――甘えたい……。
ふと、そんなことを思った。
数ある特異点を潜り抜け、名のある英霊を引き連れ修羅場を突破してきた彼は、それはもう精神的にも肉体的にも成長しきっていた。それはもう、お前感情どこに置いてきたんだというレベルで、ポーカーフェイスがデフォルト装着されていたのは、半ば仕方のないことだったのかもしれない。
だが、それももう終局特異点を終えたのだから、解放されてしかるべきなのではないかと、彼は考え至ったのであった。
とは言うものの、いざ甘えたいと言っても、いったい誰に甘えればいいのか……。
感情を曝け出したら出したで、恥ずかしさが全面に出てきてしまい、言葉にするのはおろか、鍛え上げられたポーカーフェイスがそれを邪魔していた。
そこで、彼は考えたのである。
誰ならば、恥ずかしげもなく『甘えたい』と口にできるのか、それはもう考えた。それはもう、考えに考えた。戦いの場で的確な指示を導き出す時並に、いやそれ以上に考えた結果、彼は一人のサーヴァントの下へ、歩を進めたのであった。
「それで、私のもとに来たのかいマスター……」
「あぁ……」
その場に広がる空気の曖昧さと言えば、マスターである彼にとっては、重く、今の彼にしてみれば珍しく伏し目がちにこちらを見ては、視線を落としとを繰り返していた。
訪れた先は、彼がまだマスターとしての立場を曖昧なままに旅たった特異点Fで召喚した、ここカルデアで一番の最古参のシャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモンの所であった。
――デオン。今、少し大丈夫だろうか?
と、何の用事かとマイルームへ招き入れた
「それにしたって、無表情で『甘えたい』なんて口にされて、あぁいいよ。と、返すのは難しいと私は思うんだ。うん。私は悪くない」
「うぐっ……」
いったい誰が、神妙な面持ちから発せられる甘えたいという言葉を、検問もなしに耳を通すというのだろうか。いや、カルデアにいる面々を考えれば何名かが検索にヒットするが、それはさておき。
「まぁ、うん。とにかく、なぜ唐突にそう思うに至ったか話を聞こうマスター。あぁ、別に、き、君が甘えたいというのであればやぶさかではないからね。」
無論のこと、甘えたいというのであれば、対する返答はイエス一択なのだと笑顔を返してから、席へ着くよう促し、話を聞くのであった。
結果から言ってしまえば、なんてことはない。様々な試練を乗り越え人理焼却を免れたマスターに与えられたのは自由であった。といっても、何もすぐにカルデアから開放なんてことはなく、カルデア外の時が動き出したがための、事情聴取として人がやってくるまで暫くはカルデアに留まるしかなかった故の暇が、彼から戦いを遠ざけたからこそ、もとより備わっていた彼自身の性格が芽を出したに過ぎなかった。
最古参だからこそってわけではないが、マスターが最初から寡黙でテキパキと指示を出すような人間だったワケではないことを知っている。
感情表現豊かに、喜怒哀楽を備えた一般的な男性だったことは覚えている。それが今になって再発……否、戻ってきているのだ。これほど喜ばしいことはないだろう。それに、私自身、徐々に人間性を失っていく彼を見るのは心苦しかったし、こうしてまた人間的な部分が出てきたことは素直に喜ばしい。
まぁ、なにはともあれ、彼の要求を受けることに抵抗はなくなったが――。
「それで、どう甘えるつもりだいマスター?」
「……え?」
「……ん?」
ここで、更なる問題が発生した。
「いや、こう甘えるにしたってだな。君がどのようにして甘えるか分からないと、こう受け止めようがないだろう?」
ごもっともな意見に、うんうんと唸るマスターを見て、小さくため息を吐き出した。
そのうち、そういえば甘えるってなんだ? と、哲学的分野に思考を割きそうになっていたマスターを呼び止め、ちょいちょいと、ベッド脇に座るように促し、彼の隣へと腰を下ろした。
「大体だね。君は数あるサーヴァントからなんやかんやと甘えられる行為自体は受けているだろう。羨ましい限りだが――コホン。ともかく、君がされてきた行為を模倣すればいい」
――羨ましかったのか。
と、彼が一人うむ。と納得していた。いや、そうじゃない。納得するところはそうじゃないだろうと。彼の左頬を軽く抓る。
「まったく、目の前のことを差し置いて、別のことに思考を割くのは君の悪い癖だぞ」
――だが、羨ましいのだろう?
