美星が転入前の顔合わせで初めて智花を見た時の印象は『暗い』の一言に尽きた。
気軽に声を掛けてみても、とても礼儀正しいのだが、人好き合いを恐れているのか、決してそれ以上踏み込もうとはしない。
聞かれた質問に短く答え、儚げな笑顔を向けてくるだけだった。
ある程度の情報は彼女が転入してくる過程で、前の学校から仕入れることはできていたが、やはり相当心に傷を負ってしまっているのだろう。
愛莉と同じく、真っ直ぐに向き合って少しずつ歩み寄らせてもらい、ちょっとずつ心を開いてもらえるようにしよう。まずはそれからだ。というのが美星の判断だった。
智花がクラスに転入してから数日経つも、やはり彼女の雰囲気は変わらず、いつも一人でどこか寂しげに教室を眺めていた。
教室内ではそれぞれで仲良くなった者同士が楽しそうに会話を弾ませているのを、ただ羨ましそうに見ているが、どうしてもあと一歩を踏み込めないのだろう。
このままだとせっかくの『転校生』というクラス中の注目や関心を集めていられる期間が終わってしまう。
「ま、失敗したらあいつに八つ当たりして、また別の方法考えればいいか」
智花の転校時の書類に書かれていた『バスケットボール部』という一文に甥の姿を思い浮かべながら呟く。
まだ時期早々かも知れないが、思い付いていた最終手段を取ることを美星は決意したのだった。
*
「……まんまあいつと同じだな。バスケする奴ってみんなあんな熱くなっちゃうものなのか?」
他者から聞いた程度ではにわかには信じ難かったのだが、確かに普段からは考えられないその『やんちゃ』ぶりに美星は目を丸くして驚くと同時に確信する。
これが智花の本質だと。
確かに普段があれで、好きなことをする時だけここまでアグレッシブだと疎まれてしまうこともあるかもしれない。
クラスの大半が智花の変わりように驚き、取り囲む様に彼女の様子を窺っていた。
智花自身は久々に思い切り体を動かせて、いくらかストレスを発散できたのだろう。ほんの一瞬だが、竹中に勝ち誇った顔を見せたのを美星は見逃さなかった。
今まで以上に活き活きとした表情をしていたが、周囲の注目を浴びてしまったことに気づくと、途端に居心地悪そうにいつもの気弱な表情に戻ってしまっていた。
だが結果は上々だったのかもしれない。何しろ委員長の紗季以上におせっかい焼きな真帆が勢いよく食いついたのだから。
「バスケってすごいねっ! あたしにもできる? あたしにもバスケ教えてもっかんっ!!」
「ふぇぇっ!? え、えっと……その……あの……」
――にゃはは。覚悟しろよ。あいつは興味を持ったら絶対に友達になるまで離れないからな。
美星はそう心の中で智花に語りかけながら、二人の行く末を温かく見守るのだった。
そこから真帆を通じながら徐々に智花の世界はゆっくりと広がっていく。
多少強引ながらも真帆と紗季に引っ張られることで、まず智花は友人相手に自然に話すことができるようになっていった。
内心心配していた智花のバスケに対する強すぎるまでの闘争心もなりを潜め、五人の間の明確なルールがないバスケを心から楽しんでいるようだった。
このままいけば、もっともっとバスケや真帆以外を通じても智花は自分の世界を広げ、世界がこんなにも楽しい物だということに気づいてもらうことができる。
美星がそう確信した矢先に、空気を読めないカマキリと学園が、せっかく智花たちが作り上げた安息の場所に魔の手を伸ばそうとしていた。
そして、同時期に甥の昴もまた自身のアイデンティティの大半をごっそりと削り落とされてしまっていたことを知るのだった。
美星が事件以降に出会った昴はまるで生きる気力を失ったと言わんばかりの死んだ目をしていた。
理性的な彼は怒りに任せて暴れることもできずに、矛先を向けるべき物も見つからず、ただただ力なく項垂れ途方にくれていた。
智花がほんの数週間後には今の彼のような姿に……せっかくここまで持ち直せた彼女の心がまた振り出しに戻ってしまうのではないか?
