青の章・序章
それは突然やってきた。姉と屋敷の客人が、見知らぬ旅人をこの屋敷に連れ込んだのだ。大きなケガを負ったその男は、客人——主人が後ろ楯となり、王選候補となった銀髪の少女——と行動を共にする小さな精霊と、屋敷の司書との力で、一命をとりとめた。
怪我の回復まで、全ての世話を任された姉と自分だったが、その素性のわからない男から、ただならぬ、ある臭いが漂っていることに気づいていた。
魔女の残り香——そして、それを纏う者たち。それは自分たちの故郷を焼き、たった一人の姉の未来を奪った元凶。それが再び目の前に現れた。
誰一人気づかなくても、自分だけはその臭いに気づく。この素性の知れない男の狙いは一体なんなのか。他の誰かを騙せても、自分は決して騙されない。他の誰かが許しても、自分だけは決して許さない——
——はずだった。
「笑いながら肩組んで、明日って未来の話をしよう。俺、鬼と笑いながら未来の話すんの、夢だったんだ!」
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青の章・1
「おはようございます! スバルくん! 今日も素敵ですね!」
「おはよう、レム。朝からご機嫌だな。何かいいことでもあったのか?」
「レムはスバルくんのその顔を見るだけで、毎日幸せです!」
「い、いや、あの、あんまりストレートに言われると、めちゃ照れるんで、やめてくんない?」
「そういうスバルくんも、可愛い……」
自分より頭一つほど背の高いスバルを見上げながら、レムは愛おしそうにそう言った。
あの事件から何日かが過ぎた。今では姉の次に、いや、もしかしたら世界で一番信頼し、信用し、そして素直になれる、唯一の存在。
深い深い霧の中で、出口もわからず泣くこともままならず、たった一人でさまよっていたちっぽけな自分の手を取り、命をかけて自分を明るい世界に連れ出してくれた、大好きな大好きな男の子——ナツキスバル。
「スバルくん、昨日の夜は……」
「昨日の夜? ああ、もちろんお勉強タイムだ! イ文字はほぼ読めるようになったから、ロ文字の勉強を……でも、途中で寝ちまってた」
「レムは、スバルくんにお夜食を持って行ったんですよ! それなのに……」
「え? そうなの? わりいわりい! そっか、夜食かぁ……それは残念なことをしたな」
「す、スバルくん……あの、今晩のお勉強の時に、レムの特製お夜食はいかがですか?」
「今晩かぁ。そうだなぁ。ここんとこ我ながら感張りすぎだから、今日は早く寝て明日に備えるかな! って、まだ今日始まったばっかだけど!」
「そ、そうですか……」
「なに! なに? 何泣きそうな顔になってんの? レムさん?」
「い、いえ……なんでもありません! そ、それよりそろそろレムは朝食の支度が……」
「あ、ああ、そっか。そうだな。じゃ、俺はエミリアたんのあの美しいお顔を見てこようかしらん! じゃ、また後でな!」
鼻歌を歌いながらスバルが歩いてゆく。レムはその後ろ姿を見つめながら、
「んー、困りました。消費期限があるというのに……」
そう呟いて、メイド服のポケットに入っているものに手を触れた。
厨房へ行くと、すでにラムが朝食の準備をしていた。ラムを起こして、着替えとヘアメイクをするのも、レムの日課だった。今日も姉様は綺麗だ——自分と瓜二つのその顔を見て、レムは満足そうに頷いた。
「レム、今日の朝食なんだけど……」
「はい、姉様。今日は——」
テキパキと準備を進める二人。四人分と自分たち二人分の支度が整うと
「姉様、スバルくんの分はこれですか?」
「一番適当なのがバルスの分よ。その端のトレーのが、そう」
「ね、姉様、ちょっとスープの味が薄いかもしれません。味付けを確認してもらえますか?」
「スープの味? わかったわ、レム」
ラムが鍋のスープの味を確かめている隙きに、レムは、ポケットからこっそり、ペッパの粒のようなものを数粒取り出した。それを手早く砕くと、ぱらぱらとスバルのスープに振りかける。
「レム、いつも通りの味よ。このままでいいんじゃない?」
「そ、そうですか。では運びましょう」
そう言ってワゴンに食事を乗せ始めるレムを、ラムはじっと見つめていた。その視線にレムは全く気づいていなかった。
そして事件は起こった。
朝食を食べ終わって、みんなでお茶を飲んでいるタイミングで、スバルが、