と、再度ネタを引っ張る彼に、すっと左手を上げると、すぐさま『すまん』と口にする彼がいた。相変わらず、あまり感情の見受けられない顔ではあるが、その雰囲気は今までと比べ柔らかくなっていると実感できる程度には、彼の表情は柔らかかった。
「君はからかいに来たのか、甘えに来たのかどっちなんだい?」
むくれる私をよそに、しばし何事かと考えた彼は「うん」と、なにか意を決したようにこちらを向いた。相も変わらず感情を読み解くには難しい表情ではあったが、彼の右手が遠慮がちに伸びてきたのを見て、微笑ましくて笑ってしまう
「大丈夫。私は、逃げないよマスター……いや、ご主人様」
そう笑顔を向けてみれば、まだ少し遠慮が残るものの、ゆっくりと脇を通る両手が背中に回ってくる。そのまま、彼は遠慮がちに頭を私に押し付けた。
とまぁ、いざ彼の甘えを文字通り体で受けているデオンはと言えば、何とも言えない幸福感が体を広がる感覚にヒクヒクと口角が震えていた。
うん。こうして、彼に抱きつかれるというのも、初めてなわけだが思いのほか恥ずかしい。
私の体を抱きしめる腕の力が徐々に上がっていく度に、いいようもしれない幸福感が私の内側から溢れそうになる。それをどうにかこうにか顔に表さないように押しとどめながら、所在無さげだった私の両腕を、彼の背中へと回した。
私は甘えられたかったのかもしれないな。
特異点を巡っていく度に、摩耗していくマスターを見て、いったい何度その身を案じてきたか。辛くなったら誰かに甘えるんだと、結局、その言葉は終局特異点を終えた今それが果たされるとは、なんだかなぁと思わなくもない。
そして、蓋を開けてみれば、出会ってから早1年という短くも長き時を得た今になって、甘えられているのだ。いつ甘えられてもおかしくないように身構えていたというのに、予想だにしない方向から突進を食らった気分である。もっとも、今抱きとめているわけだが。
「デオン……」
縋るような弱々しい声と共に、これでもかと、体全体で温もりを感じるように身をよじりながら、彼の腕の力が増していく。
瞬間、小さな雷にでも打たれたかのような、小さな快感が体を走った。
――やばい。
その時デオンは、小さな恐怖を感じた。浸かってはいけない沼に、足を突っ込んだかのような錯覚を覚えた。きっとその沼は浸かってしまってはいけない沼だ。だが、意に反して、本能は逆に浸かってしまえと鎌首をもたげている。
「デオン……デオン……」
彼のなにかがスイッチでも入ったのだろうか。
幼子のように、普段聞かないような弱々しい。それでいて、魔性の息を感じる声音で、何度も何度も私の名を呼ぶ声に、体が喜びの声を上げようと心臓が早まった。
やばいやばいやばい!!!
今、この場で彼を突き放さなければまずい気がした。
いやそもそもそんなこと出来るわけがないじゃないか。彼は、マスターは、甘えたいと言い、私はそれを承諾したのだ。そんな彼が見せてくれた弱みを突き放すことなど、マスターに忠誠を誓った私が取れる選択肢ではない。
だが、それでも、きっと今彼を離さなければ、一生戻ることは出来ないような感覚が過ぎる。
この時の彼女は知らない。この先の彼女は思うことだろう。彼を部屋に招き入れた時点でアウトだったと……。
「いい匂いだね……」
「っ……、そ、そりゃ、まぁ私も身だしなみにも気を使うからね。」
答えになっているのか定かではないが、そもそもサーヴァントの身である以上、身の清潔は気を使わなくても保たれるが、それはそれ、生前の記憶通りに、ある程度のルーチンを辿るサーヴァントもいる。例に漏れず私もその一人だ。
身近に感じるマスターの温もりに、こちらからも体を寄せようと思わなくもない。というより、寄せたい。ッが!! それをどうにかぐっとこらえ、会話を交わしたことによって少しの平常心を取り戻したうちに、体を離さなければと、適当にでっち上げた用事で、この場を凌ごうと行動に移したが――。
「ま、マスター。すまない、このあと少し所要が――」
「はな……れるのか……?」
「あると思ったんだけど、気のせいだったよ。うん。気にしないでくれ」
無理だった。
たった今、逃げの一手をそれはもう強大な一撃によって壊されたデオンに、逃げるという言葉は愚か、その意味すらも今の彼女の記憶から消し飛ばされた。
そもそもなんなのだ。眩しげに目を細め、少し上気した表情で、
「マスター、一応聞くが……それは、君が受けてきた甘えるという行為を真似たモノと見ていいのかい?」
少しでも、自分の中に宿りつつある情欲から目を逸らしつつ、どうにかこうにか会話によって成りを潜めようと努力をする。
そう、仮にも甘えたいと言ってきたマスターに対して、そんなモノを抱くなんて、あってはならない。求められたのであれば、まぁいいのかもしれない。いや、いいのか? そもそも、今求められて――ええい!! 煩悩退散煩悩退散!!
