新生活が始まって早数日。
俺の環境はがらりと変わってしまった気がする。
俺の周りは可愛い小学生たちではなく、同年代の男たちに囲まれた濃厚な日々を送っていた。
毎日のようにむさ苦しい男たちと体をぶつけ合い汗を流し、流した汗の量だけ深まる絆に充実を感じる日々。
そこに不満は一切ない。本来ならこれが俺が望んでいた環境なのだから。
学校としては一年のブランクを食らっている状況で、『打倒!! 須賀龍一率いる伊戸田商業』目標としている以上、多少の無茶は覚悟の上だ。
……でも、頼むからこれ以上部員を減らさないで欲しいと心の底から願う。
俺や万里のようにバスケ部復活に備えて、じっくりと力を蓄えていた者もいるだろうが、親父が助っ人として呼んでくれた嘉堂監督のシゴキは苛烈を極めた。
結果、事前に部活再開に向けて必死に勧誘を続けていた二年や新入生の大半が、入部早々にバスケ部から姿を消すこととなった。
原因となった当の本人は特に気にした様子もなく、徐々に練習量を引き上げて行き、俺たちが本当に限界と根を上げる寸前を模索しているのかもしれない。
それこそ、初対面であった時の彼の言葉通り俺を育てることのみを目的として、成果を確認すること自体にはそれほど興味がないのかもしれないが、俺たちはその成果を発揮しないといけない理由があるんだ。
何にしても覚悟を決めた以上、今は信じてひたすら前に走り続けるしかない。
俺の――俺たちの手で絶対に伝説の再来をもたらしてやるんだ。
「……あの、昴さん。大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、ごめん。ちょっと考えごとしてたよ」
心配そうに俺の顔を覗き込んできてくれた少女を安心させるように笑いかける。
大きく変わってしまった環境の中でも、今も変わることなく繋がり合えてる絆もある。
目の前の少女は中等部に上がった後も、こうして毎朝俺の家に訪れて一緒に朝練に付き合ってくれているのだ。
「あまり無理なさらないで下さいね? とてもお疲れになってるみたいですし……その、私が朝にお邪魔するのもやっぱり止めた方が――」
「それは止めてくれっ! 智花とのバスケだけが俺の唯一の楽しみなんだっ!! それが無くなったら――」
それだけは本気で困る。
今の俺にとって智花とのバスケだけが、何物にも一切縛られることがなく、純粋に楽しめるバスケなんだ。
時に真剣勝負をし、互いの実力を研鑽し合うこともだが、バスケ中や終わった後に彼女の口から、みんながどんな日々を送っているかを聞かせてもらえることが、今の俺の唯一の生きがいであり楽しみなのだ。
「ふぇぇ!? えぇと……」
つい勢いでまくし立ててしまったせいか、驚いた声を上げてしまったので、少しだけ訂正をさせてもらう。
「あぁ、ごめん。智花が大変なら無理に来なくてもいいんだけど、もし俺のことを気にしてなら、是非とも智花に来て欲しい。俺には智花が必要なんだっ!!」
「はぁぁあぁうっ!?」
あれ? なんか余計狼狽させてしまったぞ。両手で真っ赤になった顔を抑えちゃってるし――
「なに朝っぱらから智花を口説いてんだっ!!」
「ぐはっ!?」
突然の第三者の武力介入によって、俺の思考は中断されてしまった。
「ほらっ。智花も朝練終わったんなら、さっさとシャワー浴びて来なっ。あんまりこいつの側に居ると襲われちまうぞっ!」
ひどい言い草だ。俺が智花を……というか、中学生を襲うわけないだろっ。
「は、はいっ。あまり昴さんをお待たせしてしまうわけには行きませんよねっ。……昴さん、明日もよろしくお願いしますね。私も毎朝昴さんとバスケできるのすごく嬉しいですっ」
良かった。純粋な智花がミホ姉の言葉に惑わされて、俺にあらぬ誤解を抱いてしまうかもと思ったが、俺と智花の絆はそんなことじゃ揺るがなかったぜ。
去り際の智花の明日も来るという約束がある限り、たとえこの後に過酷なシゴキが待っていたとしても、今日を超えられるんだ。
「……ったく。ホントお前ら仲良くなりすぎだな」
智花が風呂場へと向かって行くのを確認したところで、ミホ姉がどこか苦々しげな表情で呟く。
「そりゃ、ほぼ一年も一緒にいたらこれくらい普通だろ」
その表情がどこか気になってしまったが、そもそも元を正せば俺と智花たちが知り合ったのはミホ姉が原因だ。
彼女たちにバスケを教えて行く上で、より親しくなって信頼関係を築き上げることは必要だったし、良い子たちばかりだったから、俺も特に意識する必要なくみんなと仲良くなれたのだと思っている。
なんだかんだで、俺がバスケを捨てずに済んだことも智花たちと引き合わせてくれたミホ姉のおかげであるのだから、それなりに恩を感じている。調子に乗るから絶対に声には出せないが。
「だから問題だ。って言ってんのよっ」
「別に俺も智花も問題なんか起こすわけねーだろっ。ミホ姉こそ深く考えすぎろだろっ」
かつての憧れだった先輩を思い出してしまったせいか、思わず口調が荒くなってしまう。
「そりゃあね。それこそ問題を起こされたら困るっつーの」
「さっきから何が言いたいんだよ?」
あまり勘繰りたくはないのだが、どうもここ最近から俺と智花を引き離したがっているような言動が目立つ。
「んん……まぁ、そろそろお前たちも新しい生活に慣れて来た頃合いか。……勝手でわりーんだけど、智花を送ってやるの今月までな」
「え? どういうことだよ……」
ミホ姉が何を言っているのかわからなかった。
智花がここに朝練に来るのは今月で終わり? そう言ったのか?
