「忍さんと、ですか……」
俺の口から出た言葉に花織さんは困った様な顔を浮かべた。
「二人の気持ちがわからないでもないんだけど……さすがにまだちょっと早いんじゃないかしら?」
今はまだ忍さんの耳に入れるべきではない。それが二人の判断だった。
概ね予想通りの反応で内心安堵したりするわけだが。
さっきからずっと二人が俺と智花の交際に前向きというか前のめり過ぎている感じがして、もしこのまま「いいですね。忍さんにも二人のことを認めてもらいましょう」なんてことを言われないかと失礼ながら本気で心配していたくらいだったが、さすがに杞憂だったようだ。
俺も十分自重するつもりだけど、万一智花と行き過ぎた行為をしてしまいそうになった時に、ちゃんと俺たちを止めてくれるブレーキとなってくれないと本気で困るのだから。
軽いお触り程度ならOKどころか推奨みたいなことを言ってる時点で若干ブレーキが壊れてる気がしないでもないが……。
とりあえず、母親たちの所で情報を止めてもらっている間は、俺と智花は恋人関係を続けることができる。
それは今の俺たちの現状からしても破格すぎる好条件だ。
二人が協力的なままでいてくれて、俺と智花も行動を弁えてさえいれば、それこそかなり長い期間、忍さんに気づかれず隠し通すことだってできてしまうのだろう。
だが、それで本当にいいのだろうか?
俺自身が地盤を固めた上で、忍さんに誠意を込めて交際を認めて頂くようお願いするのが、一番成功率が高いし、筋を通す意味でも正しい方法だとは思う。
だけど、それでは間に合わないかもしれない。
何より智花にだって大切な父親に隠し事をさせるなんて後ろめたい想いをさせたくない。
「正直、俺のかなり身勝手な理由で、花織さんたちのご家庭の事情に口を出す失礼は重々承知なのですが……。その、智花から聞いた感じですと、まだ相手を探している段階みたいですので、これ以上縁談の段取りが進んでしまう前に……その…………」
気まずそうに話している内に、花織さんが「あらっ」なんて言いながら、口元に手を当てる。
俺の考えが伝わってくれたようだ。
そして、それがとても名案だと言わんばかりの楽しそうな表情されていたのだが……ただただ恐縮するばかりだ。
俺と智花だけで忍さんに俺たちの交際を認めてもらうようお願いしたところで一蹴されてしまうだけだろう。
しかし、花織さんが俺と智花の交際を認めて下さった。という事実がある今ならば……。
交際は認められなくても、代わりに彼女のお見合いの話も一旦止めてもらえるかもしれない。
俺と智花が付き合わない代わりに、智花のお見合い相手を探すのを止めて欲しい。なんてあまりにも身勝手な交渉だとはわかっている。
だが、今のこの瞬間にも忍さんが、智花に相応しい相手を探していると思うと不安で不安で仕方ないのだ。
せっかく二人が俺たちの交際を認めてくれたというのに、忍さんが縁談の場を整えてしまい、それを公言されてしまったら、それまでだ。
仮に一人目でまとまらなかったとしたって、今後も二人目三人目と次々に智花の前に縁談の話が来てしまうことだろう。
そんな中俺が唯一できるのは、俺の地盤が固まるまで、ただ待つことしかできない。
別に智花を信用してないわけでも、縛るつもりも一切ない。
きっと忍さんなりに、智花の幸せを願っての行動なのだということは俺だって分かっている。
でも、せっかくお互いの気持ちを伝え合えたのに……。
失ってしまったとばかり思っていた大切な存在が戻って来てくれたのに……。
忍さんに智花のお見合いを考えているから今後は接触を控えて欲しい。と言われてしまえば、それまでなのだ。
それなら忍さんよりも早く先手を打って、俺の意志を伝えるしかない。
「子供の無駄な悪あがき……ただのわがままですけど……。それでも、少しでもやれる手があるのなら、それを全て出し尽くさないと……。その上でダメならきっぱり諦めます」
お互いに諦めの悪さを教え教わったのだから、それを最後まで貫きたい。
花織さんは、俺が必死に自分の想いを絞り出している間も、そして終わった後も優しく、それでいてすごく真剣な表情で聴き頷いてくれた。
「智花はどう? せっかく昴さんとお付き合いできるのに、いきなりそれをふいにしちゃうかもしれないけど、いいの?」
様々な想いが混じった花織さんの視線が智花に向けられる。
「あはは。正直ちょっぴり……ううん。すごく残念だけどね。でも、昴さんが、本気で私を守ろうとして下さってるお気持ちが伝わってきたから……。それに、今の私のこんな気持ちじゃ、お見合いなんて絶対できないよう」
相手の方に粗相しちゃうだろうし、お父さんにだって怒られちゃうよ。と困り顔で答える。
別に守ろうなんていう大層なものなんかじゃない。ただ単に俺が智花と他の男がお見合いするのが嫌なだけだ。
「うふふ。そうねぇ。お見合い相手に『実は私好きな人がいるんです』なんて言えないものね。それなら、なんでお見合いを受けたんだって話にもなっちゃうし」
まったくもってその通りです。だからこそ、忍さんもしっかり心構えをしておくようにと彼女に言っていたのだろうし。
それなのに俺は、あろうことか彼女の決意を鈍らせるどころか、まるで正反対の選択をさせてしまっているのだ。
さらに俺は姑息にも花織さんが俺と智花の交際に前向きに考えて下さっていることに満足するだけはなく、それを利用している。
