※この作品はR-18です。

紫紺の夢   作:Kuro Maru

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赤の章・5

 数日が過ぎた。相変わらずスバルは寝たままで、レムは変わらず甲斐甲斐しく介護を続けていた。屋敷にいるはずのベアトリスは、例の薬をレムに渡すときだけ姿を現わすだけだった。

 

 ラムの目下の問題は、減り続けるマナへの対応だった。ロズワールが王都に出てから、もう六日ほどになる。限界が近づいている。この程度で済んでいるのは、なるべく多くの時間をスバルのそばで過ごそうと、屋敷のほとんどの仕事を、文字通り鬼のような勢いで片付けてしまうレムのおかげだった。

 それでも、やはり寝付けない日が多くなってきている。だるくて疲れているはずなのに、体がマナを欲する痛みと苦しみで、よく眠れないのだ。

 

 どのくらいベッドで悶々としていただろうか。いつの間にか眠っていた。その浅い眠りから目を覚ますと、ベッドから降りて、窓の外を眺めた。

 

 あたり一面に綺麗な花が咲いていた。いつかどこかで、走り回った場所。

 

 自分の左手が誰かの手を握っている。振り向くと、青い瞳が自分のことを愛おしそうに見つめている。自分もまた、その愛おしい大切な青い瞳に優しく微笑む。一緒に手をつないで、いつまでも、どこまでも歩き続ける。

 

 突然、背中に熱い何かを感じる。振り返ると、花畑に火の手が上がっている。手をつないでいたはずの青い瞳が、離れたところで一人で泣いている。そこにも炎が襲いかかる。

 大切な青い瞳を守らなければ。だが、炎は消えるどころか、その勢いを増してゆく。力を使って強引に火を払いながら、ようやく青い瞳にたどり着く。その小さな手を取ろうとした、刹那。

 

 突然襲った耐え難い痛み。その痛み全てを感じる間も無く、闇の中に放り出される——。

 

「……さま。姉様」

 

 気づくと、いつものように、優しく肩に手がかけられていた。

 

「レム。お、おはよう」

 

「おはようございます。姉様」

 

 毎朝の儀式だった。寝起きの悪いラムを、寝起きの良いレムが、毎朝起こしに来ることが日課になっていた。ただ、今日はいつもと少しだけ様子が違う気がする。

 

「姉様。スバルくんが、スバルくんの目が覚めました!」

 

「そ、そう。よかったわ。で、バルスの様子はどんな——」

 

「まだ体は動かないようですが、意識はしっかりしてますよ! お話もできます!」

 

 ラムが言い終わる前に、嬉しそうに話すレム。

 

「よかったわね、レム」

 

 これは嫌味でもなんでもない、本当の気持ち。

 

「はい! 姉様! 今日から忙しくなりますね!」

 

——何がどう忙しくなるのかしら? ま、レムが一人で忙しくなるのは目に見えているわね。

 

「じゃ、着替えを——」

 

「はい! 姉様!」

 

 レムは、言葉を最後まで聞かずに、ラムをいつもの給仕服に着替えさせると、鼻歌交じりでさっさと部屋から出て行った。

 

「ほんと。忙しくなりそうね」

 

 ラムがスバルの寝ている部屋に足を運んだのは、屋敷の作業を済ませた頃だった。と言っても、例によってほとんどの仕事はレムがすべてやってしまっていた。まだ日は高く上がっていて、この調子だと、明日の分まで終わりそうな勢いだ。

 

 レムが、目を覚ましたばかりのスバルと楽しそうに話をしている。なんと言っただろうか。病人を介護していると、無意識に病人に恋愛感情を抱いてしまう症状のことを。

 レムはそれに当てはまるのだろうか。いや、そうに違いない。きっとそうだ。だいたいこの男はいつも怪我とか病気で倒れているではないか。そうでなかったら、なんでこんな……。

 

——ああ、ダメね。体調が悪いと、思考までどんどん悪くなっていく。今は、レムの楽しそうな顔を回復薬にして……。それに。

 

 少なくとも、レムにだけは気取られてはならない。ラムは大きく息を吸い込んで、気持ちを整えた。

 

「思ったより大丈夫そうね、バルス」

 

 そう言って、スバルのベッドに近づくと、

 

「これもラムとレムの献身的な看病のおかげだわ。感謝しなさい、バルス」

 

