ひとまず現時点で俺たちが話し合えることを一通り話し終わった頃には、
「あら? もうこんな時間ですね。すみません、嬉しくてつい話し込んでしまいましたね」
花織さんがちらりと時計に視線を移すのに誘われて俺も時刻を確認。もうすぐ昼時だ。
途中で俺と智花が離席して中断したのもあるのだが、だいぶ長い事話し合っていたようだ。
「うふふ。それではそろそろお昼の準備をしましょうか。本当は花織さんにもゆっくり寛いで頂きたかったのですが、」
「いえいえっ。そんなことおっしゃらないでください。それにさっきしっかりとお約束させて頂きましたよ」
そんなことを言いながら、母さんと花織さんが席を立ち始める。
口ぶりから察するに母さんだけでなく、申し訳ないことに客人である花織さんまで加わり、この二人で昼食の準備をしてくれるようだが……約束?
「ふぇ? 約束? お母さん、七夕さんと何かあったの?」
俺の疑問を代弁してくれるように花織さんに尋ねる智花。
「うん。せっかくの智花と昴さんの記念日でしょ。ちゃんとお祝いしなきゃねっ」
朗らかな表情で微笑む花織さんの口から出た『記念日』という単語に思わず頬が熱くなった。
確かにそうなんだけど、実際にそう言われてしまうと、なんかすごく恥ずかしいです……。
どうやら母親たちは十中八九俺たちが付き合うと確信していたらしい。
当事者である俺と智花が二人で付き合うべきかどうするかを必死に悩んでいたというに……。
そして、もてなし好きの母さんがもし俺たちが予想通り交際することになったら、じゃあ、そのお祝いに。とすでに花織さんを長谷川家の昼食へ招待をしていたのだ。
そこで花織さんも自分の娘と俺のお祝い事だから是非ご一緒に手伝わせて欲しいとの懇願もあり、一緒にこの計画に参加する運びに。
「それではどうかよろしくお願いしますね。実は花織さんとまたお料理できるのすごく楽しみだったんですよっ」
「私もですよっ。七夕さんのお邪魔にならないよう頑張りますので、どうか今回もよろしくお願いしますねっ」
……もしかしたら俺と智花以上に仲良くなってるんじゃないのか? あの二人。
和気合いあいとした様子で台所へ向かおうとする二人を呆然としながら見送っていると、
「あ、あのっ。七夕さん、お母さんっ。私も手伝わせてくださいっ!」
ぽつんと二人で取り残されてしまいそうになった智花が意を決した表情で自分も料理に加わりたいと二人を呼び止めるのだった。
彼女のことだ。母親相手とはいえ全て任せきりというのに居心地の悪さを感じたのだろう。
呼び止められて同時に振り返った二人も彼女の想いには気づいていることだろうが、
「智花ちゃんは、昴くんの相手をしてあげてて」
「そうよ。せっかくお付き合いさせて頂くことになったんだから、私たちに変に気を使わないでちゃんと昴さんにお相手して頂きなさい」
案の定、やんわりと断られてしまっていた。
せめてここで俺も加わるとでも言えれば形勢も逆転できるのだが……。
悲しいかな、俺の料理スキルではみんなの足手まといでしかないのはよくわかっている。
「ふぇぇ……で、でも……」
ちらちらと俺と母さんたちを交互に見比べながら、どちらに付くべきかと悩んでいる様子の智花。
母さんはともかく花織さんにまでわざわざ俺たちの昼食の用意をさせてしまうのは心底申し訳ないと思っているこの状況。
それなのに、明らかにこの二人は俺と智花を二人でいさせようとしてくれているのだろう。
欲を言えば俺は母さんたちの言葉に甘えさせてもらいた。昼食ができるまでの間も食後も智花とバスケをしたい…………のだが。
「俺がこういうこと言うのはすごく変なことなんだけどさ。智花が今したいこと。やりたい方を選んでいいと思うよ。俺は、その……と、智花の彼氏として意志を尊重してあげたいからさ」
「ふぁう……昴さん、ありがとうございますっ」
俺の言葉に背中を押された少女の決意は固まったようだ。
「それでは昴さん。申し訳ないですが、少しだけ智花をお借りしますね」
