智花からの告白を受けて一晩開けた朝。
心の中がもやもやしている中でも、日課の朝練だけは辞めるわけには行かなかった。
一年間ずっと彼女の、彼女たちの本気の想いを見続けて、もう二度とバスケを捨てないと心に誓ったから。
ロードワークから戻ってからは、淡々とシュート練習を行う。
打ったシュートのその悉くがゴールネットを絡めるように擦りながらリング内を射抜き続ける。
何一つ問題ない。
精神面では去年の4月以来の絶不調そのものだが。
それでも少なくともシュートは打てる。
ガキの頃から理想を追求し続けてきていたフォームは体にしっかりと焼き付いているためか、多少心が乱れた程度で崩れる様なものではなかったようだ。
「――だからどうしたって話なんだけどな……」
たまたま今日はいつも通りにできただけで、明日は? 明後日は? 今後もこれまで通りにできるという保障にはならない。
そもそもこんなに効率の悪い状態で自主練してるところを監督に見られでもしたらどうなることやら。考えただけでも恐ろしいな。
目の前のバスケのことだけに集中し淡々とシュートをしているはずなのに、どうしても智花のことが頭から離れない。
考えてみたら当然だ。俺にとってバスケと智花は強く結び付き過ぎてしまっているのだ。
バスケに集中すればするほど、それだけ俺は智花を強く意識してしまっていたのだ。
「……これで100本目」
ほぼ惰性によるものだが、それでも日頃から自分に課しているノルマ分だけは消化し、それが終わると早々に朝練を切り上げるのだった。
*
「なぁ、愛莉から聞いたが……湊さんとケンカしちまったんだって? 悪かったな。二人に迷惑掛けちまったみたいで」
俺と智花の状況はどうやらすでに万里にも伝わっていたようだが、まぁ当然か。
問題はどこまで伝わってしまっているかだけど……智花に告白されたことまではさすがに伝わってないか。
バスケ部に身を置く者としては、はっきりと話すべきかもしれないが、やっとの想いで伝えてくれた少女の淡い恋心を暴露するようなバカな真似もできない。
「あぁ……まぁ、ケンカというか、その……無駄に不安がらせちまったと思うけど……バスケ部存続の危機だけは絶対にないから、そこだけは安心してくれ」
智花の優しさと花織さんの善意のおかげだけど。と心の中で付け足しつつ、妙な不安や誤解を与えたくないという考えもあるが、それ以上に自分の行為の後ろめたさから、余計な情報を与えないよう思わず予防線を張ってしまった。
原因はともかく俺が智花を穢すような行為をしてしまったのは事実だから、学校に連絡されてしまった時点で俺は完全に居場所を失ってしまう。
いや、それだけならまだマシだけど、俺の浅はかな判断と行為が万里を含めたバスケ部にまで多大な影響を与えてしまうところだったのだ。
「ん? あぁ、お前のことだから別にそこは心配してねぇよ。ただお前と湊さんがケンカってのが、全然想像できなくてな」
俺だってあんなに礼儀正しくお淑やかな彼女が誰かとケンカする姿なんて想像できねぇよ。
拒絶されることに対して極端なまでに怖がり怯えているから、誰かと衝突しそうになったら真っ先に自分から引いちゃう子だ。
そんな子が拒絶されることを覚悟の上で、俺に――くそっ。
「……少しだけお互いの気持ちにズレがあっただけさ。週末にもう一度だけ話し合って……それで全て片付く」
「……そうか。ま、こっちのが年上なんだから、ちゃんと昴の方から歩み寄ってやるんだぞ」
バカっ。歩み寄ったら俺たちは終わりなんだよっ!! 反射的に出そうになった言葉を押しとどめる。
俺が選択を誤ったらその時点でバスケ部が終わるまさに瀬戸際だというに……いや、万里もわからないのだから仕方ない。
大切な妹にずっと冷たい態度をとってしまっていた罪悪感もあるだろうし、その上で善意で俺の力になろうとしてくれているだけなんだ。
せっかく万里が俺を信用してくれていると言ってるのに、このままだとまた余計なことを話しちまいそうだ。
「――っと悪いな。結局避けてばっかりで歩み寄ってやれなかった俺がそんなこと言う資格なかったな」
俺が余裕のない表情をしていたせいか、どうやら彼にいらない誤解を与えてしまったようだ。
気まずい表情をしている万里に苦い記憶を呼び起こさせてしまったことを心の中で詫びる。
「いや。お前の言うとおりだよ。……できる限り善処するつもりさ」
それでもきっと俺は彼女の想いに応えてあげることはできないけどさ。
――ダメだ。今の俺にこの話題は辛すぎる。
「終わったら全部話すから……いや、話させて欲しい。……だから気になるだろうけど、頼むからもう少しだけ待っててくれないか?」
この話題はここまでにして欲しい。と勝手に締めさせてもらおうとしたところで、最後の最後で万里が俺の心に大きな揺さぶりをかけてきやがった。
「昴。お前なんか無理してねぇか?」
無理? 無理ってなんだよ。
これは無理でもなんでもない。必要なことだっ。
「そんなわけないだろ。ようやくバスケ部が軌道に乗り出してきたんだ。早く智花と仲直りして、しっかりバスケに集中するんだ」
「おいっ――」
何かはわからないが、おそらく今言われたくない言葉を万里から発されてしまいそうな予感がし、素早く万里を無視し逃げるように部室へと歩き出す。
部室についてしまえば、問題の有無に関わらずこの手の話題は未だに禁忌だ。
万里が言葉を続けられなくなったことに安堵しつつ、結局はっきりと智花をフると彼に明言できずにただ逃げてしまったことに気づく。
――結局俺は最後の一歩を踏み出せていないじゃねぇかっ!!
