「はぁ……なんか、どっと疲れたな」
「あはは。私もここまで大事になっちゃうなんて思わなかったです」
ようやく俺たちのことをからかい混じりに好き勝手言い続けていた母親たちから解放され、自室で腰を下ろし一息つく。
俺に倣い隣に腰を下ろした少女もすっかり疲れ切っているようだ。
居心地の悪いリビングを離れ俺の部屋に来れたことに安堵していた。
結果的に俺も智花も自然体で話せるようになったのいいのだが…………正直もう少しマシな方法はなかったのだろうか?
後で智花と花織さんが帰ったら母さんに文句の一つでも言ってやろうと心に固く誓ったところで、気持ちを切り替える。
さて、俺もちゃんと向き合わないとな。
「それで……その、す、昴さん。前にお電話させて頂いたときにお伝えしましたが……。その、も、もう一回。今度はちゃんと昴さんのお顔を見て、しっかりと言わせて頂きたいのですが……」
俺が覚悟を決めると同時に智花も意を決したように口を開く。
両手を強く握り、小さな体が小刻みに震えているが、それでも俯き加減だった顔を上げると俺を真剣な眼差しで見つめてくれている。
正直をそれを遮ってしまうのは心底申し訳ないのだが……。
「悪いんだけど、その前に。……どうしても智花に言わないといけないことがあるから…………。先に聞いて欲しいことがあるんだ」
「ふぇぇっ!? そ、それは……その、やっぱり……」
相変わらず自身の口下手さのせいでまた彼女に誤解をさせてしまったのかもしれないが、ここはあえて訂正しないでおこう。
できれば電話の時に聞けた言葉と同じことを聞かせてもらえると嬉しいけど……。
俺の話を聞いたらもしかしたら彼女も心変わりをしてしまうかもしれないから。
「どうして俺が、俺の高校のバスケ部が休部になったのか、ミホ姉から聞いたことある?」
「ふぇ? い、いえ。美星先生はあまり詳しくは……。昴さんを紹介して頂いたときもバスケ部の人が何か問題を起こしてしまったせいで、昴さんはそれに巻き込まれてしまっただけで、怖い人じゃないから安心しろ。と仰っていただけです」
まぁ当然か。万里も愛莉から聞かれたことはあったけど、結局話せなかった。って言ってたしな。
俺が自分の判断で勝手に話しちゃうのは悪い気もするが、そもそも最初にみんなのコーチになったのは俺が一番だし。
「……正直、気にはなります。昴さんみたいな素晴らしいプレイヤーが、どうして自分のバスケよりも私たちのバスケを優先して下さったのか」
「確かにみんなのコーチをすることを第一に考えてはいたけど、だからといって別に自分のバスケを疎かにしてるつもりはななかったよ」
「でも、私たちが昴さんに最初に約束して頂いたときだけじゃなくて、その後ももっとコーチをして欲しい。ってお願いして昴さんの大切なお時間を……」
「それは俺の意志だよ」
そもそもあの時の俺は一人でするなんて発想なんてなかったし、コーチを引き受けたおかげで智花と言う最高のパートナーを見つけることもできたんだ。
彼女が俺を奮い立たせてくれたばかりか、毎朝最後までしっかりと付き合ってくれたおかげで毎日が本当に充実して楽しい日々を送れていた。
コーチを続けたことで魅力的な小学生たちに囲まれて、ほんの一年にも満たないわずかな期間にも関わらず、たったそれだけの時間で俺は新たな世界を垣間見ることができたのだ。
そしてできることなら、彼女たちにもっと色んなことを経験させてあげたり、逆に俺がまだ見てない小学生の魅力的な部分を見せて欲しいと思ってしまったぐらいだ。
「それに建前上、智花との賭けの景品になってはいたけどさ……。実は本音言うと、智花が本気で俺を手に入れようとがんばり始めてくれてた頃には、もうとっくにその気になってたんだ」
「ふぇぇっ!? そ、そそそうだったんですか!? はぅぅ……わ、私一日でも早く昴さんにコーチとして戻って来て頂こうと必死だったのに」
俺の口からぽろりと零れてしまった言葉に驚きの声を上げる智花に少し罪悪感が。
「え、えっと。別にいじわるしてたわけじゃないからね。なんていうか、俺にとっても智花のシュートをあの緊張感の中で見続けるのが、なんとなく日課みたいになってたし、さすがに智花が達成する前に俺が自分からコーチになるよ。なんて言える雰囲気じゃなかったし、きっと智花だって納得しなかったろ?」
いかん。なんか必死に情けない言い訳してるみたいになってしまってる気がする。
