まずは軽く食卓を一瞥――たったそれだけで手に取るようにわかった。
主に母親たちの個々の得意料理や合作の数々が所狭しとテーブル一面に敷き詰められている。
俺が物心ついた時にはすでにその味を知っていて、今もこうしてダイレクトに俺の空腹感を刺激してくる大好きなオムレツ。
濃すぎず、薄すぎない油加減かつベストな焼き加減でこんがり狐色に焼き揚がっているフライドチキン。
他にも色鮮やかな野菜たくさんのグリーンサラダ。
バゲットやシチューからは食欲をそそらせる香りが、ほかほかと上がる温かな湯気に乗って運ばれ鼻腔をくすぐる。
……なお、なぜかほぼ恒例となってしまった赤飯に関してはノーコメントだ。
純粋に『お祝い』と『智花の好物』という意味以外は含まれていないはずだし。
ここでヘタな指摘をして智花はもちろん花織さんにまで、いらぬ警戒心を煽る気はない。
もともと智花の赤飯好きは花織さんが母さんに教えたものだし。
「こんなに良く作れたな」
思わず零れた率直な感想。
もはや感動を通り越して呆然としてしまっていた。
……これ、事前に仕込みをしてないと絶対無理だろ。
この短時間でこれだけ手の込んだ料理を何品も仕上げているのだ。
例え花織さんや智花の助力があったとしても、一から作るのなんて、それこそ時を操るレベルの能力や空間でもない限り物理的に不可能だ。
「ふふ。とっても嬉しかったから、つい張り切っちゃった」
「ほんと七夕さんのお料理って、すごく参考になりますわ。せっかく下ごしらえまでして頂いていたのに、私にまで任せて頂いてよろしかったんですか?」
「いえいえっ。とんでもないですよ。勝手な下味を付けてしまったものも多くあったのに、それにうまく合わせて頂けた技量、感服ですわっ」
確かに所々に普段の母さんの料理とはわずかに違った雰囲気を感じる物もあったが、どうやら仕込まれた材料に対して花織さんが即席でアドリブを加えて見事、長谷川家と湊家の合作として完成させた成果なのだろう。
花織さんは母さんには敵わない等と言っていたが、正直素人目には決して引けを取っている様に思えない。
「はぅぅ……お母さんも七夕さんも、すごすぎるよお……」
互いを賞賛し合う二人に対して、智花は少しだけしょんぼりとしてしまっていた。
「ふふ。お料理ももっといっぱい練習しないとね」
「うぅ、もっともっと頑張らないとっ」
花織さんに優しく頭を撫で慣れながら、更なる精進を誓う智花。
「そうだっ。智花ちゃんさえ良かったら、家に来た時にお昼も一緒に作らない? あ、でもそれだと昴くんとの大切な時間が減っちゃうかぁ」
母さんも智花のフォローにと、ぽんと両手を合わせながら提案するも直後に、意見を引っ込めてしまう。
いや、ここで俺を引き合いに出すな。
確かに智花との大切な時間を母さんに奪われてしまうのは、ひじょーに嫌だけど彼女自身が望むのであれば、仕方ないのことだと割り切れる。
現に今回だって智花とのバスケを我慢した結果、相応の代価を得る事だってできるのだ。
まぁ、そこら辺の調整はおいおい考えよう。と結論付けたところで、ちょうど気を利かせてくれた花織さんが食事会の開始を促してくれる。
「それでは一汗かかれた昴さんもお腹を空かせていらっしゃるでしょうし、冷めてしまう前に頂きましょうか。智花もせっかく七夕さんが用意して下さったんだから、今日くらいは遠慮しないでいっぱい食べなさいね。」
「ふぇぇっ!? そっ、そそそんなに食べないもんっ!」
ついでの不意打ちに頬を真っ赤に染めながら、恥ずかしそうに花織さんの言葉に反発してしまう智花。
普段はお淑やかで大人びて見える彼女の、そんな年相応の姿がとてもおかしく、微笑ましさを感じる。
「はは。俺はこうやって智花と一緒に食事ができるだけですごく楽しいよ。それに今回だっていっぱい頑張ってくれたんだしさ、遠慮しないでちゃんと食べなって。それじゃ、いただきますっと」
多感な少女相手に男があんまりしつこく言いすぎるよりはと、軽いフォローと労い程度に留めつつ、さっそく一番に箸を伸ばす。
この数々の豪勢な料理が並ぶ中で、俺が一番先に箸を運ぶべき料理はすでに決まっている。
伊達にこの一年の間に小学生たちと共に過ごし、幾度となく彼女たちの手料理を味わってきたわけではないのだ。
以前同様にテーブルの端に追いやるように置かれてしまっている小皿の卵焼き。
本来ならばこれは、こんな片隅にではなく俺の目の前に置かれてしかるべき存在なのだ。
まぁ、それを母さんたちがしないのは、そこまでしなくても俺が気づくと思ってのことだろう。
本当はちゃんと智花自身が納得できるものが作れるようになるまで待ってあげるべきなのかもしれないが――うん。無理だ。
目の前にこんなに素晴らしい物があって、しかもすでにそれがどれだけ美味しいかを知ってるんだぜ。
頭の中でそれを食べると決めた時には、もうすでに行動は実行されていなくてならないのだ。
最速最短のモーションで一切れを取り、そのまま口へ放り込む。
一瞬反応が遅れた智花もすぐに俺の箸がどこに向かっているのかを察し、緊張した面持ちになっていた。
「はぅぅ……やっぱりいきなり食べられちゃうのは恥ずかしいですよぉ……」
そんな智花の声を耳にしつつも、たっぷりと時間を掛け咀嚼し彼女の味をじっくりと堪能する。
初めての時よりも、経験を重ねたことにより幾分か柔らかな口当たりになってきているのだろうか?
