愛い。眉をしかめてちょっぴり不機嫌なのも可愛い。けど、一番は文句いいながらも俺の言うとおりにしているところだと思う。
「何が食べたい」と口を開けたエミヤを我慢出来ずに「お前」と言ったのは不可抗力だ。こいつ、可愛すぎるだろ。
ソファーに倒して上からエミヤを貪る。ここ数日我慢し続けた反動が出てしまう。吸っても舐めても足りない。興奮し過ぎて息が上がってきた。手が勝手に不埒な事をしようとしている。エミヤのジッパーに手をかける。下ろしたら最後だ。
待て、待て俺!
でも、ズボンの上から触ってしまった。まだ柔らかいそれ。鼻血が出そうに興奮したので、慌ててエミヤから離れた。しばらくエミヤの顔を見れずに顔を背けた。
「ランサー?」
いつも俺を煽る声が聞こえる。そうっとエミヤの顔を見る。心配そうに見ている目が潤んでいた。顔が上気している。エロい。
「エミヤ、すまん。大丈夫、酷いことしないから、キスだけにするから」
「どうしたんだ?君。私の事など気にしなくていいぞ。もしかしてずっと遠慮してたのか?」
ランサーの血が音を立てて下がった。
「遠慮するだろ!もう傷つけたくないんだ!」
キョトンとするエミヤが、不思議そうに応えた。
「私が何に傷つくんだ?」
ランサーが嬉しそうにしていて、ご機嫌なままキスをしてきたので、されるがままにした。ランサーはキスが上手い。決して嫌だと思った事はない。むしろ気持ちいいと思う。だから、ランサーの手が下に這っても気にならなかった。ここでするのか、とは思ったが、この間の事を引きずってはいなかった。あれはあれで仕方のない事だった。反ってランサーを傷つけたのは自分だと思っていた。ランサーの祈りを懇願を訊いてやれない自分が、それを哀しむランサーを傷つけた、そう思った。
だから、ランサーが自分に気を使っていたことに驚いた。
「私が何に傷つくんだ?」
とは、心底本音だ。
正直、括約筋が損傷して垂れ流しにでもならない限り、多少の無体はありだ。痛みには馴れている。スパイナルの痛みに比べたらどうと言う事もない。確かにスパイナルの痛みで直接生死に関わる事はないので、消化器の不具合には閉口したが、生きているから問題ないと思っていた。
己を傷つけた事でランサーが傷ついているとは思わなかった。
「ランサー、大丈夫だ。私は平気だ。君に傷つけられたとは思っていない。気にしなくていい」
必死にこの間の事を取りなす。
「だから、君は私に気を使わなくていいんだ。思うままにして構わない」
ランサーが信じられないと言う表情をする。顔を横にふり続け、
「ダメだ」
と言った。そしてそのままメインベッドルームに消え、その後出てこなかった。
結局、エミヤは残った自分の分を一人で食べ、残りに蓋をしてゲストルームに帰った。
リビングには誰にも手をつけられない豪華な食事が残された。
ランサーはエミヤを人間として見ている。外見的にはエミヤはアメリカ国民で、元軍人で、大柄の男子だ。けれど内面は、人間らしさの欠片も見当たらなかった。ランサーはあの時身体だけでなく、心も傷つけたと思っていた。相棒になりたいと、相棒であると宣言する自分が、縛った挙げ句殺そうとするなど、信頼を傷つける行為だと思っていた。
しかし、エミヤはその事を歯牙にも掛けなかった。ランサーへの信頼は微塵も揺れていなかった。
ランサーはエミヤに自分に怯えて欲しかった。味方に見せかけた人殺しと罵って欲しかった。そうすれば、誠心誠意謝ってやり直せる、そう思った。けれど、一つもそんな素振りは見せていなかった。我慢していると思っていた。鳥肌をたたせながらも我慢しているのかと。違っていた。エミヤは気にも留めていなかった。
余りにも異質だった。
エミヤとは何なのだろう?このままだとオルタと同じ道を歩んでしまう。ヘクトールが言っていた通りになってしまう。
「俺は不幸になんてならん。あいつを喰って人の上に立つ」
わざと声に出して言った。けれど、その晩はもう眠れなかった。
次の朝、飛行機の予約をホテルで行い、それまでのんびり過ごす事にした。お互い干渉せずに過ごす。ランサーは朝早くどこかへ出掛けた。エミヤもホテルでしばらく過ごしたが、飽きて観光に出た。
モンセラーテの丘に行く事にした。
旧市街と新市街が一望出来る。貧しい旧市街と金持ちの新市街。犯罪の旧市街とビジネスの新市街。よくもこれだけ別れたものだと感心した。山の斜面に張り付くように スラムが形成されている旧市街の方に親近感を覚える自分は、ランサーとはとことん合わないだろう。
「何故、彼は私に拘るんだ」
ポツリと呟いた。
「さあな、俺にもわかんねえ」
