※この作品はR-18です。

紫紺の夢   作:Kuro Maru

23 / 104
青の章・4

 夢を、見ていた。

 

 いつかどこかで、見たことのあるような、そんな場所で、自分と同じ大きさの赤い色を追って走っていた。いつも一緒にいてくれる、優しい赤。その足が止まり、ゆっくりと自分を振り返る。その瞳に見つめられると、大きな安心感に包まれていくのがわかる。これからもずっとずっと、一緒に。そう思って手を伸ばす——。

 

 突然、足元が崩れ落ち、暗闇に放り出される。次の瞬間、地面に叩きつけられる衝撃と同時に、血の味が口いっぱいに広がる。何かが入っている。口の中に、何か固くて柔らかなものが。慌てて血の味のする何かを手の上に吐き出す。手の中にある血だらけのもの。それは白く、ただ白く、純白に輝く——。

 

 泣いていた。その白いものを永遠に失ってしまった大切な赤い色のために。悲しかった。それを手にした瞬間の感情が。それに気づいてしまった自分自身が。

 もう再びその手を取ることはできない、決して手を触れられない、手を触れてはいけない、遠く離れてしまった赤い色。ただただ泣いていた。未来永劫、この身が滅びるまで決して許されることのない、自分自身のために。

 

 遠くの赤い色に、大きな黒い影がかぶさってゆく。その影の中心から伸びていくものに赤の中心が貫かれる。その刹那、赤が体をのけぞらせる。黒い影が貫いている部分から、その強大な力が幾度となく流れ込み、その度に赤は体を震わせながら、跳ね上がる。何度も、何度も、何度も——。

 そこから遠く離れているはずの自分の中にも、同じ何かが入り込んでくる。何度も、何度も。逃げ出したくても、足がすくんで逃げられずに、怖くて泣きたくても、枯れてしまった涙を流すこともできずに、誰かに手を伸ばしたくても、もう二度と誰かの手を掴むことはできずに。

 

 一人ぼっちで座り込み、顔を覆って、蹲っていた。

 

 どのくらいそこにいただろう。どのくらいそのままでいたのだろう。

 

 気づくと、明かりが差していた。

 誰かが自分の手を取り、肩を優しく抱いてくれていた。優しくて暖かな何かが、胸に伝わってくる。

 

 それが誰かを知りたくて、恐る恐る顔を上げ——。

 

「うわっ!」

 

 突然の声に、びくっと体が反応する。夢だった。いつの間にか眠っていた。この夢を見るのは、久しぶりだった。——けれど。

 

 スバルの目が開いていた。

 

「あ……気がついていたのですか? 気分はどうですか? 悪い夢でも見ましたか? スバルくん」

 

 スバルの手を握ったままになっているレムの手が、少しだけ震えていた。

 

「ごめんなさい。レムも少し居眠りをしてしまいました。どのくらい前に目が覚めたのですか?」

 

「い、いや、たった今気がついたところ、だけど……」

 

 いつものスバルの声だった。

 

「気分はどうですか?」

 

「体は動かないみたいだけど、頭痛と喉のイガイガはずいぶん良くなったみたいだ」

 

「よかった……」

 

 涙ぐみながら、レムは微笑んだ。

 

「ずっとここにいてくれたのか?」

 

「はい。お薬をスバルくんに飲ませ……」

 

 レムはそう言いかけると、言葉に詰まって、目を伏せた。頬が赤くなるのが自分でもわかる。

 

「あの、お、お薬を飲んでもらわないといけなくて……」

 

「そ、そっか。あ、さ、さんきゅ…… あ、ありがとう……い、いやあの、なんだ、その、く、薬はもう飲まなくても、い、いいのか、な?」

 

「いえ、今日はまだあと少しだけ……」

 

 レムがちらりとスバルを見ると、スバルはさっと目をそらせた。

 

「あの……」

 

「あ、あのさ……」

 

 二人の会話が重なる。心臓の鼓動が早鐘のようだ。顔だけじゃなく、体全体が熱くなっている。

 

——この胸の音、スバルくんに聞こえちゃっていたら、どうしましょう!

