「ようやく終わってくれたか……授業がないのは嬉しいんだけど、新学期早々から延々と長話を聞かせ続けられるのは辛すぎるな」
春休みが終わり、数週間ぶりに顔を出した高校。
欠伸を噛み殺しながら、始業式という退屈な新学期最初のイベントが終わるのを待つという苦行を強いられていた。
始業式が終わった後は、担任もクラスメイトも特に変化のない顔ぶれのまま階層だけが変わった教室で、引き続き退屈なホームルームを過ごし、ようやく解放されたところだった。
「よし。それじゃ、そろそろ行くとするかな」
慌ただしくそれぞれの部活へと向かっていく他のクラスメイトたちに倣い、鞄を抱えながら教室を後にする。
――春休み開け最初の練習だ。しっかり気合入れないとな。
「お、おい昴っ。どこ行くつもりだよっ」
「あれ? 万里も今日は着いてくるのか? もしかして愛莉に何か用事でもあったのか?」
昇降口へ向かう途中で、春休み中も頻繁に行動を共にすることが多かった男の声に急に呼び止められ首を傾げる。
一緒に着いて行きたいならわざわざ俺に確認しなくても、来ればいいのに。
「……ったく。まだ気づいてねーのかよ」
「よくわからないのだが、とりあえず歩きながら話さないか?」
なぜか万里は呆れ顔で溜め息をついているが、どうしたのだろうか?
まだバス時間まで余裕があるとはいえ、あんまりダラダラしてられないんだぞ。
せっかくみんなが待ってくれてるのに、コーチが新学期早々遅刻なんて……
――あれ? 新……学期……だと?
「あ……」
「ようやく気づいたか。そうだ。これからは――」
「――学校で思う存分いっぱい万里と楽しめるんだなっ」
「そうだっ。ようやく認められたんだぜ。俺たちの苦労が遂に報われたんだ」
万里とがっしりと手を握り合っていると、なにやら周囲がざわついている様子に気づいた。
俺と万里を遠巻きに――主に女子生徒たちがチラチラとこちらを見ながら、こそこそと話しているが、俺たちと目が合うと慌てて目を離し逃げる様にその場から離れた……かと思ったら、やっぱり俺たちを妙に熱烈な視線で見ている。
何事だろうか? と二人で手を握り合ったまま不思議に思っていると――
「――ちゃんとバスケって主語を省かずに付けなさいよねっ!! 変な誤解されちゃってるでしょうが!!」
「ぐはっ!?」
そんな言葉と共に、すらりと伸びた細い足がこちらの顔面めがけて飛んできた。
直撃する寸前に奥の方に水色と白の縞々が見えた気がするが、あれはなんだったのだろうか?
蹴り飛ばされた拍子に俺と万里の手が離れてしまったが、目を回しながら地面に倒れている俺を起こすために、万里がすぐに手を繋ぎ直して引き起こしてくれた。やっぱり万里は良い奴だな。
それにしても誤解ってなんだよ。
「もしかして、前に見つけた落書きのことか? 俺と万里の攻めと受けを観たがってる奴の」
「あぁ、あれか。なら別に誤解でもなんでもないだろ。これからはいくらでも機会があるんだから見たければいつでも――」
「はいはい。バスケの話ね。だからちゃんとバスケって言いなさいよねっ」
なぜかやたらと『バスケ』と強調しているが、葵にちゃんと伝わってるなら別に問題ないと思うんだが、それより――
「なんか顔が赤いけど調子悪いのか? いくら始業式だからって無理しないで休んでも良かっただろうに」
「あんたたちの変な会話のせいでしょうがっ!! ――まったく、これから部室に向かうところだったんでしょ? 途中まで一緒に行きましょ」
なんで俺だけ蹴られて万里はお咎めなしなんだよ。と色々理不尽を感じるが、わざわざそれを口に出すような女々しい真似はしない。決して怖いからではない。
ゆっくり立ち上がり、軽く埃を払い落とすと三人で部室棟を目指し歩き出す。
道すがら俺たち三人の共通の話題である智花たちの話になるのはいつものことだ。
彼女たちのおかげで今の俺たちがこうして再びバスケと向き合えているのだから。
思いを馳せた少女たちの中の一人の笑顔が頭の中で浮かび上がる。
……智花。入学初日なのに疲れてないかな? 朝から制服を脱がせて、いっぱい俺の相手をさせちゃったんだし。もうちょっと優しくして上げた方が良かったかな?
別れ際の少女の寂しそうな顔が、俺の「また明日も待ってるよ」という一言でほんの少しだけ笑顔になってくれたけど、本音をいうと俺自身も明日まで彼女に会えないことに寂しさを感じてしまっている。
真帆や紗季に愛莉とひなたちゃんも、みんな元気かな? 入学早々、緊張したり、寂しがったりしてないだろうか?
ヤバい。考えただけで俺も不安になってきた。やっぱり俺は今すぐ慧心学園に向かうべきでは?