後ろからランサーの声が聞こえる。エミヤが振り向くと、ニヤリと笑ってランサーが立っていた。
ランサーは長い髪を風に遊ばせていた。後ろで一つに括った髪が青く輝く 。キレイだな、と思った。生き生きとした赤い瞳と、上げた髪、とてつもなく綺麗な顔がエミヤを見つめている。思わず息をのんだ。
そういえば、ランサーとキャスターには別名がついていた。光の御子、と。
成る程、美しい人間と言うものはこの世に存在するのだな。
昼の明るい陽射しにまるで自らが輝いているようなランサーが、己に笑いかけていた。
急に自分が醜く汚いものに思えた。何故こんな美しい人間が自分を欲したのだろう。こんな、何の価値もない、死体のような、エミヤの残り滓のような自分を。考えるとゾッとした。腐肉を喰らうには美しすぎる。死体を漁るには綺麗すぎる。ランサーは自分に関わらない方がいい。
何故、私は、ランサーに、ダストの事を、話した、のだ。
陽射しの強さに目眩がした。左によろめくと、スッとランサーがエミヤを支えた。
「大丈夫か?目眩なら、高山病かも知れねぇぞ」
優しい声。
凄まじい罪の意識が吐き気を催す。自分自身に中毒を起こした。
昨日の夕食を全て吐き戻した事で、周りの人がわらわらと寄ってくる。口々にスペイン語で話しながら、こうしたらいい、こうしたらよくなったと親切を押し付けられる。そう思う自分が嫌で泣き出した。苦しくて、我慢出来なくて、何度も何度も吐いた。何も出なくなっても、吐き気だけは止まらなかった。
ランサーに抱えられて山を降りる。病院に直行した。点滴を何本も処方される。高山病とは違ったらしいが疑われる。
病院でベッドに寝るなど、軍人時代でケガした時以来だ。情けなくて死にたくなった。
「エミヤ、気分はどうだ?」
ランサーが優しい声で問いかける。それにまた吐き気が襲う。自家中毒と言うよりランサー中毒ではないだろうか。
「さいあくだ。たのみがあるんだ。ランサー、訊いてくれ」
ランサーが身体を乗り出した。凄く真剣な目だ。
「おう、何だ」
「傍に寄るな。話しかけるな。病院から出ていけ」
それだけ話すと、エミヤが目を瞑った。
それ以上何も言わないので、ランサーは呆然としながら、言われた通りに従った。
エミヤの体調が戻るのに三日かかった。オルタの所から出て二週間、その間キャスターの消息が聞こえることはなかった。ただ、どこへ行ったのか、ほんの少し伝わって来た。
シカゴだ。
ランサーに会いに来たのか?シカゴはランサーの自宅がある都市だ。と言うか、クランの土台だ。女王蜂を捜すなら間違っているような気がする。だが、ランサーにはよく分からない理屈がキャスターにはあって、それは間違っている事はめったにない。キャスター探しを初めるに当たって、JFKは方向として間違っていない。アメリカ着を夜にするか早朝にするかはエミヤの体調に合わせた。エミヤはアメリカ着を夜に定めた。
15時に出発、22時着JFK空港、迎えも頼んだ。
ビジネスクラスの飛行機は、座席もゆったりしている。病み上がりのエミヤにはエコノミーよりいいだろう。本当はファーストクラスにしようとしたが、たかだか7時間のフライトにもったいないと止められた。軍人時代には輸送機で何時間も揺られたものだから、大丈夫、馴れている、と言った。
「けどよ、パラシュートで敵地に降りるんじゃねぇぞ。空港に着いて色々手続きすんだぞ」
言外に、待たされるぞ、と含ませた。飛行機から降りて入国審査を通るのは、アメリカ国民でもきつい。もしコロンビア人だったら更にキツい。
それでも国民は指紋認証など無いだけに少しは早い。人数が多いので時間がかかるだけだ。
ようやく入国審査を終え、ロビーに出ると、久しぶりにランサーのドライバーが待っていた。
「お久しぶりで、ランサーさん、元気でした?」
「おう、悪いな、夜遅くに」
「いいっすよ。結構長い休みになりましたし。エミヤさんもお久しぶりです。不思議なもんですね、またお会いするとは思いませんでしたよ」
「ああ、どうも。そうだな、会えて嬉しい」
エミヤは挨拶程度に微笑んで、ドライバーに応えた。ドライバーはエミヤをじっと見た後、ランサーに声をかけた。
「ランサーさん、失恋したでしょ」
ランサーがドライバーの頭を叩く。
「うるせえ、まだフラレてねぇよ」
エミヤの体調が悪くなる前にホテルへたどり着くだろうか。エミヤは心配になった。
空港に程近いホテルの2ベッドルームのスイートに泊まる。もう、諦めた。別々の部屋に泊まるとか、別々のホテルに泊まるとか。あれからランサーがキスだのセックスだの口にする事はなくなったし、肩を抱くことも、腰を抱くこともなくなった。