「いやいやいやいやっ。とんでもありませんっ。二人にまでまさかこんなことをさせてしまうなんて、本当に申し訳なく思っているんですからっ!!」
「それじゃ、昴くんはご飯ができるまで、ちょっと待っててね。――花織さん、智花ちゃん。よろしくお願いしますね」
智花にとっても母親二人から同時に料理を教われるという貴重な機会なのだ。
去り際に花織さんから俺を一人にしてしまうのだから、ちゃんと美味しいものを作らないといけないわね。とプレッシャーを掛けられ、少しばかり気圧されていたようだが彼女のことだ。大丈夫に決まっている。
結局女性三人が台所へ向かい、俺一人が中庭で昼食ができるまで一人で時間を潰すことになったのだが後悔はしていない。少ししか。
*
いつもと変わらない慣れ親しんだフォームでまず一本。ゴール。
リングを潜り抜け転がったボールを拾いに行く。
特にフォームに乱れがあったわけでもないし、心も落ち着いているはずなのに、どこか違和感を覚えるというか、まるで夢の中にいるように意識がぼやけている感じがする。
もちろん彼女とすれ違いを起こしてしまったあの時の虚無感のようなものは一切ない。
「……夢じゃないよな?」
ボールを手の中で弄びつつ、思わず独り言を呟いてしまったが、当然自分以外にその声を耳にした者はいない。
俺もまさか自分自身も件の少女に並々ならぬ想いを抱いていることを自覚し、互いに打ち明けあった結果、俺たちの恋愛が成就してしまった。
それ自体はとても喜ばしい事なのだが……。いまいち実感が湧かない。
正直、ここ数日間の間にあまりにも色々なことが起こり過ぎなのだ。
そして、それらが自分が勝手に作り上げた妄想なのか本当に現実の出来事なのかを確かめ合える相手がいない。
……いや、ちゃんと現実なのは認識しているから問題ない。何より智花の初めてどころか俺の方からも何度もしてしまったのだから、その責任を取る覚悟だってある。
ただなんというか、その………………。
ようやく自分が感じていたどこかはっきりしない違和感の正体が理解できた。
「あぁ、そうか。要するに俺は――」
智花ともっと間近で一緒に今のこの喜びを分かち合いたかったのだ。
これからお互いが望む限りいくらでも一緒にいられるというのはわかっていても、まさに『今』一緒にいられないことが、これほど辛いことだとは思わなかった。
それができなくて、自分が思った以上に寂しさを感じてしまっていたようだ。
智花は今まさに俺のために働いてくれているというのに、そんなことよりも側で一緒に俺たちが大好きなことをして欲しいと、わがままを願ってしまっていたのだ。
まったく我ながらなんとも女々しいものだ。
弄んでいたボールを掴み直し、意識を目の前のゴールに向ける。
これからも彼女のコーチとして、誇れる彼氏として……そして何よりも自分自身の目標のために。と気合を入れる。
ここ数日間なんとなくで続けてしまっていた惰性を振り払う。
明確な力強い意志を込め直し、フォームを意識し……一本。
放たれたシュートは頭の中で描いた通りの放物線を描きながらゴールへと吸い込まれていき、しゅっ。とネットを擦る音だけを立ててリングを通過する。
「――よしっ」
他人から見たら微妙な違いなんてわからないかもしれないけど、俺の中では確かな手ごたえを感じる一本となった。
「ふぁう…………やっぱすっごく綺麗ですっ。昴さんのフォームっ」
久々の会心の一本にどうやら俺以外にも賞賛の声を上げてくれる存在がいてくれたようで、気持ちを共有できたことがすごく嬉しく感じる。
「――って、智花いたの!?」
後ろから声を掛けられるまでまったく気づかなかった。
ほんの数秒前までは情けないくらい女々しく、ずっと待ち望んでいた存在だというのに……。
「えへへ。ちょうど昴さんがボールを構えたところでしたので。それになんだかとても真剣なお顔をされてましたので、おジャマしちゃいけないな。と思いまして」
「あはは。気にしないで声かけてくれて良かったのに」
