異界へと続く門を閉じる為、錬金術師アンペル・フォルマーと共に旅を続ける女性……リラ・ディザイアス。生まれながらに戦士として生きて来た彼女は、初めての感覚に戸惑いを隠せなかった。胸の奥底から湧き上がる、暖かい謎の感情。無意識に彼女の特徴的な耳が動き、恐る恐るといった様子で手を伸ばす。
「……っ!」
柔らかいその感触を手で感じて、リラは言葉を失った。ただ只管に高鳴る胸を押さえて、彼女は今の今まで自分の様子を眺めていたアンペルへ視線を向けた。
「アンペル……済まない。こいつは任せた」
「あ、あぁ……。一体どうしたんだ?」
今はとにかく離れたいとばかりにリラは告げて、彼の答えを聞く前にその場を後にする。普段余り表情を変えず、何時だって冷静だった彼女の明らかに可笑しな行動を前に、アンペルは困惑しながらも彼女の立っていた場所へ。そこにはボロボロの状態で横たわる1人の少女が居た。
ハクはこの世界で野垂れ死にする寸前まで追い詰められた。最初に降り立った島に欲望の対象が見つけられず、待てば何時か現れるという予感を無視してハクは行商の船へ潜り込む選択をする。だが王都へ着こうとも、欲望の対象とは出会えない。他に行く宛など無かったハクは、本当に宛の無い旅をする他に対象を探す方法が無かった。だが、この世界の通貨も分からない彼女に旅をするのは無理な話だった。木の実などを食べて食い繋いでいたハクだったが、遂に限界が訪れてしまう。
そんな時、ハクは2人の旅人に命を救われた。人の姿で倒れてしまったハクを助けて介抱したのは、錬金術師と女戦士の2人組。2人に助けられたハクは無事に元気を取り戻し、それと同時にようやく探し続けた欲望の対象を見つける事になる。……女戦士、リラは欲望を満たす対象だったのだ。
自分に行く宛が無い事を知った2人は旅の同行を許可した。寧ろ放っては置けないと、アンペルが連れて行く事を前提に話を進めたのだ。その間、寡黙なリラは一切話に関与する事無く、だがその目はまるで縫い付けられたかの様にハクを凝視し続けていた。
「リラ、ハクと出会ってからずっとその調子だが……大丈夫なのか?」
「……問題無い」
「いや、とても問題が無い様には見えないんだが」
ある日。ハクが夕食を準備する傍ら、アンペルは遂にリラへ単刀直入に質問した。彼の質問に普段通り、静かに答えたリラ。だがその耳はまるで何かを喜ぶ様に動き続けており、まるで鳥が羽を羽ばたかせる様な速度で動く光景を前にアンペルは思わず頭を抱える。リラの耳は彼女の表情以上に感情を表していた。明らかにリラは何かを隠していると、共に旅を続けて来たアンペルは確信する。リラの感情は一見分かり難そうだが、理解さえあれば非常に分かり易いのだ。
「全く。本当にどうしたんだ? まるで初めて恋を経験して戸惑いで感情が分からなくなっているみたいだぞ」
「……そうだな」
「……」
「……」
「…………はっ?」
錬金術師として必要な直感が働いたのか、何となく思い付いた例えをしたアンペルはリラの答えと長い無言の果てに全てを察する。彼女の様な根っからの戦士は基本的に色話を好まない。だが否定も肯定もしないその反応が、再びアンペルを確信に導いた。
「ははっ、成程……これ以上は無粋という事か」
「可笑しいと思うか? あいつも私も、同じ女だ」
「世間的にはどうか知らないが、俺は気にする必要は無いと思うぞ。愛なんて目に見えない形の無い物、どう捉えるかは人それぞれだ。リラがハクに何かを感じたのなら、それは偽りの無いリラ自身の感情だろうからな」
「……そうか」
アンペルの答えにリラは天を仰いだ。今までの会話は料理をしているハクの耳には届いておらず、やがて彼女が作った料理が差し出された事で3人は食事を始める。リラの初恋を知ったアンペルだが、知ったからといって何か特別な行動を取るつもりは一切無かった。下手に横から手や口を出すよりも、リラの行動を見守る方が良いと考えて。
「遅いっ!」