途端に自分に腹立たしさを感じた。
そんな想いもあってか、彼女への未練を断ち切るつもりで、全て捨てるつもりで部活に臨んでいたというのに――
「ふむ。一心不乱にヤケクソになるのも一時的にはいいが、何か縋り付けるもの……心の拠り所と言ったようなものがないとそのまま最後の最後で朽ち果ててしまうぞ?」
嘉堂監督の言葉で真っ先に智花の顔が浮かんでしまったが、すぐにかぶりを振る。
俺のその様子に何を思ったかはわからないが、彼はそのまま言葉を続ける。
「昴君は今まで何度も倒れそうになっても、その何物にも代えがたい存在のおかげで、踏み止まることができたはずだが……それを捨ててしまうと、もはや君には何も残らんぞ」
どうしてみんなして俺に『七芝高校男子バスケ部の長谷川昴』としての正しい選択をさせてくれないんだっ。
あんなことがあった以上、俺はもう彼女と一緒にいられないのに……
「……それならぶっ倒れる前に新しい拠り所でも見つけますよ。少なくとも智花を……あの子をいつまでも拠り所にすることなんて初めからできなかったんですから……」
まるで俺の言葉がどこまで本気なのか見定めるかのような視線を浴びせ続けていたかと思うと、唐突にふっと諦めたような溜息を吐いた。
「まぁ、昴君がそう思っているならそれでいい。関係ないことじゃが、銀河は、君の父親は思い切り縋り付いておったし、その上で全てを背負い込むことを覚悟しておったぞ」
「……親父の偉業は目標ですけど、俺は別に親父になりたいわけじゃないですよ」
「かかっ。そうじゃったな。君は君の道を進むといい。そのための指導に儂も持てる全てを尽くしておるのじゃからな。せいぜい潰れぬようにな」
嘉堂監督から『潰れる』という単語が発された瞬間、ヤバい。この人マジだ。と直感的に悟らされると同時に体が縮み上がった。
この時ばかりは、一番の悩みの種であったはずの智花のことさえも意識の彼方へ追いやられてしまうほどの恐怖を感じさせられたのだった。
そして、その恐怖のせいか一時的にクリアになった思考で周囲を見渡すと何やら周囲がざわついている気がする。
万里もやっちまったな。と言わんばかりに顔に手を当てながら俯いてしまっていた。
そこで自分があろうことかこの場で思わず智花の名を口にするという大失態をやらかしてしまったことに気づく。
「女か……」
「くそっ!! これだからイケメンは」
「長谷川の奴、荻山さんと付き合ってたんじゃなかったのか……」
「まさか二股かっ!?」
「いや、こいつに限ってそんなことはないだろ。こいつバカだし」
「じゃあ、もしかして荻山さん、フリーなのかっ!?」
「よし。俺ちょっと荻山さんに告ってくる」
嘉堂監督と万里を除くバスケ部員ほぼ全員の疑惑や嫉妬の視線が言葉が痛い。
唯一幸いなのは智花という名の女性が、実は去年までランドセルを背負ってるような年齢の少女である。ということを知っている者が、この場では俺と万里しかいないということだろう。
一部何やら色々と勘違いした憐れな人間もいたようだが、あえて忠告してやる必要もないな。
せいぜい五体無事で還ってきてくれることだけは心の中で願ってやるとしよう。
「かかっ。どうやらお主らは、まだ騒ぐだけの元気があるようじゃな。実に結構。元気なのはいいことじゃ……のう?」
そんな声が聞こえたかと思うと、一瞬にして体育館中が凍りついた。
絶対に声の出所を認識したくはないと本能が拒絶しているのだが、本当に無視してしまうと間違いなく、もっと『悲惨な事態』になってしまうだろう。
ゆっくりと声の方を振り返ると嘉堂監督が、それはそれはとても楽しそうな愉悦に満ち足りた表情をされていらっしゃった。