「だから勝手で悪いって言ったでしょ?」
「なんだよそれ……今まで毎日送ってくれてたじゃないか。それなのになんで……」
いや、俺が間違っているのはわかっている。元々この送迎自体がミホ姉の好意だ。
智花が最初の頃に俺にコーチを続けて欲しかったら、シュートを連続で50本決める。という条件をクリアするために毎朝通っていたのがきっかけで……
見事条件を達成した後も引き続き朝練に来てくれて……そんな日々を続けられたのもミホ姉の影ながらの支援のおかげだ。
「バスケ部の顧問だったり、智花たちの担任だった頃は、それなりに建前を使えたんだけどねー。さすがに卒業しちゃってほぼ他人になったら、さすがにできないわ」
「言ってることはわかるけど、突然だな。せめてもっと早く言ってくれなかったのかよ」
自分でもおかしいことを言ってるのはわかってる。
だけどいきなりのことに頭が全然対処できず自分の欲望だけを吐き出し続けちまっている。
そんな自分に自己嫌悪しつつも、無意識になんとしても智花の送迎を続けて欲しいと必死に食い下がる。
「なんだったら、昴に預けてたコーチの権限を正式に引き継いでやってもいいのよ?」
「……できんのかよ。俺だってまだまだそう簡単には抜かせてやるつもりはないんだぜ」
そうだ。俺がミホ姉に勝ち続けている限りは、ミホ姉は俺に会いに来なければいけないんだ。
奇襲にさえ気をつけていれば、まだまだ俺とミホ姉の実力差では俺を抜くのは難しいはずだ。
今まで以上に勝負に負けられなくなってしまったが、いつだって手を抜いたことは一度もない。
妙に自信ありげにこちらを見てくるミホ姉への警戒を強めながら、攻守に分かれ1ON1の準備に入り、勝負を開始した――
「――嘘だろ」
「ま、タネが割れちゃえば、もう通用しないだろうし。実力じゃまだまだ昴には及ばないけど、これぐらいはねー。にゃふふー驚いた?」
勝負はそれぞれの一回ずつの攻防であっさりと決してしまった。
俺がミホ姉を止める事も抜くこともできずに、反対にミホ姉には抜かれ止められるという完敗の形だった。
もしこれが、三本先取であったのなら、まだ俺にも逆転の目はあっただろう。というか、間違いなく逆転してた。
だからこそミホ姉は超短期決戦で挑み、挑まれた時点で俺の負けは確定していたのだろう。
奇襲奇策は読んでいたが、ここ最近のミホ姉の伸び代を俺は見誤されていた。
小学生たちと比較してもなんら遜色を感じさせない上達スピードだとは思っていたが、それを更に隠ぺいしてきていたのだ。
予想していた奇襲も、それをギアを何段階も上げられた状態で使われてしまえば、こちらも初見での対応ができなくなってしまう。
「……いつからだよ?」
「ま、行けると思ったのは割とつい最近かな。ミスったら、また先延ばしになっちゃって、ますます増長させちゃうから、かなり慎重に見極めさせてもらったけどね。にゃははー。負けた時の昴の顔、かなりスカッとしたわー」
それはさぞかし溜飲が下がったろうよ。
はぁ……これで俺も正式にお役御免か。なんか納得いかねーけど。
いや、バスケ部のみんなにとっては喜ばしいことだろう。俺も本来なら正式な顧問兼コーチが就任したことを喜ばないといけないんだ。
「そんじゃ、さっき言った通り智花の送迎は今月中までね。それ以外でもたまには私の都合で会わせてあげるわよ」
「いいのか?」
俺が挑発に乗ったばかりに、最悪今日で打ち切られることも覚悟してただけに意外だった。
「最初に昴に智花たちの面倒を押し付けたのはあたしの責任だし、それは認める。だからその分、卒業後一か月は面倒見てあげるって言ってんのよ」
「智花は知ってるのか?」
「ううん。先に昴に話しておこうと思ってね。智花にも送るついでに車の中で話しとくわよ」
「そうか……」
すでにミホ姉の中で、送迎サービス終了は決定事項のようだ。
そう悟った俺の落胆ぶりに、どこか面倒くさそうに溜め息を吐いているが、もう気にならない。
「何度も言うけど、はっきり言って昴は智花たちと仲良くなり過ぎなのよ。本当なら男バスとのゴタゴタが終わる前に、とっくに臨時コーチ終了だったの忘れたの?」