鉤爪を両手に付け、リラは素早く魔物の背後へ回って攻撃を仕掛ける。戦士である彼女の戦う姿は美しく、そんな彼女の傍でアンペルとリラも基本的に補助へ徹しながら戦っていた。1体、更に1体とリラの振るう鉤爪が魔物の身体を切り裂く。すると突然、魔物が身体から鋭い針の様な物をリラに向けて放った。
「っ!」
リラはそれを辛うじて回避する。魔物達は一斉に彼女から距離を取り始め、アンペルは警戒する様に声を出した。……そして始まったのは、遠距離からの針攻撃。リラは目にも留まらぬ速さで飛来する針の合間を縫う様に動き、再び魔物に攻撃を仕掛ける。だが魔物の1体が狙いをハクへと変えた瞬間、リラは即座に気付いて動いた。
「ぐっ!」
「!? リラ!」
「……ぁ」
自分が狙われていた事に気付かなかったハクは避けられず、そんな彼女を守る様に間へ入って針をその身に受けたリラ。アンペルは驚きながらも即座に遠距離で魔物を落とし、ハクへ急いでリラの治療をする様に指示を出した。リラが身を挺して自分を守った事実に驚き放心状態だったハクはその言葉で我に返り、羽の力を使って素早くリラの傷を癒しに掛かる。リラは身体に突き刺さった針を強引に引き抜き、傷口が見る見るうちに塞がる光景を見てから再び構えて魔物へ飛び掛かった。
「はぁ!」
「全く……焦らせる。だが、奴さん達は狙う相手を間違えたな」
「……」
そこからは一方的な戦いだった。針を飛ばしてもリラは殆ど止まる事無く、当たる隙も見せない。彼女は無理だと諦めてハクやアンペルへ攻撃を仕掛けようとすれば、それに反応したリラが針を放つよりも先に仕留める。それは彼女を相手にする上で絶対に狙ってはいけない者を狙い、琴線に触れた代償であった。
「終わりだ!」
最後の1体が地に伏せる。そこですぐには警戒を緩めずに周囲を警戒してから、危険が無いと判断して初めて武器をしまったリラにハクは近づいた。
「……リラ」
「ハク、怪我は無いか?」
「……ん。……ごめん」
「気にしなくて良い。だが、何時でも狙われる覚悟はしておけ。魔物にも知能はある」
ハクのせいで傷ついても尚、彼女がハクへ掛けた最初の言葉は叱りでは無く心配であった。それにハクが答えてから謝れば、リラはハクの頭に手を置いて戦闘時に大切な事を教える様に告げる。そしてそれ以上、何かを言う事は無かった。
アンペルが錬金術で使える魔物の素材を適当に回収して、歩みを再開した3人はやがて小さな村へ到着した。既に空は茜色に染まっており、今から村を出るのは得策とは言えない。短い話し合いをして、この村で夜を過ごす事が決定する。
「宿は二部屋空いているらしい。となれば、当然別々になるべきだな。久しぶりに広い部屋で寝るとしよう」
「余り錬金術に根を詰めるなよ。明日の旅に支障が出る」
「……爆発……うるさい」
「随分前の事を……あぁ、肝に銘じておくよ」
嘗てアンペルは錬金術を宿で行い、寝不足になって更に1泊する羽目になった事や小規模の爆発を起こしてしまった事があった。リラとハクの注意を聞いて頭を押さえながら首を横に振った彼は、やがて借りた部屋の一室へ向かい始める。それを見送り、ハクとリラも同じ様に借りた部屋へ。……その部屋にあったのは1日だけ泊まる旅人を想定して用意されたテーブル、タンス、ベッドなどの家具。
「ここは……1人部屋を想定していたらしいな」
「……だね」
部屋の内装を見て呟いたリラの言葉にハクが同意する。タンスやテーブルは普通だが、問題はベッドである。1人部屋にあるベッドは当然1つであり、他に寝れる場所と言えば床程度。しかし、固い床で寝ては旅の疲れが取れるとは到底思えない。となれば、自然と2人は同じベッドで眠る事になる。
「っ!」
今の今まで野宿や別の部屋で過ごしていたリラは、ハクと同室で同じベッドで眠る事実に息を飲んだ。何かするつもりは無いが、緊張してしまうのは意識しているが故に仕方の無い事だろう。だがハクは特に気にした様子も無く、旅の疲れを癒す為に猫の姿になってからベッドへ転がった。出来る限りリラがベッドを使える様に配慮した結果である。