花織さんが俺たちの味方になってくれていることを盾に、俺と智花は忍さん相手にかなりハイリスクな交渉を持ちかけようとしているのだ。
だが、もしかしたら湊家の家族間に大きな溝を作ってしまうかもしれない。
万一そんなことになってしまったら……もはや到底、俺一人で取れる責任ではない。
当然それを回避するための策も事前に熟考しておくべきことだろう。
最悪、智花との関係を一切断たれてしまうとしても、彼女に大切な物を切り捨てさせるような選択だけは絶対にさせてはならない。
「……昴くんなりに花織さんたちのご家庭の仲を心配しているんだろうけど、あんまり重く考えすぎるのも、逆に失礼よ?」
母さんに窘められて、ようやく自分が相当深刻そうな顔をしてしまっていたのだと気づく。
「いえいえ。智花のことだけではなく、私達のことまで配慮して頂いているんですから……でも、そうですね。大丈夫ですよ、昴さん。私も忍さんも、もちろん智花だって、これくらいで家族の仲が悪くなるような家庭ではありませんので」
ごもっとも。はっきりと言い切ってくれた花織さんに「すみません」とただただ頭を下げることしかできなかった。
だけど、言葉を頂けたおかげで、俺も本気で行動を起こすことができる。
「だから安心して、好きなだけ忍さんに智花への想いを語ってくださいね」
「ふぁう……」
智花。嬉しそうに頬を染めてくれてるのは嬉しいんだけど、多分そこまでは無理だと思う。ごめんね。
さすがにこれ以上何かが起こったとしても、あの忍さんを口説き落とせるような策も展開も想像が付かない。
「うふっ、もしかしたら忍さんにとっても悪くない話だと思いますので、きっと昴さんが考えてるよりも良い返事が聞けるかも知れませんよ」
「………………え?」
「ふぇぇぇぇっ!?」
さっそくこちらの予想を大きく越えた花織さんの言葉に一瞬思考が止まる。
いやいやいやいや。いきなり俺みたいな彼氏面したどこぞの馬の骨が、せっかく整えようとしている縁談を潰そうっていうのに、あり得ないだろ!?
智花も驚きのあまり両手を頬を抑えながら、うずくまってしまっている。
「あの、それはどういう――」
ことですか。と尋ねる前に、
「申し訳ないですが、あまり変に期待を持たせてしまうようなことを言って、ぬか喜びさせてしまうだけになってしまうのもいけませんので、どうか忍さんに直接お話しして見てください。もちろん私も忍さんの説得には協力させて頂きますのでっ」
気になることへの回答はもらえなかったものの、代わりにそれ以上に心強い言葉を頂いた。
「智花も、お父さんの説得がんばらないとダメよ」
「う、うん。えへへ、お母さん、ありがとうっ」
花織さんに優しく頭を撫でられながら掛けられた激励に、嬉しそうに応える智花。
今までの花織さんの様子からしても、智花のお見合いをあまり良く思ってない感じがするけど、それ以外にもまだ何かあるような……。
いや、これ以上はやめておこう。
自分の頭の中であらぬ想像を巡らしたところで、何の意味もない。と思考の深みにハマる前に中断する。
あとは覚悟を決めて忍さんにご報告させてからじゃないと、何も進められない。
……めちゃくちゃ怖いけど。
無事円満に家族面談――母親たちがお見合いなどと言って囃し立てていたが終わったところで、ほっと一息。
終始緊張しっぱなし、母親たちからはからかわれっぱなしで気が気でなかった時間がようやく終わった。
ちらりと視線を向けた先にいる少女は未だに畏まった様子のままだ。
きっと俺と同じか、それ以上にストレスを溜めこんでしまったに違いないな。
溜まりに溜まったこの精神的疲労を晴らすためにも、彼女に付き合ってもらいながら体を動かして汗を流すとしよう。
俺たちは恋人同士としては初めてする行為を時間が許す限り、思う存分楽しませてもらった。
行為後、順番にシャワーで体を清めたところで、いよいよ智花との別れの時間がやってくる。
「平日は会えないだろうから、結局恋人らしいことほとんどできないで終わっちゃうかもだけどさ、それでももうちょっとだけで、俺の彼女でいてくれると嬉しい」
「ふぁうぅぅぅ~。えへへぇ~………………はっ!? は、はいっ!! 不束者ですがこれからもどうかよろしくお願いしますっ!!」
彼女の頬が赤く染まっているのはシャワーを浴びたからだけではないだろう。
俺もさっきから顔が熱を持ってしまいどうしようもない。
お互いに相手に緩んでだらしない顔を見せないようにと表情を引き締めようとしつつも、『恋人』や『彼女』という単語が出る度に、気恥ずかしい気持ちや、こそばゆさを感じてしまう。
「あとは花織さんと智花ちゃんにお任せね。昴くんもがんばってね」
「……なんていうか、その、正直智花とここまで関係を元通り……いや、それ以上になれるとは思ってなかったから、ありがとう。感謝してるよ」
二人が帰った後に自分が協力できるのはここまでだと言っていたが、散々迷惑や厄介事を持ちかけてしまったというのに、ここまでしてもらえたのだ。
感謝以外の感情なんて……………………いや、いっぱいあるな。
まぁ、それでも感謝の気持ちの方が大きいが。
「ふぅ……。葵ちゃんには悪いことしちゃったかしら」
ん? どうしてここで葵が出てくるんだ?
不意に母さんの口からどこか憂いを帯びた感じに幼馴染の名が零れ出た理由がわからず首を傾げるのだった。