みんなの元気な姿を確認しないと安心できないぞ。
「こらこら昴。どこに行くつもりなの?」
「いや、ちょっと、やっぱりみんなのことが心配に……」
「愛莉たちなら大丈夫だから心配するな。ったく、愛莉たちよりもお前が先に我慢できなくなっちまってどうすんだよっ」
「すまん。わかってはいるんだが……だけど葵だって、今の六年生たちのことが気になるんじゃないのか?」
「私はちゃんと美星ちゃんに引き継いだから心配してないわよ。昴が深く考えすぎなの」
「もう俺たちの立場じゃ、簡単には入れないだろ。初等部ならともかく中等部は完全に美星さんの管轄外だしな」
せいぜいたまに顔を出して様子を見させてもらうくらいなら、文句は言われないだろうけど、さすがに頻繁に出入りするわけにはいかない。というのが二人の判断らしい。
確かにそれが妥当なラインだとは思う。
それこそ迷惑だと判断されて慧心の方から七芝の方へ連絡されてしまえば、今度こそ廃部になってしまうかもしれないし、それだけは絶対に避けなければならないことだ。
でも、やっぱり心配なのは心配なんだよ。
こんなことなら、智花だけじゃなくて、みんなの制服姿ももっとしっかり目に焼き付けておくべきだった。
わずかばかりの後悔を抱いていると、途中で女バス側へと行くために別れた葵も最後まで俺を心配そうに見つめていた。
もしかして最初に俺を蹴り飛ばしてくれたのも、気合を入れるためだったのか? ダメだな。葵も気に掛けてくれてたのに、全然気づけなかったなんて。
「お前のことだから絶対こうなるってわかってたから、あまり愛莉たちにのめり込むなよ。って言ってやったのに、まったく無駄だったじゃねぇか」
「返す言葉もない……悪いな――よしっ。気持ちを切り替えた。まずは部室の確認だ」
いつまでもどうしようもないことにウジウジしていたって意味はない。
きっと部活が本格的に始まってしまえば、智花たちのことを気に掛けてやれる余裕もほとんどなくなってしまうだろう。
だけど、例え彼女たちに会う機会が減ってしまったとしても、俺が彼女たちを大切に想う気持ちは絶対に変わらないんだ。
彼女たちが俺を必要としてくれる限り、俺は絶対に彼女たちを見捨てるようなことはしない。
だからといって、彼女たちのバスケを守るために自分のバスケを犠牲にする気もさらさらない。
そんなことを彼女たちにさせるわけにはいかないからな。
俺のバスケも彼女たちのバスケもきっと守ってやるんだ。
まぁ、理想は俺を頼らなくてはならないような事態が起こらないことなんだろうけどな。
およそ一年振りのもはや記憶の片隅に追いやられてしまっていて、当時をほとんど思い出せない部室のドアノブに手を掛ける――
「はは……。だいたい予想はついてたけどさ……」
「まぁ、こうなるよな」
おそらくあの日以来、人の出入りもほとんどなかった(せいぜい個人の荷物を回収する程度)のだろう。
惨状とまではいわないが、当時の副部長から告げられた事実に呆然自失としたまま退室したそのままの状態で、机や椅子と部室の至る所にまさに一年分の埃が降り積もっていた。
ヤバい。さっそく心が折れちまいそうだ。
嫌でも、当時味わった深い絶望と喪失感が再び呼び起され、心を蝕んでいく。
鼓動が早まり、今すぐにでもこの場から立ち去りたい衝動に駆られる。
もしこの場に俺一人しかいなかったら、迷うことなくそうしていただろう。
もしかしたら、俺たちより早く来て、一人でこの厳しい現実を突きつけられてしまい、再び心を折られてしまった生徒たちもいたのかもしれない。
隣にいる万里の表情を窺ってみると、拳を強く握り目をきつく閉じて、俺と同じく忌々しい記憶に必死に抗っているように感じられた。
自分の気持ちの整理もつかないまま、どう声を掛けようかと悩んでいると、不意にぱん。と力強く乾いた音が部屋中に響き渡る。
万里が力強く自分の両頬を叩き、気合を入れていた。
その清々しいまでの音に、動作に、俺の陰鬱な気分も一気に払拭されていく。
「うっしゃあっ!! さっそく始めるぞっ。昴っ!!」
「ああ!! わかってる。あまり時間も掛けてられないし、さっさと終わらせて、すっきりするかっ」
万里が言わんとしてることはわかってる。俺だって同じ気持ちだ。
一人でなら時間も掛かってしまうが、二人でならあっという間だ。
もしかしたら、俺と万里がしてるのを見て、他の生徒も混ざってくれるかもしれない。
そうしたら、さらに捗るかもしれないが、今はそんな贅沢は言ってられない。
万里がいてくれるだけで十分すぎるのだ。
――そして、俺たちは熱く滾らせた衝動のままに激しく体を動かし、部室の大掃除を始めた。
掃除なんて後回しで今すぐにバスケをしたいという気持ちがないわけでもないが、正直バスケなんていつだってできるんだ。
数日後にはちょうど一年前の俺たちと同様に、それぞれの様々な思惑を持った新入生だってバスケ部に訪れてくるだろう。
そんな時にバスケ部の拠点とも言うべき場所が廃れてしまっていれば、誰だって近寄ろうとはしない。
一年前の失意のどん底にいた俺が、智花たちのおかげで見つけることが新たな目標のためにも。
水崎先輩……あんたがぶっ壊したバスケ部を、あんたが教えてくれた方法で――いや、俺と智花たちで築き上げてきた、それ以上の方法で絶対に立て直してやるからな。
たとえ水崎先輩が見ていようと見ていまいと、もはやそんなことは些細なことだ。
俺の今にも消えそうだったバスケへの情熱の炎を、自分だって失う寸前だったのに、分け与えて再び灯してくれた彼女たちと共に歩んでいくためだ。
彼女たちに伝えたバスケがすごいものだって証明してくれたんだから、彼女たちが胸を張って俺のことを小学生時代のコーチだと言ってもらえるようにならないとな。
「正直、万里が俺の隣にいてくれて良かったよ。これからも、いつまでも俺の側で支えてくれ」
「おうっ! 任せろ、昴っ!!」
万里の力強く頼もしい返事に思わず心が高鳴る。
そうさ。万里がいてくれる限り、俺は絶対にもう挫けない。
――俺たちのバスケがここから始まるんだ!!