「……ハク」
『?』
だがこれはハクの温もりを感じる大きなチャンスであり、リラは戦士として自分が引く事を決して許さなかった。
「お前は小さいからな。人の姿でも問題無い」
『……』
「何方かといえば、人の姿で居たいと前に言っていた筈だ」
元々普通の人間だったハクは猫の姿に成れても、出来るだけ人の姿で居ようとしている。だからこそ、気遣う様にリラは告げた。そこに含まれた他意にハクが気付いたのかどうか、リラには分からない。しかし僅かな沈黙の後、再び人の姿に戻ったハクはベッドで横になったままリラを見つめ返した。
「……狭く、無い?」
「あぁ、大丈夫だ」
ハクの言葉に肯定して、リラはベッドへ足を掛ける。そしてハクと並んで横になると、天井を見上げながら半身にハクの温もりを感じてリラは小さく深呼吸した。
「……」
「な、なんだ?」
「跡……残ってない……?」
横に居たハクが身体を起こし、突然身体に触れた事でリラは動揺を必死に隠しながらハクへ問いかける。そして掛けられた言葉に、ハクがリラの戦闘で怪我をした部分に跡が残っていないのかを確認しているのだと理解した。羽の力で癒された傷は跡一つ残っておらず、ハクはそれを確認して安心した様に息をつく。
「ふっ、心配性だな。お前は」
「……私のせい、だから……当たり前」
「あの時も言ったが、気にしなくて良い。強い者なら、あの程度の攻撃は弾く事も出来た筈。それが出来なかったのは、私の落ち度だ」
「……」
ハクはリラの言葉に、彼女の中にある強き戦士としての心を感じる。だが同時に危うさも感じてしまい、ジッと見つめるハクを前にリラは僅かな冷や汗を掻いた。
「どうした?」
「リラは……戦士。怪我も、する……分かってる」
「?」
「だけど……しないで、欲しい……から。……だから」
途切れ途切れに紡がれるハクの言葉。その最後を聞いた時、リラは目に見えて驚いた様子で目を見開いた。頭の耳が大きく立ち上がり、動揺を隠せずに身体が震えてしまう。そして何度も首を横に振るが、ハクの意思はもう固まっていた。
翌日。アンペルは目を覚ましてから、リラとハクが居た筈の部屋に誰も居ないと気付いて宿の外へ。荷物は残っていた為、自分を置いて出て行った可能性は無い。そもそもそんな事をする2人で無いとアンペルは信頼しており、2人が居そうな場所を探す事にする。……すると村から少し離れた森の一角で、何か固いもののぶつかる音が響いたのを聞き逃さなかった。
「! あれは……」
音の発生源を覗き込んだ先、そこに居たのは探していた2人。リラが鉤爪を手に構え、そんな彼女と相対する様にハクが真っ赤な剣を片手に立って居た。
「これは、どういう状況だ?」
思わず思った気持ちをそのまま口に出したアンペルは、少し様子を見守る事に。やがてハクが動き出すと、彼女はリラへ剣を振るった。しかし戦いに長けたリラからすれば余りにも遅い攻撃に、彼女は軽々と鉤爪で防いでから爪の間に挟んで剣を引っ掛け、空へ放ってしまう。空に舞い上がった剣が宙で何度も回りながら、やがて地面へ突き刺さった時。リラは鉤爪をハクの目の前に突きつけていた。
「もうよせ。お前に前衛は向いていない」
「……まだ……やる」
「どうしてそこまで拘る。お前は一体、何がしたいんだ」
「私の、ため……。戦えれば、迷惑……掛けない、から。強くなれば……リラを守れる、から」
「っ!」
思いもよらなかった答えにリラは目を見開き固まる。その間に落ちた剣を再び拾い上げたハクは、もう一度リラに向けて構えた。
「止める気は、無いんだな?」
「ん」
「……分かった。なら、お前が気が済むまで付き合おう。私を守ると言うなら、やって見せろ」
「行く、よ……!」
「来いっ!」
走り出したハクに応戦する為、鉤爪を構えたリラ。やがて2人がぶつかり合い、聞こえて来る喧噪にアンペルは来た道を引き返す事にする。もう少しこの村で宿を取る必要性を感じながら……。