ノックの音がした。振り向くと、ドアからレムが部屋に入ってくるところだった。
「おはよう、レム」
「お、おはようございます。姉様。あの、今朝は——」
レムのその表情に、若干の後ろめたさを感じるのは気のせいだろうか。
「ええ、今朝は少し調子がいいの。レムこそ、今朝は寝坊したの?」
——あ、今のはちょっと意地悪だったかしら?
「あ、は、はい。昨日は遅くまで本を読んでいて……」
「そう。でも、レムが寝坊するなんて、珍しいわね」
レムは赤くなったまま、ラムの身支度の手伝いをしようと、手を伸ばした。ラムはその手をとって、レムを自分に引き寄せると、その自分と瓜二つの顔をじっと覗き込んだ。
「ね、姉様?」
「んー。相変わらず可愛い顔ね、レム。やっぱりラムと瓜二つなだけあるわ」
——経験したからといって、そんなすぐにはいろいろ変わったりしないのね。
「え? え?」
「いいえ、なんでもないの。さ、体調がいいうちに——」
レムが口を挟む。
「そのことなんですけど、姉様。やっぱり、王都に、ロズワール様に連絡をした方が……」
それを考えていないわけではなかった。だが、あのロズワールのことだ。理由なく放置されているというのは考えにくい。竜車を飛ばして、助けを求めるという答えを、彼は良しとしないだろう。と、なると。今この時点で、答えはおそらく一つ。
——それは、その方法を模索すること、もしくは、探し出すこと。文字通り死ぬ気で。そして、その答えが、もしあれなら……。
ラムはしばらく考えて、レムに言いかけた。
「ねえ、レム?」
「なんですか? 姉様」
「あの……」
だが、ラムはさすがに躊躇した。いくらなんでも、その考えは自分に都合が良すぎる。レムの気持ち——そう、レムがスバルを見つめる時の、嬉しくて、そして胸が痛くなるような、あの感覚。そして昨夜のあの……。それを知っていて、その上で、そんなことを口には出せない。
「いいえ、なんでもないわ。さっきも言ったけど、今は調子はそれほど悪くない。でも、やっぱり様子を見ながらお仕事をさせてもらってもいい?」
「も、もちろんです!」
「そういえば、バルスなんだけど……」
「は、はい。す、スバルくんが?」
レムは赤い顔のまま、すこし強張った表情をラムに見せた。
「もうほとんど回復しているんじゃないかしら? レムはどう思う?」
「そ、そうですね。ゆっくりなら歩けましたし、もうじきお仕事にも戻れるんじゃないでしょうか?」
「あと、レムが言っていた通り、上掛けを体から離さなかったわ。あれはなんなのかしらね?」
「さ、さあ、なんでしょうか……」
またあの後ろめたい感じが、レムからラムに伝わってくる。昨日二人がそう言う関係になったのはもうわかっている。だが、それとあのスバルのタオルの一件はどう言う関係があるのだろう。
ラムは、それをレムに聞きたい衝動を抑えると、
「今日のバルスの世話は、レム、あなたに全部任せるわ」
「え? は、はい。あの、姉様?」
「ああ、昨日のことなんだけど、ラムが行くたびに、なんだかがっかりしたような顔をしてたの。レムが世話をした方がいいみたいだから」
「あ! いえ、姉様、スバルくんは、そんな……」
「いいのよ。レムだって、その方がいいでしょう? じゃ、行きましょう」
そう言って、仕事に取り掛かった。
「ところで、レム? なんだか歩き方がおかしいわ。どうしたの?」
「え? 姉様。き、気のせいじゃ……」
「気のせいじゃないと思うけど……。なにか調子でも悪いの?」
「い、いえ。そんなことは」
「レム。レムもラムに遠慮しないで、なんでも言ってちょうだい」
「は、はい。姉様。ありがとうございます」
——自分で気づいていないの? レム、なんだかガニ股になってるわよ。
そのガニ股のレムと、いつものように屋敷の仕事を片付けていく。だが、ラムの体からは、朝の調子よさが、どんどん消えていった。途中何度かスバルの部屋へレムが消えると、ラムは、その都度椅子に座り、意識をそこから遠ざけた。
今日はまだ、レムからは例の感じは伝わってきていない。このまま一日が終われば、遠からずまた、血反吐を吐くことになるだろう。それが二人の前だったら。もしレムの前だったら……。彼女が一体どうなるのか、目に見えている。
レムにきちんと話をしなければ。レムに話をして……でも、レムに何をどう話せばいいのだろう。そんな思いが顔に出ていたのか、レムが心配そうに声をかけた。
「姉様? 大丈夫ですか? もし調子が悪ければ、お部屋でお休みになっていてもいいですよ」
「ううん。大丈夫。レム……あの……」
レムが眉をひそめた。ここ数日、体の調子が悪いことを差し引いても、今日のラムはおかしい。そう感じているのだろう。
「……そうね。そうさせてもらってもいいかしら」
「じゃあ、夕食はお部屋にお持ちしますね」
結局、ラムはレムに自分の考えを話すことができずに、就寝時間を迎えてしまった。体調はどんどん良くない方向に向かっていた。
昨晩は入ることのできなかった風呂で、ゆっくり体を温めながら、考える。今から自分がやろうとしていることは、レムの、大切な妹の思いを壊してしまうことなのだ。だが、このままでは——。
ラムは、やっと覚悟を決めた。
——ごめんなさい、レム。ラムはどうしても知りたい。そして、この体のことをなんとかしたい。まずはきちんとレムと話をしてからね。
そう思って、隣のドアをノックした。返事はなかった。そっとドアを開けて中を覗くと、レムは部屋にはいなかった。一体どこにいるのかは、言うまでもない。
少しの間考えて、階の違う客間へ向かう。レムの反応に体が呼応しているのだろう。心拍数が上がっていくのがわかる。そして、体の奥がジンと、熱を持ち始めている。その部分が、むず痒いようなあの切ない感じを、体全体に広げ始めている。
部屋の前に立ち、ノックをしようとして、一瞬迷った。中の二人は今、どんなタイミングなのか。それはさすがにわからない。
——頼むわよ、バルス。
一つ大きく息を吸い込んで、ラムは客間のドアをノックした。