「まぁな。休みに偶然智花と会って、彼女の覚悟を聴いちゃったら、火が着いちまった」
そこからは智花たち小学生の魅力に気づいて、どんどん深みにハマっていっちゃったな。
「……ったく。知らない人に誘われても付いていくな。って最初に習ったろうに、まさか智花がそのパターンになるとはわね」
「おいっ!」
思わず突っ込みを入れる。
「あぁ、わるい。あまりよく知らないロリコンのお兄さんだったわね」
「だから違うだろっ!! 人を特殊性癖持ち呼ばわりするんじゃねぇ!!」
確かに智花にあんなにすごく綺麗なものを見せてもらったせいで、思わず家に誘っちゃったけど、今考えると確かにすごいことしちゃったよな。
少しでも早く智花にじっくり見せて欲しいあまりイケナイことまでさせちゃったし。
「……できれば、智花たちにはもっと同い年の友達をたくさん作って欲しいのよ。わかるでしょ?」
「まぁ、来るものは拒まずだろうけど、自分から求めて行く感じではないよな」
社交的な真帆や紗季とひなたちゃんの三人比べて、智花と愛莉はどちらかというと内向的だ。
みんなすごく良い子だし、優しい子たちだから、すぐにでも誰とでも仲良くなれそうなのに。
「あの子たちにとってはクラスが分かれたのは不運だとは思うけど、いい機会でもあると私は思ってる」
「新しい出会いの季節か。みんなの心配するより、ミホ姉は自分の心配――ぶっ!?」
軽口を叩いたら鉄拳が飛んできた。
こんなんだから、いつまでたっても独り身なんだろうに。とは二発目が怖いので言わない。
「下らないことで話の腰を折るなっ。ったく、いつまでも僻んでんじゃないのっ」
「べ、別にそんなつもりねーし……」
いかんな。俺もなんかペースがかなり乱れている。
俺にとって智花が来なくなってしまうことがよほどショックなんだろう。
ミホ姉が真剣な表情になったのに気づき、こちらも表情を引き締める。
「真面目な話すると。多分智花は私が車で送るのを止めたとしても、毎日お姉ちゃん家に来ようとすると思う」
「まぁ、最初の頃は本当にそうだったしな。律儀に毎日来てくれてた」
ほんの少し前の出来事だと思っていたら、もう一年経っちゃってるんだよな。
今の智花はあの時よりもますます成長してるし、今後も絶対にエースとしてみんなを引っ張ってくれるに違いない。
そう思うと、彼女たちの成長を間近で見続けることができなくなってしまったことが、一層寂しく思えてくる。
それなのに、智花とまで会えなくなってしまうというのか……
「昴はあれがどんだけ智花の負担になってるか想像したことある? まして中学からは今まで以上に大変になるのよ」
「……早起きして、俺の家でバスケした後に自力で通学か……しかも放課後には部活やったり、家の習い事……」
あぁ。これはダメだな。
ミホ姉の送迎がどれだけ智花の負担を軽減してくれていたのかが改めてよくわかった気がする。
きっと智花は笑顔で全てをこなそうと頑張ろうとしちゃうんだろうけど、こんな無理絶対にさせられないな。
「私はこれ以上は口出ししない。昴と智花二人でこの一月の間によく話し合って、今後どうするか決めな」
話は終わったとばかりに、飄々とした雰囲気に戻り家の中に入っていくミホ姉と入れ替わるように、シャワーを浴び終えた智花がやってくる。
「昴さんお待たせしましたっ……ふぇ? なにかあったんですか?」
俺の顔を見るなり、すぐに異変を察知し不思議そうに首を傾げている。
「あぁ……その……いや、あとでミホ姉から話があると思うから、智花も一人でちょっと真剣に考えて欲しいんだ」
「は、はい……」
今の心境だと余計なことまで話してしまいそうだと感じ、思わず逃げるようにミホ姉に頼り切ったことを言ってしまった。
彼女自身も俺の曖昧な発言に腑に落ちないと感じてしまっただろうに、それでも律儀に返事を返してくれたことに申し訳なさを感じる。
俺と智花のあるべき姿ってなんだろうな?
一人で悩んだところで、結局答えは見つかりそうになかった。