本家本元の花織さんの味を知らない以上、どこまでが彼女が想定した味付け、食感であるのかまではわからない。
しかし、これだけははっきり言える。
「……正直驚いたよ。初めて食べた時だって、これ以上に上があるなんて言われても、全然想像できなかったけどさ……本当にすごく美味くなってるよっ」
「ふぁう……え、えへへ、良かったです」
ほっと安堵の溜め息を漏らす智花。
うーむ。俺が食べるってだけで、そこまで緊張しなくても……とは思うのだが。
卵焼きに限らず、他の手料理だってもっと気軽に振る舞ってくれれば……いやいやいくらなんでもそういう考えは厚かましすぎるだろ。
まぁ、この調子で智花が存分に経験を積んだら、間違いなく智花だけの智花にしかできないテクニックへと昇華することは間違いないな。
それを俺が味わうことができる立場でいられるかどうかは未定だが……………………努力しよう。
確かに現時点での完成度という一点に置いては、母さんと花織さん相手では(めちゃくちゃ失礼極まりないことは重々承知ながら)絶対的なまでの年季の差がある。
だが、智花はまだ良い意味で未完成。未成熟なのだ。
色んな刺激に敏感で感じやすい時期である。
順当に湊家寄りになるか、長谷川家寄りになるか、もしかしたら全く別の新たな一面を開花させてしまうかもしれないくらい、可能性に満ち溢れている存在なんだ。
彼女の発展途上の味を何度も何度も味見させてもらえるという僥倖。
これからも許される限り、しっかりと彼女の成長の証を確かめさせてもらうとしよう。
そんな想いを胸に抱きつつ、二切れ目を口に運び、じっくりと噛み締めるのだった。
ふと横にいる智花に視線を向けると、母さんたちに促されるように食事を開始していた。
そして、彼女も大好きなチキンに齧りつくのだが、表情がめちゃくちゃ緩んでてかわいかった。
せっかくの彼女の至福の瞬間を邪魔しないようにと、彼女に気づかれる前にすぐに視線を外す。
人によっては食べるよりも食べているのを見るのが好きっていう人もいるらしい。
もちろん一瞬だけ彼女をチラ見した時みたいに、大好きな物を美味しそうに食べている姿を見ているだけで、なんだか胸が温かくなるような、それだけで腹が膨れてくるような気がするのもわかる。
でも俺個人としては一緒に食べて感覚を共有したいと思う。
本能のままに身体を動かし、欲求を満たす瞬間こそが生物にとって最高に幸せを感じる瞬間なのだから。
そんな姿を見てるだけで不思議とこちらも幸せな気持ちになれるが、やっぱり俺は相手にも混ざって欲しいと思う。
どうやら母さん同様に、花織さんは見てる側らしい……うん。やはり俺と智花は相性がいいに違いない。
さて、正直かなり名残惜しいけど、そろそろ次の行動を起こす準備をしないとな。
いつまでもこうやって智花と幸せな恋人気分を続けていたいが、解決すべきことを片付けて行かないままだと、いずれ時間切れになってしまう。
俺はもう二度と理不尽さを感じる理由で彼女を失いたくないのだ。
幸せな昼食タイムを終えたところで、再び確認の意味を込めて智花に視線を送ると、彼女も力強く頷いてくれた。
「次のお休みの時に忍さんともお話させて頂きたいのですが、どうかお時間を作って頂くことはできないでしょうか?」
俺の口から飛び出した言葉に、母親たちが驚いたように顔を見合わせたのだった。