あれからどれくらい時間が経過しただろうか?
いや、どれだけ時間が過ぎようと、最低最悪な気分まま何も変わっていない。
ただただ後悔だけがいつまでも俺の心を苛み支配していた。
やはり変な気を起こさすに、さっさとこんなことを止めさせるべきだったんだ。
そもそも俺が智花を抱くこと自体が間違いだったんだ。
彼女の心の拠り所になりたい?
人に甘えることが苦手な少女が安心して自分を曝け出せる存在?
従順な少女に優しく声を掛けて、その実、自分から離れられないように縛り付けるような真似をして。
どんな綺麗事をほざいたって、結局は下心丸出しの最低野郎じゃねぇか。
彼女の淡い笑顔や、あどけない表情がどんどんと記憶から薄れて行き、代わりに恐怖や悲痛な表情ばかりが鮮明に思い起こされていく。
どうすればいい? どうしたら俺は…………許されたい?
ふざけんなっ!! また俺は自分のことばかり考えてやがるっ。
くそ。どうしたらいいんだよ。
取るべき行動も考えも何もわからずに、絶望に打ちひしがれていると、部屋のドアが開かれた。
「……母さんか」
「昴くん、少しは落ち着いた?」
聞かれて、ようやく記憶が少しだけ戻ってくる。
そういえば、智花が飛び出して行ってすぐに母さんが入ってきたんだったな。
何かあったのか聞かれたけど答えられないで、冷たくあしらっちまった気がするけど悪いことしちゃったな。
「あぁ。なんか母さんに酷いこと言っちまったかもしれないんだけど、悪かったな」
「ううん。何も聞かないで今は少し落ち着かせて欲しいって言われただけよ」
……まったくそんなわけないだろうに。
自分でも思い出せないけど、相当自分にイラついちまってたくらいの自覚はある。
だから、もしかしたら酷い八つ当たりをしてしまったのだろう。
「それで、話しづらいとは思うんだけど、智花ちゃんと何があったのか聞かせてもらってもいいかしら? ちゃんと花織さんともお話しないといけないことだから……ケンカしちゃったの?」
「そっか。そうだな。俺と智花だけの問題じゃなかったんだ……」
もはや二人だけで済ませられるレベルではないことをようやく察した。
俺は、智花どころか彼女の保護者である花織さんたちの信用を裏切ってしまったのだ。
俺と智花のことを信用し、毎日彼女を笑顔で送り出して俺たちを見守って下さっていたのに……
「……こんな息子を持ってしまった親としては情けないと思うだろうけど……聞いて欲しい」
自責の念に駆られるままに俺は全てを母さんに告白した。
多分に俺の主観交じりの状況報告になってしまうが、概ね正しいに違いない。
俺が勝手に興奮して智花を襲おうとしたと思われたに違いないのだから。
俺自身は当然そんなつもりはないけど、智花からしたらそうとしか考えられないだろう。
「バカな息子の不祥事に付き合わせちまって……本当にごめん」
俺の馬鹿げた報告を真剣な表情のまま一切口を挟まずに聞き続けてくれていたこともあってか、だいぶ俺も落ち着きを取り戻すことができていた。
最後に不甲斐ない息子を持った母親に対しての謝罪で懺悔を締めくくらせてもらうと、母さんは口元に人差し指を当てながら何度か頷いていた。
何を考えているのだろうかは、さっぱりわからない。そもそも今はまだ他人のことを気にする余裕なんてなかった。
「よかったー。昴くんもちゃんと男の子のところがあるのね。母さん安心しちゃったわー」
あまりにも間の抜けた声で放たれた一言に思わずこけそうになるが、踏み止まる。
「おいっ!! 今の話聞いて第一声がそれかっ!!」
せっかく降りた血がまた頭に一気に昇っていくのを感じる。
以前から感じていたことだが、大切な人様の家の子供のことをあまりにも軽く考えすぎだろ。
「ふふ。ごめんね。でも、きっと昴くんが考えてるような大事にはならないと思うわよ」
「大事とか規模の問題じゃないだろっ! てきとうな対応なんかして智花のトラウマにでもなったりしたらどうすんだよっ!!」
それこそ責任を取りたい。償いたい相手に対して一切の贖罪ができなくなってしまうのだ。
智花みたいな年の内から異性とのトラブルなんて…………………………え?
異性との、トラブル……?
すっかり記憶の奥底でなりを潜めていたあることを思い出し、その一点のみに思考が集中する。
「……どうしたらいいんだ? 俺。せっかくこれから盛り上げて行こうって時に…………またバスケ部を潰しちまうのか?」
しかも二度目となれば間違いなく廃部だ。
嘘だろ? 俺の手で今度こそ完全に息の根を止めちまうのか?
そう思った瞬間、反射的に勢いよくその場で立ち上がった。
「落ち着いて昴くんっ!!」
「落ち着いてられるわけねーだろっ!」
今すぐにでも智花に連絡して、学校への通報だけは勘弁して欲しいと頼まないと。
たとえ彼女たちに本気で幻滅されたとしても、これだけは絶対にダメだ。
俺一人バスケ部から消えるだけならいいけど、万里や他の奴らを巻き込むなんて絶対にダメだ。
仮に発覚する前に俺が退部したって、通報されちまったら間違いなくその時点でバスケ部は終わりだ。
監督や万里たちバスケ部員、父さん、考えられる限りで思い浮かぶ人物の全てに対して、心の中で謝罪を繰り返す。
かつて憧れだった水崎先輩……その人に絶望の淵まで一気に追いやられて……
結局俺はどこまでもあの人と同じ道を通っちまうのかよ……
いや、それ以下じゃねぇかっ!!