 

「あ、あの、スバルくん、顔が赤いですけど、お部屋が少し暑いですか? 窓を開けましょうか?」

 

 レムは、そんな自分を誤魔化すように、スバルに話しかけた。

「いや、それは、その……」

 

「ちょっと空気を入れ替えますね」

 

 名残惜しそうに繋いでいた手を離して、椅子から立ち上がったレムは、カーテンを開けて部屋の大きなすべり出し窓を開いた。涼しい風がレースのカーテンをそよがせて、火照った二人の頬を冷やしていった。夜虫の鳴き声が聞こえる。

 

「レム、今は夜なのか? それとも——」

 

「もうすぐお月様が沈みます。そろそろ明け方ですよ、スバルくん」

 

「そっか……」

 

「はい」

 

「あ、あのさ、レム。俺、一体どうなったんだ? どのくらい、あの、寝てたんだ?」

 

「す、スバルくん……覚えてないんですか?」

 

「んー、なにがなんだかさっぱり」

 

「そ、そうですか……」

 

——どこから話せばいいんでしょう……一体どこまでスバルくんは……。

 

 少しだけ間をおいて、レムが話し出す。

 

「お屋敷で倒れたのは一週間ほど前です。それからずっとスバルくんは眠っていて——でも、命に別状がないのはわかっていたので、安心して一緒に……」

 

「命に別状がない?」

 

「は、はい……」

 

「え? それってどういう……?」

 

「あ、あの……その」

 

——何をどう言っても最後には辿り着いてしまう。

 

「とりあえず、お薬で治るというお話で……」

 

——ううう。困りました……。

 

「……ごめんなさい、スバルくん」

 

「え?」

 

「スバル君がまたレムのせいで……」

 

「え? なに? 何がレムのせいなんだ? レムが俺に何かしたのか??」

 

「い、いえ、そういうわけでは……あ、あの、その……最初は……」

 

——い、言えません。流石に今は言えません……も、もう少しスバルくんが元気になってから……。

 

「いや、あの、レム……」

 

 そう言いかけたスバルの言葉を遮って、一つ大きく息を吸い、そして開き直ったようにこう言った。

 

「と、とにかく、レムが最後までスバル君のお世話をします。そうしたいんです」

 

「そっか。よくわからんけど……。なんか、レムを助けた的な? ま、誰も傷ついていないなら、だったらそれでいいんだが。ところで、みんなは? エミリアは?」

 

「はい、エミリア様なら、ロズワール様と一緒に王都へ」

 

「王都?」

 

「はい。王選に関することだとか」

 

「こうしちゃいらんねぇ! 早く俺も行かないと! と、言いたいところだけど、これじゃあ、足手まといどころか、文字通り手も足も出ない、よな」

 

「スバルくんは、この機会にじっくり休養をとる様に、とエミリア様が」

 

「休養ねぇ。休養というより、急病ってとこだろ、これ」

 

 妙な韻を踏んだ冗談に、思わず顔が緩む。そして

 

「でも、レムはちょっとだけ、嬉しいです。エミリア様が帰ってくるまで、スバルくんを独り占めできますから」

 

「いや、独り占めって……」

 

——そう、独り占め。ごめんなさい。こんなことを言う資格がないのはレムにもわかっています。でも、今だけはそうさせてくださいね、スバルくん……。

 

「さあ、お薬を飲みましょう。スバルくん」

 

 そう言いながらテーブルに手を伸ばすレム。

 

「れ、れ、レムさん? ま、まさかとは思いますけど、こ、この、寝ていらっしゃ、いや、ね、寝てるあいだずっと、お、ぼ、僕に、の、飲まれ、く、くすりっ、もらっ、いや、いただいて、お、お、おられたのですか?」

 

 顔を赤くしてしどろもどろになるスバルに、

 

「はい、スバルくん」

 

 ボトルに手を伸ばし、薬をグラスにそそいで、口に含む。頬が赤く染まるのを感じる。スバルを見ると、やはり顔を赤くして、困ったような嬉しいような複雑な表情をしている。

 

 頬に手を触れて、唇に触れる。わずかに開くスバルの口の中に、液体をゆっくりと注ぎ込む。スバルの喉が動き、スバルの口が空になる。

 大きなため息とともに、二人の唇が離れると、瞬く間にスバルは眠りに落ちていった。

 

 彼の額にそっとふれ、ついで優しくその黒い髪の毛を梳きながら、レムはさっき見た夢の続きを思い出していた。

 

——毎日のように見ていた悪夢。

 

 あの暗闇の中、たった一人ぼっちで、泣くこともできず、ただ蹲っているしかなかった。その幾度となく繰り返し見続けたあの夢に、変化があった。

 

 誰かが優しく手を伸ばしてくれて。

 

 誰かが肩を優しく抱いてくれて。

 

 そして、誰かが一緒に歩こうと優しく言ってくれて。

 

 途中で目が覚めてしまったけれど、あの先に、あの光の中に、誰がいるのか、もうとっくに知っている。

 

 ナツキスバル。

 

 幾度となく見続けたあの悪夢から、ようやく自分を救い出してくれた、自分を許すことを教えてくれた、誰かと一緒に笑って、涙を流して、そしてまた誰かに手を伸ばして、その手を掴んで、誰かを好きになっていいと教えてくれた、ただ一人の愛しい人。

 

 突然こみ上げてきた感情を抑えることができず、レムはスバルのベッドに突っ伏すと、あの時と同じように慟哭した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。