「あぁ、そうだよ……」
背中に回された腕の力が弱まるのを覚える。少し……いや、結構口惜しいが、それは置いといてだ。
「それにしては、そ、その……随分と熱烈だったと思うのだが……あぁ、いや別に嫌というわけではないのだ。うん、決して」
「ハハハ、まぁ、そりゃ……君も知ってのとおり、中には過激な甘え方をしてくる人もいるからね……」
おもに、蛇だとかアッサシーンだとか、色々といるのは知っているが、よもや、今まさに私が受けているようなことを受けて、平然としているというのか……、というか、そんな甘え方をあの人たちはしていたというのか!?
「後は、その……デオンに……酔いたかったんだと思う……」
「……ん?」
はて、このマスターは一体何を言っているのだろうかと……、今まさに誤解してはいけないような言葉を言ってのけた気がする。
「甘える時くらい、何も考えたくなかったから……デオンの匂いに包まれて、デオンの暖かさを感じて、デオンのことを考えて、それ以外を捨てて、微睡みに浸かりたかったからさ……」
ガツンと、頭を殴られたかのような感覚を覚えた。
「マスター……それは、一体どういうつもりだい……?」
「え?」
「君は、この私を……誘っているのかい?」
もとより、彼女の情欲を止めるモノは彼女の中に残っていなかった。
ただ、目の前に存在する彼を、文字通り私で包んであげようと、体の節々が色めき立っていたくらいだ。
「はぁ、マスター、すまない……」
「デオン……?」
「後で、罰なら受けよう……」
サーヴァントゆえの俊敏性を遺憾無く発揮し、彼をベッドへと押し倒し、その両の腕を頭の上に片手でまとめあげる。
為すすべもなくその身をベッドへと押し倒された彼は、彼女の長く煌びやかな黄金の髪によって、左右への視界を塞がれ、デオンを見上げることを余儀なくされていた。
無論、彼はマスターである前に一人の男性である。数ある特異点を攻略してきた道すがら、彼の体は鍛えに鍛え抜かれており、並みの人間では彼を相手取るには足らない程度には成長しているのだ。
まぁ、そんなことは関係ないのだが。
「はぁ……はぁ……」
驚愕に目を見開く彼の目に写っていたのは、獲物を前に頬を赤く染め上げ、吐く息はどれも色っぽく、見下ろす瞳には情欲だけを映し出したデオンだけだった。
彼とて、鈍感の根を少しはかじってはいても、目の前の現状を理解できないほど鈍感ではなかった。少なからず、彼の行動によって、デオンが熱を帯びたということは理解できた。もっとも、何が琴線に触れたかは分からなかったのが、彼クオリティとも言える。
ただ、そう……。ただ、彼はその行動を拒むことはしなかった。熱にうなされた情欲の塊が、襲いかかるタイミングを伺ってるように、荒く吐き出される息を首元に感じながら……、彼は火を灯してあげたのであった。
「いいよ……デオン。君になら、体を預けてもいい……」
はて、それは
火を灯された彼女の行動は早かった。
本能のままに、本来であれば情欲に身を汚してはならない神聖なる主を、己が身で重ねる快感と言えば、何ものにも例えられぬ程の喜びが、快感が体を波打たせる。
好きだ。やばい。好きだ。やばい。大好きだ。やばい。大好きなのだ。
乱暴に、彼の口を奪い取る。抵抗もなくするりと入っていく朱い情欲。彼の口内をこれでもかと舌が暴れる。歯茎を、歯の裏を、加減も遠慮もなく、ただ己の情欲に身を任せて。
「はぁ……はぁ……マスター……」
