『この度は本当にすみませんでしたっ!!』
長谷川家の玄関口を境に内と外で同時に二つの声が上がる。
内側からの声は当然俺だ。
ドアが開き相手を確認してからすぐに謝罪の言葉を発しながら頭を下げたから確認はしていないがもう一人は智花で間違いないだろう。
俺が彼女の声を聞き間違えるわけがない。
その事実に気づくと同時に僅かばかり憤りを感じずにはいられないことがあったが、それでもたっぷりと約五秒間しっかりと頭を下げ続ける。
そうしていると今度は同じく内と外でまるで微笑ましいものを見ているかのようなくすくすと笑い声が聞こえてくる。
「――っておいっ」
思わず、なに笑ってるんだよと顔を上げ母さんに突っ込みを入れると、
「――お、お母さんっ!?」
おそらく俺と同様に深々と頭を下げていたであろう智花も慌てて顔を上げ花織さんに声を掛けていた。
「あらあら。二人は本当に仲良しさんね。謝る時のポーズも一緒だったわよ」
「ふふ。昴さんはとても誠実な方ですね。智花やこの子の大切なお友達のこともお任せして本当によかったですわ」
二人は俺たちの反応を特に気にするわけでもなく、楽しそうに母親同士の会話を始め出してしまう。
何を言ってるんだこの二人は!? 母さんも息子の不祥事に対して何もないのかよ。
花織さんだって、信用して送り出した大切な一人娘があんな有様で帰ってきた時は気が気でなかったろうに。
智花の方を見てみると、やはり彼女の方もあわてふためいていたが、当然だろう。
子供の方が相手側に粗相をしてしまったと必死に謝ろうとしているというのに、そんなのどこ吹く風という態度なのだ。
どこまでもマイペースを貫き通している二人に、すみませんと謝りながら困り顔を向けてきた智花とどうしたものかと悩んでいると、ようやく世間話もひとまず落ち着いたようだ。
「ほら、昴くん。お客様をいつまでも玄関で立たせてちゃ失礼よ」
「それでは少しだけお邪魔させて頂きますね。智花も、ちゃんとお話ししたいことがあるなら、立ち話で済まさずに相応の場所でさせて頂かないと失礼でしょ」
互いにほっと安堵の溜め息ついていると、今度は逆にワンテンポ行動が遅れた俺たちが急かされることに理不尽を感じたが、話を進めるためにもグッと我慢。
これ以上余計なことに時間を取られるよりも目の前の大切な人との将来についてをしっかり話し合うために時間を割かなければならないのだから。
*
「先日は娘が大変な粗相をしてしまい申し訳ありませんでした」
「ちょっ!? あ、頭を上げてくださいっ。粗相をしてしまったのは俺の方なんですからっ」
四人でリビングのテーブルに付き腰を下ろし一息ついたところで、どう切り出そうかと悩んでいたらいきなり花織さんに頭を下げられてしまった。
「そうよねぇ。昴くんはどちらかというと役得だったものね。智花ちゃんの方がすごくビックリしちゃったでしょ?」
「ふぇぇっ!? そ、そそそれは……その…………………………はい」
智花……その、ほんとごめん。あと母さんは頼むからあまり俺の心証が悪くなりそうなことを言わないでくれ。
役得って、そりゃ確かに最近は智花のこといっぱい抱いちゃってたし、その結果思わず体が正直になっちゃったけどさ。
「役得と言うにはちょっと物足りなかったんじゃないでしょうか? あのアピールはもう少し発育が良くなってからじゃないと効果ないわよ」
「わ、私だって気にしてるのに、そこまではっきり言うのっ!? ――はぁうっ!? す、すみません大きな声を出してしまいましたっ」
「うふふ。花織さんがこんなに素敵な方なんですから、智花ちゃんだってすぐに大きくなるわよ。それに昴くんにはちゃんと効果があったもの……ねぇ?」
「頼むからそこですごく答えづらいことを俺に振らないでくれ」
確かに意識してしまったのは事実だけど、だからといって俺は智花の体が目当てで何度も抱き続けたわけではないのだ。
ここで俺が認めてしまえば、今後智花が俺に甘えること目的で抱かれることに抵抗を感じてしまうではないか。
ただ彼女がなんとなく人肌が恋しくなったり、不意に寂しさを感じた時に安心して温もりを得られる存在でありたいのに、身の危険を感じさせるようなことがあっては元も子もないのだ。
「うん。もうとっくに二人の間でちゃんと仲直りも済んでるみたいだし、いつまでも私たちが突っつき回すようなことしてもかわいそうね」
「ふふ。そうですね。あんまりからかいすぎるとまた智花に拗ねられちゃいますし、これくらいにしておきますか」
どうやら母親たちの間でもこの件はすでに片付いてしまっていたらしく、むしろ俺と智花が本当に復縁できているのかを確認していたのだろう。
だからといって俺たちがそれぞれで晒してしまった醜態をイジられ続けるような確認方法は正直勘弁して欲しかったが、それもようやく終わってくれるようだ。
「元はといえば忍さんが変なこと言って智花を焦らせたのが悪いんだものね」
「え? 忍さんが?」
確かにあの時の智花の行動は未だに違和感が残っている。
いくら友人たちに唆されたとはいえ慎み深い少女が、あそこまで露骨に彼女からしてもはしたない真似をするとは思えなかった。
まぁ男の入浴中に背中を流しに来たり、一緒の部屋に泊まりにくることはあったが、それでも最低限の節度は保たれていた……と思う。
色んな要因が複雑に絡んだ結果だとしても、やはり彼女があそこまでの行動に至ってしまった理由はなんだったのだろうか?
