数日が過ぎた。相変わらずスバルは寝たままで、レムは変わらず甲斐甲斐しく介護を続けていた。屋敷にいるはずのベアトリスは、例の薬をレムに渡すときだけ姿を現わすだけだった。
ラムの目下の問題は、減り続けるマナへの対応だった。ロズワールが王都に出てから、もう六日ほどになる。限界が近づいている。この程度で済んでいるのは、なるべく多くの時間をスバルのそばで過ごそうと、屋敷のほとんどの仕事を、文字通り鬼のような勢いで片付けてしまうレムのおかげだった。
それでも、やはり寝付けない日が多くなってきている。だるくて疲れているはずなのに、体がマナを欲する痛みと苦しみで、よく眠れないのだ。
どのくらいベッドで悶々としていただろうか。いつの間にか眠っていた。その浅い眠りから目を覚ますと、ベッドから降りて、窓の外を眺めた。
あたり一面に綺麗な花が咲いていた。いつかどこかで、走り回った場所。
自分の左手が誰かの手を握っている。振り向くと、青い瞳が自分のことを愛おしそうに見つめている。自分もまた、その愛おしい大切な青い瞳に優しく微笑む。一緒に手をつないで、いつまでも、どこまでも歩き続ける。
突然、背中に熱い何かを感じる。振り返ると、花畑に火の手が上がっている。手をつないでいたはずの青い瞳が、離れたところで一人で泣いている。そこにも炎が襲いかかる。
大切な青い瞳を守らなければ。だが、炎は消えるどころか、その勢いを増してゆく。力を使って強引に火を払いながら、ようやく青い瞳にたどり着く。その小さな手を取ろうとした、刹那。
突然襲った耐え難い痛み。その痛み全てを感じる間も無く、闇の中に放り出される——。
「……さま。姉様」
気づくと、いつものように、優しく肩に手がかけられていた。
「レム。お、おはよう」
「おはようございます。姉様」
毎朝の儀式だった。寝起きの悪いラムを、寝起きの良いレムが、毎朝起こしに来ることが日課になっていた。ただ、今日はいつもと少しだけ様子が違う気がする。
「姉様。スバルくんが、スバルくんの目が覚めました!」
「そ、そう。よかったわ。で、バルスの様子はどんな——」
「まだ体は動かないようですが、意識はしっかりしてますよ! お話もできます!」
ラムが言い終わる前に、嬉しそうに話すレム。
「よかったわね、レム」
これは嫌味でもなんでもない、本当の気持ち。
「はい! 姉様! 今日から忙しくなりますね!」
——何がどう忙しくなるのかしら? ま、レムが一人で忙しくなるのは目に見えているわね。
「じゃ、着替えを——」
「はい! 姉様!」
レムは、言葉を最後まで聞かずに、ラムをいつもの給仕服に着替えさせると、鼻歌交じりでさっさと部屋から出て行った。
「ほんと。忙しくなりそうね」
ラムがスバルの寝ている部屋に足を運んだのは、屋敷の作業を済ませた頃だった。と言っても、例によってほとんどの仕事はレムがすべてやってしまっていた。まだ日は高く上がっていて、この調子だと、明日の分まで終わりそうな勢いだ。
レムが、目を覚ましたばかりのスバルと楽しそうに話をしている。なんと言っただろうか。病人を介護していると、無意識に病人に恋愛感情を抱いてしまう症状のことを。
レムはそれに当てはまるのだろうか。いや、そうに違いない。きっとそうだ。だいたいこの男はいつも怪我とか病気で倒れているではないか。そうでなかったら、なんでこんな……。
——ああ、ダメね。体調が悪いと、思考までどんどん悪くなっていく。今は、レムの楽しそうな顔を回復薬にして……。それに。
少なくとも、レムにだけは気取られてはならない。ラムは大きく息を吸い込んで、気持ちを整えた。
「思ったより大丈夫そうね、バルス」
そう言って、スバルのベッドに近づくと、
「これもラムとレムの献身的な看病のおかげだわ。感謝しなさい、バルス」