その姿を視認した瞬間、全身が凍りつき指一本どころか声を出すことすらできなくなるような恐怖に襲われたのは多分俺だけではないだろう。
結果的に他の部員からの追求を免れることができたのは幸いだった……のかもしれない。
やっぱ……いずれみんなにもしっかり説明しないとダメだよな。
仲間同士の信頼関係や絆を信じ、その強さを間近で見続けていた俺がいつまでもこんな隠し事めいたことをし続けるわけにいかないよな。
なお、先走ったバカは案の定、物理的にも精神的にも玉砕したようだが、無事バスケ部に戻って来てくれたから問題なしとしよう。
*
「……告白してくれた女の子を極力傷つけずに穏便にフるにはどうしたらいいと思う?」
帰宅後、何でもないような雰囲気を装いつつ夕食が並べられたテーブルを挟んで目の前にいる恋愛経験者に気の迷いで聞いてみた。
「昴くんは智花ちゃんのこと嫌いなの?」
「嫌いなわけないだろっ」
俺が愛想を尽かされるのならともかく俺から智花を嫌うことなんてあり得るわけないだろっ。
「それじゃ、どうして昴くんは智花ちゃんのことをフりたいのかしら?」
「告白を受けちまったらお互いに周りを巻き込んで不幸になっちまうからだろっ!!」
あまりにも神経を逆なでさせてくる言葉にこちらも思わずイラつきながら返してしまう。
事情を知ってるくせになんでそんなわかり切ったことを聞いてくるんだよっ。
やはり母さんに相談しようと思ってしまったのは自身の気の迷いだったと心底後悔する。
「昴くん」
「……な、なんだよ」
普段の母さんからは考えられないくらい強い威圧感を感じ、思わずたじろいでしまう。
「今の昴くんが智花ちゃんの本気の想いに返事をするなんて、すごく失礼なことよ」
耳が痛すぎる。まったくもってその通りだ。
「そんなのわかってる……だけど」
そうしないと俺は全てを失うんだ。
俺は……俺たちは二度とバスケを失うわけにはいかないんだ。
そんな俺の悲痛な想いに気づいてくれているはずなのに、なんで母さんまで俺を迷わせるようなこと言うんだよ。
「ねぇ、昴くん。別にだれも昴くんと智花ちゃんが付き合っちゃダメって言ってないのよ?」
……………………………………え?
母さんから発されたあまりにも予想外すぎる一言で思わず思考が止まる。
代わりに今まで何度も試行錯誤して必死に解こうと右往左往して結果的に余計に複雑に絡み合い、きつく結ばれてしまった糸が急に勝手に解れ出してしまったような、そんな不思議な感覚が湧き上がる。
確かにまだ誰にもダメとは言われてないが……やっとの思いで初めて母さんに打ち明けられたのだ。
仮に葵に話そうものなら思い切り蹴り飛ばされながら「絶対に付き合っちゃダメよ」と言われるに決まってる。
他のバスケ部や教師だって俺の口から『中学生から告白された』なんて言葉が出たら、嫌でも『廃部』の二文字が真っ先に思い浮かぶに違いない。
やはりどう足掻いても俺と智花が付き合う。という選択は考えられない気がする。
「昴くんは、私や花織さんが二人は付き合ってもいいわよ。と言っても、やっぱり付き合えない?」
「それは……」
思わず言葉に詰まる。
一般的には付き合うべきではないのだろうし、俺がもし第三者の立場なら、そう判断する可能性が高い。
だが、実際に自分の身に置き換えると……
互いに両想いで、しかも身内からの理解も得られている状況なのに、他人から付き合うな。と言われたところで……
「い、いや。でも付き合うってことは……その、れ、恋愛……恋人関係になるってことだろ?」
ヤバい。今まで経験どころか考えたことすらなかっただけに口に出すダメでもメチャクチャ恥ずかしいぞ。
「そうね。付き合うことになったら、昴くんと智花ちゃん、二人は恋人同士ね」
と、智花と恋人にっ!?
