※この作品はR-18です。

紫紺の夢   作:Kuro Maru

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赤の章・8

 あたり一面に綺麗な花が咲いていた。いつかどこかで、走り回った場所。

 

 左手はいつも、青い瞳の手を握っていたのに、でも今は誰の手の感触もない。花畑を走っていたはずなのに、でも今は何もない、知らない場所で一人ぼっちで立ちすくんでいる。

 額を割られるような痛みのことは、ずいぶん昔に忘れてしまった。それに代わって今度は、身を焦がすような餓えた痛みが、絶えず体を締め付けた。

 

 唯一、光だけがあった。その光に触れると、痛みを忘れられた。その光だけが頼りだった。でも、今は、その光も感じられない。今はもう、息もできない。吸うことも吐くこともままならない苦しさの中、このまま静かに沈んでゆく。静かに、一人静かに沈んでゆく——。

  

 突然、新鮮な空気が鼻口を通り、肺を満たした。ゆっくりと目を開けると、辺りには色とりどりの花が、蕾のまま風に揺れていた。青い瞳が、誰かと手をつないでいる。黒い瞳の誰かと、笑いながら右手をつないでいる。青い瞳のもう片方の手が、自分へ向かって差し出されている。その手に恐る恐る手を伸ばす。以前と変わらない同じ青い瞳の手。不意に、青い瞳と、黒い瞳、その二人に抱きすくめられる。

 

 その黒い瞳の手が、まだ誰も触れたことのない自分へ、ゆっくりと伸びて来る。怖くて逃げようとするが、二人に抱きかかえらえれたまま、逃げることができない。黒い瞳の手が、自分に触れる。一瞬身をすくめるが、すぐに、その暖かさに気づく。黒い瞳の暖かい手が、そのまま優しく、優しく動き続ける。黒い瞳の手が動くたびに、あの光に似たものが、自分の中から湧き出ているのを感じて——。

 

「ああっ! あっ! く……っ」

 

 一体誰が叫んでいるのだろうと思った。それが自分の発している声だとわかるまで、少しかかった。痺れるような甘い感覚が、自分のその部分から全身に広がっている。気づくと、前と同じように、自分の指がそこに触れている。いや、今も自分の縦の細い筋に沿って、激しく動いている。

 

「え?」

 

 そう思った瞬間、いきなりそれがラムを襲った。

 

「あーっ! あーっ! あ、あ、あっ…… あーっ! あっ! あっ!」

 

 腰がガクガクと震え、何かが漏れ出すような、あの感覚。

 

「ああっ……はあっ……はあっ……」

 

 荒くなった息を整えようと、大きく息を吸い込んで吐き出した。胸がドキドキしている。その部分を中心に、体の中に熱が広がっている。暗闇の中で、いったい自分に何が起こったのか、ようやく理解した。

 

 丸めていた体を伸ばし、下着姿のまま仰臥して、そっとその部分を確かめる。どうやら、少し漏らしてしまったようだった。お尻の方までショーツが湿っていた。ラムは一人で赤面すると、着替えようとベッドの上で体を起こした。

 その時だった。突然、心臓が跳ね上がり、何か熱いものが触れる感覚が伝わってきた。ラムは再び横になって体を丸めると、両手を胸元で握りしめて、それに集中した。

 

——愛おしさ。

——緊張。

——痛み。

——嬉しさ。

——痛み。

——喜び。

——嬉しさ。

——安堵。

——愛おしさ。

 

 感情と感覚がさざ波のように押し寄せてくる。胸がドキドキする。最後に、震えるような脈動と一緒に、熱い何かが体の中に注ぎ込まれた気がした。

 

 いつの間にか、ラムの頬が涙で濡れていた。優しくて、愛おしくて、そして寂しくて。胸が締め付けられるような思いなのに、嬉しくて。これは彼女の感じていることなのか、それとも自分がいま感じていることなのか、ラムにはわからなかった。

 

 少しして、今度はもっと優しい感覚がラムに流れ込み始めた。体が再び火照り始める。切ない疼きがラムの指を自然とその部分に導かせる。程なく、再びあの脈動を感じる。そして、あの熱い何か。安心感と安らぎ。

 

 その感覚がゆっくりと収束していく。ゆっくりと、ゆっくりと。それに合わせて鼓動が平坦になってゆく。

 

——レム……。

 

 大切な妹に何が起こったのか、ラムにはもうはっきりとわかっていた。

 

 そっとベッドから降り、汚れた下着を脱ぎ去ると、ラムはそのまま窓辺に歩み寄った。カーテンの隙間から、光がうすく漏れている。それを開いた途端、月が部屋を明るく照らし、ラムの透き通るような綺麗な裸体を窓辺に浮かび上がらせた。

 

 開き窓を開けて、そのまま外を眺める。心地いい風が、火照った頬と体を優しくすり抜けた。体の奥に感じた小さな熱は、まだそのままそこに残っていた。驚いたことに、ベッドに倒れ込むまで絶え間なく襲っていたあの痛みを、今はほとんど感じない。

 

 雲が月を隠して、あたり一面が暗闇に包まれた。ラムはうっすらと透けて見える月を見上げながら、さっき自分に起こった事を思い返していた。

 

 自分一人では生きながらえない体のはずだった。これが決められていたことなのか、そうでないのかは、わからない。どちらにせよ、自分自身が彼に捧げるものは、これからも変わることはないはずだ。

 だが、もしこれが、彼の思惑とは全く違う展開だとしたら。彼だけに頼らずに済むとしたら。自分の運命は大きく変わるのだろうか。そしてそうなった時、あの子はどうなるのだろう。

 

 大切な大切な、たった一人の愛する妹。 

 大切な大切な、たった一人の自分の分身。

 

 もし彼女が、自分の他に寄り縋ることができる何かを見つけた時、彼女は自分を捨てるのだろうか。そしてそれを自分はどう思うのだろう。それを排除しようとするのだろうか。それとも、それを受け入れるのだろうか。受け入れて、自分は一人で生きていくのだろうか。わからなかった。そのことを考えること自体が本当は怖かった。

 

 でも今は——。

 

 月が再び辺りを照らして、青い光が裸のラムを優しく包み込んだ。もうすぐ満月だろう。無意識に下腹部に両手を添える。幸せな二人の名残だろうか。まだ、そこに暖かさを感じる。

 

 窓に吹き込む優しい風に、ふわりと髪をなびかせながら、ラムは静かに微笑んだ。

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