ラムは、事情がよくわかっていないスバルにそう言い切った。
「や、やあ。元気というか、なんというか。ねえさまはどうよ?」
今、一瞬妙な間があったことに、ラムが気づかないわけがない。
「ラムは何も変わらないわ。それよりも今、何か邪なことを考えていなかったかしら? いやらしい」
——一瞬、胸を見比べていたわね、バルス。ラムが気づかないとでも思っているのかしら。ようやく目が覚めたと思ったら、ホントいやらしい。その目を潰してあげようかしら。
「そ、そ、そんなことあるかー!」
「言い澱むところが怪しいわね」
——この辺で許してあげるわ。レムに感謝なさい。
「ま、なにを考えていたのかは、わからないけれど、一刻も早く働けるようになりなさい、バルス。仕事は溜まっているのよ、バルス」
スバルは焦りながらも、こう言った。
「バルス、バルスって、そんなに滅んで欲しいのかよ!」
バルス。特に意味なくバルスをバルスと最初に呼んだ時、目潰しが云々言っていた。そして今、滅びがどうのと言っている。この男は、一体何を言っているのだろう? これは常に疑問に思っていたことの一つだった。
今度バルスが何かしでかす直前に、〈バルス!〉と唱えてみよう。きっと何か楽しいことが起こるに違いない。
「あなたが倒れた時、それに近い状態だったのよ」
「へ? 滅びに近い?」
あら、何も聞いていないのね。そういう顔で、ラムが続ける。
「そうよ。いきなり倒れたかと思ったら、そのまま意識は不明。ロズワール様とベアトリス様がいなければ、そのまま地獄行きだったわ。ま、バルスが地獄へ行きたいのは勝手だし、それはそれで構わないけど。とにかく、今こうやって話をしているのが不思議なくらいだわ」
「げ、マジかよ……なんでそんなことに……いや、まてまて、地獄って……」
「そうね、ほんと残念だわ」
レムが隣で赤くなっている。
「おいおい、そんな悲しいこと言うなよ! 俺とラムの仲じゃないか!」
「そんな仲、今までもこれからも、どこにもないわ、バルス」
「くぅぅー。辛辣すぎてぐうの音もでねぇ!」
「ね、姉様……そ、そのくらいで……」
——ああ、またやってしまった。ごめんなさい、レム。気分を変えないと。
「忘れていたわ、レム。今日はいい天気だし、やることをやってしまわなくてはダメね。さあ、取り掛かるわよ」
ラムは、スバルにかかっていた布を全て一気に取り去った。
「うぁぁぁぁぁぁ! ちょ、ちょっと待った! まったぁぁぁぁぁ!」
動かせない体から、大きい声が飛び出した。
「なんだこれ! なんだこれ! こ、こ、この……!」
「何を今更叫んでいるの? この数日でバルスの裸は見飽きたわ」
「ええええええええええええっ! そんなばかなぁぁぁぁぁ!」
「恥ずかしがることはないわ、バルス。これもラムとレムの仕事ですもの。そもそも、最初にこの屋敷に運ばれてきたときにも、全員に見られているわ」
——じっくりは見ていないし、直接触ってもいなかったけどね。
「それに、さっさとオムツを替えてしまわないと、いい加減、臭くなるわよ」
もののついでに言ってみる。
「くぁwせdrftgyふじこlpぃぃぃぃぃっ!」
スバルが意味不明の言葉を叫んだ。この辺りも、この男の謎な部分だ。たまに意味のわからない言葉を、当たり前のように口にすることがある。これには一体どんな意味があるのだろう?
「仕方がないですよ、スバルくん。レムは気にしてませんよ。姉様もあんな風に言ってるけど、スバルくんのお世話をするのは嫌じゃないんです」
「ち、ちょっと、お、お伺いしても、よ、よ、よろしいでしょうか? も、もしかして意識のない間、ずっと、そ、その……」
「はい! 姉様とレムとで、いつも清潔にしてましたよ!」
「くぅぅぅぅぅぅぅ」
——本当にレムは優しくていい子ね。バルスには勿体無いわ!