 ラムは、事情がよくわかっていないスバルにそう言い切った。

 

「や、やあ。元気というか、なんというか。ねえさまはどうよ?」

 

 今、一瞬妙な間があったことに、ラムが気づかないわけがない。

 

「ラムは何も変わらないわ。それよりも今、何か邪なことを考えていなかったかしら? いやらしい」

 

——一瞬、胸を見比べていたわね、バルス。ラムが気づかないとでも思っているのかしら。ようやく目が覚めたと思ったら、ホントいやらしい。その目を潰してあげようかしら。

 

「そ、そ、そんなことあるかー!」

 

「言い澱むところが怪しいわね」

 

——この辺で許してあげるわ。レムに感謝なさい。

 

「ま、なにを考えていたのかは、わからないけれど、一刻も早く働けるようになりなさい、バルス。仕事は溜まっているのよ、バルス」

 

 スバルは焦りながらも、こう言った。

 

「バルス、バルスって、そんなに滅んで欲しいのかよ!」

 

 バルス。特に意味なくバルスをバルスと最初に呼んだ時、目潰しが云々言っていた。そして今、滅びがどうのと言っている。この男は、一体何を言っているのだろう? これは常に疑問に思っていたことの一つだった。

 今度バルスが何かしでかす直前に、〈バルス!〉と唱えてみよう。きっと何か楽しいことが起こるに違いない。

 

「あなたが倒れた時、それに近い状態だったのよ」

 

「へ? 滅びに近い?」

 

 あら、何も聞いていないのね。そういう顔で、ラムが続ける。

 

「そうよ。いきなり倒れたかと思ったら、そのまま意識は不明。ロズワール様とベアトリス様がいなければ、そのまま地獄行きだったわ。ま、バルスが地獄へ行きたいのは勝手だし、それはそれで構わないけど。とにかく、今こうやって話をしているのが不思議なくらいだわ」

 

「げ、マジかよ……なんでそんなことに……いや、まてまて、地獄って……」

 

「そうね、ほんと残念だわ」

 

 レムが隣で赤くなっている。

 

「おいおい、そんな悲しいこと言うなよ! 俺とラムの仲じゃないか!」

 

「そんな仲、今までもこれからも、どこにもないわ、バルス」

 

「くぅぅー。辛辣すぎてぐうの音もでねぇ!」

 

「ね、姉様……そ、そのくらいで……」

 

——ああ、またやってしまった。ごめんなさい、レム。気分を変えないと。

 

「忘れていたわ、レム。今日はいい天気だし、やることをやってしまわなくてはダメね。さあ、取り掛かるわよ」

 

 ラムは、スバルにかかっていた布を全て一気に取り去った。

 

「うぁぁぁぁぁぁ! ちょ、ちょっと待った! まったぁぁぁぁぁ!」

 

 動かせない体から、大きい声が飛び出した。 

 

「なんだこれ! なんだこれ! こ、こ、この……!」

 

「何を今更叫んでいるの? この数日でバルスの裸は見飽きたわ」

 

「ええええええええええええっ! そんなばかなぁぁぁぁぁ!」

 

「恥ずかしがることはないわ、バルス。これもラムとレムの仕事ですもの。そもそも、最初にこの屋敷に運ばれてきたときにも、全員に見られているわ」

 

——じっくりは見ていないし、直接触ってもいなかったけどね。

 

「それに、さっさとオムツを替えてしまわないと、いい加減、臭くなるわよ」

 

 もののついでに言ってみる。

 

「くぁwせdrftgyふじこlpぃぃぃぃぃっ!」

 

 スバルが意味不明の言葉を叫んだ。この辺りも、この男の謎な部分だ。たまに意味のわからない言葉を、当たり前のように口にすることがある。これには一体どんな意味があるのだろう?

 

「仕方がないですよ、スバルくん。レムは気にしてませんよ。姉様もあんな風に言ってるけど、スバルくんのお世話をするのは嫌じゃないんです」

 

「ち、ちょっと、お、お伺いしても、よ、よ、よろしいでしょうか? も、もしかして意識のない間、ずっと、そ、その……」

 

「はい! 姉様とレムとで、いつも清潔にしてましたよ!」

 

「くぅぅぅぅぅぅぅ」

 

——本当にレムは優しくていい子ね。バルスには勿体無いわ!