彼の息がどこまで続くかなど考える容量を失った彼女は、闇雲に口内を蹂躙していく。
時折彼の口から漏れる、普段ならまず聞かないであろう淫らな声が、鼓動を早める。
空いた右腕を、彼が普段愛用している魔術礼装である白き服の上で這わせる。その度に彼の口から漏れる声に、右手が震えてることにも気づかずに。
端正な顔立ちも、今では朱色に染め上げられ、彼の口から漏れる吐息の匂いを感じるたびに、体が一段と熱くなっていくのを感じる。今この瞬間、彼の色気を醸し出す姿を見て、手を止められるものがいるのであれば、変わってやろう。いや、変わってやるつもりなどもうとうないけどね。と唾を飲み下す。
あぁ、愛おしい。たまらなく愛おしい。彼の全てが、今この時だけ私の全てに塗り替えられているのだと思うと、尚の事愛おしさが止まらない。
彼の肌を守る服のファスナーを下ろしていけば、そこにあるのは体のラインを強調するかのような黒いシャツが一枚だけ。それをまくり上げれば、程よく鍛え上げられた柔らかさを感じる人肌が熱を放っている。
その肌に右手を添えてみれば『んっ……』と喘ぐマスター。
「す、すまない!」
まるで腫れ物に触るがごとく、相手の調子を伺う理性が残っていたとはおもわなかった。
「大丈夫……、ただ、少しビックリしただけ……」
と、口にする彼の口周りがよだれで、いやらしく光を放っていることに、思わずもう一度口を重ねそうになったが、今は彼の体に集中するとしよう。
右手を脇腹の方へ手を這わせていけば、快感から逃れるように身をよじる彼を逃さぬよう、彼の体に腰を下ろした。
「あっ……、ふふ、マスター……」
股に感じる彼の熱が心地いい。私の不慣れな手付きでも、彼が感じていたという確固たる証拠が、股をお仕上げていた。
脇腹に添えていた手を徐々に下へと這わせていき、彼のズボンのチャックを戸惑いもなく下ろしてく。そして、トランクスから彼のイチモツを取り出し、右手に添えただけだというのに、一際大きな声が彼から漏れる。
「随分と立派なものをお持ちなのだな……」
「あっ、早く……」
「っ……、そう急かさないでくれ。先に私がどうにかなりそうだ。」
そもそも、今だって自分を保ててるのか怪しいというのに。
右手に彼の熱を感じながら……、ゆっくりと、手を動かし始めた時だ。
「デオン!! ここにいるかしら?」
「んな!?」
「ッ!!?」
二人にとっては聴き慣れた声が、部屋の外から聞こえてきた。
「あら? 中にいるのね。入っても、大丈夫かしら?」
唐突に訪れた第三者による介入は、高ぶった感情を一気に冷めさすにはちょうど良かったようで。
戦場で戦ってるというわけでもないのに関わらず、二人のアイコンタクトによる行動に迷いはなかった。
「ま、待ってくれマリー。少し部屋を片付ける時間をくれないかい?」
「ん? ええいいわ!」
すぐさま、身だしなみを整えお互いに服装の乱れがないかチェックを果たした後、わずかな行動で持って後のカバーストーリーを作り上げた二人を賞賛してもいいかもしれない。
もっとも、わざわざカバーストーリーなど作らずとも、二人して堂々としていれば問題なかったとは思うが……まぁ、急激に冷やされた頭でそこまで回ったのだ。何も言うことはないだろう。
不完全燃焼のままに、彼らの一夜はこれにて閉幕。
その燻った思いは、次第に大きくなるなど知らずに。
~続く~
一話で終わらすつもりだった。
でも、そうは問屋がおろしてくれないらしい(´・ω・`)
後編は、近日投稿予定