いやいやいやいや絶対にダメだろ。
いや、智花が俺の恋人として不釣り合いとかそんなんじゃなくて、むしろ俺の方が分不相応と言うか身の程を知るべきであって。
花織さんはともかく忍さんが……いやいやいやいや、もしかしたら花織さんなら許してくれそうかな? とか勝手に思っちゃったけど、さすがに花織さんだってそこまでは……
「昴くんはもし智花ちゃんと恋人同士になったら、いきなり子供を作るようなことをしちゃうのかしら?」
「――ぶっ!? な、なななんてこと言うんだっ!! んなことできるわけないだろっ!!」
俺をからかうように口に手を当て笑いながら、とんでもないことを口走りやがった。
いきなりなんつーこと言い出すんだ。
そんなことしたら学校どころか社会そのものから一発退場に決まってるだろっ!!
そもそも智花相手にそんなことできるわけないだろうがっ!!
智花は俺にとって大切な………………あれ?
大切な――
そう。俺の心救ってくれた恩人であり、最高のパートナーだ。。
智花が卒業し俺もコーチとしての役割から解放された今も、お互いにいつまでもずっと側に居て欲しいと望んでいて……
つい先日だって、いきなり理不尽に引き離されそうになった途端、もしかしたら俺たちは一生会えなくなってしまうのでは? と勝手に勘違いした挙句、お互いに必死になって一緒にいられる方法を考え合いもした。
単に休日に会えばいい。というすごく簡単なことにすら自分たちでは気づけないくらい余裕を失っていたのも今となっては恥ずかしい思い出だ。
「お願いだから、もうちょっとだけ真剣に自分の気持ちと向き合ってみて。ね? バスケ部のことも大切だと思うけど……それだけの理由でフラれちゃう智花ちゃんもかわいそうよ」
あまりの自分の身勝手さに母さんから指摘されて、ようやく気づくと同時に自分に落胆する。
……やっぱり俺、智花と付き合う資格ないんじゃないのか?
理不尽に智花と引き離されそうになったり、嫌われそうになったら大慌てで繋ぎ止めようとしてたくせに、いざ彼女が俺に好意を伝えてくれたら、今度は自分から離れようとするなんて……
ほんとなにやってんだろうな。
「……もし俺が、本気で智花のことが好きで付き合いたいって言ったら……親としてどうするつもりなんだよ」
少なくとも俺には親の反対を押し切ってまで駆け落ちをするようなバカな行動はできない。
きっと智花もいくら好きになった相手のためとはいえ、ご両親や友人に迷惑を掛けることはできないだろうし、間違ってもそんなことをさせるわけにはいかない。
お互いに相手の恋心に気づき合って、その上でただ理不尽に別れさせられるだけなんて、そんなの無駄に傷を大きくするだけじゃないか。
「だから私と花織さんも加わって一緒に話し合うのよ。私たちだって二人には後悔のないように幸せになってもらいたいのよ?」
「……まるで俺と智花がもう付き合うことが決まってるみたいな言い方じゃねーか」
母さんが俺と智花が付き合うことを肯定的に考えてくれていることが、自分でも驚くくらい嬉しくて、でもそれがバレてしまうのがたまらなく恥ずかしい。
そんな想いからつい拗ねたような言い方をしてしまった。
「そうねぇ。智花ちゃんからは好きです。って言われてだけで付き合ってほしい。とは言われてないものね」
「くっ……」
あぁ、そうだよ。好きだとは言われたけど、まだ『恋人として付き合って欲しい』とまでは言われてないさ。
それなのに勝手に付き合って欲しいと言われたと勘違いして返事をするとまで言っちまったさ。
でもさ、告白された時点で十中八九そういうことだろっ。
そう思ってもいいだろ。
「まぁ、多分昴くんが考えてる通りの意味だと思うけどね。だから女の子のこと簡単にフろうとしちゃダメよ」
なんかここ最近ずっと母さんの手の平の上でいいように踊らされてしまっている気がするのが正直悔しいが、それでも感謝の気持ちの方が上回ってしまっていた。
危うく俺は自分の気持ちを誤魔化すためだけに、取り返しのつかない選択をしてしまうところだったのかもしれないから。
「自分でもバカなことするところだったと本気で思ってる。踏み止まらせてくれてありがとう」
「またいつでも相談してくれていいわよ。女の子は恋の話が大好きなのよ」
なに言ってんだ。もう女の子って年じゃ……いや、これ以上は止めておこう。
俺が良からなぬ想いを抱いたことを察知したかのように、顔は笑顔のままだが目が笑ってない。
なんにせよ、これで俺は週末までの残りの期間をフルに使って、自分の気持ちを考えることだけに専念できる。
その後も散々悩み続け、迷ったり誤魔化したりしながら、たくさん寄り道や回り道もしたけど、ようやく今の自分の本心を見つけることができたのだった。