「い、いえっ。昴さんのおジャマなんてできませんっ。――それに、昴さんのすごい物を見せて頂けて得した気分ですっ。すごく、すっごく綺麗でしたよっ!」
彼女にしては珍しく興奮した様子で目を輝かせながら、はっきりと答えてくれた。
「あぁっ!! も、もちろん普段の昴さんのフォームもとても綺麗ですよっ!! なんと言いますか、さっきのはその中でも特にすごかったというか、その……す、すみません、私の気持ちを上手くお伝えできなくて……。で、でも。本当にすごく綺麗でしたっ。それだけは絶対に間違いありませんっ!!」
直後、まるで失言をしてしまったと思ったのか、大慌てで自分の言葉に訂正を加えつつも、それでもどうやらまだ興奮が収まり切らないようだ。
失礼ながら、そんな様子の彼女が少しだけおかしかった。
そりゃ、そっか。智花だって、自分の理想のシュートフォームを追い求め続けているんだ。
俺が智花のシュートを見ているのと同じくらい、彼女だって俺のシュートを見てくれている。
そんな彼女だからこそ、きっと俺と同じ感覚を共有してくれて、俺のちょっとした変化にも気づいてくれたのだろう。
男と女。セットシュートとジャンプシュートと細かいところで求められるもの違いはあるが、重なる部分だってある。
「ありがとう。智花にそう言ってもらえてすごく嬉しいよ」
内心では綺麗よりカッコいい。と言ってもらえた方が嬉しい気もするのだが、そんなのは些細なことだ。
重要なのはあれだけ綺麗なシュートが打てる智花が褒めてくれたという事実なのだ。
「ふぁうぅ……昴さーん……」
興奮のあまり前のめりになってしまった頭にそっと触れ優しく撫でると、彼女の方も俺の愛撫を受け入れ心地良さそうに目を細めている。
相変わらずサラサラで手触りのいい感触で、ずっとこのまま撫で続けていたい。
智花も許してくれてるし、もうちょっとくらいいいかな?
胸の中で幽かな欲望が芽生え始めたのを感じつつ、そこでふと思い出す。
「――そういえば、俺を呼びに来てくれたんだっけ?」
「ふぁう……ふぇ――はぅ!? は、はいっ。そっそうでしたっ!! お、お待たせしました。お昼の用意できましたので、いらしてくださいねっ」
俺に言われて思い出したようで、羞恥心で頬を真っ赤に染めながら、すみませんと何度も頭を下げている。
俺のためにしてくれてることなんだから、そんなことする必要なのに。と思ったが、例えそれをそのまま彼女に伝えたとしてもきっと聞き入れてもらえないだろう。
きっとこれからも主に俺が何度も智花に向かって自分の口下手や不作法が原因で何度も頭を下げることになるのだ。
それならお互いに今こうして謝罪合戦を始めてしまうよりももっと有意義なことに時間を使うべきだ。
俺や智花にもまだまだ話すべき相手。やるべきことがあるのだ。
何よりもお互いにいい具合に腹も減ってきているであろうこの状況。少しでも早く彼女が作ってくれた昼食にありつきたい。
「了解。ごめんね、一人だけ楽してバスケしちゃっててさ」
「いえっ。実は私も昴さんとバスケしたかったですけど……で、できれば、昴さんに私のお料理も食べて頂きたかったので。わ、私と昴さんの……き、『記念日』ですので……はぅっ」
……………………本当にどうしてこんな健気な良い子が俺なんかと付き合うことになっちゃんたんだろうな。
お互いに真っ赤になった顔を向け合いながら照れ笑いをしつつ、思わずそんなことを思いながら、二人で並んでリビングへ向かう。
入るなり、出来立ての温かな昼食の良い香りが鼻腔を突き抜け直接食欲を刺激してくる。
それはいいのだが……。
あらあら。うふふ。と、実に温かくねっとりと絡みつくような視線もおまけでついてきた。
隣にいる真面目な少女は未だに羞恥心で委縮してしまっているようだが、俺の方はさすがにもう慣れた。
「……いや、そういうのはもういいからさ。早く食べようぜ」
大きなため息を一つ。大切な少女を背中に庇いつつ、二人の熱烈な視線を一蹴。
懐かしさを感じるくらい久しぶり――恋人としては初めてとなる彼女の手料理を本能のままに求めさせてもらうとしよう。