「あ? あれ、なんかおかしい。ゾクゾクする……。う……い、いて……腹、腹が! いてててて!」
そう言って腹を抱えると、テーブルに突っ伏したのだ。騒然となる食堂。
「す、スバル? 大丈夫? どうしたの? お腹が痛いの?」
そう言って席を立ったのは、エミリア。
「んー? どぉーしちゃったのかぁーな?」
お茶を飲みながら、軽く笑みを浮かべている当主ローズワール。
「何か、悪いものでも食べたのかしら?」
澄まし顔のベアトリス。
「……」
何か思うところがあるのか、じっとスバルを見ているラム。
「す、スバルくん?」
真っ青な顔の、レム。
「スバルくん! スバルくん!」
レムは泣きそうな顔でスバルに駆け寄ると、スバルを床に寝かせて、
「だ、大丈夫ですか? なにが、ど、どうして……」
そこまで言ってから、ふと何かに気づいたのか、さらに青くなった。
「ど、どうしましょう! どうしましょう!」
「大丈夫。ただのアッピ病じゃないかな?」
いつの間にか、レムの横に灰色の小さな猫が浮いていた。エミリアと契約を交わしている精霊パックだ。こんななりでも一応は大精霊。この屋敷で一番の力を持っている。
「前にも見たことあるよ。内臓が炎症を起こしているんだよ。なぁに、どこの家にでもある薬ですぐ治るから心配、ない」
パックの落ち着いてのんびりした口調に、
「薬! ど、どのお薬を?」
さっと立ち上がり、パックの指示を仰ぐ、レム。脱兎のごとく、いや、鬼のダッシュで薬を取りに行って、あっという間に食堂に戻ってくる。
「こ、これですね! お、お水は……」
スバルを抱き起こし、半ば無理やり口の中に薬を放り込んで、水と一緒に飲み込ませるレム。気を失ったようにぐったりしたままのスバルを抱きかかえて、
「と、とりあえずスバルくんのお部屋に……」
「がはっ!」
その直後、スバル口から鮮血が迸った。
「す、スバルくん!」
「スバル? どうしたの? スバル!」
慌てふためく二人に、そっとその眼を細めるロズワール。その口が何かを言いかけて……。
「リア、スバルを凍らせるんだ!」
「えっ? わ、わかった!」
エミリアが眼を閉じなにかを唱える。部屋中の空気が一変する。さっと手をスバルに向けて振りかざすと、瞬時にスバルの体が凍りついた。
「す、スバルくん! エミリア様! これは……」
「大丈夫。一時的にスバルの生命活動を止めただけだから。そ、それよりもパック、これはどういうことなの? アッピとかっていう病気じゃないの?」
「うーん、どうしちゃったのかな?」
「もしかしたーら、ちょおーっとだけ、薬が古かったのかぁーなーぁ?」
レムの横に転がっている薬の瓶を手にとって、ラベルを見ながらロズワールが言葉を発する。
「エミリア様、彼の症状はこの私が治しましょう。なぁに、食べ合わせが悪くて、体がすこぉーし崩壊しかかっただけですよ。しばらくの間は動けないでしょうが、体力が回復すれば、何も問題ありません」
「あとは、ベアトリス、あとで調合表を渡すから、彼に薬を調合してあげてくれたまえ」
「なんでベティーが、これのために何かをしなきゃならないのかしら!」
「ベティ、僕からもお願いするよ」
「う……にーちゃの頼みなら、聞かないわけにはいかないのよ。し、仕方がないかしら。ロズワール、さっさとそのレシピとやらを渡すかしら」
「そういうことだ、レム。彼を部屋に運んでくれ給え。その後速やかに治療をしようじゃないか」
「わ、わかりました!」
「申し訳ありません、ロズワール様。バルスがお手を煩わせてしまって……」
深々と頭を下げるラムに、ロズワールは、
「いやぁ、なかなかどうして。これはこれで、面白いんじゃないのかな」
そう言うと、ラムの手に薬の瓶を渡して、ウインクをした。手渡されたその瓶のラベルを見た彼女は、ハッと息を飲むと、再度深くロズワールに頭を下げた。
黒丸です。第二部「青の章」スタートします。このタイミングで、タイトルを当初考えていたものに戻しました。
「ダーク〜」にしていた理由はいくつかあるのですが、銀髪の少女の瞳の色が「紫紺」という表現だったこと、「胡蝶の夢」というEXがあったことを書き始めた後から知って、あまり深く考えずに「ダーク〜」に。ですが、どうもしっくり来ず、書き始めた時につけていた「紫紺の夢」に改題させていただきました。すみません。
引き続き「紫紺の夢」どうぞよろしくお願いします。