ラムはその勿体無い男に巻かれている腰の布に、手をかけた。
「いや、まってまってまってまって!」
「バルス、うるさい。少しは静かにできないの?」
「あの……少しの間、目を瞑っていてくださいね。スバルくん。目が合うと、レムもちょっと、あの、は、恥ずかしいです」
レムがスバルの体を持ち上げて、オムツを外した。
「大丈夫よ、バルス。もう大きいのは出ていないわ」
「……! くぅぅぅぅぅ……」
ラムはリネンをまとめながら、正直ホッとしていた。ロズワールが言った通り、おおよそ一週間で症状が良くなっている。
「体を拭きますね」
「待った! 待った! 待った! マッタァァァァ! もう十分だ! 十分だからこれで終わりにしてくれぇぇぇ!」
何を急に焦り出しているのか、スバルが叫き始める。裸を見られるのが嫌なら、そんなのとっくに見られているではないか。
「何を言っているの、バルス。黙って綺麗にされなさい」
「そうですよ、スバルくん。もう少しですっかり綺麗になりますよ」
「そうじゃない! わざとだろ! 絶対わざとやってるだろう! これ以上の辱めはかんべんしてくれぇぇぇっ!」
——わざと? 一体何を言っているの?
ラムはそんなスバルを無視してレムをちらりとみると、赤い顔をして、その部分を凝視している。
「レム、バルスの足を開いてそちら側に曲げてちょうだい」
「姉様も、そっちの足を」
「レム、ラムは下を綺麗にするわ。レムはバルスの……」
——そっちはレムに任せるわ。
「わかりました、姉様。レムはスバルくんの……」
「うううううううう」
——ま、流石にこの格好は恥ずかしいわね。自分が逆の立場だったら、死を選んでいるわ。
と、半泣きで呻いていたスバルの体から、フッと力が抜けた。一体何がそんなに気に入らなかったのか、さっぱり理解できない。
「やっと力が抜けましたね。そのまま楽にしていてください。もう少しで終わりますから」
「そんなに体に力が入るのだから、もういい加減ベッドから出て仕事が出来るんじゃないの?」
「起きて仕事ができんなら、二人にこんな恥ずかしいことはしてもらわねェよ!」
——いえいえ。かなりの力だったわ、バルス。自分で気づいてないの?
ラムが若干呆れていると、スバルがこう言った。
「いわゆる恥辱の限りを受けた感じだけど、でも、あ、あの、ありが……」
「そうね、これは貸しにしておくわ。今度もしラムが倒れた時は、同じようにしてもらおうかしら」
なんとか症候群の影響は自分にはないはず。でもそれは、逆でもあり得るのだろうか? ラムはふと、そんなことを思った。後にあんなことになるとは、夢にも思っていなかった。
「へ? あ、いや、そ、そ、それは、あの、そんなことは……」
焦るスバルに、ラムが一瞥する。
「何を真剣に考えているの、いやらしい。そんなことがあるわけないじゃない。ほんと下劣ね、バルスは」
「で、ですよねぇ」
「じゃ、ラムは洗い物をしてくるわ。あとのことはレムに任せるわ」
汚れ物を手早くまとめると、ベッドの脇からドアに向かう、ラム。
「はい、姉様。あとはレムが全部」
「何かあったら呼んでちょうだい」
去りがけに、スバルの方に振り向く。
「そもそも普段の行いがよくないから、こういう目にあうというものよ」
——あ。また……。
「ま、今回の責任はレムと、レムの姉であるラムにもすこしだけあるわ。ほとんど無いも同然といってもいいくらいだけど。動けるようになるまで、きっちりと面倒は見させてもらうわ。だからといって、ラムの可愛い妹に何かしたら許さないわよ」
——まあ、もしレムが望んでいることなら、押し倒すくらいのことがあっても、それは男としていいんじゃない? 百歩譲って、そのくらいは許してあげてもいい、かもしれないわね。まあ、この二人の場合、逆のパターンになる可能性の方が高いかもしれないけど。どっちにしても、レムがそれでよければ、の話だけど。
ラムは、静かにドアを閉めた。
しばらくして、また例のドキドキ感が、レムから伝わってきた。