そんな疑問を抱いていた中、花織さんの口から思いもよらない人物の名が出てきたのだ。
俺が本当に信用に足る人物か試すため?
いや、あれだけ智花を溺愛している方がそんなことのために大切な娘を差し向ける様なバカな事をするはずはない。
そもそも忍さんが俺と智花の交際自体を認めるとは思えないし、なら俺を試す必要性はどこにもない。
忍さんがいったい智花に何を話したの皆目見当もつかない俺に花織さんからの回答が出てくる。
「実は忍さんったら、もう智花のお見合い相手を探すなんて言い出してるのよ」
「ええっ!? ……あ、いえ、す、すみません。……そ、そうですか。智花がお見合い……」
いくらなんでもまだ早すぎるんじゃ……。いや、格式高そうな家だし跡取りとかそういうのも早い段階で決めなくてはならないものなのだろうか?
しかしどこか腑に落ちない感がある。
花織さんはどちらかというそういう家訓に対しておおらかな気がするし、忍さんは厳しそうだけど、それでもやっぱり最終的には智花の幸せを望んでくれると思う。
………………ちがうな。
必死に否定材料探してるけど、俺の一番の本心はこうだ。
俺と智花はあくまでもコーチと教え子という関係までしか認められていないのだから。彼女がお見合いするというのなら、俺は自分の意志関係なく大人しく身を引くしかなくなってしまう。
花織さんから告げられた一言で一瞬にして智花が遠い存在になってしまったような感覚に陥ってしまった。
「……昴さんは本当に智花のことを大切に想って下さっていらっしゃるみたいですね」
思わず曇らせてしまった表情から俺の思考を察したのだろう。
智花に良く似たどこか寂しさを感じる笑顔をしていた。
「それで昴くんはどうしたいの?」
母さんが俺の意志を確認してきたが、そんなのは決まっている。
彼女の幸せを願うことが最優先にされなければならないのだから。
「こんな話されちまった以上――」
俺はもう彼女の気持ちに応えることなんてできない。
そう続けようするよりも早く、
「あ、昴さん。忍さんの考えなんて気にされなくていいですよ」
「――え?」
なんかとんでもないことを言われた気がする。
別に智花のお見合いのことは気にしなくてもいい?
「いやいやいやいやっ。俺みたいなのが智花の周りにいたと相手に知られてしまったら間違いなく邪魔になってしまいますしっ」
おそらく忍さんなりの智花の幸せを願っての行動なんだろうし、それを阻害するような真似はできない。
お見合いを防ぐ手段なんてそれこそ駆け落ちするくらいのレベルじゃないと到底無理だろうけど、俺にはそんな馬鹿な真似できない。
「うふふ。娘の心を掴まれてしまいそうな男を必死に牽制してるだけですから無視して下さって結構ですよ。忍さんも昴さんにこうやって直接伝えればいいのに、智花にだけ話すんですから。そんなことしたらかえって逆効果になってしまうのに、そんなこともわからないんですよ」
「それだけ智花ちゃんのことがかわいいんでしょうね。昴くんみたいな元気な男の子もいいけど、やっぱり智花ちゃんみたいなかわいい子もいいなぁ。銀河くんとがんばってみようかしら?」
花織さんはくすくすと笑い声交じりにどうやら湊家でもお見合いは忍さんが一人で必死に推し進めようとがんばっているようだが、具体的な行動はまだほとんど起こしていないらしいことを加えて話してくれた。
それを受けた母さんも花織さんの笑いにつられるように笑みを零しつつ、とんでもないことを口走りやがったが、さらにややこしくなりそうだったためスルー。
花織さん「あらっ」なんて喜んでないで、真っ赤になったまま固まってしまった智花に気づいてあげて下さい……。
「い、いえ。でも聞いてしまった以上無視はできないというか、なんというか……」
変な方向に脱線してしまった会話を戻そうと、自分なりに智花のお見合いに対して正直な気持ちを伝えようと思ったのだが、いまいち考えがまとまらない。
花織さんから変な話され方をしまったせいだろうか、お見合いと聞いた瞬間絶対に届かないと思っていた壁が、今なら簡単に飛び越えられそうなくらい低くなってしまっているような錯覚に陥っていた。
俺と智花がお互いに引き寄せあっているのを間に入って必死に智花を押し留めようとしている忍さんの姿が浮かぶと同時に、そんな彼をほんの一瞬とは言え小さな存在に感じてしまったことを内心で全力で謝罪する。
「昴さん。ご迷惑を掛けてしまって本当にごめんなさいっ! お父さんから来年までにはお見合いする人を決めておくから、そのつもりでしっかりと心構えをしておくようにと言われてしまって……。それならせめて昴さんに私の気持ちを知って頂けたらな。って思っていたんですが、昴さんに優しく抱き締めてもらってる内に寂しい気持ちやもっともっと甘えたい気持ちがどんどん大きくなってしまって……。」
どうやら急に話された俺とは違い、智花はお見合いという話題に対してすでに自分の気持ちをしっかりとまとめていたのだろう。
彼女が一言ずつゆっくりと自分の気持ちを告げる様子を見ながら、俺は、ここ最近の慌ただしい日々を思い出していた。
ちょうどミホ姉の朝の送迎期間が終わる直前辺りからだろうか?