エミヤには落ち着ける状況で、色々取り繕わなくて良いので楽だった。きっと何か言えばそれがランサーを傷つける。お互いがお互いを気遣う事で傷つけ合うなど、愚の骨頂だ。だから、ランサーが食事を一緒にとろうと提案した時、本当にびっくりしたのだ。
「構わないが、どこのレストランだ?もう時間も遅いぞ」
「ちっとさ、離れた所」
エミヤは何も言わずに頷いた。そう言えば、ランサーと共にとる食事で外に行くのは初めてかも知れない。ニューヨークの市街からも然程遠くないここで、マンハッタンまで行くつもりか?往復考えると嫌だが。
ドライバーに頼むのではなくタクシーに乗って民家の前に着く。ホテルからはかなり遠く、ハイウェイを長い事走って普通の一軒家に着いた。家の明かりは消えていて、ここで食事が出来るか疑問だった。
馴れた様子で家の鍵を開け、中に入る。とても一般的なこじんまりとした家で、今まで散々見せつけられた、世界の違うセレブが縁のある場所とは思えなかった。
ランサーがスイッチを入れて明かりが点る。入るとリビング、脇にキッチンとダイニング、奥に寝室、二階も寝室だろう。家具は二人掛けのソファーとダイニングセットだけ。
「大分処分しちまってよ、家具とか残ってねぇんだ。ソファーにでも座っててくれ。埃は払ってもらってあるから、大丈夫だぞ」
「ここは、この家は、誰のだ?」
「俺んち、つーと語弊があるか。そうだな、ばあちゃん家ってとこか。地下鉄のどん詰まり、ロッカウェイってとこだ」
「君のお婆様の家?シカゴ本宅だと言っていただろう?」
「そっちはマクイルの家だろ。ここは、母親の実家だ」
エミヤには違和感が拭えなかった。ハイソサエティは自分達のコロニーに異物が入る事を嫌う。この普通さは彼らにとって異物だろう。ランサーの言っている事が本当であれば、母親はずいぶん苦労したのではないだろうか。
「後で話すさ、まあ、好きなとこ座ってくれ。今作るからよ」
「作る?君が作るのか?」
「お前、失礼だな。人が食べるもの位作れる」
エプロンをしながら、ニカッと笑う。不覚にも可愛いと思った。だが、言い方はとても不安だった。自分が作ってもいいのだが、それではランサーの気持ちを踏みにじる。大人しくキッチンで動く後ろ姿を眺めた。
誰かに食事を作ってもらうのなど、片割れがいたとき以来だ。その時とて、既に手先に障害が出ていた人魚はうまく作れず、自分がほとんど用意していたような気がする。
たまに作ったときには、"できたぞ"と無理矢理に笑うので、こちらも"うまそうだな"と返した。
オルタに看取られて、片割れは幸せものだ。けれど、幸せという概念をエミヤは理解できない。だから、そうとは知らず幸福にこの世から消えたのだろう。
「おい、どうしたんだ」
ランサーが慌てたように言うので、何かあったのだろうかと顔を上げた。ランサーの手が頬にのばされる。
「泣いてる」
言われるまで気がつかなかった。ランサーが頬をたどると、濡れているのがわかった。ランサーの指が頬を擦る。優しく涙を拭うように。
ランサーは愛おしそうにエミヤを見る。エミヤはランサーの手を払うことも、顔を動かすこともしなかった。ただ、何のために、なぜかわからない涙をただ流していた。
「人魚が、…」
「ん?」
「人魚は、幸せだ、…」と。
言葉が涙で詰まってうまく話せない。こんなことは初めてだ。
いつだってこの世は綺麗で美しくて醜くて汚くて苦しい。泣いた事なんて何度もある。悲しくて苦しくて、心も身体も壊して壊れて泣いて喚いて、一晩中叫んで、声も涙も嗄れ果てるまで。
けれど、これは違う。エミヤには何故だかわからない。何のために流しているのかも、どうしてなのかも。そして、何をランサーに伝えたいのかも。
「良かったじゃねぇか。幸せなら」
ランサーが嬉しそうに笑った。
「…、ああ」言葉が出ない。
詰まった言葉の分、涙がぼろぼろ流れた。ランサーの手が両頬を包む。ただ見つめ合って、何も言わない。
ランサーの目から一つだけ、煌めきながら涙が落ちた。宝石のようだ。ランサーがもたらすものは全て美しい。
姿も言葉もその空気も。
「だから、」
声が震えて詰まる。
「価値は……ない」と言ったのに。
ランサーは何も言わずに首を横にふった。それから、エミヤを抱き締めた。
エミヤの涙はなかなか止まらず、どうしていいかわからないままランサーに身を預けた。
ずいぶん時間が経ってから、エミヤはランサーの背中に手を回して、ランサーの服を掴んだ。
これはエミヤの、いや、私の陸地、私の因。私の、愛だ。
陸に上がった人魚の片割れは、左の羽が見つけたものを、漸く見つけた。右の羽は片羽だけを懸命に羽ばたかせ、彼の片羽を補う愛を見つけた。