「は、はいっ。わかってます。わ、私も目標があった方が……その、燃えましたし。絶対に50本決めなきゃって。――それに……毎日すごく真剣に見て下さっていましたよね。最後の50本目のときだって、本当にいいのか不安になってしまった私の背中を押して下さって」
おっと、話が脱線してしまったな。
しどろもどろになっている俺をフォローするかのように彼女も続いてくれたところで少し強引に軌道修正。
「それで、その……バスケ部が休部した理由なんだけど……聞いてくれるかな?」
「あ……そ、そうでしたね。すみません話の腰を折ってしまいました」
下げる必要のない頭を下げさせてしまったことに俺も詫びながら、どこから話そうか思い悩む。
つい最近の苦い思い出の……さらにそのもう少しだけ前。
奇しくも今まさに目の前にいる少女と同じく、中学上がりたての頃の出会い。
俺の最初のバスケは親父だけど、今のバスケはあの人がきっかけだったよな。
「中学に進学してバスケ部に入ってすぐにその人を見たんだ。初めてすごいと思った。……そんな憧れの先輩がいたんだ――」
正直、智花にあの人の話なんかしたくなかったし、する必要もないと思っていた。
裏切られ、一年前の俺の全てを奪い尽くしていった忌むべき存在になってしまったけど……。それでも俺はあの人に、あの人のバスケに憧れ対抗心を燃やしたのも本当だから。
俺だって初めはエースやフォワードと呼ばれる存在に憧れた。
だって男なんだし、かっこいいと思ったって当然だろ。
立ちはだかる敵を蹴散らし、攻めて攻めて攻めまくってガンガン点数を取って、チームや観客からの声援の嵐を受ける。……まぁ、まさに親父がそんな存在だったわけだが。
決して背が小さいわけではないが、平均的な域を脱し切れなかった俺は、体格がダメなら技術でカバーすればいいと思ってもいたし、そのための努力だって続けた。
まぁ、いくらがんばったところで、結局一人でできることなんてたかが知れてるし、早々に俺は自分の限界を思い知らされたわけだけどね。
そんな自嘲めいた俺の一言に、反射的に智花は何か優しい言葉を掛けようかと思ってくれたのだろう……が、結局何も言えずに口を噤んでしまった。
よっぽど規格外の実力を持った目の前の少女でさえ、一人ではどうしようもないということを身を持って理解しているのだ。
「智花だったらどうすればいいか、もうわかるよね? 初めて智花たちと会ったときに偉そうなこと言っちゃってたけどさ、俺はみんなが小学生のときにはもう気づいたことを、中学になってからようやく気づけたんだ。おかしいだろ」
「そんなことないですよ。昴さんが私たちに教えて下さらなかったら……きっと私たちは……ううん、少なくとも私は一生気づけませんでした」
「それこそないだろ。俺もその先輩の仲間を支えるバスケを知ったおかげで、今のプレイスタイルが確立できたんだ」
「……昴さんが憧れる選手さんか。すごい方なんですねっ」
俺の話に真摯に耳を傾け、目を輝かせてくれている。
バスケプレイヤーとして憧れていた。
三年と一年というほとんど重なり合える期間が短い間だけでも、少しでも間近で先輩のプレイが見たかった。
中学以来、先輩が見ていない間に必死に練習した俺の成長を見てもらいたかった。
……できることなら一緒にバスケがしたかった。
ごめん、智花。ぬか喜びさせちまってほんとごめんな。
俺の中学までの楽しい思い出話はここで終わりなんだ。
「………………まぁ、その先輩のせいで休部になっちまったんだ」
「………………え?」
俺かの思いもよらない一言に彼女の表情が凍りつく。
そして、一拍の間を置いてある違和感に気づいたようだ。
どうして俺が今の今までそんな憧れの先輩のことを一度も話してくれなかったのか? と。
その理由は直前に俺が話した通り。
『彼』が問題行動を起こしたせいでバスケ部が休部になったからだ。
「そんな……ど、どうして? ……その人、バスケ好きじゃなかったんですか?」
少女の瞳が不安げに揺れている。
俺の反応を窺うようにビクビクと怯えるながらも、疑問を口にする。
「どうだろうな。俺が見た限りだと、すごく楽しそうにしてたと思う。だからこそ、俺もあの人みたいなバスケがしたいって本気で思えてたんだろうし」
そんな彼女に、俺はただ淡々と答えるしかできなかった。
……ダメだな。自分から振ったくせに、これじゃただ彼女に無意味に愚痴を聞かせてるだけだ。
とっくに新たな目標を見つけて吹っ切ったつもりだったのに、まだまだ俺の心の奥底で未だに深いトラウマとなって根付いたままなのだろう。