もしかしたら二度と彼女が自分を出すことができなくなってしまうのではないかと危機感を覚えていた。
だが、まずは目の前のこの腑抜け切った男からなんとかしなくてはならないと美星は考えた。
彼の実績を知っている美星としては、現状女バスを救うには彼に頼るしかない。
ダメ元でコーチを頼むつもりではあったが、こんな状態の男に頼んだところで勝率は0のままだ。
例え負けるとしても、できることをやり尽くし全てを出し切って、その上での敗北でなければ意味がない。
戦う術を持っていない少女たちと、ただ一人戦う術を持っていても仲間に伝えられない少女しかいないのでは、結果は火を見るより明らかだ。
ただむざむざ何もできずに大切な場所を明け渡して終わりなんて結末だけは認められない。
美星も土壇場ではあるが決して諦めないと誓った五人にどこまでも付き合っていくことを決意したのだった。
――結果、奇跡が起きてしまった。
奇跡の末に甥はバスケへの気持ちを取り戻し、智花たちは大切な場所を護ることができた。
それで終わってもいいとも思ったのだが、美星は感じてしまった。
まだ足りない。と。
甥は情熱を取り戻したが、いつまた何かの拍子に消えてしまうかもわからないくらい、まだ危うい物だ。もっと焚き付けなければならない。
女バスの方も、今は護れたが再び何かしらの因縁を付けられ同じ勝負を挑まれてしまえば、今度こそ奇跡は起こらないだろう。
実績主義という吐き気がするくらいの大人の事情を子供たちの場所にすら持ち込むような奴らなのだ。
幸い子供たちの方は昴にコーチを続けて欲しいと心から望んでいる。
昴自身も彼女たちに興味を持ち始めているように見えた。
お互いに頼みづらい、請け負いづらいのであれば、こちらから条件を提示してやればいい。と助け船を出すと、驚くくらいあっさりと食いついた甥の姿が美星には面白く感じられた。
そして、昴が女バスの臨時コーチとして就任して一年を過ごし、晴れて無事六年生はみんな卒業となる。
智花たち創設メンバーと高校生三人のコーチから受け継いだ女バスを進級した六年生と卒業間近に入部希望届を出した五年生たちと盛り上げていくことが現在の美星の目標となっていた。
*
「――そういうわけだから悪いな、智花」
「あ……いえ。そうですよね。美星先生にはいつもご迷惑をお掛けしてしまいすみませんでした。今まで本当にありがとうございましたっ」
美星は智花と共に慧心学園に向かう道中の車内で、「もう智花の担任でも顧問でもなくなっちゃったから、学校まで送ってやるのは今月までな」と簡潔に用件のみを彼女に伝えていた。
ほんの一瞬だけ表情を曇らせるも、すぐに顔を引き締め、美星の方を向きながらいつもの丁寧な口調でこれまでの恩に感謝を告げる。
その様子に「昴なんかよりよっぽど聞き分け良すぎるんだよなぁ」と、先ほどまで必死に智花の送迎期間を引き延ばそうとしていた甥の姿を思い出していた。
「とりあえず、今話した通り今月までは送ってやるから、その間にこれからはどうするかを昴やみんなとよく話し合うんだぞ」
「は、はいっ。ありがとうございます……でも、よろしかったんですか? 私も美星先生の生徒ではなくなってしまっているので、ご迷惑が――」
「子供のくせにあんまり大人の事情を気にすんなっ。本当だったらもっとわがまま聞いてあげたかったんだけど、こればっかりは聞いてあげられないからな。ごめんな智花」
美星は片手だけハンドルから離すと、心配そうな表情で相変わらず人の都合ばかりを気にしている少女の頭を撫でる。
「どーせ智花のことだから、自分で毎日通うつもりだったんでしょ?」
「そ、それは……はい……」
「行きたいならそれで構わないんだけどさ……無理はしちゃダメよ。それこそ無理して身体でも壊したら昴どころか真帆たちだって心配するってこと良く考えろな」
美星は構わないとは言いつつ、言外に自重を勧めていることに智花も気づく。
「ま、恋人みたいに毎日会わないと相手が浮気しないか心配だ。ってんなら、仕方ないかもしれないけどねー。にゃははは」
「はぅっ!? み、美星先生までからかわないでくださいよぅ」
「よし、到着ーっと。それじゃ、智花。あたしもたまに色々と女バスのことで相談させてもらうけど、智花もちゃんと良く考えてみてな」
「はいっ。ありがとうございましたっ。いつも……本当にありがとうございますっ!!」
一足早く車外に出て、中等部の方へ向かっていく智花の後姿を見送ったところで一息つく。
「結局智花も告らずに卒業しちゃったからねぇ。もっと早くしっかりした形で決着を付けてもらいたかったんだけど……恋心とは本当に難しわねー」
美星も当然、智花が抱く淡い恋心にはすでに気づいている。
そして、昴の立場上その気持ちに応えることが非常に難しい状況であることも、それを伝えることができないことも。
そもそも昴が去年一年間フリーになってしまった理由が、所属している部活の部長が小学生と付き合い駆け落ちしてしまったからなのだ。
本人たちとは全く無関係な話だ。わざわざ話したところで変な不安を煽るだけなので話す必要はない。というのが、大人たちの判断だ。
仮に話すことが必要になったとしても、美星の口からはそんなことを彼女たちに話せるわけがない。やはり被害者である昴本人の口からでなくてはならない。
「……ったく、昴の奴がもーちょい察しが良い奴だったら、あたしがわざわざ二人の仲を引き裂くみたいな嫌な役割をしなくても済むのに」
腹いせに明日の朝、昴を一発殴ってやろうと心に決めるのだった。