 

 ラムはその勿体無い男に巻かれている腰の布に、手をかけた。

 

「いや、まってまってまってまって!」

 

「バルス、うるさい。少しは静かにできないの?」

 

「あの……少しの間、目を瞑っていてくださいね。スバルくん。目が合うと、レムもちょっと、あの、は、恥ずかしいです」

 

 レムがスバルの体を持ち上げて、オムツを外した。

 

「大丈夫よ、バルス。もう大きいのは出ていないわ」

 

「……! くぅぅぅぅぅ……」

 

 ラムはリネンをまとめながら、正直ホッとしていた。ロズワールが言った通り、おおよそ一週間で症状が良くなっている。

 

「体を拭きますね」

 

「待った! 待った! 待った! マッタァァァァ! もう十分だ! 十分だからこれで終わりにしてくれぇぇぇ!」

 

 何を急に焦り出しているのか、スバルが叫き始める。裸を見られるのが嫌なら、そんなのとっくに見られているではないか。

 

「何を言っているの、バルス。黙って綺麗にされなさい」

 

「そうですよ、スバルくん。もう少しですっかり綺麗になりますよ」

 

「そうじゃない! わざとだろ! 絶対わざとやってるだろう! これ以上の辱めはかんべんしてくれぇぇぇっ!」

 

——わざと? 一体何を言っているの?

 

 ラムはそんなスバルを無視してレムをちらりとみると、赤い顔をして、その部分を凝視している。

 

「レム、バルスの足を開いてそちら側に曲げてちょうだい」

 

「姉様も、そっちの足を」

 

「レム、ラムは下を綺麗にするわ。レムはバルスの……」

 

——そっちはレムに任せるわ。

 

「わかりました、姉様。レムはスバルくんの……」

 

「うううううううう」

 

——ま、流石にこの格好は恥ずかしいわね。自分が逆の立場だったら、死を選んでいるわ。

 

 と、半泣きで呻いていたスバルの体から、フッと力が抜けた。一体何がそんなに気に入らなかったのか、さっぱり理解できない。

 

「やっと力が抜けましたね。そのまま楽にしていてください。もう少しで終わりますから」

 

「そんなに体に力が入るのだから、もういい加減ベッドから出て仕事が出来るんじゃないの?」

 

「起きて仕事ができんなら、二人にこんな恥ずかしいことはしてもらわねェよ!」

 

——いえいえ。かなりの力だったわ、バルス。自分で気づいてないの?

 

 ラムが若干呆れていると、スバルがこう言った。

 

「いわゆる恥辱の限りを受けた感じだけど、でも、あ、あの、ありが……」

 

「そうね、これは貸しにしておくわ。今度もしラムが倒れた時は、同じようにしてもらおうかしら」

 

 なんとか症候群の影響は自分にはないはず。でもそれは、逆でもあり得るのだろうか? ラムはふと、そんなことを思った。後にあんなことになるとは、夢にも思っていなかった。

 

「へ? あ、いや、そ、そ、それは、あの、そんなことは……」

 

 焦るスバルに、ラムが一瞥する。

 

「何を真剣に考えているの、いやらしい。そんなことがあるわけないじゃない。ほんと下劣ね、バルスは」

 

「で、ですよねぇ」

 

「じゃ、ラムは洗い物をしてくるわ。あとのことはレムに任せるわ」

 

 汚れ物を手早くまとめると、ベッドの脇からドアに向かう、ラム。

 

「はい、姉様。あとはレムが全部」

 

「何かあったら呼んでちょうだい」

 

 去りがけに、スバルの方に振り向く。

 

「そもそも普段の行いがよくないから、こういう目にあうというものよ」

 

——あ。また……。

 

「ま、今回の責任はレムと、レムの姉であるラムにもすこしだけあるわ。ほとんど無いも同然といってもいいくらいだけど。動けるようになるまで、きっちりと面倒は見させてもらうわ。だからといって、ラムの可愛い妹に何かしたら許さないわよ」

 

——まあ、もしレムが望んでいることなら、押し倒すくらいのことがあっても、それは男としていいんじゃない? 百歩譲って、そのくらいは許してあげてもいい、かもしれないわね。まあ、この二人の場合、逆のパターンになる可能性の方が高いかもしれないけど。どっちにしても、レムがそれでよければ、の話だけど。

 

 ラムは、静かにドアを閉めた。

 

 しばらくして、また例のドキドキ感が、レムから伝わってきた。

 

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