「本当なら智花にこんな話するべきじゃないんだけどさ。……先輩、バスケ部の顧問の子供と…………小学生の娘さんと、駆け落ちしちゃったんだ……」
「駆け落ち……?」
呆然とぽつりと呟く。
予想外の展開続きに彼女も情報の整理が追い付いていないのだろう。
一度会話を中断し、俺がいっぺんに詰め込めさせてしまった情報を整理してもらおうと思っていると少女が体を小刻みに震わせながら口を開く。
「……そのせいで、そのせいで昴さんが。……昴さんの高校のバスケ部が休部になってしまったんですかっ!? そんな……そんなのひどすぎるっ」
「顧問はそのまま廃部にさせたかったみたいだけどね。……なんとか廃部は免れて休部で済んだらしい」
「……ぐすっ。……ひどすぎますよお…………昴さんが……ずっと…………ずっと、その先輩とバスケを……やろうとしてたのに…………それなのに、ひっく」
まるで自分のことのように怒り、そして悲しみ泣き出してしまった。俺がさせてしまったのだ。
「ごめんな。変な話しちゃって」
もしかしたら、先輩もできる限りの自分の尻拭いをした結果なのかもしれないが、詳しくは知らないし、知る必要もないことだろう。
起こってしまったことは事実なのだし、今更やり直しなんてできない。
「……そのおかげで智花たちとも出会えたんだけどね」
「そんなこと言われたって喜べないですよっ!!」
あまりのショックに涙を流す少女相手に苦し紛れのフォローをするつもりが、思わずとんでもない失言をしてしまったことに心底後悔する。
彼女からしたら、こんなこと言われたところで、全然嬉しいわけがない。
むしろそんな悲劇の末の出会いだったなんて知ったら悲しむに決まってる。
そんなことわかり切っていたのに……。
せめてもの詫び代わりに、泣きじゃくる少女の肩を抱き、落ち着き泣き止むまで優しく頭を撫で続けるのだった。
「うぅ……ぐすっ。すみませんでした。泣きたいの昴さんの方なのに……」
「そんなことないさ。変な言い方になっちゃうけど……智花が俺の代わりにここまで泣いてくれて嬉しかった」
そろそろ落ち着いた頃合いだろうかと思い、最後にもう一度だけ頭を撫でさせてもらい抱いていた彼女の体を解放する。
「……でも、例え私のことを慰めて頂くためでもあんなこと言われるの嫌ですよ」
「そこは、浅はかだった。……でもさ、智花たちと出会えたことが良かったと思ってるのは本当だ」
彼女たちのコーチになれたことは、これまでどころか今後の俺の人生の中でも、限りなく最高の思い出となることは間違いない。
小学生たちと本気で向き合えたことは、高校の部活動の仲だけでは絶対にできない経験や成長を俺にもたらしてくれた。
「……考えてみたら、私たち昴さんに……すごくご迷惑を掛けてしまってましたよね。昴さん、すごくお辛い思いをされていたのに、それなのに私たちが不躾にあんなお願いをしてしまうなんて……」
「正直言うと、確かに最初はちょっと疎ましく思っちゃたけどさ、智花たちが必死に俺にコーチを続けて欲しいと言ってくれて本当に感謝してる」
智花が自分のバスケの全てを賭けて俺に挑んで、全てを話してくれたから。
そのおかげで今にも消えてしまいそうなバスケへの情熱を再び燃え上がらせてくれたのだから。
彼女との出会いがなければ、間違いなく今の俺はいない。
「本当はコーチとしてこんなこと言っちゃダメだし、智花に幻滅されちゃうと思うけどさ。俺が最初にコーチを続けようと決意したのは…………智花、君のためだ」
当然そんなつもりはないのだが、もしかしたら彼女の大切な友人を蔑にしていると思われてしまうかもしれない。
それでもこれだけははっきりと改めて伝えなくてはいけないと思ったからだ。
「……え? あ、あの……その……」
「君のバスケや友達に対する想いが、覚悟が俺にバスケの情熱を取り戻させてくれたんだ。だから、君のバスケを護るために俺はなんでもすると誓った。それが俺がみんなのコーチをしようと思ったきっかけであり、原点だ。もちろんコーチ継続を決意した後も誰かを贔屓するようなことだけは絶対にしないように気をつけてたけどね」
「はぅぅ…………だ、ダメっ。す、すす昴さんは、みんなのためにコーチをして下さっていたのに……う、嬉しいなんて思っちゃダメだよぉ……」
俺が言い終わるかその前に、ぼーっと俺の言葉を耳にしていた少女の顔を不意に頬を真っ赤に染め上げる。
そのまま染めった頬を抑えながら恥ずかしそうに表情を緩ませ、可愛らしい唸り声を上げていた。