少なくともあの人たちは自分たちはその時は幸せだったろうし、今どうしてるかなんて興味はない。
でも俺は周囲を巻き込む大惨事を引き起こしちまうだけで、誰一人幸せにすることできてない時点で、あの人以下じゃないか……
そう思った瞬間全てがどうでもよくなってしまってきていた。
もう何もかも手遅れなんだ……
今更何をしても全て無駄だと悟ると全身から一気に力が抜け落ちて行くのがわかる。
いっそこのまま崩れ落ちて、本当に塵にでもなれればいいのに……
「昴くんっ!!」
普段からの母さんからは考えらないくらい強い力で両肩を掴まれ、強い眼差しで俺に視線をかぶせられた。
母さんの視線から目をそらすことができず、ただ息を飲み、次の言葉を待つ。
「お願いだから落ち着いて。昴くんにとって智花ちゃんもバスケも両方大切なのはわかるわ。だからそのどちらも絶対に無くならない」
「………………どうして、そう言い切れるんだよ?」
俺にはもうどちらか片方を選べるという権利すらない。ただ失うだけだ。
それなのに両方とも失わずに済む?
それは今の俺には絶対にありえない夢のような話だ。
母さんにそんなこと言われたって信じられるわけがないはずなのに、強い確信を持った断言に縋る思いで聞き返してしまった。
「まず二人にとって大切なバスケの方だけど、昴くんは智花ちゃんからバスケを取り上げることできる?」
そんなことできるわけない。
俺は智花のバスケを護るため。という目的のおかげで失いかけていたバスケの情熱を取り戻したんだ。
智花にはずっとバスケを続けてもらいたいと願っているし…………あ。
――智花も俺にバスケを続けることを望んでくれている。
「でも智花は休部になった理由を――」
知らないだろと続けようとしたところで、
「花織さんは知ってるでしょ。もしかしたら智花ちゃんにも話さないといけなくなっちゃうかもしれないけど、花織さんだって、智花ちゃんが元気になったのは昴くんのおかげだって言って下さってるのに、その恩を仇で返すような方ではないでしょ」
「……それに、もし智花が俺がバスケができなくなったと知ってしまったら、間違いなく自分のせいだと思い込んでしまう……か」
「うん。それもあるわね。智花ちゃん、とーっても優しい子だからね」
思わずため息が零れてしまった。
そんなに優しい子の信頼を裏切り、恐怖に怯えさせてしまったのか……
「なぁ、母さん。すごく情けないこと聞くけど……俺はいったいどうしたらいいんだ? もう自分ではどうしたらいいか、わからないんだ……」
今にも泣き出しそうな顔と震え声という、人前には絶対に見せられないくらいの情けない顔をしていることはわかってる。
自分は何をしたらいいか。もう自分で決められるだけの意志も判断もできなくなってしまっていた。
今の俺の状況だと誰かのために何かをしようとしても裏目にしかならない気がする。
智花のためと思った行動ですら、結局彼女を傷つけて自分を崖っぷちまで追い込んでしまったのだから。
「んー。智花ちゃんに謝りたいっていう気持ちもわかるわ。智花ちゃんから連絡が来たらいいんだけど、いきなり昴くんから謝りに連絡を取るのはダメね」
「え!? いや、でもすぐにでも謝らないとダメだろ。明らかに俺が悪いんだから」
「二人はもう少し落ち着いてから話した方がいいと思うの。まずは私と花織さんでやり取りをするわ。智花ちゃんもいっぱい悩んでると思うから、昴くんは智花ちゃんの気持ちが落ち着くのを待っててあげてね」
「……わかったよ」
反論の余地なんてなかった。
というか、つくづく俺は自分のことしか考えていないということを思い知らされてしまっていた。
俺が自分勝手にさっさとこの重圧から解放されて楽になりたいからと、一方的に彼女に謝ったところで、まだ気持ちの整理がついてない彼女を振り回してしまうだけだ。
俺は謝って楽になったと思っても、当然彼女の方には何かしらのしこりが残るし、全てが元通りというわけにはいかないだろう。
「昴くんも、ただ待ってるだけじゃなくて、しっかり気持ちに整理を付けておかないとダメよ。智花ちゃんだけじゃなくて、他の子たちのことも。みんな大切な子なんでしょ」
「当たり前だろ。……そうだよな。俺たちが考えないといけないのは、自分たちのことだけじゃないんだ……ありがとう母さん」
くそ。もっと落ち着け。
いつもみんなに偉そうに言ってたじゃないか『もっとよく考えて動くんだ』って。
落ち込んでる暇はないんだ。考えないといけないことはまだまだたくさんある。
今はまだ失いそうなだけで、俺がしっかりと手を伸ばすことができれば届くんだ。
「ちゃんと智花ちゃんと仲直りするのよ。私も智花ちゃんたちのこと大好きなんだからね」
「俺だってそうさ。いずれ別れないといけない日が来るかもしれないけど…………でも、こんな別れ方絶対に認めないっ」
思わず母さんの前で力強く言い切ってしまった。
口元に手を当ててにやにやと俺を笑っているが、甘んじて受けよう。
めちゃくちゃ恥ずかしいけど、俺の心からの決意を今更撤回する気はない。
本命の智花との復縁もだけど、まずは今回のことで間違いなく歪が生じてしまったであろう少女たちとの関係をしっかり修復しないとな。
彼女たちだって俺と智花の間に何かあっただろうことぐらい、すぐに気づくだろうし。
ちょっとずつ俺がまだ知らない部分も、少しずつはっきりさせていくとしよう。
翌日、予想していた通り少女たちの一人から連絡が入り、彼女たちの集合場所である公園に呼び出されるのだった。