その頃から不意に智花が恥ずかしそうに「甘えさせて欲しい」とおねだりする頻度が増えてきた気がする。
もしかしたらその時には忍さんからお見合いの話をされ、俺と一緒にいられることができなくなることに一人危機感を抱いていたのかもしれない。
「ごめんな。智花がそんな想いしていたのに気づいてあげられなくて」
「い、いえっ。ちゃんと昴さんにお話できなかった私が悪いんですし。……そ、それに、もし昴さんがお見合いのこと知っちゃったら、もうこうやって抱きしめてもらえなくなっちゃうんじゃないかな? って思ってしまっていたので…………うぅ……すみません」
恥ずかしそうに俯きながら、どこまでも俺に甘えたいという想いを包み隠さず話してくれた少女に思わずこちらも赤面する。
「昴さんに抱きしめてもらってる時に……ふと思ってしまったんです。ほんの少しでも、こ、恋人さん同士の気分を味あわせて頂ければ、きっとこの先昴さんに会えなくなってしまっても、我慢できるんじゃないかな? って、そうしたら思わず身体が勝手に……す、昴さんの温もりや……その、に、匂いをしっかり自分に染み込ませようと……はぅぅぅぅ」
「そ、そこまで詳しく説明しなくてもいいからっ!?」
羞恥心のあまり判断力が低下してしまっているためか、智花は思ったことをそのまま口走ってしまっているのだが、その内容がこちらとしてもあまりにも恥ずかしすぎる過激なものだった。
「あの時……昴さんに窘められてしまった時に……やっぱり私は昴さんの恋人にはなれないんだな。って気づいて……でも、ちゃんと私の気持ちだけはお伝えしないと思ったのですが……その、す、昴さんの……お、おち――」
「――うんっ。だいたいわかったからそれ以上は言わなくていいからっ!!」
智花みたいなお淑やかな少女にあんな単語を口走らせてはいけないと本能が全力で拒否し、強引に会話を滑り込ませ言葉を遮る。
「――はぁうっ!? ご、ごめんなさいっ!! わ、私ったらまた……は、はしたない言葉をっ」
どうして俺が大慌てで彼女の言葉を遮ったのか気づいたようだ。
大丈夫、完全には口走ってないからセーフだ。
そして、俺も今更ながらに思い出す。
「ふふ。若いっていいですわねぇ」
「とても初々しくていいですよね。ちょっと過敏すぎる気もしますけど昴さんの優しさが本当によく伝わってきますわ」
俺と智花が慌てふためいている様子をそれはそれはとても楽しそうに微笑ましく眺めていらっしゃる母さんと花織さんの存在を。
どうやら俺と智花が二人だけの世界に入ったのを確認すると同時に傍観に回っていたのだろう。
「それじゃ、あとは若い二人にお任せしましょうか。昴くん、まだ智花ちゃんに手を出しちゃダメよ。もう少しの辛抱だからね」
「そうですね。智花、ここが勝負どころよ。しっかり頑張るのよ」
「ふぇぇっ!?」
「あんたらはいったい何を言ってるんだあっ!?」
母親たちから好き勝手な言葉を投げかけられ固まる俺たちに対して、
「私たちがいると話しづらいこともあるでしょ? 二人っきりにしてあげるから、ちゃんと気持ちを確かめ合いなさい」
「あ。二人とも、どうなったかの報告だけはお願いしますね。それを確認した上で私たちもしっかりとした対応をしなくてはいけませんので」
そんなことを言いつつ、どうやらこの場から一歩も離れるつもりはないらしく、椅子に座ったまま俺たちがどう動くかを楽しそうに眺めている。
二人の視線が俺と智花をというよりも、どちらかというと俺の方に集中している……気がする。
心なしか俺に期待の眼差しを向けているような――
――あぁ、そうか。要するに俺がリードしろと。
「智花、行くぞ」
「ふぇ? あ、はいっ」
智花も急に解放されてどうしたらいいのかわからない。といった様子だが困惑しつつも俺の言葉に従ってくれた彼女の手を引く。
背中から感じる熱い二つの視線に気づきつつも、振り返らず極力無視することに努めながら俺は彼女を自分の部屋に連れ込んだ。